t-seki さん プロフィール

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t-sekiさん: コメットハンター関勉のblog
ハンドル名t-seki さん
ブログタイトルコメットハンター関勉のblog
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/sekitsutomu/
サイト紹介文コメットハンター関勉が日々の出来事などをつづります。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供82回 / 114日(平均5.0回/週) - 参加 2017/04/27 18:23

t-seki さんのブログ記事

  • 中の谷村の怪
  •  終戦の翌日の8月16日、高知県の住吉海岸で起きた謎の事件について述べましたが、実はこの日もう一つの怪事件がありました。今年の8月16日、一家で仁淀川の源流地に近い「安居渓谷」に出かけました。伊野のインターに入る前に「中の谷橋」を通りました。そう!私たちが戦時... [続きを読む]
  • 終戦、翌日の怪事件
  •  1945年8月16日、日本は連合軍の「ポツダム宣言」を受託して”無条件降伏”が成立したはずでした。しかし血気にはやった愛国心の強い青年将校たちは降伏を認めず、各地で連合軍相手に、テロ攻撃することを誓っていました。その一つの例として、第128震洋隊の奇怪な事件があ... [続きを読む]
  • 終戦の日の一日
  •  終戦の日の昭和20年8月15日、私たち学生は依然として本土防衛のための作業に従事していました。疎開先の米田に近い「荒倉峠」で、関東軍の指揮下にあって、山に横穴掘りの土木作業を行なっていました。しかしこの日は特別に高知市の比島に出張して作業するとかで、軍のトラ... [続きを読む]
  • ああ、紫電改戦闘機
  •  愛媛県御荘町には「紫電改」が展示されている館があります。「紫電改」は終戦前の昭和19年頃台頭してきた日本海軍の主力戦闘機で、高性能を誇った「ゼロ戦」の後継機と言われ、陸軍の疾風(ハヤテ)と共に名声の高い戦闘機でした。昭和20年7月4日の高知市大空襲の最中に、... [続きを読む]
  • 恐ろしい一日
  •  戦時中、米田村に疎開しても当時の旧制中学の学生は学校に行かず、直接勤労奉仕の現場に向かった。私たちは関東軍の駐留する朝倉の荒倉峠で土木作業をした。敵が南方に迫り、敗戦が間近に迫っても、戦局は兵隊たちには知らされず、山にトーチカを掘る作業をしていたのであ... [続きを読む]
  • 米田と芸西村の火玉
  •  父の故郷である、高知市米田の中の谷は、夏は鬼ホタルと怪談の里であった。今でこそ村は開発されて昔の面影は薄いが、昔はよく父と親戚の農家を訪ねた。電車道りの国道から朝倉神社の境内を抜け、赤鬼山の下を小川に沿って、1キロほど北に歩くと「中の谷」の実家に着く。昔... [続きを読む]
  • 赤鬼山の火
  •  昭和20年7月4日の高知市大空襲から、終戦の8月中旬までの間、疎開先の高知市米田での出来事である。夜になると、すぐ近くの「赤鬼山」の頂上付近に赤い火が灯るという。その光は山頂を徘徊するように動く。村の人は「また灯っている」という。そして「呼んでいる」という。... [続きを読む]
  • 台風5号接近中
  •  いま南の海を台風5号がゆっくりと北上中です。九州、四国は台風銀座と言われるほどに、よく通るところですが、近年は不思議に四国に上陸する台風は少なかったようです。しかし今回は大型でまともに接近しており気になります。昔の記憶では、幼いころ「第二室戸台風」がやっ... [続きを読む]
  • 初めての天体望遠鏡
  •  私が初めて望遠鏡を作ろうと思ったのは1948年の秋、日食彗星(俗にマックガン彗星1948Ⅺ)が出現したときでした。なにしろ突然の大彗星の出現で、名月で有名な筆山の空に大きな虹となって架かりました。望遠鏡を作ると言っても間に合わず、街には専門店もなく、急遽虫眼鏡... [続きを読む]
  • 赤い夕焼け空
  •  このところ大気の不安定な日が続き、星の見える日がありません。天体観測と10日以上ご無沙汰しています。早く夕焼けが輝き、夜は虫のすだく秋が待ちどうしいですね。気象衛星では全くの快晴ですが、カメラに写らない雲があって実際とは大違いです。こんなことでは現実には... [続きを読む]
  • 小説「火星兵団」とホウキ星
  •  私が小学生のころには、火星には高等生物が住んで居ると信じられていました。アメリカのローウェルを始めとし、日本の多くの観測者も火星をスケッチして、火星人が掘ったとされる大規模な運河を沢山描き出しました。3-4年生の頃だったと思いますが、毎日新聞系の「少国民新... [続きを読む]
  • 「ホンダ彗星異聞」
  • 「ホンダ彗星」C/1955 P1が発見されたのは、日本時間の7月30日(今日)の午前4時でした。東南の空に低くオリオン星座が見えていました。実は私も上町の自宅の観測台で夜明け前のオリオンをじっと見つめていました。このころの本田さんは、旧、広島県瀬戸村の観測所で熱心に捜... [続きを読む]
  • 火玉と狐火の徘徊
  •  これは旧暦の七夕のころ、涼み台で祖父(母の親)から聞いたお話です。火玉は良く流星と間違われますが、これは全く別もので、人魂は地面から出現するものです。しかし、次に登場するお話は現実なのか、単なる怪談なのか判断が尽きません。祖父は丑郎と言って、若いころは... [続きを読む]
  • ブラッシャー天体写真儀
  •  旧、東京天文台の彗星捜索儀が出たら、やはり「ブラッシャー写真儀」が登場せねばなりますまい。口径20cm(F5)の屈折式の天体カメラですが、東京天文台に在って戦前から戦後にかけて縦横無尽の活躍を見せました。戦前の麻布時代の天文台では、平山清次博士らが、沢山の小... [続きを読む]
  • ツアイス製コメットシーカーの謎
  • 旧、東京天文台が三鷹市に新設された時、主砲の65cm屈折赤道儀と共に購入した不思議な望遠鏡があった。それは口径20?の彗星捜索鏡であった。その望遠鏡は写真の如く、観測者の苦労を最小限度に抑えた、実に合理的に出来たコメットシーカーであった。大きいハンドルを回すこ... [続きを読む]
  • 「未知の星を求めて」伝
  • 私の家から遥か南に「鷲尾山」が見える(写真1)。海抜300mの山であるが、小学生の頃はよく遠足で登った。頂上からの眺めは絶景で、南の眼下に浦戸湾が、そして遠くに名勝、桂浜の髣髴たるを望むことが出来る。実はこの鷲尾山、”関・ラインズ彗星”追跡の舞台となった山で... [続きを読む]
  • 防空壕と鉱石ラジオ
  •  「鉱石ラジオ」は私が小学生の頃流行したラジオ受信機である。屋根の上に高いアンテナを張り、遠い放送局からの電波を受信器に誘導する。鉱石はアンテナが受けた電波流を、片方しか通さないから、その性質を応用して音声を聞き分けることが出来た。電源は一切必要なく、微... [続きを読む]
  • 模型飛行機と凧
  •  小学生の頃は晴れた大空を見上げることが楽しかった。それは全国的に模型飛行機を作ることが大流行したからだ。そしてその大会もあった。ゴム動力の飛行機が上空を飛ぶ時間の長さを競うものであった。私も何回か参加した。飛行機の滞空時間は1分を越した。人気機種では飛... [続きを読む]
  • 涼み台とほうき星
  • あれは戦後間もなくの事だった。私たちの町内では、夏には門前の道路に涼み台を出して避暑を楽しむ習慣があった。当時は家の中にはこれと言う娯楽は無かった。冷房もない洞穴のような暗い座敷でラジオを楽しむくらいで、なんとなく開放的な気分を味わうために外に出た。あっ... [続きを読む]
  • 関琴堂まぼろしの書
  • 一幅の書も残っていない書家の「関琴堂」、その正体は私にはしっかりとつかめませんでした。本名は「関光恵」と言った。「琴堂」とは書道の上での雅号で、他に「雪峰」という芸名も持っていたと言います。今から30年も前のことですが、風をこじらせて近くの総合病院にいきま... [続きを読む]
  • 梅雨が明けて
  • まだ気象台の発表はありませんが、四国地方は梅雨が明けて本格的な夏空がやってきました。これからの星空では天の川の綺麗な時期が続き、流星の多く見える季節を迎えます。都会に在って、天の川を見たことのない人も多いかと思いますが、山や海に行って、キャンプする人はぜ... [続きを読む]
  • 関 琴堂のこと
  • 私の家は大正年代から存続している古い家です。その物置にひっそりと眠っていた額入りの写真は一体何者なのか?その風貌を見たとき、一瞬「新撰組」の局長、近藤勇の姿を想像しました。精肝な面持ちで、口元の引き締まった所は良く似ています。その頃、母から関家には「琴堂... [続きを読む]
  • 鏡川寸景
  • 太平洋戦争中の1945年7月、爆撃によって?火の川”となった鏡川です。B-29の落下を目撃した場所でもあります。大火を逃れて川を南に渡りました。昔は坂本龍馬も泳いだ川だそうですが、私も小学生のころ、家から水着姿でやってきて水泳の練習をしました。戦前のロスアンゼルス... [続きを読む]
  • 物置小屋の秘密
  • 自宅の片隅にある、滅多に入ったことのない物置の珍しい品物を見ていた私は、棚の奥に古めかしい封筒に入った絵ハガキを発見しました。めくってみると、それはなんと1910年(明治43年)に東京天文台が発行した三枚一組のハレー彗星の絵葉書でした。(こんなものがどうして?... [続きを読む]
  • ハレー彗星の恐怖
  • 去る1986年に回帰したハレー彗星は、比較的地球から遠いコースを選んだので、世界の人々を「アッ」と言わせるほどの大彗星にはならなかったのですが、その前の1910年の時には、同年の5月13日に彗星が太陽面を通過するという珍しい現象が起こりました。この時の様子を当時のA... [続きを読む]