hakurey さん プロフィール

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hakureyさん: 蟄居汎読記
ハンドル名hakurey さん
ブログタイトル蟄居汎読記
ブログURLhttp://sanobarou.hatenadiary.jp/
サイト紹介文随想性読書記
自由文読書記です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供20回 / 9日(平均15.6回/週) - 参加 2017/04/14 09:11

hakurey さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫)
  • すでに物故した人ですが、「マルサの女」なんかの映画監督としてよく知られている伊丹十三が若いころ綴ったエッセイがこれ(どうでもいいと思いますが彼は大江健三郎の義兄でしたか)。「随筆」と「エッセー」の違いなど、深く考えたことがないけれども、あえて乱暴に定義線を引いてみるなら、随筆の方が文学色が強くて、エッセーの方は格段に洒脱ですね。そういうのは肌感覚と思う。すくなくとも散文度においては、後者の方がずっ [続きを読む]
  • セオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』(宮本陽吉・訳 集英社)
  • セオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』(宮本陽吉・訳 集英社)悲劇、トラジェディ、大分聞き慣れてはいるけれど、これはそもそも何であるか、という問題が最初に発生する。この問題は些末事などではない。というのも、二〇世紀以降の文明世界にそもそも「悲劇」などが残存していてまた呼吸しうるのか、というある根深い問いかけと否応なしに直結してくるからである。周りの詳しい人に訊いてみて分かったことは、古代ギリシ語で [続きを読む]
  • 安達正勝『死刑執行人サンソン(国王ルイ十六世の首を刎ねた男)』(集英社)
  • 安達正勝『死刑執行人サンソン(国王ルイ十六世の首を刎ねた男)』(集英社)人間にとって「首を斬られる」ということは何を意味しているのだろう。そこには単なる「絶命」以上の含みがある。しばしば「首」は殆ど「頭」と同義的に使われていて、その「頭」には「顔」という固有の意味単位が深く刻み込まれている。この「顔」というのは、大雑把にいうと、個体を識別するための極めて重要な表徴となっている。遠くからでも何となく [続きを読む]
  • 能登路雅子『ディズニーランドという聖地』(岩波書店)
  • 能登路雅子『ディズニーランドという聖地』(岩波書店)ディズニーランドは実に悲しい所と思う。「ディズニーランド」と発音してみただけで何か索漠たる気配に胸倉をつかまれて動悸が早まってしまう。きっと世界でこれほど悲しい場所は田舎のパチンコ屋と深夜のドン・キホーテくらいのものではないかな。ディズニーランドのことを考えるときになんでこんな気分にならねばならないのかを、なかなか微細に書きだせないでいる。これは [続きを読む]
  • 保坂正康『自伝の人間学』(新潮社)
  • 保坂正康『自伝の人間学』(新潮社)なぜ人々は紙やインクや時間という限りある資源を費やしてまで自伝を書こうとするのか、誰も分からない。自分を語ることでその人生にどんな価値を付加させようとしているのか、誰も知り得ない。あるいは後世の人物評を意識し、何かを隠したり粉飾したりするために自伝を残そうとしているのか、やっぱりわからない。ことによると自分の過去を公衆にさらけだそうという本能が人間にはあるの [続きを読む]
  • 山際淳司『スローカーブをもう一球』(角川書店)
  • 山際淳司『スローカーブをもう一球』(角川書店) 「スポーツ」の中核をなす三大要素は、「ルール」と「遊戯性」と「競争性」、もう一つ加えるなら「限界挑戦性」ではないか。「遊戯性」や「ルール」を欠くとただの乱闘や殺し合いになりかねないし、「競争性」を欠くと馴れ合いの生ぬるい暇つぶしに終始する(それでも構わないという向きはあるだろうけれど)。「限界挑戦性」というのは、さしあたり記録への執念 [続きを読む]
  • 「男の色気」とは。K君との思い出より。
  • 小学校の中ごろから高校卒業までの間に割合仲良くしていた友人にK君がいた。友人と言っても対等な関係でなく、どちらかといえば私が子分みたいな位置づけで、今思い返せば向こうはかなり尊大でわがままなで短気な男だったけれど、当時はそんなK君を嫌いでもなかった。むしろ内心でちょびっと憧れていたと思う。なんとなくセクシーな早熟的風情があって、色白のわりには手足の毛が濃かった。中学生くらいの頃から「男性ホルモン過剰 [続きを読む]
  • 「生きるのは難しい」「生きることを止めるのも難しい」
  • そしていつだって独創的ないとなみとは、われわれが一人でいて何かを期待していることの変形のようです。(稲垣足穂『一千一秒物語』「A感覚とV感覚」(新潮社)ヒッポリタ こんなばかばかしい芝居ははじめてだわ。シーシュレース 芝居とは最高のものでもしょせんは影に過ぎない。ということは、逆に、最低のものでも影以下ではないということだ、想像力で補いさえすればな。(シェイクスピア『夏の夜の夢』(橋本康也・訳)) [続きを読む]
  • 「そもそも論」欠乏症
  • 「いいか、ぼうず、たった一日で金持ちにしてやる、なんて約束をする人間を信じちゃいけない。そんな連中は、気が変になっているか、さもなければペテン師なんだからね。私のいうことをきいて、ひきかえしな」(カル?・コッローディ『新訳 ピノッキオの冒険』(大岡玲・訳 角川書店)) 私は高校野球というのが実に吐き気が出るほど嫌いですが、それは高校の野球選手たちの顔つきがあまりに愚かしいためで、いやあ、ああい [続きを読む]
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