きょーやん さん プロフィール

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きょーやんさん: AUS ワーホリから永住へ、6年日記
ハンドル名きょーやん さん
ブログタイトルAUS ワーホリから永住へ、6年日記
ブログURLhttp://worktopr.blogspot.com.au/
サイト紹介文オーストラリアで2年のワーホリ、学生ビザを経てオーストラリア永住権を取得した、約6年間の記録です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供22回 / 12日(平均12.8回/週) - 参加 2017/04/22 12:54

きょーやん さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 20.RSMS永住権の申請と2年間の就業ルール
  • 2012年RSMS永住権の申請。RSMSがパース対象となってから、多くの人が申請したため、審査に時間がかかることが予想されていた。私の友達はこれをエージェントを通じて申請、2週間後にビザが下りたという。それが私が申請する1か月前の話。私が申請する直前に、待ち時間は3か月以上と発表されていたため、私も半年で出ればいいほうかな、なんて思っていた。それが、1週間でビザが出た。とにかく書類をきちんと集め、整理し、すべてま [続きを読む]
  • 19.フルタイムワーカーになる
  • 2011年下旬2年の就学が終わるころ、私は別の職場にいた。永住権申請の条件が変わったので、どうしようかと悩む日々。あきらめて帰るにはまだ早い、とも思っていた。同時に、当時から永住に関する情報をしっかり集め、噂に流されないようにしていたので、帰るというよりは、次の永住権の基準をしっかり把握したうえで決めようとも思っていた。ラッキーなことに、この当時はトレード職でも卒業ビザが申請できた。1.5年のビザだったが [続きを読む]
  • 15.仕事の日々、そして再渡航へ − 学生ビザでの渡航準備 3
  • 2008年下旬ハローワークでの求人に申し込みその場で面接の予約。後日訪れると、新しいソフトウェアの開発のための、データ移行(マニュアル作業)でした。PCが使えればそれでいいというタイプで、時給制ではありましたが、3か月のフルタイムアワーでの契約社員。既に定員は満たしているのだけれど、もう一人必要かもしれないからという点での面接でした。面接の際に、大丈夫そうなので採用になる方向で考えてくださいと言われ、実 [続きを読む]
  • 16.学校が始まった…クラスメートはみんな永住狙い!
  • 2009年学校が始まりました。クラスについていけるだろうかと不安でしたが、多くのクラスメートが同じアジア地域から来ていてるので、英語面については似たり寄ったり。中にはイギリス人もチラホラいましたし、オージーも一人ほど居ました。クラス数は忘れてしまいましたが、3−4クラスあり、留学生は全員永住権狙いと言っていいほど。というのも、トレード職はApprenticeshipがあるので、オージーはそちらのコースに行ってしまい [続きを読む]
  • 17.ジャパレスからローカルジョブへ、必要なのは経験
  • 2009年当時はローカルだとかジャパレスだとかにこだわりはなかったのですが、当時の永住権に必要な条件900時間のワークエクスペリエンスを資格を持っている人の下で、というのを満たすためには、ローカルに応募したほうがいいだろうと思っていました。しかし、これが見つからない。CVにはTAFEでCookeryを習っていると書いているものの、なかなか見つからない。最終的に応募したのはジャパレス。457ビザで働くには資格を持っている [続きを読む]
  • 18.2010年、永住権の申請方法が変わった
  • 2010年私が調理師を通じて永住を申請しようとしていた日々の条件は、2年就学900時間のワークエクスペリエンスIELTS5.5(ぐらいだったとおもう)これが当時の独立技術永住権の条件だったんだから、いかに簡単だったかわかっていただけるかと思います。誰でも、2年学校に行って、IELTSも取れれば、ほぼ100%でとれる。900時間のワークエクスペリエンスはレポート(何をどこでやったか)が必要だったけれど、こんなのは普通に働いてい [続きを読む]
  • 13.日本に帰国、そして学生ビザ渡航に向けての準備 1
  • 2008年下旬日本に2年ぶりの帰国。パースからの直行便で、到着はかなり朝が早く、都民の私は家(実家)には朝8時ぐらいに到着できました。今でもそうですが、当時から、日本に帰って一番最初に食べるものといえば…「卵かけごはん」!これだけは日本で食べるものだという妙なこだわりもあります。こちらの卵を生で食べたこともありますが(すき焼きとかで)、卵かけごはんは近年になるまでしたことはなかった。これぞ日本の味。ラー [続きを読む]
  • 12.ワーホリ後の計画は当時の永住権ブームに乗って
  • 2008年中旬オーストラリアワーホリ終了後、NZやほかの国のワーホリに行く人も多かったです。実は私もNZのワーホリを応募した一人。今はどうかわかりませんが、当時は無料で申請できたので。ただ健康診断が必要だったかと思います。結局オーストラリアにいるということを決めたので、本申請はしませんでした。当時からNZは永住権も取りやすいよ、という話が出ていましたが、景気がいいのは断然オーストラリア。今まで住んできたこと [続きを読む]
  • 11.ワーホリ2年目後半、今後の行き先を決める
  • 2008年ワーホリには6か月就業ルールがあったため、旅行代理店を辞めることに。そして次に選んだのは日本語ツアーガイド。ツアー催行会社で採用があったので応募しました。これがまた、本当に楽しかった6か月。ツアー自体は大きなツアーバスで各国からのゲストがいるのですが、私は日本語ツアーとして申し込んだ人達の言語ガイドとして隣に座り、ついていく形です。基本的に一組であることが多かったので専属ガイドみたいな感じにな [続きを読む]
  • 10.何のためのワーホリ・留学?わかるのはワーホリが終わる間際
  • 2008年パースで働いているときに、いろいろな人に会いました。そこで自分のワーホリはどういう形にしたいのか、考えることが度々ありました。その中でも、多くの人が英語ということをキーワードにしていたように思います。「日本語ができるガイドさんがいるツアーを…」似たような形で「英語に自信はないけど大丈夫ですかね?」というツアー購入者。これは残念なケースです。純粋に英語ができないのは仕方ないと思うのです。多言語 [続きを読む]
  • 9.給料は出来高制。趣味と仕事の両立の日々
  • 2008年無事にバックパッカー旅行代理店での仕事を得てからは、勉強の日々でした。というのも、給料はコミッション(出来高)制。売れなければ給料はなし。アジア系の旅行代理店は割引をする。これで他社と差を図ることになる。当時はかなりの日本人旅行代理店があって、お客(メインは学生かワーホリ)はカウンセラーとの話の感覚で買うか決めてくれた。割引と話術(フレンドリーな態度)、これがとにかくキーだった。ワーホリ1年 [続きを読む]
  • 8.ワーホリ2年目、まずは職探しから。
  • 2007年後半パースに戻ってすぐに住むところを決めます。ラッキーなことに、WWOOFERホストの知り合いが家を貸し出していたため、そこを借りることができました。当時のパースは鉱山ブーム真っ最中。シェアハウスはまだ一人部屋が主流でしたが、値段が110〜120ドルと上がってきていました。(到着直後は80ドルとかでしたよ)新しい住まいに着いてからは、しばらくはのんびりしていたものの、このままではレントを払ってお金が減る一 [続きを読む]
  • 7.一年目ワーホリがWWOOFと共に終わる
  • 2007年後半WWOOFはワーホリ1年目で数件お世話になりました。オリーブファームでは、基本禁止ではあるものの、オーストラリアで初めての給料をもらいました。このオリーブファームはカフェを併設していて、週末ランチだけオープンするのですが、その手伝いをしたところ$50いただきました。WWOOFではお金のやり取りはないはずよ、と断ろうとした当時の自分がまじめでかわいいですね。今なら、ラッキーと素直に有難くいただきます。 [続きを読む]
  • 5.何もしないがストレスになる…ハンモックで克服
  • 2007年2件目のWWOOFには、かなり長いことお世話になりました。仕事は相変わらずの林業ですが、夏になってくると朝9時以降でも仕事にならないほど暑くなることもあり、仕事は7−9時、そして15時ぐらいからまたゆっくりとという感じになりました。これが私にとって最初の試練でした。「どうやって時間をつぶそう」当時はスマホなんてない時代なので、インターネット依存症のように何か手に持っていないと不安、なんてことはありませ [続きを読む]
  • 4.WWOOF二件目…これが私の将来を大きく変えた
  • 2006年10月パースに戻って、新たなWWOOFホスト探し。一通メールを出すが、返事が来ず、そのことをほかのバッパーの男の子に伝えたら「あ、そこ俺が今度行くところだわ」との言われた。しかし「本当はいくつもりだったんだけど、有償のファームが決まったんだよね。ここ諦めるから俺の代わりに行く?」と何ともいいタイミング。WWOOFはセカンドのカウントはできるが(2017年現在はセカンドカウント不可)、給料は発生しない。両方のオ [続きを読む]
  • 3.最初のWWOOFで学びと自信
  • 2006年 後半オーガニックのワイン畑を営んでいるのは、60歳少し超えたぐらいの老夫婦でした。以前はパースで教鞭をとっていたそうですが、リタイアしてからこの土地を買い、小さいながらもワインを製造していました。あまり大きくないファームなので、基本はこの老夫婦とWWOOFERで仕事をし、忙しい時期は協会にお願いしてカジュアルで収穫や枝切などをするそうです。朝食や昼食はパンやサンドイッチ、夕食はベジタリアンではない [続きを読む]
  • 2.Monkey mia旅行からドラえもん真っ青なファームへ
  • 2006年後半到着からWWOOFに行くまでの2週間、時間をかなり持て余していました。3日目にして何しようかなと思ってしまうほど。YHAに最初の2泊は予約して、あとは計画を立てながらその都度延泊という形を取りました。当時3泊以上で割引なんて言うのもあり、それを使っている子も沢山いました。それがゆえに、ふらっと立ち寄った旅行代理店に勧められるままに申し込んだのがMonkey Miaへの3泊4日のツアー。当時は400ドル前後でした。 [続きを読む]
  • 1.到着したのは…当時も(今も)何もなかった「陸の孤島」
  • 2006年後半オーストラリアの到着地は…パース!オーストラリアといえばシドニー、メルボルン、ケアンズ。私が選んだのはパース。理由は英語の先生がパース出身だったから(パースとっても、ここからさらに500キロ離れた地域出身だった)。ワーホリに行くよと決めてから、少し関連した話をしてくれるようになり、最終的にここに決めました。もう一つの理由は膨大な自然があるから。いろいろ見て回れるとも思ったのです。日本から来 [続きを読む]
  • 0.ワーホリに行くことを決めた!
  • 2005年。当時友達だった子がオーストラリアに戻る(永住権を持っている他国の方)というので、それを機に1週間ほどオーストラリアへ旅行へ行きました。シドニーとメルボルン。両方とも都会で(東京出身が何を言う、って感じですが)、これと言って気に入っていたわけではないのですが、旅行から帰ってきた直後に「私、ワーホリ行くわ」と決めたのです。当時も、今となっても、何がきっかけでそう思ったのかはわかりません。ただ海 [続きを読む]
  • ゆるーくAUSワーホリから学生へ、そして永住までした6年間の記録です。
  • こんにちわ!もうかなり前になるのですが、まだワーホリが取れる年齢だったころ、海外へ行こうとなぜか突然思い立ち、ワーホリという制度を知り、イギリスへはいけないことが分かったのでオーストラリアへ。それが永住まで繋がるとは思ってはいませんでしたが「日本には戻らないのでは」と感じてはいました。これからその過程を少しづつですが書いていきます。どれぐらいの長さになるかわかりませんが、今でもはっきりいろいろ覚え [続きを読む]
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