梅波庄九郎 さん プロフィール

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梅波庄九郎さん: 中国古典に学ぶ経営の本質
ハンドル名梅波庄九郎 さん
ブログタイトル中国古典に学ぶ経営の本質
ブログURLhttp://owariatsuta.seesaa.net/
サイト紹介文「史記」「孫子」「論語」などの中国古典から経営の本質を学ぶことを試みたブログです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供13回 / 30日(平均3.0回/週) - 参加 2017/04/26 15:37

梅波庄九郎 さんのブログ記事

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  • 人物 孫子について
  • 「孫子」を著した孫子の本名は、性は『孫』、名は『武』であり、孫子の『子』は孔子や孟子の子と同じ敬称で、先生というほどの意味あいです。孫子は、今から二五〇〇年ほど前に実在した人物です。孫子の生きた時代の中国は春秋戦国時代です。この時代は、紀元前七七〇年、周王朝が衰え都を洛邑へ移し春秋時代がはじまり、紀元前四〇三年に晋という国が、韓・魏・趙の三つの国に分かれてから戦国時代となり、紀元前二二一年に始皇帝 [続きを読む]
  • 「孫子」十三篇の概要
  • 現在人口に膾炙している「孫子」は、「始計篇」「作戦篇」「謀攻篇」「軍形篇」「兵勢篇」「虚実篇」「軍争篇」「九変篇」「行軍篇」「地形篇」「九地篇」「火攻篇」「用間篇」以上の十三篇に分けて述べられています。孫子を現在のように整理し、分かりやすく解説したのは『三国志』で有名な曹操であり、十三篇に分けて整理したのも曹操であるとする説もあります。孫子は、この十三篇全篇にわたり戦争をせずに他国に勝つことこそが [続きを読む]
  • 人物を見抜く『六韜(りくとう)』
  • 『六韜(りくとう)』巻三竜韜(りゅうとう)第二十選将に人物を見抜く法があります。・・・・・・・・・・・・・武王、太公に問うて曰く、王者、兵を挙ぐるに、英雄を簡練し、士の高下を知る、これをなすこといかん。【訳】武王が太公望にたずねた。「すぐれた人物を選んで将に任命したいと思うのだが、人物を見極める方法はないものか」太公曰く、それ士は外貌、中情と相応ぜざる者十五あり。賢にして不肖なる者あり。温良にして [続きを読む]
  • 人の上に立つ者その1−曹操 <三国志より>
  • 「法を制して自(みずか)らこれを犯さば、何をもって下(した)を帥(ひき)いん」【曹操】 三国志はご存知の方も多いと思います。 後漢末の群雄割拠を経て、曹操の魏、孫権の呉、劉備の蜀の三国に集約され、その後、晋によって統一されるまでの興亡史ですね。 上記は三国時代に最大勢力をもった魏の曹操のことばです。 曹操が他から抜きんでることが出来た理由の一つは『規律の徹底』です。 曹操は、徹底した法治主義で国政 [続きを読む]
  • 孫子に学ぶ戦略
  • 孫子の戦略『五事』孫子は、戦略を立てるときは「道」「天」「地」「将」「法」の五つの切り口を使えと云っています。【 道 】『道』とは、大義名分であり、道理であり、道徳的規範でもある。国政であれば、国を治める側と治められる側の意識を同じ方向にむけることが肝要である。すなわち、国政にあたる者は民のための政治を行い、私利私欲を貪らず治国平天下につとめ、治められる側の民も、世のため人のために尽くし働くよう道 [続きを読む]
  • 孫子の名言二十選
  • 一. 兵とは詭道なり(始計篇)戦争とは、知恵を使って敵を欺く行為である。二. 算多きは勝ち、算少なきは勝たず(始計篇)勝算が多ければ実戦で勝利し、勝算が少なければ実戦で敗北する。三. 兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹(み)ざるなり(作戦篇)戦争には、少々まずくとも素早く切り上げるということはあっても、うまくて長引くという例はない。四.百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈する [続きを読む]
  • 「孫子」のキーポイント
  •  「孫子」は、戦争を戦場での戦闘のみでなく、国家間の総力戦ととらえている点が特徴です。 『兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり』という言葉で始まっており、まず初めに戦争は国家の一大事で、国民の死活がきまるところであり、国家の存亡のわかれ道になるため、よくよく熟慮すべしと述べています。 だからこそ、『国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ』と述べています。したがって、 [続きを読む]
  • 兵法を理解するとは <孫子>
  • これまでに、史記から趙奢、趙括、韓信の三人の事例を取り上げましたが、この三人のそれぞれの行動を孫子の兵法に照らし合わせてみましょう。 孫子曰く、「卒を視ること嬰児の如し」 将軍が兵士を治めていくのに、兵士たちを赤ん坊のように見て、万事に気をつけていたわれば、それによって兵士たちと一緒に深い谷底のような危険な土地にも行けるようになる。しかし、注意点として、もし手厚くするだけで仕事をさせることができず [続きを読む]
  • 兵法も経営も理論や資格や地位ではなく応用実践---その2
  • 韓信『背水の陣』 …司馬遷「史記」より… 始皇帝が没した後の秦を項羽と劉邦が滅ぼし、その二人が争い始めたころの話しです。 劉邦の主力軍は中原で項羽軍と膠着状態になります。項羽自ら率いる軍はめっぽう強い。劉邦軍はこれまで全戦全敗。現状も防戦一方で、戦線を膠着状態にするのがやっとのこと。しかし、項羽自らが率いていない部隊なら勝てる。そうふんだ劉邦は、大将軍・韓信を劉邦軍の別動隊として項羽のいない北の戦 [続きを読む]
  • トップの器量「劉邦」 <史記より>
  • 韓信大将軍となる 孫子から三百年ほど後のことです。秦の始皇帝が亡くなり、天下を項羽と劉邦が争っていた時代、国士無双と呼ばれた人材中の人材に韓信という人物がいました。 その韓信、まだ無名な時分には項羽に使えていたのです。 項羽は自分自身が際立って有能であり、若く、活力に富んでいましたので、他者の意見に耳を貸しません。よって韓信の献策も何一つ聞き入れない。遂に韓信は項羽のもとを去り、劉邦に使えました。 [続きを読む]
  • 二代目の失敗「名将・趙奢の子」―史記より
  • 二代目の失敗「名将・趙奢の子」―史記(廉頗・藺相如列伝)より 紀元前三世紀、呉王・闔閭の没年から二五〇年ほど後のことです。この二五〇年ほどの間に、闔閭の呉国は滅び、闔閭を倒した越国も滅び、弱小国は大国に次々と併呑されていきました。その結果、数多くあった国は、秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の七国に収斂しました。 その七国のうちの趙国に、趙奢という租税担当の地方官がおりました。 趙奢は担当地域の税収を行っ [続きを読む]
  • 兵法も経営も理論や資格や地位ではなく応用実践---その1
  • <兵法も経営も理論や資格や地位ではなく応用実践>その1「孫子が見限った呉王・闔閭(こうりょ)の末路」 …司馬遷「史記」より… 孫子は、「兵法は理論ではなく実際の運用(応用と実践)である」と説きます。日本では宮本武蔵が、「万事に至り、役にたつようにおしゆる事、これ兵法の実の道なり」と述べています。このように、和漢を代表する兵聖が共通して、『兵法というものは応用実践できてはじめて兵法である』と説いてい [続きを読む]
  • 司馬遷が『史記』に記した孫子
  •  孫子というと、遠い時代の中国に生きた戦争屋であり、孫子の著「孫子」は戦争の解説書であると思っている方もおられるのではないでしょうか。 実際のところ、孫子はどんな人物だったのでしょう。 古代中国、漢の時代。歴史記録官である司馬遷が、「史記」を著し、伝説の聖王の時代から漢の武帝の時代までを記録しました。その「史記」の列伝のなかの『孫子呉起列伝』に孫子の記録が載っています。  では、司馬遷の「史記」に [続きを読む]
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