KARO さん プロフィール

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KAROさん: スーダン暮らしてみたらこんな処だった
ハンドル名KARO さん
ブログタイトルスーダン暮らしてみたらこんな処だった
ブログURLhttp://www.sudantaro.com
サイト紹介文スーダンの小さな学校で働く男のスーダン見聞録
自由文スーダンでの暮らしを紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供46回 / 27日(平均11.9回/週) - 参加 2017/04/27 01:38

KARO さんのブログ記事

  • طعمية コロッケ?NO!!タアミーヤの話
  • ?????? ?????久しぶりに食の話です。現在、3時からアラビア語の塾に通っています。やはり3時になると小腹が空く。そんなときにぴったりなのが?????タアミーヤだ。タアミーヤはひよこ豆のペーストを油で揚げたものである。コロッケを小さく... [続きを読む]
  • アラビア語を学んでみよう①の話
  • ?????? ?????日常よく使っているアラビア語から、これは使えるぞってやつを選んで書いていきたいと思っています。私の復習にもなっています。第一回は、????? ???アルバムドゥ・リッラーについて学んでいきましょう。直訳では「感謝は神にの... [続きを読む]
  • スークの野菜はキロ単位?の話
  • ?????? ?????今回はスーダンにおける野菜の食材調達について書いてみようと思う。野菜は、スーパーマーケットに併設された売り場や露天商、さらにはロバの移動販売などで買うことができる。露天は大通りの至る所にあるため、朝の散歩がてらに覗くのがお... [続きを読む]
  • 名誉殺人ってなんだ?の話
  • ?????? ?????イスラーム教では、婚前と婚外の性交性が、禁止されている。これを行なった女性に対して、「家族全員の名誉を汚すもの」として父親や男兄弟が家族の名誉のためとして女性を殺害する風習がある。(イスラーム教では同性愛も対象となる。)... [続きを読む]
  • スーダン民族構成 1956年調査
  • ?????? ?????スーダンは広い国土の環境的多様性と民族的多様性をもった国として独立した。独立時の民族構成をみることによって、その後のスーダン史がわかりやすくなると思い書くことにする。1955年調査によると、56の「種族」と597の「部族」があると... [続きを読む]
  • ダルフール紛争③
  • ?????? ?????ジャンジャウィードは民族浄化さながらの武力行使にでる。それに反発する非アラブ系も武装反撃を行いハルツームを攻撃するなど紛争が拡大した。ダルフール紛争による死者は30万人、難民避難民200万人という人道危機に直面した。2009年3月に国際刑事裁判所は大統領に逮捕状を請求した。これに対して、大統領はダルフールで活動するNGOを国外に追放した。2010年にドーハでスーダン政府と反政府勢力の一部が停 [続きを読む]
  • ダルフール紛争②
  • ?????? ?????イギリス植民地化での間接統治はアラブ系が優遇され、独立後の政府ポストにはそのままアラブ系が入った。そして開発はアラブ系が中心となり非アラブ系の住む地方は未開発のまま置き去りにされたというのがスーダンの紛争の要因の一つである。さて、ダルフールに話を戻そう。ダルフールでは昔から少ない水資源を巡って争いが頻繁に起きていた。1985年に水と食料を求めてアラブ系部族がフール族の村を襲撃し [続きを読む]
  • ダルフール紛争①
  • ?????? ?????スーダンでは南北の紛争が、長く続いただけでなく、西部のダルフール地方でも内戦が起き、現在もまだ収束していない。そんなダルフール紛争について書いていきたい。もともと、ダルフール地方には非アラブ系の黒人部族が定住していた。ダルフール北部のザガワ人、中部のフール人や、南部のマサリート人などがいた。10世紀ぐらいからイスラム教が入ってきてダルフール地方の民族はムスリムになっていった。 [続きを読む]
  • ザガート「喜捨」でお腹一杯?の話
  • ?????? ?????ハルツームの住民の多くはムスリムである。(エチオピア正教徒もいて、教会もちらほらある)イスラム教徒に課せらた義務は5つあり、イスラム教五行とよばれる。①1日5回のサラー(礼拝)夜明け、正午過ぎ、午後、日没時、夜半②シャハーダ(信仰告白)???? ?? ?? ??? ??? ????アッラーの他に神はいないと証言する③ザカート(喜捨)貧しいものにほどこしをする④サウム(断食)ラマダン [続きを読む]
  • 内戦と南スーダン独立の話⑤
  • ?????? ?????2度にわたる内戦の末、独立した南スーダンであったが、独立前から部族同士の権力争いが激しく行われていた。そのため、独立後に内政で揉めることは明らかであった。独立したけれど南スーダンの人々の間に国家への帰属意識がない点が問題となる。内戦当時から軍隊は部族のなかで結集され、部族を守るために闘ったという意識が強い。それでも部族同士が結束して北部と闘えたのは、北部という共通の敵がいたか [続きを読む]
  • 内戦と南スーダン独立の話④
  • ?????? ?????第一次内戦が和平協定により終結したのだが、そう簡単に物事はいかない。南部、ベンティウの油田開発の利害が北部と南部の対立の争点になるのだ。本来ならば国を潤すはずの天然資源が、国民の血を流させるのだから皮肉である。またジョングレイ運河建設でも揉めた。運河建設により住み慣れた地域の環境が変わり、生活様式を破壊すると南部が反対の姿勢をとると、ヌエル人の村へ飛行機による爆撃を行なった [続きを読む]
  • 内戦と南スーダン独立の話③
  • ?????? ?????スーダンの独立は1956年で、アフリカの中でも早い。独立により政府の役職にはアラブ系のスーダン人がつくことになり、南部からしてみるとイギリスからアラブ系に代わるだけで、権利の拡大はほとんどみられなかった。スーダン政府は、アラブ化-イスラム化政策を南部に強制した。南部では、独立前の1955年から武力抵抗が散発的にみられるようになるが、武力によって反乱の鎮圧をはかったため南部との溝が深ま [続きを読む]
  • スーダンで合気道を始めた話
  • ?????? ?????スーダンにおいて日本は密かに人気があります。その代表はアニメで、特にキャプテン翼が大人気である。アニメに次いで、空手や柔道、合気道がよく知られています。ハルツームにあるハルツーム大学には日本語コースが開講しており、日本に興味のある学生が学んでいます。そんな学生たちが集まれる場所をと、日本の資金協力のもとにJAPAN HOUSE が作られています。そんな、JAPAN HOUSEでは日本風なクラブ活動 [続きを読む]