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春夏秋冬 / 老い楽の詩 https://blog.goo.ne.jp/hennkyoujinn

老い始め老い逝くまで、楽よりも苦の方が多い。束の間だけでも喜びや感動、笑いあえる楽があれば幸せ。

星 光輝
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住所
福島県
出身
北海道
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2017/04/09

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  • 群発性偏頭痛

    2042目に見えない病は「わかりにくい」2日間余りの日々いろんなことが重なりすぎブログから離れてしまった。義父の1周忌でwifeの実家に帰郷し、明日福島県に帰るというときにwifeは下腹部に針を刺すような激しい痛みにが襲い3月3日の日曜日救急外来受診。wifeは昔から耐えられない痛みになって初めて「病院へ行く」、と言い出す。医師からは「よくもこんなに痛みを耐えていたもんだ」、と驚いている。「憩室炎」と診断され、点滴と薬を処方され実家に戻った。翌日、beagle元気と自分と一緒に帰宅し、地元の総合病院受診。点滴、絶食、安静のため入院を勧められたが、仕事(訪問介護)をしなければならない事情があり入院を断った。「断腸の思い」だった。wifeの病は「目に見える」だけに、痛みの辛さが見ててもわかりできるものなら、自...群発性偏頭痛

  • 歩けるようになって欲しい

    2041外傷性脳出血シャンプーしてきました。4月8日で11歳になります。事業所から車で50分余り走ると、89歳の浅香婆さんの家が在る。浅香婆さんは、玄関先の庭で後ろに転倒し石に頭をぶつけてしまった。急いで娘は、かかりつけの病院に連れて行った。CTの結果、頭頂部のあたりに、外傷性脳出血と診断され即入院となった。10日経過したが、リハビリを行うもつかまり歩行は難しく、20分程度の坐位保持がやっと。夫は5年前病気で亡くなり、ひとり暮らしになり同じ町内にある娘さんが住んでいる町営団地一階で暮らすことになった。娘さんは2交代勤務制の工場で働いている。要介護認定区分変更され、要支援2から要介護4にレベルダウン。要介護2かな、と予想していたのだが・・・・・歩行は不安定であり、介護用ベッドと手すりの貸与サービスのプランで...歩けるようになって欲しい

  • 復刊 銀の輝き 第53号

    2040老いのねがい在宅訪問を終えた帰り路関の里池に白鳥と遭遇白鳥が寄ってきた復刊銀の輝き第53号2024年3月1日老人のねがいよく老人は「ぽっくり死にたい」と口にします。それは老人のねがいにも聞こえます。「寝たきりや痴呆(認知症)だけになりたくないから、ぽっくり死にたい。子どもに迷惑をかけたくない」。それが老人のねがいだとしたら、寂しい気がしてなりません。いまや人生百歳の時代になり、脳卒中(脳血管障害後遺症)や認知症を患い、不自由さを抱えながら懸命に生きておられる老い人たちがいます。老人の手を握り、老人の語る言葉に頷(うなず)き、耳を傾けていきたいと思います。「いまなにを考えておられるのか」「死にたいと思っているのか、生きる望みをもっているのか」「なにを悩んでいるのか」「なにを欲しているのか」「なにに戸...復刊銀の輝き第53号

  • ドアとドアを結ぶどこでもドア 創刊号

    2039銀の輝き2024.2.24am7:18阿武隈川;朝陽に照らされた銀の輝き『ドアとドアを結ぶどこでもドア』創刊号2024年3月1日いつでも、どこでも、あなたの側らに安全・安心をお乗せしている気持ちで移動支援(通院送迎)を行います。玄関先までお伺いします。福祉タクシーをご利用できる人総合事業・要支援者・要介護認定者(介護保険外サービス)の方、身体に障がいをお持ちの方、ご病気・骨折などによりお一人での移動が困難な方、移動に杖や車いすが必要な方、一般のタクシーや公共機関の利用が困難な方など。利用目的の制限はありません。病院までの送迎・買い物の付き添い・冠婚葬祭の付き添い・コンサート、墓参り、旅行や観光の付き添いなどさまざまな移動のサポートをします。福祉タクシー利用者運賃ぐっとへるぷ東北運輸局認可乗車時間運...ドアとドアを結ぶどこでもドア創刊号

  • 疲れると頭は働かなくなる

    白河の関を越えた地にも春が訪れる縁石の淵にみどりの名も知らぬ草が生きる。今日は寒風となり小雪が降る2038生きるとはここ3,4日、89歳のひとり暮らし老人と接し、ほとほと心身ともに疲れてしまった。老夫婦の家を訪問したとき、「疲れた顔しているね」、と言葉をかけられた。「大丈夫です。体調は変わりないです。元気です」と言葉を返すも、気持ちのなかで「疲れた顔に見えたさせたのは失敗」、と呟いてしまった。その日は眼鏡をかけることも忘れていた。眼鏡をかけると、気持ち的に老けてきた顔を少しでも隠すことができる。在宅訪問のときは、疲れた顔を見せず、元気な表情と声を出すことが大切。反省をしてしまった。疲れると蒲団に入ってもなかなか眠れなかったり夢が途切れ目を覚ましたとき、あれこれと頭のなかで言葉が飛び交う。何のために此の世に...疲れると頭は働かなくなる

  • 牛タン

    2037仙台泉プレミアムアウトレット今日は気分転換を兼ね昼食は、wifeと仙台牛タンを満喫した。その後、仙台泉プレミアムアウトレットを「歩く」wifeはアンダーアーマーで黒のランニングシューズを購入他に衣類3点(その内1点は自分のもの)wifeが、東北自動車道下りを走行しているときだった。スマホが鳴った。画面を見たら「東部包括支援センター」の文字が見えた。「要支援の認定を受けていない89歳の男性老人はベッドからずり落ちてしまい、立ち上がれず救急車を呼んだ。急変の症状ではなかった。老人は救急隊員に紙オムツの交換を頼んだ。救急隊員は「紙オムツを取り替え」、そのひとり暮らし老人の家を後にした。要介護相当の状態にあり、明日11時、男性老人の家にお伺いし地域包括支援センターのスタッフと引継ぎを行い、ケースを受けるこ...牛タン

  • その人は生きている

    2036情け(思いやり)出だしから「硬い話」で申し訳ないけれど住み慣れた家で最後(=最期)まで暮らしたい、と願っている老人「老親の願いに添いたい」、と思いをかける同居家族。「地獄の沙汰も金次第」ではなく、「介護の沙汰も金次第」と思ってしまう。国民年金の受給額で暮らしている老夫婦の伴侶が、寝たきりになると介護に使えても1万円がやっとである。さらに追い打ちをかけ、訪問介護の介護報酬は減額され潰れる(倒産する)訪問介護事業所が増えてくる。さて、現実のヘルパーたちは介護の最前線で何を感じ、何に憤りを覚えているのか(悲しみを感じる)。先日、鼠屋敷で暮らす婆さんのことを書いた。テーブルの上、台所、洗い篭、窓の桟(さん)、床などあらゆる処に鼠の糞が連なっている。お椀やお玉、鍋のなかに糞はある。そのような状況のなかで、婆...その人は生きている

  • 自分の足を喰いながら生きる

    2035あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい自分の足を食べる蛸、と言われるが本当は、人間につかまって狭い所に入れられたときに自分の足をちぎって食べたりする。他の動物に食いちぎられたりした足はまた生えてもとだおりになるが、自分で食べた足はもうさいせいできないらしい。「やってみよう」、と始めた介護事業だったが小規模(零細)介護事業所はやり繰りが大変。赤字から黒字に転換するのは容易ではない。ここ数年、無給で働いていて、それは何とも思わなくなってきたが赤字から脱却し収支「とんとん」に持っていきたい、と思うも・・・・「借りたお金」をほぼ完済するにはあと3年。あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい。wifeから「自分で始めた仕事、やり遂げるしかない」、「誰も頼んだ訳ではない。...自分の足を喰いながら生きる

  • 突き刺された心は、痛み(傷み)を伴う

    2034明けない夜はない朝は必ず夜になり、夜は必ず朝を迎えます介護タクシーの運転をしていても、今日の外気温は18℃。春の陽気です。白河の関を越えると福島県。透析治療者の送迎のとき、蕗の薹に遭遇。蕗の薹は雪の下でジッと寒さに耐え、春を待つ。雪水は蕗の薹にとり栄養となり地上に現われた蕗の薹を見ると春の訪れを感じさせる。でも東北の地は3月に入っても雪が降ることがある。過去において桜が咲いたときに雪が降り積もったことがあった。透析は1日おきに行うため透析患者は、せわしく感じてしまいできたら週2回の透析だったら気分的に「ゆっくり」できるのにな、と言葉にする。「患者」という感じからどんなイメージを受けますか?「患」の漢字から「串刺し」を連想する。魚を串で刺し通す。痛々しく感じてしまう。患「串」+「心」2つのものを縦に...突き刺された心は、痛み(傷み)を伴う

  • 今日はブログ お休み

    2034今日は18℃の気温で「春気分」wifeの病院送迎の帰りいつもと違う場所から那須連山を撮りました東北自動車道も見えます明日7時15分から透析治療者の送迎があるためもう寝床に入りますそのため今日はブログお休みます。また、明日・・・・・今日はブログお休み

  • 病床六尺、これが我世界である

    2032『病牀六尺』と介護の在り方正岡子規『病牀六尺』岩波文庫●正岡子規著『病牀六尺』(びょうしょうろくしゃく・岩波文庫)を初めて読んだのは24年前のことであり、書き出しは「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである」(7㌻)で始まる文章はいまも印象に残っている。彼は23歳のとき、結核により喀血した。子規と号したのも、血を吐いて死ぬ時鳥に我が身をなぞらえてのことであるという。結核は脊椎を侵し、34歳の頃人力車で外出したのを最後に臥床生活に入る。●子規は、『病牀六尺』の六十五のところで、介抱(看病、介護の言葉に置き換えてもよい)の問題について述べている。「直接に病人の苦痛に関係する問題は・・・介抱の問題である。病気が苦しくなった時、または衰弱のために心細くなった時などは、看護...病床六尺、これが我世界である

  • 梅の香りは、ストレス解消に効く

    2031しもつかれ咲き頃の梅の花を花瓶に生けて浴室に置くことによって香りがこもる梅の香りは、ストレス解消に効くとのこと“しもつかれ”は北関東、特に栃木県で冬季に限られる郷土料理で新巻鮭の頭や節分の豆、大根、人参、油揚げ、酒粕(さけかす)と一緒に煮込んだもの味付けは醤油・砂糖など家によって独特の味がある見た目は酔っ払いの「副産物」にしか見えない(これは失礼)7軒分のしもつかれを食べると中気にならないといわれている栃木県では学校給食にも出るが子どもたちからはすこぶる評判が悪いとか余は義父がつくる“しもつかれ”だけは口にする(他界されたので義父がつくる”しもつかれ”を食べることができなくなった)なぜなら新巻鮭の頭ではなく身を入れるのでいやな匂いがなく舌触りもいい赤飯の上にしもつかれを載せて食べるとさらに上手い(...梅の香りは、ストレス解消に効く

  • 「銀の紬」

    2030老人はいぶし銀のような存在素敵な木造家茨城県筑西市(旧下館市)介護に関わってから老人の代名詞として「銀」という文字が気になりだした銀は金とは違い地味で華やかさはないが長年の経験につちかわれた渋みを感じさせるそれを人はいぶし銀の輝きと呼びくすんだ灰色の銀ではあるが味わいのある灰色となる老人はいぶし銀のような存在でありそれぞれに人生の労苦や歓喜が顔や手指に皺が刻まれ無二の存在であり輝きを放す「銀の紬」は老人の持っている人生のアートや可能性を引き出し最後の糸を紡(紬)ぎ編むそんな想いを抱きながら自分の老いとも重ねあわせ銀の糸を紡ぐ「銀の紬」

  • 芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)

    2029薬剤師に聞いてみよう、気軽に脚(足)がつるときに効く漢方薬68「お婆ちゃん」と「婆ちゃん」言葉の響きを聞くと「婆ちゃん」の方がいいかな。言葉の頭に「お」をつければいいといものでもない。「お婆ちゃん」よりは「婆ちゃん」の方が若い印象を受けるような気がする。本ブログで「婆ちゃん」と呼ぶこと(書くこと)にする。今日は、90歳になる婆ちゃんの通院等乗降介助を行った。自宅から9分程度の走行で整形外科クリニックに到着。杖をつきながらどうにか歩けるのだが、ふらつきがあり転ぶ危険性もある。婆ちゃんの左手を握り、一緒に歩く(婆ちゃんは手を握ってもらうのを楽しみにしている)。椅子に座り、靴を脱ぎスリッパを履いた方が楽で安楽に行える。60分余り待たされ(予約11番目だった)、順番がきたので診察室に入った。通院等乗降介助...芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)

  • 星を見上げ元気をいただく

    2028「おまけ」「付録」グリコのキャラメルに付いて「おまけ」楽しみだった誰でも買い物をしたとき“これ、おまけに付けておくよ!”と言われると何か得したような気分になる一粒口に入れると300メートルが早く走れるというグリコのキャラメルにも“おまけ”が付いていた現代の子どもはシールよりもゲーム機器の方に手がいってしまうが昭和30年代の子どもたちはキャラメルのおまけに付いていたシールやワッペンに熱中したものだった若い女性向けの雑誌にも“豪華な付録”が付いている本誌よりも付録を買うといった女性もなかにはいるとかちょっとおまけや付録の話が長すぎてしまった感があるが子ども心にまだあの世に逝っていない大人から「人間死んだら☆彡(星)になるんだよ」と本当にそうだったら素敵な話である死んだら星となって輝き天から大切な人を見...星を見上げ元気をいただく

  • 一杯の味噌汁

    2027乗り遅れそうな乗客を待つバスの運転手味噌汁は“おふくろの味”ともいわれ、家庭によって味が違う。三木春治さんにとって家庭の味といえば妻志乃さん(77歳)がつくる“味噌汁”であり、元気の源でもあった。しかし、桜の花弁が散る4月の或る日の朝の出来事。春治さんは、今日の朝起きてみると腹が脹れ(はれ)あまり朝食を食べたいとは思わなかった。けれども、妻が想いをこめて作ってくれた豆腐入りの味噌汁を味わった。ご飯は茶碗半分余り残し箸を置いた。どうもお腹の脹れと胸のあたりが急にむかつきはじめ苦しくなり、食卓にうつ伏せ状態になり倒れた。救急車で病院に搬送されるも力尽き永眠された(ご冥福をお祈り申し上げます、78歳)。昨日まで元気な様子であっただけに、突然の訃報は驚きと同時に深い悲しみを抱いたのは、わたしだけではなかっ...一杯の味噌汁

  • 数年ぶりの30cmを越える積雪

    2026雪かきができない躰力茨城県筑西市から東北自動車道経由で白河の関を越え東北の玄関口の地に着いた。積雪30cmあり、数年ぶりの雪雪でした。揺れる車中、スマホで『老い生いの詩』を操作していたら昨日のブログのコメントを書き終えとところで車の振動で指先が狂い消去されてしまい、茫然(ぼうぜん)となった。不慣れなことはするものではない。小さな平屋(30坪、築15年)の小さな庭は30㎝の雪。心臓に負担がかかり、躰力もなく雪かきは「出来なくなった」。wifeは自分と同じ屋根の下で生活する前までは雪かきがしたことがない。いまは雪かきは手慣れてきた。読売新聞日曜版のトップ記事に旅を旅する、だったかな城崎温泉の写真が掲載されていたのをスマホで「パシャリ」した。明日から介護の世界に戻る。数年ぶりの30cmを越える積雪

  • 苦痛の大腸検査

    2026盲腸8㎜のポリープ切除ご縁地蔵筑西市五所神社付近3回目の大腸検査初回は15年前、腎臓移植のとき2回目は2023年12月21日胃の検査、大腸検査検査の結果、食道裂孔ヘルニア、萎縮性胃炎(C-1)、盲腸ポリープ8㎜があると告げられた。問題のないポリープだが放置しておくと良くないので、切除した方がいい、と説明された。3回目は盲腸ポリープ切除術を施行するためには腸管洗浄をしなければならない。切除術前に2時間という短い時間に腸管洗浄剤(2ℓ)を飲むのが苦痛だ。齢71の自分、wifeは「便失禁防止に紙パンツわ穿かないとダメよ」と言われ渋々紙パンツのお世話になることになった。紙パンツを穿くのは2回目になる。初めての紙オムツ体験初めての紙パンツを穿いたのは平成3年のとき。紙パンツを穿いた状態でオシッコをした(尿失...苦痛の大腸検査

  • 遙かな旅の夢

    鉄線はつづくよどこまでも鉄塔の隙間から筑波山を眺める遙かな先の線路は終着駅遙かな先の路は終点(行き止まり)遙かな先の海は帰港地遙かな先の鉄線は我家の電燈始発点の先は終着点オギャ〜と産ぶ声をあげた先は死そう考えてしまうと虚しくなってしまうキッズソング せんろはつづくよどこまでも 童謡 I'veBeenWorkingontheRailroad(coverdbyうたスタ)線路は、はるかなまちまでぼくたちのたのしいたびのゆめつないでいる『せんろはつづくよどこまでも』の詩は遙かな先きまで夢をつないでいる。夢は無限である。オギャ〜と産ぶ声をあげた赤ん坊は無限の可能性を秘めている。線路も路も海も鉄線も遙かな先の町はどんな処か想像してしまう。こどもごころの頃山の向こうはどんな風景なのか、と想像していた。どこまでもつづく鉄...遙かな旅の夢

  • 先の向こうにはどんな風景かな・・・・・

    2024鉄線は続くよどこまでも筑波山が見える関東平野、鉄塔が立ち並ぶ昨日は事務的な仕事に追われて、筑西市(茨城県)に帰るのが遅くなり21時前に着いた。wifeの父の一周忌法要。「家に帰ったよ」、帰ってくるような感じさえする。。短い時間ではあったが最後は寝たきりになったものの自宅の畳の上で妻、二人の娘と大の親友に看取られながら逝った。別れの言葉を交わし、穏やかな顔だった。実家(wife)から福島に帰るときは「気をつけて帰れよ」といつも言葉をかけてくれた。「パチンコに行こう」、と誘う。不自由ながらも杖をつき歩き軽トラに乗りパチンコ屋に向かった。二人とも大当たりはなく損したまま帰るも、楽しかった。筑波山朝夕合わせて100分余りの散歩。夕暮れ前の筑波山を眺め見る。旧下館市は第二の故郷。関東平野は閉塞感がなく、開放...先の向こうにはどんな風景かな・・・・・

  • 「奇跡だ!」、と言われた85歳の老女

    2023眠りから蘇生(よみがえる)疲れると頭が機能しない「何も書くことがない。今日のブログはお休みかな」、とさぼり癖が見え隠れする。ふと、思い出した。今日15時30分、在宅訪問をした。主役の85歳のお老母は入院中で会うことができなかった。同居している夫(85歳)と長女に会った。近々老母は「家に帰りたい」、と主治医に懇願し2月5日に退院することになった。2月6日から火木土の透析治療のため、介護タクシーの利用を始める。糖尿病が原因で人工透析となり3年が過ぎた。昨年8月の或る日、歩ていても躰が左に傾いてしまう。透析治療を受けている病院の医師から「脳腫瘍ではないか」と告げられ入院となった。脳腫瘍の手術を施行しようとしたとき血液サラサラの薬を止めて3日しか経過していないことがわかり、急遽手術は中止になった。脳外科医...「奇跡だ!」、と言われた85歳の老女

  • 家に帰りたい

    2022戦争を知る老人たちの思い冬の厳しさを知っているものほど、春を待ち焦がれている。それと同じように、さまざまな事情で家族から離れて老人保健施設などで生活している老人ほど、家庭復帰を待ち焦がれている者はない。「家なき老人」にしてみれば、「春」という言葉と「家族(家)」という言葉は同義語なのかもしれない。平成2(1990)年4月に入所した関かねさん(86歳、頚椎症による歩行障害、脳血栓、糖尿病)もいつ来るともしれない春に思いを寄せている一人である。一度、こんなことがあった。その年の12月、正月の外泊をひかえ、面会に来た長男(56歳)に対して、1泊でもいいから外泊したいという強い気持ちがありながらも、とうとう言えずじまいに終わった。なぜ、率直に外泊したいと言わなかったのか。家族に気兼ねしている理由はなんなの...家に帰りたい

  • 111歳のサタおばあちゃん

    2021長男が味噌汁を作ってくれたことが一番うれしかったサタおばちゃんが話してくれたこと私は、108歳の頃まで汗が流れるほど暑い夏の季節であっても、木枯らしが吹く寒い冬の季節であっても、毎日欠かさずシルバーカーを押しながら1時間余り散歩することを楽しみにしてきた。私は、明治41年10月22日、茨城県(旧)下館市五所村に生まれました。子どもの頃は、弟たちを背負い、着物と下駄で尋常小学校に通ったこともありました。尋常小学校4年の2学期まで通いました。その後17歳まで家事手伝い、18歳から農業を行ってきました。19歳のときに安達善一のもとに嫁ぎ、農業に従事しました。結婚後、1男5女の子宝に恵まれ幸せでした。夫にも赤紙(召集令状)が届き、戦地に赴き(おもむき)ました。留守を任されていた私の心は、いつも夫のことが心...111歳のサタおばあちゃん

  • 湯たんぽで躰を温めたヘルパー

    2020低体温犬も老いてくると体温調節が上手くできなくなる寒がりの”元気”、赤い服を着せた。ぐっすり眠っていたスマホの着信が鳴った。出てみると、ヘルパーから「小澤桐さん(67歳)が低体温の状態です」。低体温の様子を伺うと最近は雪が降り外気はかなり冷え込むでいる。部屋の中は寒々していて息は白い。マッチで点ける石油ストーブの石油タンクは「空」のまま。桐さんは尿で濡れたズボンを脱がすに薄い毛布を被っていたから余計寒く震えている。唇は紫、指の先まで氷のように冷たい。35.0を下回り、低体温症で死ぬところだった。濡れたズボンを取り替え(ガスは点くので)お湯を沸かし湯たんぽに熱いお湯を入れ彼女に抱きかかえさせた。熱いスープを作り食べさせた。躰は少しずつ温まり低体温から脱却できた。夫は、石油ストーブのタンクに灯油が入っ...湯たんぽで躰を温めたヘルパー

  • beagle元気と朝夕 8000歩 にチャレンジ

    2019福島健民アプリ昨日の散歩は「12345」と数字が並んだ福島県では県民の健康を増進していく取り組みとして「福島健民アプリ」をスマホにダウンロードし、万歩計により散歩推奨、体重、血圧も記録しています。自分は相棒のbeagle元気と、朝夕8000歩の散歩を行っています。歩く速度が遅くなり、40分かけ8000歩歩いています。大動脈弁閉鎖不全症のため走ることはできません。雨の日は元気は散歩に行きたがらないため、散歩は「お休み」雪の日は、元気が大ハッスルで雪の上を駆け回っています。今日日曜日はだらけた生活に終わってしまった。6時30分から1時間ほど6000歩の散歩をし、その後朝風呂。朝食後、那須ガーデンアウトレットへキャンバス(軽自動車、高速で20分、一般道路で60分)で買い物。仕事に履くアンダーアーマーのラ...beagle元気と朝夕8000歩にチャレンジ

  • ヘルプマーク

    2018”感謝”真っ白な路足跡のない路を歩くのは気持ちがいい3ヶ月に1回眼科受診すべきところを5カ月ぶりに行った。白内障術後の経過観察と緑内障眼圧のチェック。老いても眼が見えるのは幸せ。受診待ちのとき私の隣に座っている隣の女性(年齢は自分と余り変わりない哉)から「バッグにぶら下げているのは何ですか?」、と尋ねられた。「ヘルプマークです」。「ヘルプマークは、義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、外見からは分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助を得やすくなるよう、作成したマークです。私の場合は慢性腎不全症による内部障害で村役場福祉課に申請し頂きました。「過去に(15年前)人工透析の治療を受けていたことがあり...ヘルプマーク

  • .老人の呟き

    2017自分も老人冬の阿武隈川風景雪の風景を眺めると故郷(北海道尻別川)を思い浮かぶ「老人の呟き」老人は辛辣な言葉味のある言葉人生を振り返る言葉「無言」の言葉いろいろな言葉を発する老老介護老夫婦共々長寿の時代になった喜寿卒寿を迎え百寿の時代となった連れ合いのどちらかが寝たきりや重度の認知症を患い重度の要介護(要介護3~要介護5)になると老いた身の介護はしんどく辛いそれ以上に昼夜ベッド上で臥床しジッと天井を見つめながら呼吸(いき)をし拾年が過ぎた寝たきり老人寝返りも起きあがりも老妻(老夫)の手を借りなければできない我が身の不甲斐なさ、辛さ自分ならば拾年もジッとベッド上で耐えることができるであろうかそう想うと寝たきり拾年凄い忍耐力だと想う介護「受ける」介護「される」受身のある生活に見えてしまうけれど実際はそう....老人の呟き

  • 労いの言葉

    2016松さんが亡くなった2024年1月25日阿武隈川辺散歩路朝陽に照らされてbeagle元気と老い人の足跡ショート利用中食事中に詰まらせ亡くなった。予期せぬ死であった。薔薇の花を食べた89歳の認知症老人故松さん(女性)。無言でショートステイから家に帰った松さんの顔は、穏かな表情であった。言葉をかければ、いまにでも眼を覚ますかもしれない。自分は穏やかな表情で死にたい、と思った。老母の介護から解放され、本当に最後まで介護をされてきた長女。「できる限りのことはやったから悔いはない」「亡くなった父親が、もう俺のところに来いと母親を呼んだのでしょう」「ショートの施設に対しては恨みはなく、介護して頂いたことで感謝しています」「桜デイサービスには本当に助けてもらった。医院や病院の付き添いをしてくれたときは、本当に助か...労いの言葉

  • 老母の介護に疲れた その後2 「死んだように眠っていた」

    2015おかげ様で私も夜眠れるようになった冬の阿武隈川寒さを感じさせる白い川波令和6年1月23日撮影松さん(89歳)は、愛想はなく他のお客様が「おはようございます」と挨拶をしても無愛想で「・・・・」のまま自分から話しかけることようなことはない見るからに意地悪婆さんの雰囲気何もしないでいると「トイレに行きたい」と訴え椅子から立ち上がろうする傍に座り手を握ると落ち着く寂しがり屋なのか甘えん坊なのか昨夜は徘徊で活動していたせいか手は温かい眠いのかもしれない眠いからと言ってここで寝せては昼夜逆転を逆転させ昼起きて夜寝るのリズムに戻さねば桜デイサービスのスタッフはボールやゴムバンド、手拭いなどの小道具を使い手足を動かす運動を1対1で行ったときには他のお客様にも参加して頂き輪になり音楽に合わせ体操を行った午後は、スタ...老母の介護に疲れたその後2「死んだように眠っていた」

  • 「老母の介護に疲れた」その後

    2014老母松さん本当は、歩行介助は杖を着かない側に着くのがよいのですが、研修してもまだ理解ができていない介護職員もいます。反省しています。杖側の腕を持つと老人は歩きにくいですよね老母松さん(89歳)の夜間徘徊と3~5分間隔の「トイレに行きたい」という行動はいまも延々と続いているのかそれとも消失したのか気になるところです。松さんはⅡ型糖尿病の持病があり別の内科クリニックを受診中にあった。インスリン、服薬による薬物療法と長女真恵さん(62歳)の献身的な食事療法により(長女は、仕事をしていたので朝5時に起きて、老母のだけの糖尿病食を作っておられた。脱帽です)血糖値は安定していた安定していないのは不穏な行動「徘徊」と「トイレ頻回の訴え」私は長女の同意をとり隣市にある認知症専門医鎌田和志医師に電話を入れ初診の予約...「老母の介護に疲れた」その後

  • この先どうすればいいのか

    2013老母の介護に疲れた老いた母親の介護は疲れ果てた顔は一回りちいさくなり目は窪みどうしていいかわからないデイサービスからもショートからも「もうみられない」というようなことを言われてしまったこの先どうすればいいのかその夜ケアマネは駆けつけ長女の深く暗い悩みに耳を傾けた老母は,夜中十分おきに起きトイレへ行く数度夜中表へ出だし歩き始める外へでたときは後ろからついて行く「私の体のほうが悲鳴をあげている」「もう横になりたい」「もう眠りたい」と長女はか弱い声で話すようやく老母が認知症であることを始めて認めた長女長女は母親との軋轢を話してくれた娘からみれば母親ではなかった東日本大地震のとき「娘にやる米はない」と言われた「母ではなく鬼だと」思った母は何も変わってはいなかった子どもだったときから母親と温かい言葉を交わし...この先どうすればいいのか

  • とりとめのないブログ

    2013冬の雨阿武隈川冬景色那須連山の山々が眺望できる阿武隈川の辺1月21日冬の季節なのに雪はチョッとだけ降り朝から夜まで強い雨が降り続いた気が滅入り意欲喪失何もせずボォ~としていて怠惰な極まりない一日であったどこか近くの温泉にでも行き、ゆったりとし心まで洗ってきた方が良かったのかな明日は自治医大附属病院循環器内科外来受診夜明け前の4時に目を覚まし、4時半頃から40分間beagle元気と散歩5時30分には家を出る20:08点眼薬で瞳を潤したあと、至福の境地蒲団に滑り込む今日はとりとめのないことを書いてしまったおやすみなさいとりとめのないブログ

  • 「あの人は、どうして来ないのかなぁ~」

    2011”亡くなったときは知らせて欲しい”いつも違う場所から写した阿武隈川風景、右に見えるのは桜並木土曜日だと家族に会える家もあるので、在宅訪問をした。利用票に印鑑だけを押してもらう「宅配便」訪問にならない気をつけている。訪問を待ち焦がれている美代子婆さん(仮名91歳)。「いつも同乗しているお爺さんがいない」「どうして来ないのか気になる」来ない日が続くと、入院したのかな、施設に入ったのかな、死んだのかな、と頭の中で思い巡らしてしまう。1月9日デイサービスを休んだ。1月13日の福島民報のおくやみ欄にお爺さんの名前に目が留まった。「1月11日に亡くなっていた」。どうして来なくなったのか、そのときはじめて知った。デイサービスの責任者にそのことをお話ししたら「そう亡くなったの。他の利用者に言わないでね。動揺するか...「あの人は、どうして来ないのかなぁ~」

  • 笑えない話

    2010エンシュアと下痢止めエンシュア・リキッド(製):エンシュア食事がとれないときに用いる総合栄養剤です。栄養管理はどんな病気でも大事です。このお薬は、食事がとれないときや消化・吸収力が弱っているときに用いる総合栄養剤です齢は71歳で週3回人工透析の治療を受けている老人の話。一月当たりの年金受給額は20,000円僅か。偶数月15日年金が振り込まれると1週間位で食べ物に消えてしまう。お金も米もなく、食べる物がない。彼は「重度心身障がい者医療費受給証」を所持しておられ福島県内の医療機関、薬局での支払いは全額免除の適用を受けている。主治医にお願いし「食べる物がない」、と訴えエンシュアを1月分処方されます。透析治療を終えた後、ヘルパーが薬局までエンシュアを受け取りに行きます。ダンボール箱に入ったもので重量はあり...笑えない話

  • 息子の1周忌を送り、逝ってしまった老父

    2009居なくなるほど寂しいものはない2002このまま死にたいで紹介した板橋さんは、入院して4日後に逝かれた(合掌)。ご自宅で会った日が最後の別れとなってしまった。彼は、人工透析の他に胃癌、肺癌を抱え、在宅酸素されていた。息子の遺影がある下で死にたかった、その想いは痛いほど感じた。1年前、突然の心筋梗塞で亡くなったご長男。板橋さんは、「息子の生命(いのち)と自分が代わりになりたかった」、辛い想いで1周忌を迎え、ホッとしたのも束の間。きっと、息子さんがあの世から迎えにきたのかもしれない。「親父、今日まで頑張ったな」、と声なき言葉で話してくれたのかもしれない。今日まで居た人がもう居ない。「あなた」が居て「わたし」が居た。そのあなたはもう「居なくなってしまった」。居なくなるほど寂しいものはない。心にぽっかりと穴...息子の1周忌を送り、逝ってしまった老父

  • 寂しいと犬も話したがる

    2008話がしたいときどき、beagle元気の頭を撫でながら「何を考えているんだ」、と尋ねる83歳になるひとり暮らしの婆ちゃんがいる。歯は数えるくらいしかない髪は抜け落ち地肌が目立ってきた(そういう自分も後ろから見ると毛は抜け落ちた)糖尿病、心不全、脳出血があり毎日インスリン注射をされているが自己流で体調により単位数が変わってしまう。いまは、貧血が進み、血糖値コントロールができていない。そのため腎臓に負担がかかり、クレアチニンがかなり悪い。主治医からは「2週間入院すれば、血糖値も安定するからどうかな」と尋ねられるが、「入院できない」と断ってしまう。自宅には14歳になる老柴犬と暮らしている。「仲ちゃん(男の子)」と呼ぶと傍によってくる。寂しいのか、寄り付き頭をすりすりし甘える。犬は、人間(飼い主)の言葉はわ...寂しいと犬も話したがる

  • 鼠と棲む暮らし

    2007鼠と共生するひとり暮らし婆さん夕焼けの阿武隈川いま自分は、居宅介護支援事業所(介護相談、在宅ケアプラン作成、ケアマネ1名)と訪問介護事業所(ヘルパー常勤3名パート2名)の2つの介護サービスを行っている。70台半ばのお婆ちゃん(脳出血後遺症左半身麻痺)の生活援助(掃除、調理、服薬確認)のサービスを週3回担当することになった。それで、サービス担当者会議が行われ、訪問介護事業所のヘルパー(サービス提供責任者)と自分が参加した。(自分は契約書、重要事項説明書の説明をするために同席)そのケースのケアマネは事前に鼠屋敷であると聞かされていた。昔作りの家でポットん便所だったのかな・・・・。暖は、練炭が玄関に沢山置かれ、堀炬燵のなかに練炭がある。炬燵テーブルや畳、台所のテーブルやフライパンなどに鼠の糞が無数に散ら...鼠と棲む暮らし

  • 沢蟹の脱皮

    2006脱皮脱皮した沢蟹抜け殻腹部抜け殻背部那須町のグッドニュースに行ったとき道端で小さな沢蟹がジッとしていました。死んでいるのかな、と思いwifeが掌に乗せ様子を伺うと僅か横歩きをした。そのまま道端に置くの心配だった。人混みで、踏み潰されてしまうのではないか、と危惧し自宅に連れ帰った。虫かご用のプラスチック容器を買い求め食卓脇のカウンターに置いた。グッドニュースで出会ったので名前は「グッド」とつけた。毎日wifeは水を取り替え鰹節やご飯粒を与えてきました。朝、沢蟹が死んだのかな?と不安顔ネットで調べたら、脱皮の最中にあった。なかには脱皮が上手くできず死ぬこともある。それから1時間後、完全に脱皮した沢蟹死なないで脱皮できた。沢蟹は脱皮し、成長したのだ。老いた自分はもう脱皮できそうにもない。脱皮とは、次のス...沢蟹の脱皮

  • 僕らはみんな生きている

    2005犬の十戒日曜の朝wifeから「犬の十戒」の話を聴いたのです。「犬の十戒」は、犬だけでなく、人にもあてはまり生きていく上で大切な戒めであることに胸に深く刻まれました。何だか、惚け老人(いまは「認知症高齢者」と呼ぶ)に対するかかわり方にも共通する「犬の十戒」。犬と惚け老人を一緒にするな、と思われる方もいらっしゃるかもしれない。でも、犬も人も同じ生き物であり、同じ「生命(いのち)」です。認知症老人とかかわっていく上で「犬の十戒」から教えられました。・気長につきあう。焦らず「待つ」ことが大切です。・「また同じ話を何度もするの」「さっきも聞いた」「だれも財布を盗ってはいない」等など、否定されるが、私の話を聴いてください。・認知症になっても、感情は残っています。心があることを忘れないでください。・あなたから見...僕らはみんな生きている

  • ある言葉

    2004ゴールのないマラソン8年前のbeagle元気羽鳥湖近くのドッグランで力の限り走り抜ける(当時2歳)土曜日の午前中はチョッと息抜き韓国ドラマを観ていたとき、グッと胸にくる言葉に出会った。病気の家族の世話(介護)は、ゴールのないマラソンです。苦しくても誰も代わってはくれない。でも、止まりもしない。結局、戻りまた、走ります。家族のために走れます。日本も韓国も中国も家族を重んじ大切にします。家族だけに病気、障害の家族を押しつけ、本人にとり在宅で暮らすこと(家族と住むこと)が一番だ、と決めつけてしまうと重荷になってしまいます。その重荷をときには誰かが背負ってくれる社会の手が必要です。22時前には蒲団に入ろうと思うも今日は23時になってしまった。明日は日曜日、「寝日曜日」とし元気には悪いが7時過ぎに散歩に出か...ある言葉

  • 73歳まで働いていた

    2003(誕生日を迎えると)今年93歳になる。長生きしたな・・・・冬の那須連山今日は9時から11時過ぎまで介護タクシーの運転と付き添いをした(通院等乗降介助)。92歳のお婆ちゃんは、一度に内科医院と整形外科クリニック受診の日である。嫁さんが朝早く順番取りに行かれる(内科は10番目、整形外科は21番目)。いつも整形外科が先なのだが、今日は内科を先にした。車を降りてからは手をつないで歩く。ヘルパーの話だと、私と手をつないで歩くのが嬉しいみたいですよ、と冷やかす。杖はつくもふらつきはある。左手に彼女のバッグを持ち、右手で手をつかむ。院内は後ろから見守り。診察室まで同席し、医師から話されたことは、家族に報告する(不在のときはライン)。待ち時間のときは、世間話などいろいろと話に花が咲く。バッグに猿の飾り物を付けてあ...73歳まで働いていた

  • 躰がだるくて透析は休む

    2002このまま死にたい7時30分過ぎにスマホが鳴り、📞のマークを横に滑らせた。「本人が、朝来たらまだベッドのなかで寝ていて、今日は疲れて躰はだるく透析は休む」、と話しています。「介護タクシーには間に合わないので、病院までは私(妹)が車に乗せていきます」。「立つことも歩くことも覚束なく、車に乗せることが無理なときは救急車を呼び、病院(透析センター)まで搬送した方がいいかもしれませんよ」妹さんから電話頂いたあと、自分のスマホに「板橋」さんからの着信があり、電話にでた。まだ眠剤の効き目が残っているせいか、呂律が回らず発音不明瞭なところがあったけれど、「今日、透析に行かない」の言葉が聞き取れた。「躰がしんどいですか。飯は食べたか」「食べる気がしない」「躰は怠いですか」「布団(ベッド)から起きたくない、このまま眠...躰がだるくて透析は休む

  • ジッと死に向かって生きる

    2001ジッと死に向かって生きる昨日,キャンバスで約2時間をかけ83歳の素敵なお婆ちゃんに会いに行って来た。(介護相談を担当させて頂いているひとりの女性)彼女は、悪性の外陰部癌の診断を受けた。疼痛に耐え、ジッと生きている。独り暮らしの彼女は、いま、サービス付き高齢者向け住宅に棲む。彼女は寂しく、か細い声で話してくれた。「神様は私には幸せをもたらしてくれなかった」「人生の最後まで癌に苦しみいまは死を待つだけ」癌の痛みは本人だけしかわからない痛み。手足は痩せ細り棒のよう両脚を動かすと激痛が走りその痛みが顔に現れいたたまれない。彼女は「痛い」と言わず、笑顔で「(会いに来てくれて)ありがとう」と話される。後、数日の生命かもしれない・・・・ジッと死に対峙し生きている。医師、看護師そしてケアスタッフが、彼女の居室を訪...ジッと死に向かって生きる

  • 2000回を迎えた『老い生いの詩(老い楽の詩』

    苦悩を背負いながら死に向かって老いを生いきて往く朝陽の光に照れされた那須連山の雪景色はピンク色に染まった今日で拙いブログ『老い生いの詩(旧老い楽の詩)』は、2000回目を迎えた。1回目のブログは、2017年4月9日のことであり、6年9月が経った。途中何度もブログが絶えながらもこうして再び㍶に向うことができるのは、皆様のお陰です。ポッチとクリックやコメントの声援、応援ありがとうございます。「感謝」「感謝」「感謝」の気持ちです。脳卒中などの病気で手足はままならず杖を頼りにふらつきながら歩いている老人。チョッと前に桜の花を観てきたことも忘れ、自分は何をしようとしたかもわからなくなった老人。要介護老人達に囲まれ我が身の老いと重ね合わせ在宅介護のなかに垣間見る「老いの風景」を描き生きること老いること死することの意味...2000回を迎えた『老い生いの詩(老い楽の詩』

  • 「傘がない」

    1999認知症老人は、「いま」生きている東北の玄関口(白河の関)、8cmほどの積雪。6時20分頃の朝焼けです{散歩風景}認知症老人は、「いま(今日)」、生きている。昨日のことを振り返ったり明日のことを考えたりはしない。いま、自分はどうしてよいか、わからず、困っている。「まだ、ご飯を食べていない」「さっき、夕ご飯食べたばかりでしょう」「いや、食べていない」、と訴える。「食べたでしょう」と、説明したところで、当の本人は”いま、ご飯を食べたい”、そのことが一番の関心事であり問題なのだ。「いま、ご飯を炊いているから、あと10分で炊き上がるから、待ってね」、と言葉をかけると、気持ちが落ち着く。「さっき、食べたでしょう」、と話したところで、余計に言動が不穏になってしまう。19歳の頃、井上陽水「傘がない」が流行した。♪...「傘がない」

  • 「老人」と「高齢者」

    1998老人について散歩の途中、立ち止まり何人の無病息災無事故を祈るいつの頃だか調べればわかることだが、いまそれはさして重要なことではないので触れない。それは、町村役場市役所の窓口は「老人福祉課」から「高齢者福祉課」に変わり、行政から出される文書でも「老人」という言葉は消え去っていた。介護サービスにおいても、要介護老人とは言わず要介護高齢者と記されている。齢を重ね重ね65歳の門をくぐると、法的には高齢者となり介護保険法では第1号被保険者となる。「高齢者」と呼んだり書いたりすることに、抵抗感はそんなに無い訳ではないが、自分のなかでは、シックリこない。「高齢者」の文字からは、齢を重ねてきた人であることは「わかる」。それに対し「老」「人」の文字は象形文字であるため、老人に対してイメージが浮かびやすい。「老」は、...「老人」と「高齢者」

  • (続き) 病院自慢

    1997不幸比べ右端に富士山が写っている。冬は関東平野から富士山が見える昨日はスマホの画面で入力していたので、時間がかかり途中でやめてしまった。齢42歳に原因不明の慢性腎不全症になり、人工透析をしたのは53歳。56歳のとき腎臓移植をした。慢性腎不全症はいまなお「健在」であり、いまは血栓症も患い、既往歴も含め13を数える。自分も病気自慢の一老人になったのか・・・・、と他人にそう映ってみえる。病院、医院(クリニック)、デイサービスに通う老人たちは入れ歯が落ちないか、と心配するほど大きな声ではなしている。「死にたいよ」「早く迎えにこないかな」、と囁きながらも通院をされている。「脚が痛い」「肩が痛い」、と医師に訴え、湿布薬を頂く。「肩は痛く」ても手は上がる。杖使用のはずだが、杖なしで歩いている。本当に「痛い」とこ...(続き)病院自慢

  • 病気自慢

    1996また、ひとつ病気が増えた今日は、2024年最初の自治医大附属病院消化器外科受診。昨年暮れに胃と大腸の内視鏡検査結果を聞くためであった。胃は問題なし。大腸の奥に8㎜の長さでポリープがあった。女医の説明では、問題ないポリープだが、放置しておくとポリープが変質し予期せぬことが起こる心配がある。日帰りでポリープ切除できるということで、2月5日に決まった。ワーファリン効き目の状態如何でポリープ切除がなされるかきまる。病気自慢

  • 透析患者通院交通費補助金申請手続きは、ケアマネの仕事ではない

    1995透析患者通院交通費補助金申請手続きは、ケアマネの仕事ではない、本当にそうなのか・・・?冬朝靄の阿武隈川透析治療を受けておられる高齢者の相談と2名の透析患者通院交通費補助金申請に関する手続きを行った。それは透析治療を受けている本人及びその家族が申請手続きをするものだから「そこまでしなくても」、と地域包括センターの責任者から苦言を頂いた。しかし、そうは言っても要介護認定を受けていない「自立」した老人だから、と言ってかかわらないわけにはいかない。町でも初めての透析患者通院交通費補助金申請だったので、相談に来た家族(老妻)に、該当になるかどうかわからない、県に問い合わせた結果、「通院交通費補助金申請」を受付ることは難しい、と話され家族は気落ちし、諦めてしまった。自分は「そんなことはない、該当になる可能性が...透析患者通院交通費補助金申請手続きは、ケアマネの仕事ではない

  • ブログのタイトル変更 『老い楽の詩』から『老い生いの詩』へ

    1994ブログのタイトル『老い生い』に変更した老人という言葉の響きから、老人は負のイメージがあり、いつの間にか「できた」ことが「できなくなった」り、惚けてきたりする。鏡の前に立つと「おまえは誰だ」、と叫ぶ認知症老人の言葉に、自分に向けられた言葉なのか、とはッとさせられてしまう。顔躰は老醜の呈となり喪失の時代にある。そんな老いに抗い、老いは楽しく生き往くものだ、と捉え過ごしてきた。老いてもまだ仕事をせねばならない躰にあるけれども、死のことが気になりだしてきた。老いの身にある自分。老い生いのはかなさと無力さを思う。物はいつか失くなる。貧しさのなかに育ち、「高度経済成長」とテレビに毒され生きてきた。いつの間にか、物欲に溺れ大切な心を見失ってきたのではないか。老いたいまになって気がついた。そんな生きることのはかな...ブログのタイトル変更『老い楽の詩』から『老い生いの詩』へ

  • 能登半島地震

    1993能登半島地震被災者皆さま心からお見舞い申し上げます思わぬ能登半島地震が起こり厳しい寒さのなか、被災者皆さまのことを思うといたたまれない気持ちになります。何もできない自分の無力さに情けなくなります。地震が起きた日だけは各局は報道されていました。昨日は何事もなかったかのようにいつもの番組が流れている。大災害に対し人間は無力ではあるけれど人間の智恵(知恵)と共助で復旧し一日も早く日常の生活に戻れることを願う。私利私欲の政治家の皆さまいい機会です。贖罪の気持ちで裏金を震災復興の支援金に回して欲しいものです。能登半島地震

  • 蜉蝣(かげろう)はその日だけの命

    yahooの画像より引用水の中に新しい命を産み落とす雌蜉蝣蜉蝣(かげろう)はその日だけの命蝉と並んで短くはかない命を生きるかげろう(蜉蝣)人の命の一生のはかなさをたとえて「かげろうの命」と言う。(稲垣栄洋著『生き物の死にざま』草思社44頁)かげろうはトンボに似ているがトンボのように颯爽と風を切りながら飛ぶことができない。かげろうは、空気が揺らめく、空気に浮くような感じで空を舞う。陽炎も空気がゆらゆらと揺らめいている蜉蝣の揺らめきは、陽炎に似ている。頼りなく空を舞うかげろうは、成虫になって一日で死んでしまうことから「かげろうの命」と言われ、はかなく短い命に喩えられる。かげろうも、はかなく短い命であっても、子孫を残すために生きる。「その日だけの命」のかげろうに比べ、何十年も生きられる自分の命の長さに自分は、何...蜉蝣(かげろう)はその日だけの命

  • 具不退転

    1992具不退転筑波山を眺めながら初日の出1024年が始まる。「具不退転」の気持ちで、要介護老人たちの移動支援サービスに挑む。安全を隣に乗せる心がけを忘れずに「命」を運ぶ。普通自動車運転免許証を返納された地域の高齢者。いつでもどこでも、自由に通院や買い物ができる地域の高齢者の足になれれば、と思う。齢71から72になる、辰男の年。60日以上もblogが途絶え、画面は黒から白に変わり果てた。1024年になったことをキッカケにpcに向かう。これからは一日生きるごとに、終焉が一日近づく。そう思うと今日という時間を無駄にせず「生きる」。小さな幸福感に浸れるような出来事に遭遇したいものだ。物忘れは増えた、とwifeから苦言され近いうちに頭の中をMRIで覗いて見なければ、と思い認知症専門医に受診することにした。読むこと...具不退転

  • 桜木紫乃『家族じまい』集英社文庫

    1991同じように見えて違うこと親の終活、老老介護、家族とはのテーマで北海道を舞台にした物語読みかけの途中だけれど自分のこころに引っかかった言葉に、眼が留まった。「やらなかったことと、出来なかったことって、同じなかったことでもずいぶん違うなあって、いま思った」(34頁)消えることも、あるいは消すことも、見えるところでは同じ結末だ。(34頁)自分の人生を振り返ると、その場に立ち止まって踏ん張るということをしなかった。大きな樹は、その場から逃れることもできない。その地でしっかりと根を張り大樹となった。「やらなかったこと」の連続で、それは後で後悔だけが残った。水溜まりも同じだ。水は生き物。水の流れが止まると水溜まりになり、時間が経つにつれ水は濁り腐り、水は死ぬ。生きることの意味を見失い、ただ息をしているだけでは...桜木紫乃『家族じまい』集英社文庫

  • 「 横」の生活から「縦」の生活に変わる

    濁らない眼で景色を眺めたいものだ・・・・1990「横」の生活から「縦」の生活に変わる自分より5つ年上の老女がいる「不良」婆さん息子の煙草からチョッと拝借して煙草を吸う眠れない、と言って眠剤服用後に酒を飲む「夜、なかなか眠れない」、と話すと隣にいた息子から「昼間から寝ているからだよ~」ソファーはベッド代わりとなり、昼夜逆転の世界足腰がめっきり弱くなりソファーから立ち上がるのも大変ときどき転んだりもしている何もすることがないから「煙草」を吸うかソファーに寝るしかないだから家に居るときは「横になり」過ごしている。8月24日から週2回(火曜、木曜)、デイケアに通い始め、「縦」の生活になる。10分~15分程度のリハビリなどを行ったりする。風呂にも入る(家では入浴していない)76歳の婆さんどんなふうに変化していくか楽...「横」の生活から「縦」の生活に変わる

  • 71年目の晩夏

    198971年目の晩夏1ヵ月ぶりのブログ中断を繰り返し、息が続かない『老い楽の詩』どこまでも続くか自信がありませんが、またよろしくお願いいたします。1か月後にブログを開いたら右端の上に広告が居座り、ブログの雰囲気がすっかり変わり広告が気になってしまうそんなことを気にせず書きたいことを書くしかない、と気を取り直すしかないさて、今日は自分にとり71年目の夏を迎えた。自分も蝉のように「いま、ここに生きている」と鳴いている蝉。夢を追い求めた少年時代の夏はもう昔のこと。今日から366日後の8月17日どんな青い空と白い雲に巡る遇うことができるか脚だけでなく腕の筋力も落ち老けた躰に負けず「今日」という一日は二度と繰り返すのことのできない時間だけに「いまに生きている」認知症老人の後ろ姿を見ながら自分も明日に向かって生きね...71年目の晩夏

  • 暑さにも負けず 決して弱音を吐くことなく 胡瓜は生きている

    1988暑さにも負けず決して弱音を吐くことなく胡瓜は生きているもの凄い暑さにも負けず決して弱音を吐くことなく胡瓜は暑さに朽ちることなく葉は緑色を彩り胡瓜は育ちにんげんにもたらしてくれる。黄色いの花びらブンブン蜜蜂が何度も行き交う。猛暑のなかひとり暮らしの老人はエアコンをつけているだろうか水分を摂っているだろうかもの凄い暑さにあっても何枚も重ね着をしたり冬物衣を着ている老い人もいる暑い寒いの感覚が「麻痺(鈍感)」になってしまう今日は「海の日」で休みだがひとり暮らしの家を周り一軒一軒玄関の戸を開け言葉をかけ脱水症(熱中症)で「干からび」てはいないか安否確認にでかけるとしようか・・・暑さにも負けず決して弱音を吐くことなく胡瓜は生きている

  • 雨降りは「病む」

    散歩路森のなかの会員制ホテル1987雨降りの一日「止」む気配はなく朝から雨降りどおしbeagle元気は散歩が出来ず「ウンション」を我満しているトレイにオシッコをしたときはおとなしくなるオシッコで濡れた紙パンツを取り替えてもらうことを気にしていてお父さんに「悪い」と思っている犬は敏感ににんげんの感情をよみとる雨降りは躰の痛みを抱える人にとり「病み」が疼きだすwifeは先日大ケガをした右手の親指と腰が雨降りで余計に痛みが疼く自分も念のために左膝と腰にロキソニンテープを貼った気休め程度しかならない今日は雨降りだから「寝ます」雨降りは「病む」

  • 心の襞(こころのひだ)

    散歩路秋桜1986心の襞(こころのひだ)不安は乾いた灰色の空介護は先が見えぬ曇り硝子あなたが生きていることで生きる励みになり辛さも悲しも切なさも喜びも感動も心の襞となる2017/8/19ブログ掲載仕事の都合上令和5年8月2日までは日曜日のみブログを投稿します皆様のブログ訪問することができず申し訳ありませんいつも訪問をいただきありがとうございます。星光輝心の襞(こころのひだ)

  • 私の運命はどうなるのか

    犬猫、それぞれのお腹だし自慢甘えるとき腹を出すbeagle元気腹だし〇〇隠さずにゃ五助お俺も腹だしが得意元気の弟分1985「ありがとう」を伝えたいいつも同じことをくり返し書いている認知症の兆し、と思われるかもしれないそれでも、また書いた愚かな自分最期死に場所はどこになるのかその運命がどうなるのか神のみぞ知る脳幹梗塞を発症した或る爺さん言葉は聴こえるでも話すことができないもどかしさ悔しさにただ泣き喚くしかない「治療は終えた」と医師から告げられた言語障害が残った「療養型病院に移って欲しい」療養型病院でも、「何処かに移って欲しい」、と同じことを言われるのか私の行く先(終点)は何処になるのだろうか神のみぞ知る蛍光管は切れたのか切れてないのか点滅をくり返す薄暗くなった病室で寂寥の寝台に伏せる我が躰転院の前に世話にな...私の運命はどうなるのか

  • 今日は父の命日

    散歩路墓石の形は風雨雪で丸みを帯び字は消えて苔が生えるほど長い長い月日が過ぎた合掌1984昭和45年7月10日父43歳で永眠する「風邪」も引いたことがなかった健康な父病魔が襲い予想以上に腸閉塞が進行し人工肛門を造ったあと1年は持たないと、言われながらも病床生活は16カ月家に帰ることはできなかった父は痩せこけ、今思うと「癌」だったのではないか、と思う老いた父の顔を想像(イメージ)することができないいま老いた自分の顔は老いた父の顔に似ているのだろうか高校生だった自分死を目前にした父と話すことがなかったなぜ、もっと話をしなかったのか、と後悔している昭和45年7月10日の早朝「危ない」、と看護師から電話があり急いで病室に駆けつけた父の手を握りながら最期を看取ることができた父は「うお~」と大きな聲を出し瀕死の状態に...今日は父の命日

  • 蹴らないでくれ

    我が家の3坪ほどの家庭菜園二本の胡瓜苗が成長し幸せの黄色い花を咲かせ20本の胡瓜を頂いたbeagle元気「胡瓜」の言葉に反応するほど胡瓜大好き胡瓜の命を頂き元気になる1983小石にも生命がある食道癌の手術前後病床で書いた高見順の詩「小石」から引用蹴らないでくれ眠らせてほしいもうここで眠らせてくれ86歳の老男は食道癌(ステージ5)を今春発見され転院し放射線治療を受ける。放射線治療を受けても「効果があるかどうかは別問題」、と医師から告げられる8mmの管を鼻から胃まで通し何とか栄養を維持できたがそれももう限界食道の腫瘍が大きくなりその細い管を圧迫してきた管を抜去すると再び管を挿入することはできない胃ろうを造設する手術を行う「口から食べたい」、という老男の願いは消えていった躰は痩せ、胸の奥や背中の痛み、咳、嗄声さ...蹴らないでくれ

  • 冬には枯れ落ちた枯葉は 春には新たな命の営みが始まる

    遠くへ行きたい1982なぜ自分が生まれてきたのか、何のために生きているのか、そしてなぜ死ぬのか40代始めの頃老人病院にいた。バンドが自由に伸び縮みのする古腕時計を見たら、短針と長針が重なり、後2分少しで退勤時間の午後5時30分になるところだった。93歳になる老女の手を軽く握り、「また、明日もよろしくね」と言ってベッドの傍から立ち去ろうとしたとき、彼女は何を思ったのか、ポッソと「日本の老人は寂しい。施設に居ようが、病院に居ようが、家に居ようが、老人は寂しい」と呟いた。「日本の老人は寂しい」という呟きが、いまも私の心を疼かせている。60代那須連山を眺めながら要介護老人が棲む家を訪れ介護相談を再び始めた。20年まえの風景と変わらず家があり家族が住んでいても家の中に住む老人は孤独伴侶を亡くし独りになっても自由気儘...冬には枯れ落ちた枯葉は春には新たな命の営みが始まる

  • 子育てと老いの介護

    小樽駅ー札幌駅の間を走る電車の窓から見た、青い空・碧い海いい眺めです。こんな景色を見ながら逝きたいものです1981子育てと老いの介護介護相談を通し様々な家族模様が映しだされます。自分も一つの家族模様を持っています。親がどんな子育てをしてきたのか齢を重ねた老親は、この先老い逝きねたきりになり介護が必要になったとき子どもは、老親の介護にどうかかわっていくのかさまざまな親子の葛藤、あるいは絆の強弱さを感じます。子育ての失敗?子育ての失敗かどうか当の老親は意識していないひともいます。自分が老いた躰になり子どもや他者からの世話(介護)を受ける身になっても大人になった子どものことが心配で僅かな国民年金が振り込まれる預金通帳と印鑑を「自由に使っていいよ」、と息子に渡す。歩くことままならず透析治療を受けている老親と自立し...子育てと老いの介護

  • 老化(劣化)すると水漏れする

    田舎の散歩路赤い屋根の村営住宅1980「ショック」洗浄機食器洗浄機が故障した福島県に移住したとき建てた小さな家は14年余月クリナップに電話入れたら14年も経過しているので、部品はありません。まだ14年ですよ。説明書を読んだら「水漏れにより」、食器洗浄機が作動しなくなった。クリナップに電話をいれたら水漏れなのに、見に行っても出張費がかさむだけで食器洗浄機を交換することになります。ショック洗浄機です。20万円近くかかるのかな・・・・痛い出費です食器洗浄機がなくても食器は手で洗えば済むのだがにんげん一度楽をするとだめですね。自分ひとり暮らしならば我慢できるのだがwifeのために食器洗浄機交換です。食器洗浄機だけでなく老いを重ね膀胱括約筋が弱くなると水(尿)漏れするにんげんはハルンケアで対応できるけれど食器洗浄機...老化(劣化)すると水漏れする

  • 自然な死

    蝉のいのちは短く儚い、そう思うのはにんげんだけで、蝉はミンミ~と精一杯鳴き短いいのちを生きている。1979「老衰でした」昨日18時02分文乃さんが老衰により永眠された。17時18分長男嫁から電話が入った。「状態がおかしいので来て欲しい」自分とwifeはすぐ駆け付け8分後、到着。呼吸は止まり、家族に尋ねると2分前に「息を引き取った」。すぐ訪問看護ステーションへ電話訪問看護ステーションから訪問診療医師に連絡がつながった。18時前に訪問診療医がお見えになり、診察の結果「18時2分死亡が確認されました。死亡の原因は食べれなくなったこともあり老衰になるのかなと思います」。言葉をかけるといまにでも眼をあけ起きそうな感じで、おだやかな表情にあった。医師は「多くの患者は床ずれができていなくきれいな躰で、本人は強く自宅に帰...自然な死

  • 耐えれないほど痛い

    beagle元気は、いつも同じ散歩路を嫌い、坂路がきついコースの方を希望します。そのコースに幾年月に渡る風雨にさらされた地蔵様があります。地蔵様の目、鼻などは欠け丸みを帯びわからなくなっています。通学路にありいつも子どもたちの安全を見守っています。地域のおばさんたちが赤い帽子とエプロンをかけてくれています。みんなの健康をお祈りし合掌。1978床ずれ床ずれ(褥瘡じょくそう)になったことがない自分には、床ずれの痛みがわからない。wifeは30代始めの頃、踵(かかと)や大転子部などに床ずれができた経験があり、話してくれた。「皮膚が剥がされ、そこに塩を塗り付けられた感じで、その痛みは言葉では表せない」。だから、「死ぬ間際に床ずれができ、激痛を抱えながら逝くのは可哀想」です。痛みは本人しかわからない(心の傷みも同じ...耐えれないほど痛い

  • しなかやに生きる

    1977しぶとく生きる「しぶとく生きる」97歳の文乃さん長男夫婦の疲労困憊MAX状態にある昨日の朝「へるぷ」を終えたwifeから長男夫婦は「疲れ切っている」、と話す。長男夫婦に「たおられて」は97歳の老母を看取ることができなくなる、と思いチオビタドリンクを差し入れ・・・・。「家に帰りたい」、と叫び退院して3週間になる。退院せずそのまま病室にいたら、7日間ももたずにご臨終となったであろう。それは家に帰れず生きる気力を失せていく。長男は日に五度、老母の唇や口のなかを水で潤す。舌、唇は白い「苔」にならず、ピンク色の舌を維持している。「へるぷまん」の奮闘で床ずれは「ゼロ」そのことで文乃さんは生きる気力を維持している「もう危ない」、という囁きは何度も聞かれたがSPO2は「98」の数値にある血圧も100台をキープ肩呼...しなかやに生きる

  • 水野源三 瞬き詩人

    1976しゃべれない書けないいのちのことば社36歳のとき、水野源三さんの詩に出会たときは、躰が振るえたことを思い出す。小学校4年生のとき真性赤痢に罹り、下痢と高熱で体は衰弱し、脳膜炎を併発、脳性麻痺となった。9歳のとき床に臥す躰となり、話すことができなくなった。彼は、見えること聞くことができ、そこに生きる力を得た。診療所の医師が源三を診察したおり、「はい」という言葉に眼をつぶれ、と言ったことがヒントになった。五十音図を使って、一字一字拾うことを思いつき、そこから「瞬き詩人」の誕生となった。しゃべれない書けない私のまばたきを見て一字一字拾って詩を書いてもらう一つの詩を書くのに十分二十分三十分義妹の愛と忍耐によって一つ二つ三つの詩が生まれる神さまに愛されて生かされている喜びと感謝を詩に歌い続ける「キリストの愛...水野源三瞬き詩人

  • 通院の日

    1975<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/2d/537c324c57aa3a4553b4d3789c8f41fa.jpg"border="0">朝4時12分から33分間の散歩時の空模様今日は自治医大附属病院腎臓外科の定期受診のため3月45分蒲団から這い出す。ビーグル元気と散歩本当に暫くぶりの朝焼けに遭遇。朝風呂は入り家庭菜園の胡瓜2本もぎ取り義母へのお土産。9時診察予定今日はとりとめのない話で終わりにします通院の日

  • 老い方死に方

    まだ子どもなのかもしれないときどきメロンソーダを食べたくなり(飲みたくなり)、オーダーすることがある1974老い方死に方にんげん、誰しもこの世に生まれ、生き、そして死ぬいつその生が途絶えるかは、誰もわからない。できれば長生きし幸せに穏かに最期を迎えたい、と思う。自分は齢70を重ね、今夏で71になる。wifeと齢22の差がありwifeが年金受給できる齢までと考えると87歳になる。多病疾患(慢性腎臓病、心不全等10の既往歴を持つ)なため87歳まで生きれるかどうか不安だけれど、そこまでは頑張りたいと思う・・・(年金受給できる年齢が70歳に延ばされてしまうと92歳は厳しい・・・・)。そう思っても人生の幕は突然降りることもある。いつ死んでもいい、と言えるほど,まだ、やりきっていないことがある。ひとそれぞれの老い方、...老い方死に方

  • 似ているようで違う

    1973心配性と物忘れ季節外れの虹97歳のお婆さんの身体介護に出かけようと家を出ようとした。wifeから「居間の引き戸(掃き出し口))の鍵を締めたかどうかわからないので見てきて欲しい」自分「(wifeが)見て来いよ」wife「心配性なんだからわかっているでしょう」玄関を開け家のなかに入り居間の引き戸の鍵は締まっていた。アルトの助手席に乗ろうとしたらwife「事務所(さくらさくら介護支援センター)の窓が開いているよ」「いつも忘れるんだから」自分「締めてきたはずなのに・・・・」wife「私は心配性で不安になるけど、物忘れが目立ち惚けてきたの・・・・」wife「心配性と物忘れは違うよ」また玄関を開け、事務所の窓を締めてきた。アルトに乗ろうとしたら、玄関を締めたかどうか不安になり戻り玄関のドアを開けようと引っ張っ...似ているようで違う

  • 「床ずれ」なしの看取り

    1972自分は、なかなか死ねない訪問診療医師とヘルパーの共同ケア文乃さん(97歳)は約一月前から寝たきりになる前「自分は、なかなか死ねない」、と話していた言葉を思い出した。先週の月曜日初めての訪問診療のとき医師は「あと2,3日かな」と・・・・訪問看護師、ヘルパー、ケアマネも長男夫婦もそう思っていた。2週目の訪問診療に医師が訪れた。背中は猫背になり両足は「く」の字に屈曲しているため先週は医師が一人で、腹部にプラスチック製の針が思うように刺すことができず難儀されていた。看護師がいないため、手助けをしてくれる人がいない。傍で見ていた自分も手助けはしたが、次回からはヘルパーが必要と思い「身体介護」を入れた。腹部に針を刺すとき文乃さんの躰を支えたり、ずれたおむつを直したりしたので、医師としてはとても助かった、と感謝...「床ずれ」なしの看取り

  • いまが幸せなんだ

    1971一日一日が大切な宝物新堂冬樹『虹の橋からきた犬』集英社文庫『虹の橋からきた犬』の8ページに「犬の一日は、人間の一週間の速さで流れる。人間にはなにげない一日でも、犬には大好きな飼い主と触れ合う一日一日が大切な宝物なのだ」。犬と飼い主との朝夕の散歩は、なににも代えがたい貴重なひとときである。家族のひとりである元気(beagle10歳)は「何を考えているのか」、などと思うことがあるけれどそれは人間の勝手な考えだけで、犬は人間の感情を敏感に読みとります。ワンマン社長であった南野は、隣の老人から子犬のゴールデン・レトリバー”パステル”を一時的に預かったつもりが最後まで暮らすことになった。パステルの純粋さに触れることで、孤独な南野はこころの余裕を取り戻していく。パステルは膀胱癌を患い、「あと、一、二カ月の余命...いまが幸せなんだ

  • 名も知らぬ植物

    1970名も知らぬ植物暑かったり寒かったりの繰り返しで躰がおかしくなりそう特に犬は毛皮を纏(まと)っているだけに可哀想早朝散歩でも水の携帯は必須阿武隈川の辺を散歩していると無知な自分は綺麗な花に出会っても花の名前がわからないわからないなら知ろうと、机の前に座るわけでもないたんぽぽの花は咲いたあと綿毛となり風に乗り大空に旅立つ今日はたんぽぽの花に似ていて花が散ったあとに綿毛よりも硬い毛となったのかな、と思った。日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家でもあり「知の巨人」と言われた立花隆のように無限な知の世界へのめり込んでいく。いまの仕事を終えたら野花のことを知ろうと思う。名も知らぬ植物

  • 発砲スチロールの「皿」に変えた

    blogでは紫陽花を鑑賞させていただいている。今年初めて「生」の紫陽花を観た。生ビールと同じく紫陽花も「生」がいい。1969嫁に皿を投げる婆さん寝たきりになってもどういうわけか爺に比べ婆のほうが元気である大正14年生まれ91歳になる大熊ステは正岡子規と同じく24時間臥床の生活にあっても気に入ったおかずは食べるが気にいらないおかずは握りつぶすときには皿を投げてしまったりするので長男嫁は発砲スチロールの「皿」に変えてみた瀬戸物の皿に比べまっすぐに飛んでこない当たっても痛くない長男嫁の「勝ち」。発砲スチロールの「皿」に変えた

  • 目もない、手足もない、ミミズ

    1968ミミズ昨日は大雨が降り、寒い一日であった。今日の朝、阿武隈川の辺散歩路を歩いていると数多くのミミズの死骸にあった。10分間ほどミミズの死骸を数えてみたら177匹小さな命の終わりに心のなかで合掌した。子どものころ「ミミズに小便をかけてはだめだ」、と親に言われたことを思い出した。地面を這いつくばっているミミズをよく見たことがない。ミミズは目がなく、手足もない、紐状(ひもじょう)の動物と言われ目見えずから「メメズ」、転じて「ミミズ」と呼ばれるようになった。土のなかに棲み、ミミズが棲む畑は「良い土壌」である、と評価されている。過剰な窒素肥料や殺虫薬を使うと、ミミズは棲むことができなくなる。昨日のような大雨が降ると、大雨は酸素が少ないため土壌からミミズは這いだしその結果、数多くのミミズが路頭に迷い、白くなり...目もない、手足もない、ミミズ

  • その人の持っているやさしさや感情は失われずにある

    1967/老母親の想い、子の想いにんげんは外に出たがる「生き物」。「徘徊」という言葉は不適切。にんげん、何か目的があるから「歩く」のだ。齢(よわい)を重ねるにつれ、物忘れや家事の一つひとつを最後まで成し遂げることが怪しくなってきた土田光代さん(仮名86歳)。息子との二人暮らし。不二雄(長男)さんは、新幹線が停車するK市駅の近くにあるデパートに勤めているため、日中は一人家で過ごす。数年前から認知症が進み、息子宛てに電話がかかり、息子が家に居ても、「家には居ない」と受話器を手にしながら話している。紳士服売場での仕事は時間通りに終えることができないため、家路に着くのは21時を過ぎてしまうことも多い。家のなかは静寂であり、老いた母親はもう寝床で眠りについていた。キッチンに行き電気釜の蓋(ふた)を開けてみると、手つ...その人の持っているやさしさや感情は失われずにある

  • もう一度人生をやり直せるなら・・・・

    いつもと違う処から撮った阿武隈川の風景1966『95歳の老人の詩』どこのだれで、どこに住んでいたのかもわからない「出典不明」の『95歳の老人の詩』もう一度人生をやり直せるなら・・・・今度はもっと間違いをおかそう。もっと寛ぎ、もっと肩の力を抜こう。絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。もう一度最初から人生をやり直せる...もう一度人生をやり直せるなら・・・・

  • 躰(み)の置き場がない

    BSNHK『ラストドライブ』を鑑賞した。ドイツでは元ソーシャルワーカー、元消防士、看護師などの人たちがボランティアで、ホスピスで生活している末期癌などの人に対し、最後(最期)に行きたいところへは何処かを聴きだし、その願いを叶えていく。海やレストランや自宅など本人が希望しているところへ外出することができる。車は救急車をモデルにし酸素機器やストレッチャーなども装備されている。砂浜を容易に移動できるタイヤが太い車いすはオランドの海岸にあるレストランで無料で貸し出しをしてくれる。日本ならば「それは無理」、と言われるような状態でも、行きたいところへの願いを叶える。1965躰(み)の置き場がない深夜0時23分に眼が覚めた。躰(からだ)がだるくて眠れない。自分の躰ではない、と思うほど躰(み)の置き場がなかった。躰は疲れ...躰(み)の置き場がない

  • 石のぬくもり

    1964石のぬくもり路傍の石は動くことはできずジッと地面と空を見つめている小石を手のひらにのせ小石を握ってみた小石にもぬくもりを感じた左手は握り拳(こぶし)の如く曲がったまま拘縮両膝は「く」の字に曲がり脚を伸ばせないひとりで寝返りることもできない躰染みついた天井を一日中眺めている老いた妻は野良に出かけねたきりの夫はベッド上で留守番黒電話は鳴ることもなくヘルパーが来るのを待っているジッと寝ている老人の体と心は寂しく石のように冷たくなった躰還暦を過ぎたヘルパーは拘縮した左手の指をゆっくり解(ほど)き解し手のひらを握り言葉のかわりに握り返す老人のぬくもりが微かに伝わってくる温かいタオルで躰を拭くと老人の肌は薄ピンク色に染まってきた路傍に咲いていた名も知らぬ花を小さな花瓶に飾り「また来るね」、と手のひらを握る{加...石のぬくもり

  • 時間がざざらざらと私からこぼれる

    銚子岬から臨む朝の海1963時間がざざらざらと私からこぼれる(再掲)blogno.1273/2019-11-07高見順『死の淵より』講談社文芸文庫の94頁に「過去の空間」がある。『死の淵より』に邂逅したのは(自分は)32歳のときだった「過去の空間」の最初の連に手ですくった砂が痩せ細った指のすきまから洩れるように時間がざらざらと私からこぼれる残り少ない大事な時間が咽頭癌を患い死を宣告された作家高見順夏海辺で子どもと砂遊びに戯れたとき砂山や砂の器など作ったことを思い出すそのとき指のすきまから砂が洩れ落ちる何度も何度も手で砂をすくい砂の山をつくり次に砂山の下を掘りトンネルづくりに挑む高見順の場合手ですくった砂が癌で痩せ細った指のすきまからざらざらとこぼれ落ちる指のすきまから落ちゆく砂も砂時計の砂が流れ落ちてゆく...時間がざざらざらと私からこぼれる

  • 時間がない

    1962呼鈴呼鈴を鳴らすと息子が飛んで来る96歳の文乃婆さん昨日ヘルパーに「(私は)時間がない」、と話しかけた。文乃さん自身そう長くは生きられない、と感じているようだ。つねに傍に誰かが居ないと寂しくて、呼鈴を何度も打ち続ける。口から食べなくなってきた。毎日のようにヘルパーがサービスに訪れる時間に自分も「おじゃま虫」をしている。何もできないのだが、文乃さんの躰の向きを変えるとき反対側に居て頭や躰を支える。「水が飲みたい」、と訴えた。長男嫁は気をきかして「ぬるめの水」を吸い飲みに入れてきた。一口、二口飲んだあと「冷たい水」、と催促した。長男嫁は笑いながら「冷たい水」に入れ直し、口元に吸い飲みの先を入れ、冷たい水は喉元を通った。文乃さんにとり冷たい水が飲めたことそれは生きようとする彼女の姿を感じてしまう。文乃さ...時間がない

  • 幸せ

    1960幸せ幸せって誰かを大切にすること幸せ

  • 『インビクタス/負けざる者たち』(2009)

    1960ワールド・イン・ユニオンWorldInUnionラグビーワールドカップ公式テーマ曲はホルスト『木星』There'sadream,IfeelSorare,soreal私には大きな夢があるとても大切なすばらしい夢AlltheworldinunionTheworldasoneすべて国々が結びついてひとつの世界になることGatheringtogetherOnemind,oneheartあらゆる人々が手をたずさえひとつの思いひとつの心にEverycreed,everycolorOncejoined,neverapartすべての信条すべての肌の色が垣根を越えてひとつに集まるSearchingforthebestinmeIwillfindwhatIcanbe自らの可能性を探りながらそれぞれの力を発揮していくIf...『インビクタス/負けざる者たち』(2009)

  • 介護の世界も金次第

    1959ロストケア{3}必要な介護が受けられない葉真中顕『ロストケア』光文社文庫「地獄の沙汰も金次第」という言葉がある。介護も同じである。介護の世界も金次第。『ロストケア』(54頁)「残念ながら、介護保険は人助けのための制度じゃない。介護保険によって人は二種類に分けられた、助かる者と助からない者だ」老人福祉をビジネスとして民間にアウトソーシング(外部委託)すること。それが介護保険の役割だ(54頁)介護保険法が施行される前の老人福祉法では、老人福祉や介護の整備は行政の責任であった。介護保険法施行以後、介護事業所の指定権限は県、市町村にあり、介護事業所の運営は民間業者に任せたことで、行政の責任は免れ、民間の介護事業所を実施指導の名の下で締め付け、そして介護保険サービスが使いずらくなってきている。教員の資格に比...介護の世界も金次第

  • 小さな小さなサボテンを買ってみました

    1958サボテンの開花が待ち遠しいサボテンの育て方もわからぬままサボテンを机に飾ってみました咲きそうなサボテンの花を道の駅喜連川で買ってきた。休眠期と活動期のバランスをとりながら育てていくのが「コツ」らしい。育て方がわからないまま、家族の一員として迎え入れてしまった。花には花の夢があるのでしょう・・・・。サボテンの花に癒され、生きていければ、と思います。小さな小さなサボテンを買ってみました

  • 美味しい~水が飲めて、満面の笑顔

    1957何も混じっていない「ただ」の水が飲みたい小雨に濡れた花冷たい水を浴び喜んでいる紫色の花(路端で)96歳の文乃婆さんが2週間ぶりに家に帰ってきた。「家に帰り~たい」と叫んでいた。ご主人の写真が飾られている仏壇の前にベッドを置き、起きあがるとご主人の顔を見える。彼女の隣に息子の簡易ベッドが置かれていた。最近、誤嚥性肺炎で入院したことから、病院ではトロミを混ぜた水を出されても口を閉じ、飲むことを拒否していた。病室では、「ただ」の水(トロミが混じっていない水)が飲みたい、と訴えても駄目だった。喉の渇きを感じ、冷たい水をどれほど飲みたかったか。体力もかなり落ち、いつ心臓が止まってもおかしくない状態にある。在宅酸素機器も置き、0.5の酸素を流している。家族は、本人の願いを聴き、口から水やお粥ではないご飯を食べ...美味しい~水が飲めて、満面の笑顔

  • 帰る生家がない寂しさ

    1956故郷の廃家子どもの頃自分が住んでいた故郷の家を思い出す「故郷の廃家」作詞犬童球渓作曲ウィリアム・ヘイス(アメリカ)幾年(いくとせ)ふるさと来てみれば咲く花鳴く鳥そよぐ風門辺(かどべ)の小川のささやきもなれにし昔に変らねどあれたる我家(わがいえ)に住む人絶えてなく昔を語るかそよぐ風昔をうつすか澄める水朝夕かたみに手をとりて遊びし友人(ともびと)いまいずこさびしき故郷やさびしき我家や十九の春連絡船で津軽海峡を渡り青森駅から急行列車に乗り仙台駅で降りた。仙台駅前の交番で安宿の旅館を紹介してもらい半年間その駅前旅館で3畳間の物置部屋に住み掃除をした後、福祉の大学に通った。その後蒲団袋と段ボール箱一つタクシーに乗せ、同級生の貸家に転がり込んだ。福祉学科を卒業し47年が経った。老いたいま、故郷を棄てた自分にイ...帰る生家がない寂しさ

  • 介護殺人で救われた人がいた

    19551954ロストケア{2}路端に咲いていた花たち離婚した羽田洋子(38歳)は生まれたばかりの颯太を連れ、年金暮らしの母(71歳)が住む家に戻ってきた。あれから6年が経ち、母は駅の階段から転げ落ち、腰と両足の骨を複雑骨折した。それがきっかけで母は歩けなくなり寝たきりになり、いま思えばあれが(介護)地獄の始まりだった。洋子は仕事の他に子育ての他に母の介護まで背負うことになった。離婚したとき、乳飲み子を抱えた娘を受け入れてくれた母。今度は私が寝たきりになった老母を受け入れる番だと思い、献身的に(介護を)尽くした。認知症を患った母は、心を尽くして介護をしてくれている娘の名前も顔もわからなくなっていた。認知症は母の人格そのものを変え、母が母でなくなっても、「家族だから、面倒をみなくてはいけない」。そんな義務感...介護殺人で救われた人がいた

  • 介護現場に溢れる悲鳴、介護殺人

    1954ロストケア{1}映画『ロストケア』あらすじ早朝の民家で老⼈と介護センター所長の死体が発⾒された。犯⼈として捜査線上に浮かんだのは死んだ所長が務める訪問介護センターに勤める斯波宗典(松山ケンイチ)。彼は献身的な介護士として介護家族に慕われる⼼優しい青年だった。検事の大友秀美(長澤まさみ)は斯波が務める訪問介護センターで老⼈の死亡率が異常に高いことを突き止める。この介護センターでいったい何が起きているのか?大友は真実を明らかにするべく取り調べ室で斯波と対峙する。「私は救いました」。斯波は犯行を認めたものの、⾃分がした行為は「殺⼈」ではなく「救い」だと主張する。斯波の⾔う「救い」とは⼀体何を意味するのか。なぜ、⼼優しい青年が未曽有の連続殺⼈犯となったのか。斯波の揺るぎない信念に向き合い、事件の真相に迫る...介護現場に溢れる悲鳴、介護殺人

  • 家に帰りたい~

    1953家に帰りたい~第2の故郷筑波山(画像は本文とは関係ありません)主治医から「食べない。点滴だけでは6分の1程度の栄養しかとれない。廃用性症候群もみられ老衰の状態にある」長男は「明日にでも退院させて欲しい」、と訴えるも聞き入れてもらえず駄目だった。今日にでも連れて家に連れて帰りたいくらいだ、という思いは強かった。結局は来週の月曜日に退院となった。個室で痩せた老母(96歳)と面談、缶詰のミカンを食べさせようと老母に寄り添う。自宅の畳で逝かせたい、と願う息子。本人も最期は自宅で死にたい、と願っている。息子の呼びかけに応えようと、老母は一粒のミカンを口にした。「12日に退院できるからね」「あと三日だね」、とはっきりした言葉で話す。それでも最後は病棟中に響きわたる声で「家に帰りたい~」と叫んでいた。訪問診療、...家に帰りたい~

  • 夢? 希望? 妄想?

    1952夢?希望?妄想?私は植物に関しても全くの無知で、「美しい紫色の花に見惚れていました。あなたの名前を知らず大変申し訳ございません」。にんげん、寝ているときは至福の時間(とき)。いい夢見は余計に眠ったまま夢の世界に留まりたい。老人の寿命も延び、おくやみ欄をみると90代の人が増えてきた。今日の福島民報のおくやみ欄では106歳のお婆ちゃんもおられ大往生の人生。最後まで元気だったのか、それとも介護を受けていたのか、おくやみ欄からではうかがい知れない。自分はいつまで生きられるか、わからない。長生きはしたいけれど、残された時間、何をしていくのか・・・・。短編夢世界では、これからのデイサービスの在り方を数人の人と熱く語りあっていた。これから老人は「冬の季節」を迎え、子どものように厚い政策は期待できない。「介護は金...夢?希望?妄想?

  • 死ぬまで生きるしかない

    1951高いクリームを買っても皺(しわ)は伸びない早朝散歩のとき野生の鹿?に遭遇まだケアプランを作成していない84歳の女性から、寂しくなると電話をかけてくる。急ぎの用事はないのだが、なにかサービスを使いたいような感じで話すのだが、翌日訪問すると、彼女は「まだサービスは使わなくても大丈夫。躰がしんどくなったからお願いするから」、と。誰も彼女の家に訪れる人はいなく、その代わりに私に「来て」と誘惑する。「死に物狂いで働いてきた、自分の幸せを考えずに生きてきた。養女を育ててきたが、優しい言葉もかけてくれない」。「84歳になった。いつも玄関先の壁にかけてある鏡をチラ見するだけ。手鏡で自分の顔を見たら、皺がたくさんあり、そして染みだらけ。皺と染みの顔をみてビックリ。高いクリームを買って顔に塗っても皺は伸びない」。左右...死ぬまで生きるしかない

  • 老いに生かされてきた

    1950老いに生かされてきた.白髪混じりの60才過ぎの女性が相談に訪れた。自分の年齢も60才を越え体力的に限界です。義母はリウマチを患い、歩くこともままならない。“ボケ”もではじめ、夜間大きい声で独りしゃべりをしたり、おむつを外し布団の上にオシッコをしたりなど、隣の部屋にいても落ち着いて寝ることができないのです。年老いた義母にとって“家”が一番いいとわかっていても・・・・、これ以上女手一つで義母の面倒を看ていくのは困難です。長い間義母の面倒を看てきて、いろいろと苦労もありましたが、“義母に生かされてきた”という思いです。13年前に主人が亡くなり、ずっと義母との二人暮らしでした。血の繋がりがない義母であっても、義母の存在は一つの心のはりになっていました。自分の親は、(他人である)長男の嫁に世話になり、自分は...老いに生かされてきた

  • 老母親の想い、子の想い

    1949老母親の想い、子の想い.齢(よわい)を重ねるにつれ、土田光代さん(仮名86歳)は、息子との二人暮らし。物忘れや家事の一つひとつを最後まで成し遂げることが怪しくなってきた長男の不二雄さんは、新幹線が停車するK市駅の近くにあるデパートに勤めているため、日中は一人家で過ごす。数年前から認知症が進み、息子宛てに電話がかかり、息子が家に居ても、「家には居ない」と受話器を手にしながら話している。紳士服売場での仕事は時間通りに終えることができないため、家路に着くのは21時を過ぎてしまうことも多い。家のなかは静寂であり、老いた母親はもう寝床で眠りについていた。キッチンに行き電気釜の蓋(ふた)を開けてみると、手つかずのご飯が残されており、夕食を食べていないことがわかる。「長男がお腹を空かし、そろそろ帰って来るだろう...老母親の想い、子の想い

  • 人生の砂時計

    1948沁みる砂時計Google「砂時計」無料画像から引用しました老いた現在(いま)、何故か砂時計を見ていると「人生の砂時計」に映ってしまう。砂地に水がこぼれ落ちると瞬く間に染み込むように、老いを意識するようになってから人と「ひと」とのかかわり、路端に生きる小さな生物や自然の風景から心のなかにしみじみと感じてしまう。もうその出来事に再会することはないかもしれないだけに、そのことに感謝し、そこで遭遇した一瞬の時間(とき)にときめいてしまう。齢七十を越え、躰は衰え、左膝はサポートを巻きsnoopyのイラストが入った杖をつきながら阿武隈川沿いの小路をbeagle元気と歩けるのはいつまで続くか、その先はわからない。それだけにいま自分の足で「歩ける」ことに感謝せずにはいられない。人生の砂時計

  • 孤独のうちに施設で最期を迎えた「風変りな老人」が残した一編の詩

    1947孤独のうちに施設で最期を迎えた「風変りな老人」が残した一編の詩孤独のうちに施設で最期を迎えた「風変りな老人」が残した一編の詩(2016.06.18)老人ホームで孤独に最期を迎えた男性が残したという一編の詩が、今年の初めに海外メディアを少しだけ賑わせました。訪れる家族もなく、老人ホームの職員たちもあまり深く関わろうとはしなかった老人。価値のある遺品などはありませんでしたが、彼が人生を振り返ったその詩、老いについて本人が表したその詩は、確実に人々の心に残りました。その詩がこちらです。「風変りな老人」皆さんには何が見えていますか?いったい何が?あなたは何を考えていますか、私を見ているそのときに?風変りな老人…そんなに賢くもないどんな性格なのかもわからない、遠くをただ見つめている食事をこぼしたのは誰かと聞...孤独のうちに施設で最期を迎えた「風変りな老人」が残した一編の詩

  • 口から食べたい

    1946口から食べたい激しく降りしきる雨のなか老いた妻は軽自動車のハンドルを握り病院に向かった。数カ月前老いた妻は膀胱脱を手術されたばかりの躰。長年連れ添った夫。幾たびかの苦難を乗り越え苦労の数よりもはるかに少ない幸せに喜び生きてきた。その夫が食道癌を患い、経鼻経管になり8mmの細い管が胃まで届き、夫の命を繋いでいる。その管のお陰で体力を快復した夫入院前の顔表情に戻ってきた夫に安堵した妻。消化器内科の医師は言葉を選びながら平易な説明をしてくれる。80代半ばを過ぎ、年齢的に食道から胃までを開腹手術することは難しく、放射線治療を主体とし、ときには抗がん剤投与を併用させ可能性としての話だが、大腸癌や胃癌に比べ食道癌の放射線治療は効果がある。食道癌を抑える放射線治療は、口から食べらるようになるかもしれない。食道癌...口から食べたい

  • 歩くより楽ちん

    1945満悦なgenki黄色プレートGENKIを取り付け家の周りを散歩した。押して歩くとはいえ、14㎏の元気を移動させるのは大変だった。何も押さずに歩く方が楽だった。当の元気がご機嫌最高で立ち乗りをし初夏の風の匂いを感じていた。妻は「ヘルパー犬だ」と、知人に画像付きでラインを送っていた。そうそう妻の右親指は粉砕骨折であった。歩くより楽ちん

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春夏秋冬 / 老い楽の詩
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