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  • 私と科学空想小説

    私が小説が好きになったのは、小学中学年のころ、母が購読していた「主婦の友」という部厚い月刊誌の影響である。毎月連載物の小説が掲載されていて愛読した。 その頃小説家では山本有三氏や、吉屋信子女史らが、盛んに面白い小説を連載していた。中でも貧しい家庭の少年

  • ポン−ブルックス彗星の奇跡

    この彗星は1812年、フランスのコメットハンター、ポンとブルックスによって独立に発見されました。比較的明るい彗星で、ポンはわずか口径5センチ30倍くらいの屈折望遠鏡で発見したと伝えられています。 当時は明るい未知の彗星が多かったと想像されます。ポンは当時パリ

  • 高知こどもアストロクラブ

    今度、高知こどもアストロクラブの生徒たちにお渡しする彗星の拡大写真は、いままででもっとも自信のある美しい写真です。ダストの尾もイオンの尾もはっきりしていて、子供たちに物理を説明するに持ってこいです。(添付写真)50年に1回くらいの出現の大彗星で今回の生徒た

  • 愛したショパンの円舞曲

    私は、昔からショパンのピアノ曲が好きであった。中でも円舞曲集は、幻想的な美しさと共に哀愁がこもって大好きであった。ここに楽譜で紹介した作品69-2は、イ短調の旋律の美しさと共に、リズムに哀愁がこもって、何回聞いても聞きあきることが無かった。やさしく純粋な、

  • 猫も見ていた軌道計算

    いまから100年以上も昔のドイツの大数学者「ガウス」の開拓した天体の軌道計算法の公式は、当時流行した対数計算に基づいたものであった。 新しい天体までの距離を求める数式は、いかめしい4次方程式が組まれていた。天体までの距離(天文単位)が求まったら、あとは何と

  • あの頃の自分のこと(2)

    1961年10月11日、朝方のしし座に発見した彗星らしい天体は、直ちに東京天文台に打電した。天文台からはその日のうちに全国の有力な天文台や、研究機関に彗星発見が報じられた。 倉敷天文台の本田実氏は、口径8cmの写真レンズで、これを二日間にわたって撮影した。ところが

  • あの頃の自分のこと(1)

    その朝、彗星らしき天体を発見して5時間後、私は再び中庭の観測台に立った。そして、手製のコメットシーカーと共に写真を撮った。しか私の心の中は動揺していた。イソゲナ天体望遠鏡に新天体らしい光芒が影を落としたのだ。世界中には、大小様々な望遠鏡が、新しい天体を求

  • 白い花の咲くころ

    早春のシンボル、梅の花です。 私の良く通る鏡川沿いの散歩道ですが、四季それぞれの花に出逢えます。特に早春のころには白い梅の花が美しい。 ♪白い花が咲いてた ふるさとの遠い夢の日、、、♯ 終戦直後のまだ世間が暗澹としていたころ、ラジオ歌謡で岡本

  • 芸西天文台の夕日

    去る2月18日は芸西天文台の一般公開日でした。 今は、これと言う珍しい天体の出現はありませんが、日本のロケットが月面に着陸する関係もあって特に着陸地点の「海」を口径70センチの反射望遠鏡に400xかけて眺めました。最高の倍率です。あいにく雲が盛んに流れていました

  • ハレー彗星遠日点に潜む

    周期76年のハレー彗星が、今太陽から最も遠い「遠日点」に潜んでいます。これから、再び太陽に近い近日点に向かって旅を始めようとするところです。 思えば、私が中学生の時、天文学に興味をもちはじめたころ、ハレー彗星は遠日点の近くにいました。今また遠日点にいると

  • 彗星発見の妙技

    世界の大型望遠鏡の活躍によって、多くの太陽系の天体が、まだ微光星のころに遠くで発見される。そして地球に接近して眼視で見え出すころには、すでに発見が確定しており手遅れである。このような状態が続いており、従来の眼視的ハンターは、なかば諦めていると言う状態が

  • 冬の晴れた日の回想

    南国高知では、冬は長い晴天が続きます。空は限りなく澄んでホウキ星がやってきそうな気配です。1962年の立春の日に発見した彗星も、ちょうど今日の様な美しい空でした。格別「発見しよう」という意識は無く、コメットシーカーと共に自然と美しい星空に引きずり込まれまし

  • 魂の発見

    寒空に真昼の満月がぽっかりと浮かびました。冬は特に大気の透明度が高いので、月はもちろん昼間でも明るい星が見えることがあります。 いま、刻々と地球に接近してくる「紫金山・アトラス彗星」は、きっと天地がひっくり返るほどの騒ぎを起こすことでしょう。久々の大彗

  • 「熱中するという事」

    私が彗星の捜索に興味を持って始めた頃、本田さんの一連の彗星発見の後に、突然「ムルコス彗星」と言う聞きなれない星が飛び出してきて天文界を驚かしました。Mrkosというローマ字でしたが、「ムルコス」とか「マルコス」とか、あるいは「ムーコス」とか、日本では呼び方が

  • 燃ゆる夕空

    冬の日の太陽が、遠くの森の中に沈んだばかりの夕空です。西の地平線上の家も森も、何もかもが赤く燃えています。太平洋戦争中に「燃ゆる大空」という標語がありましたが、日本列島の上空で空中戦が行われて空一面が燃えているような情景を歌ったものです。しかし、この赤

  • 街は夕焼け

    美しい冬の夕焼けです。雲も寒さを嫌うのか、冬の夕焼けはすぐ消えていきます。 このところ晴天が続いています。今日あたり一旦、お天気が崩れて、久しぶりの一雨あるとの予報でしたが、低気圧の雲は日本列島の遥か南を東に通過し、少し雲が出ただけで降りませんでした。

  • ☆ 新春観測会☆彡

    今年2024年に入ってからの第2回目の天体観測会が、高知県の芸西村の天文台で開催されました。約20人の参加者で、親子連れも多く眼につきました。 お天気は、最初はやや雲が多かったものの、夜がふけるにつれて完全な観測日和となりました。東の空からは、冬空を代表する均

  • 海岸と指輪のロマン

    ついに年末の日を迎えた。格別に変わったことは無く、近くのマーケットに買い物に出かけた。 夜は特にテレビは点けずに自室でギターを演奏して静かに過ごした。大晦日恒例の歌謡番組なんかはこの50年間一度も観たことも、聞いたことも無い。 ギターと言えば、一般にはエ

  • クリスマスのころの星の思い出

    コメットシーカーとは、彗星を見つけ出す望遠鏡の事である。内外を問わず、多くの彗星ハンターたちが、独自に考案した望遠鏡で宇宙の放浪者たる彗星を探した。私もその例にもれずに、様々な設計のコメットシーカーを考案してホウキ星を探した。口径僅か8.5センチ、15xの四

  • ☆彗星発見の記録☆彡

    ポン-ブルックス彗星は今、夕空に明るく見えている彗星です。12月2日に芸西天文台の70センチ反射望遠鏡で撮影しました。近くに琴座の1等星「ヴェガ」が輝いていて良い構図でした。来年は更に接近して明るく大きくなります。 彗星の中心核は白い雪の塊。それを取り巻くガ

  • 幸せを呼ぶブローチ

    これは「関おき子」の作った手芸のブローチです。粘土細工ですが、色彩は絵の具の色を予め手芸用の粘土に練り込みます。女性の睫毛なんかは、針の先の様な細かい筆で繊細に黒く描きます。昔は大丸の百貨店で教室を持っていました。 今まで天文関係では長谷川一郎博士ご夫

  • 彗星発見と軌道計算(3)

    今から半世紀も昔の、軌道計算に熱中していた若き頃、盛んに使用していたカシオの電卓が出てきました。ああ、このキーを、幾千回、幾万回押したことか。最も電卓を使用して、真数計算を始める前には、ガウスの6ケタの対数表を駆使して軌道計算に従事しました。 その時代

  • 70年振りの来訪者

    周期約70年の「ポン・ブルックス彗星」は遠く海王星のあたりを回って今最も地球に接近しています。添付した写真は天文台の一般公開のあった12月4日に200ミリ望遠レンズで撮影したもので、いかにも彗星らしく優しくほんのりと輝いています。位置は夕方の琴座の一等星ベガの

  • 芸西天文台の夕焼け

    12月4日、安芸郡の芸西村の天文台で一般公開がありました。天文台の高台から見た日没の光景ですが、手結山や太平洋の遠くに見える日没にはとりわけ美しい光景があります。雲はさまざまに変化を見せ、暗くなっていきます。 この日は集まった人数は少なかったものの、朝日新

  • 彗星発見と軌道計算(2)

    今回添付した写真は、発見後急速に接近してくる関彗星「1961-T1」の姿です。同年の11月、銚子市の天体写真の名手で、歯科医の「滝田正敏」氏が撮影しました。また東京天文台の堂平観測所の大型望遠鏡のファーストライトとなりました。 そしてアメリカ、フラグスタフ海軍天

  • 彗星発見と軌道計算(1)

    私の住む上町の児童公園には一本のいちょうの木があって、いまがもっともうつくしい色を誇っています。また、これと同じ銀杏の木が、私の通っていた第四小学校の校庭にもあって、「龍馬の銀杏」と名ずけられています。同小学校の校区に竜馬誕生の家があります。150年の歴史

  • 満月と木星の接近

    昨夜は芸西村の天文台で、一般向けの天体観測会が行われました。月夜には星団や星雲の様な美しい天体は見えませんが、天頂なる満月に近い月のそばに、太陽系最大の惑星である木星が輝いて一興を添えました。 添付した写真は小さなデジカメで、約1秒間のタイム露出を図った

  • 竜馬の誕生祭

    勤王の志士、坂本龍馬の生まれた高知市上町1丁目の屋敷跡では、今年も命日の11月15日に記念の式典が盛大に行われていた。高知市長の挨拶や、竜馬との関係者の講演がある。屋敷跡は暫く残されていたが、昭和20年7月4日の高知市大空襲で焼失した。記憶では、確か2階建てであ

  • そは彗星か?小惑星か!

    天空をパトロールして小惑星を探索していると、イメージとして彗星か小惑星かの判別に苦しむものもあります。考えてみると小惑星と彗星は親戚関係と言えないこともないのですから、小惑星から彗星に変身することもままあります。 添付した写真は、1990年12月20日に芸西天

  • 嗚呼 天狗高原の星

    11月4日、津野町の天狗荘での天文講演会「天狗高原の星」は予定どうり現地で、定員のお客さんを迎えての講演を終了いたしました。大変熱心な聴講者で、中には遠く今治から遠征してきた古い天文ファンもおられました。 標高1400mに聳える天狗高原は、日本でも有数の星の美

  • 謎の光芒「対日照」

    対日照の目立つ時期がやってきました。真夜中の太陽と正反対の位置に輝く不思議な光芒です。これは、太陽系の火星と木星の間に、無数に散在する小惑星群の輝きとされていますが、小惑星は一つ一つ肉眼では見えません。大型の望遠鏡で捉えても大変に暗い光です。無数の小惑

  • 小惑星「ワカキノサクラ」

    小惑星「ワカキノサクラ」は牧野太郎博士が命名した桜の木で、先にその苗木が宇宙を飛んだことでも有名ですが、先日、芸西村の天文台で、それの観測会がありました。いま地球から見て最も見やすい位置にあり、18等星です。芸西天文台の下元講師が最近撮影に成功しましたの

  • コスモスの花一面に

    秋の野山に一面に咲くコスモスの花は私の最も好きな花の一つです。 1956年10月、クロムメリン彗星を再発見した夜、私は、観測台の周辺に一面に咲いたコスモスの花を一輪、オーバーコートの胸にさし、観測台に上がりました。そして首尾よく、その朝しし座の中で発見する事

  • 奇怪な馬首星雲

    「馬首星雲」と呼ばれている奇怪な暗黒星雲の姿です。1985年の12月、芸西の60センチ反射望遠鏡で撮影しました。オリオン星座の「三ツ星」の一つが画面の端に見えています。望遠鏡をのぞくと、ただ濛々とした白い煙のように見えますが、写真では見事な色彩感があります。赤

  • ムクドリの特技

    秋になると鳥たちの集団での活動が活発になります。2階の書斎の窓から見ていると、たくさんのムク鳥が飛んできて、近くの高圧線にとまりました。何やら語り合っているように見えますが、やがて一匹が飛び立つと、全体の鳥が一斉に飛び立ちます。頭上を通り過ぎるときには

  • 16夜(いざよい)の月

    中秋の名月は厚い曇り空で、満月はおぼろげにしか見られなかった。夏が終わり、そろそろ秋に入ろうとするこの季節は、概して、お天気の悪い日が多い。 仲秋の名月は、私の家から東南方向の筆山の上に輝く。目の錯覚か異常に大きい。それこそ”盆の様な月”である。 月

  • 夕月の歌

    昔NHKのラジオ歌謡に「夕月の歌」という曲があった。今流行の諧謔的な騒がしい調子の曲とちがって、名曲の良さを真面目に、しんみりと聞かせた。夕空にかかる美しい三日月は、見る人の心に安心と慰安を与えた。そして昔の懐かしい思い出が浮かんだりした。 同じ夕空に肉眼

  • 夏雲の彼方に

    夏の名残の入道雲と、秋の雲の同居している風景です。間もなく空は秋空に変化してゆきます。 この雲の彼方にNishimura C/2023 P1がかくれているはずですが、彗星が夕空に回ってから、まだ見ていません。恐らく3-4等星くらいの明るさで、数度の尾を曳いているはずです。

  • 彗星花盛り

    美しい夕焼け空です。カミマチの上空に輝きました。過去何十年かこの同じ場所で夕焼け空と対峙しました。そして新彗星発見の夢を見続けました。 私の傍らには、いつも小さなコメットシーカーがありました。夕暮れとともに太陽に近い空から、彗星の捜索を始めました。そし

  • 秋雲の幻想

    自宅屋上からの西空の眺めです。夏から、秋空に移り変わっていく空模様ですが、まだ夏の勢力が強いです。やがて彗星Comet Nishimura C/2023 P2 が夕空に姿をあらわします。どのあたりに見えるだろうか。果たして明るさはどんなものだろう?などと考えます。 ここは高知市

  • 美しきは西村彗星

    去る8月13日に発見された西村彗星です。まるで翡翠(ヒスイ)の様な美しい色をしています。細長いイオンの尾が幽か。8月27日の午前4時、芸西天文学習館で、口径70cmの反射望遠鏡を使い、下元繁男講師が撮影いたしました。5分露出を4枚、彗星の移動に合わしてスタックしたも

  • 8月15日、終戦の日

    台風7号が鳥取県を北上中であるが、ここ高知県ではうつくしい夕焼け空が今日も輝いた。昭和20年の終戦の日も、確か良いお天気であった。雨の降った記憶が全くなかった。毎日炎天下で軍事作業に従い、夜は防空壕の中で、しずかな勉強の時を過ごしていた。 疎開先の米田は、

  • 夕焼け空との約束

    美しい夕焼け空です。自宅屋上からの眺めです。このような美しい夕焼けを、過去いくたび見たことでしょうか。そして眺める度に何かの思想的な発展がありました。 1961年9月の中旬、私は高知県と徳島県の県境に立つ「三嶺(1900m)」に初めて上りました。そして遠い落日の彼

  • B-29墜落の秘密

    鷲尾山は高知市の南に聳える美しい山である。小学生のころには良く遠足で登った。標高はわずか300mであるが、頂上からは、南に太平洋のパノラマが展開し、遥かに東は室戸岬、西には足摺岬の両岬が彷彿として見える。金波、銀波の逆光に輝く太平洋には、確かに地球が球形で

  • ギター演奏会のころ

    わたしの30歳前後のころはとりわけクラシックギターに熱中していた。はりまや橋に近い音楽教室で30人ほどの生徒を持って教える傍ら、年に春と秋との2回、演奏会を開催した。会場は、はりまや橋の土電会館4階の大ホールである。生徒たちの大合奏を指揮したこともあるが、大

  • 1945年8月6日

    今から78年前の昨日8月6日は、広島市に原爆が投下された日です。毎日快晴の良いお天気が続いていました。私はそのころ旧制の中学1年生で、毎日学徒動員として、高知市の近郊に、本土防衛のための軍事作業に出かけていました。関東軍の指揮下にありましたが、何しろ遊び心の

  • 台風接近の前に

    最大瞬間風速が50m/Sを超えるような特大な台風6号が、沖縄の近くの石垣島付近でとどまっています。やがて東に向かって進行をはじめ、数日後には四国もあぶない状況です。 8月4日の夕刻、三階の屋上にあがってみると、太陽の沈んだ後の西の空に、巨大な「きのこ雲」が見

  • 夏雲の幻想

    まるで巨大な怪物のトカゲの頭を思わすような夏雲です。今年の夏は特に暑かった関係か、様々な形をした入道雲が空に湧き、そして乱舞して地上を威圧しました。 終戦の1945年の夏も大変暑い日が続き、雨の降った記憶はほとんどありませんでした。毎日晴天下に学徒動員で、

  • 星の里は蛍の里

    添付した写真は、五藤光学の小沢氏が、高知県の山奥の天狗高原天文台の近くで、今年の7月に撮影したものです。 明るい宵の明星の輝く夕空に黄色い線を引いて、一面に輝いて飛んでいるのが蛍です。今は余程の田舎に行かないとこれだけの蛍は見えませんが、昔は芸西村の天文

  • エンケ彗星と五藤式望遠鏡

    エンケ彗星(2P/1786 B1)は、ハレー彗星と共に最も古い歴史を持つ周期彗星です。周期はわずかに3年余。初めのころは1公転ごとに、僅かにその周期が短くなって、これは太陽系内の抵抗物質の仕業と考えられていましたが、今では、彗星が時々爆発的にガスを噴射するための「

  • えんこう会の事

    ”えんこう”とは河童によく似た、泳ぎの達者な動物の事です。 土佐の高知市を流れる鏡川が「えんこう」たちの住み家だそうですが、伝説に登場する架空の動物ですから、誰もその正体を見たことが在りません。しかし、この架空の動物はある小説家の本のテーマになっていま

  • 軌道計算3羽からす

    添付写真は、高知市の名勝「桂浜」での記念写真である。後ろの高台から、竜馬が見ている。マースデン博士は坂本竜馬を、どの程度理解していたかどうかは分からない。芸西で発見した「Ryouma」と言う小惑星の命名を最終的に認めてくれたのは博士であった。 マースデン氏は

  • 種崎の「だるま太陽」

    高知県の海岸は昔から美しいだるま太陽が見える。そのほとんどは西の足摺岬方面の落日である。今回のだるま太陽は、めずらしく高知市の種崎の海岸から見えた「朝日のダルマ太陽」である。 撮影したのは地元に古くから在住する岡林一彦氏で、2023年1月12日の午前7時過ぎに

  • 無人島「長平」の像

    高知市の自宅から、東に約40km離れた芸西村の天文台に向かう中ほどの、香我美町岸本の海岸に「長平」の像が立っている。いまから200年以上も昔の1785年に船で嵐にあって流され、南東に760キロも離れた「鳥島」に流れついた。いま話題になっている「ジョン万次郎」よりも半

  • とっておきの切手

    今まで天体現象で記念切手になった天体は少ないが、1986年のハレー彗星に先んずる20年、日本で発見された「イケヤ・セキ彗星」が切手になった。 発行したのは本家本元の日本ではなく、アフリカの「コンゴ共和国」であった。 1965年9月19日(日本時)、台風一過後の快晴の

  • 梅雨の中晴れ

    とっくに梅雨に入っているのですが、高知県では、いわゆる梅雨のなか晴の日も多いようです。昨夜はすこし降っていたかと思うと、今日は朝から快晴となりました。青空にはまるでホウキ星の様な雲がいくつか並んでいます。四国一の霊峰「石槌山」標高約2,000mでは7月1日がお

  • 山本一清博士と私

    山本一清博士の主催する、国内第1回の「彗星会議」に参加して博士にはじめてお目にかかったのは今から遠く1954年夏の事であった。 「彗星会議」は委員会の形を取り、国内の学者や研究者約30人が参加したが、若干24歳の新前の私が参加できたのは奇跡であった。これは「い

  • 猟奇の果てに(3)

    天文の教育施設としてのプラネタリウムは、いま全国各地に存在するが、終戦後の1950年頃には東洋に1基しかなかった。大阪四ツ橋の「電気科学館」のそれである。プラネタリウムは当時修学旅行生なんかに大の人気で、私が高校生のころから星の同好者として親しんでいた岡田

  • 猟奇の果てに(2)

    古くからの私の星の友人に池幸一君と言う人がいた。 彼は、戦後の本田さんの大活躍に刺激されたコメットハンターでもあった。新発見こそなかったが、1965年10月の「イケヤ−セキ彗星」が、近日点を通過した時、危険なことを承知しながら、太陽にくっつきながら公転する彗

  • 猟奇の果てに(1)

    ニュースで「タイタニック号」観光の小さな潜水艇が深海で遭難したことを知った。その時思い出したのが、海難救助艇の「荒天号」の事であった。これは全長20mの潜水艦で、今から70年も昔に、高知市の一発明家によって考案製作された。それが東亜天文学会の1青年会員だった

  • あなたの椅子

    1960年頃だった。NHKのテレビ番組に「あなたの椅子」と言う、人気番組があって出演した。変わったことをする3人組ということで、一人は絶滅したと言われる”日本狼”を、奈良県の山中に追いかける男。もう一人は”オートジャイロ”と言う、手製の小型飛行機にまたがって関

  • お昼のドン

    日本では、大昔から時刻を知るのに、様々な日時計が使われたのは周知のとおりである。土佐24万石の山内家の殿様の居城「高知城」には、お昼を知るための紐を使った「正午計」があった。高知市の海岸「種崎」には、比較的新しい巨大な日時計があった。また安芸市には明治時

  • 池-ネオハックスカメラの秘密(2)

    1964年5月、東京天文台に打電した「イケ−セキ彗星」はその後どうなったのか?天文台から帰ってきた電報は意外なものでした。「カンソクサレタスイセイハ コップスイセイデス トウキョウテンモンダイ」 これで、我々の発見した彗星が新彗星ではないことが判明しました。

  • 池-ネオハックスカメラの秘密(1)

    奇妙な名称の天体カメラが登場しました。高知市から西に20kmほど離れた「土佐市高岡町」に住んで、古くから電気業を営む池幸一氏は大の天文好きでした。1956年の私のクロムメリン彗星の独立発見に刺激されて彗星の捜索を密かに実行していた人です。 彼は眼視より写真捜索

  • ジョン万次郎の見たホウキ星

    中浜万次郎が漁業中に遭難して鳥島に流れ着いたとき、アメリカの捕鯨船「ジョンホーランド号」が現れて助けられ、万次郎はアメリカに向かった。1843年の事で、船が南米のホーン岬を通過するとき、南の空に巨大なホウキ星が見えた。これが有名な”3月の大彗星”と呼ばれるホ

  • フランク チャンピオンの碑

    ここ高知市の鏡川のほとりの土手に、アメリカの飛行士「フランク チャンピオン」の記念碑が立っている。日本では、まだ飛行機の珍しい大正時代(1917年10月30日)に高知市の上空にやってきて、数々の曲芸飛行を観せた。高知市朝倉の陸軍の広い練兵場の上空で、当日は10万人

  • ドノホウメダルとコメットメダル

    戦前の彗星発見者には、アメリカ太平洋天文学会が発行する「ドノホウ メダル」が授与された。日本では本田実氏を初めとして、古くは山崎正光、下保茂、岡林滋樹氏らの発見者がもらった。メダルの表面には美しい彗星の姿が彫刻されていた。戦後になって、いったん廃止され

  • 永遠の瞬間

    本田さんがカラーで撮影して下さった「関彗星1961 T1」は、発見後次第に地球に接近してきて明るく大きくなった。そして10月の下旬には0.1天文単位と地球に大接近し、満月の大きさとなって一晩に30度以上も動いて南下した。あまりにも急速な運動だったために一旦見失ったが

  • 秘密のレンズボックス(2)

    1955年の「ホンダ彗星」以来の6年ぶりの国内での彗星発見に、天文台は興奮した。東京天文台から次のような丁寧な返電がきた。 「スイセイハッケン オメデトウゾンジマス クラシキデカクニンノウエ コペンハーゲンニシラセマシタ」 電報を発進したのは、天体掃索部の下

  • ☆ 国内彗星会議☆彡

    古い写真アルバムを見ていたら、半世紀ほど昔の静岡市での「彗星会議」の写真が目についた。 国内の彗星会議の発端は、1970年、愛知県の小嶋信久氏の天体写真による彗星発見を記念して愛知県の「がまごうり市」で開催された。会議の発起人は長谷川一郎氏、と私(関)の二

  • 秘密のレンズボックス(1)

    口径88mmのレンズを装備した自作のレンズボックスです。この木製の四角な箱の中から新彗星が飛び出しました。そうです、1961年の関彗星、1962年の関ラインズ彗星、そして怪物の1965年のイケヤ・セキ彗星です。 写真は、1961年10月11日、暁天のしし座に新彗星らしい謎の光

  • 竜馬最期の場所

    私の住んでいる高知市の上町は歴史的な伝統の街並みである。明治大正から栄えた白壁の酒屋や、道場、それに製紙工場が何軒かあった。上町1丁目の「竜馬郵便局」の前に大正時代から続いたと思われる古い門構えの家を発見した。それは竜馬が暗殺された京都の近江屋そっくりで

  • 鷲尾山の追憶

    高知市の私の家から、遠く真南に見える美しい山は「鷲尾山」と言う。標高は300mであるが見晴らしがよく、頂上からは南に太平洋の広い海原が見渡せる。 小学低学年の時、学校から遠足で登り初めて海をみた。蒼茫たる大海原には、いつも白い外国航路の汽船が浮かんでいた。

  • 上町の名所遺跡案内

    先に紹介した「龍馬の生まれたまち記念館」には「龍馬」を慕って、県外から多くの観光客が訪れる。記念館には常時専属の案内人が付いていて、希望者には上町の名所を案内する。 まず、龍馬誕生の地の案内板の建っている、上町1丁目の屋敷跡を第一に、龍馬が少年時代に剣術

  • 竜馬の生まれた町記念館

    先に高知市の上町1丁目にある「竜馬郵便局」について紹介したが、同じ上町の2丁目にある「龍馬の生まれたまち記念館」について紹介する。 私の家から、わずか東北に100m位のところにある同記念館は、比較的新しい施設である。明治維新に活躍した坂本龍馬のほぼ完ぺきな資

  • 夕焼け空の幻想

    高知市上町2丁目の自宅屋上からの西の眺めである。とりわけ、美しい夕焼け空の見える場所でもある。(添付写真) 大正時代には私の祖父が、同じこの場所で珍しい蜃気楼を見た。昭和になって、高知市の各地で蜃気楼が見えたが、今はその様な噂を聞かない。 1951年頃であ

  • ドノホウメダルとコメットメダル

    新彗星の発見者には、戦前から永きにわたって、アメリカの太平洋天文学会からメダルが贈られた。直径60mm、厚さ10mm位のブロンズ製の「ドノホウメダル」で、表面には美しい彗星をデザインし、裏側には天文学界と発見者の名前を彫り込んである。 日本では戦前には下保茂、

  • 嗚呼、幻のセキ彗星

    かれこれ10年くらい昔になるだろうか?木星を撮影してみたら、そのすぐそばに、あたかも衛星の如く青い彗星が写っていた。随分後で気が付いたので、それが何の彗星なのか分からなかった。残念ながら日時がはっきりしない。 その頃ルーリン彗星と言う、かなり息のながい彗

  • 竜馬郵便局とハレー彗星

    高知市の上町にある、その名も『竜馬郵便局』である。私の自宅から100mほど東にある。終戦直後くらいには龍馬の生まれた電車道りの家のすぐ隣にあったが、その後移転して現在の場所にきた。「龍馬郵便局」とは比較的最近名乗り出した。伝統的に局長以下、数名の局員が全員

  • ”わかきのさくら”

    植物学者の牧野富太郎博士が発見し、最も愛したと言われる「wakakinosakura」が星(小惑星)になって、博士が飛ぶ宇宙に行くことになりました。 1991年9月7日に、芸西天文台で発見した小惑星(43803)に関が命名したのです。 宇宙にはすでに小惑星Makino (6606)が飛ん

  • いそげな天体望遠鏡

    ”イソゲナ”とは、昔から伝わる土佐弁ですが、私にも本当の意味はわかりません。良いものの反対を意味する方言であることは、わかっています。 木の箱で出来た珍奇なこの望遠鏡で、誰が世界最初に彗星を発見すると思うでしょうか?しかし、実際には世界を揺るがすような

  • 嗚呼バンダの森の思い出

    雪も消えた四国中央山地からの南の眺めです。雄大に聳えている山は高知県須崎市のバンダの森です(標高800m)。 1965年10月21日、太陽に0.006天文単位(太陽表面から約30万キロ)まで接近し、摂氏100万度と言われる太陽コロナの中を潜り抜けてきた彗星を、世界で最初に確

  • 宇宙を行く「牧野博士」の星

    1990年10月16日、高知県の芸西天文台で発見した牧野博士の小惑星です。”MAKINO”の小惑星は、国際的な6606番の星として登録され、火星と木星との間を数年かけて公転しております。地球とは約2年毎に接近します。 牧野博士は植物を愛した人ですから、今度は博士の最も愛

  • 星になった牧野博士

    宇宙に日本の誇る植物学者「牧野富太郎」の星が輝いていることを知っている人は少ないと思います。即ち、1990年10月16日に、高知県の芸西天文台で発見した小惑星〈6606〉に「MAKINO」と命名し、国際的に登録されました。 小惑星は16等級で、黄道に沿って太陽を公転し、比

  • 鏡川畔の桜

    高知市でも比較的遅い桜の満開です。高知市の中央を流れる2級河川の鏡川ですが、台風の時期には度々大きな水害を出しました。堤防ができてから、鏡川から水が溢れることはなくなりました。 「鏡川」の名称の由来ですが、県外から来られた多くの人は、鏡のように美しく澄

  • 「 本田 実」の詩集

    コメットハンターの本田実さんは、天文家であると共に詩人でもありました。 彗星の捜索に励みながら、折あるごとに多くの詩や歌を記しました。古都、倉敷の美しい街並みを記したものも多くあります。 今から30年ほど昔に本田さんの没後、倉敷天文台を管理していた監物邦

  • 北極圏のオーロラとホウキ星

    ここは一体どこでしょうか。一面にオーロラらしい、赤い光が、まるでカーテンのように立ち込めています、そしてよく見るとホーキ星らしい一条の青い光の筋が立ち昇っています。そうです。そは「イケヤ彗星」らしいです。 この写真を撮影して提供して下さったのは、昔から

  • 天文台も花盛り

    少し遅かった高知市の桜の満開ですが、ここ芸西村の天文台でも、見事な満開の時季を迎えました。私の観測所ができた1970年頃、植えられた桜ですが、白亜のドームが桜の花に埋もれるように輝いている光景は見事です。はるか南には、太平洋の青い海が輝いています。そして夜

  • 高知城の桜

    ここ南国高知市ですが、ようやく桜が満開に近くなりました。写真は、高知城を取り囲むお堀の中の公園の桜です。高知県では、この付近の桜が早いようです。 お花見には非常に古い記憶があります。まだ幼稚園にも入っていない幼少のころ、母に連れられて、高知公園に花見に

  • 早春の怪光

    早春と言うには時期が少し遅いかもしませんが、私は桜の咲き始める頃の早春は好きな季節です。 「怪光」と言うには、聊かオーバーな表現かもしれませんが、この時期には夕方の西の空に”黄道光”が、まるでピラミッドのような形をして、立ち昇るからです。これは春の夕空

  • 南海大震災の夜の怪光

    今年の2月下旬には、夕空に輝いていた金星と、太陽系最大の木星とが接近して輝いた。この異常な現象は前回写真で紹介したが、その時ふと1946年の「南海大震災」の朝にも同じ現象が起こっていたことを思い出した。金星は太陽から最大離角の時には、マイナス4等以上に輝くの

  • ☆夕空のランデブー☆

    いま夕空に二つの惑星が接近しています。宵の明星「金星」と太陽系最大の惑星「木星」です。 写真では上が金星で下が木星です。実は2月の下旬にもっと接近していたのですが、昨夜屋上に上がってみて、意外と壮観な光景で、写真に撮ってみました。 木星はマイナス2等。金

  • ☆カノープスが見ごろ☆

    りゅうこつ座の老人星「カノープス」が、今見ごろを迎えています。南に山が無く、海が見えるような見晴らしの良い場所でしたら、夕方、案外簡単に眺めることが出来ます。私の住んでいる高知市上町は、南に標高300mの鷲尾山があって、永いこと見たことが無かったのですが、

  • 宇宙にも牧野の花(星)

    いま牧野富太郎博士がブームになっています。高知市五台山の博士を記念した「牧野植物園」に久しぶりに行ってみました。20年ほど昔と違って、花も博士の業績の記録も、随分充実したものになっているのにおどろきました。三々五々と人が絶え間なく訪れています。植物はもち

  • 菜の花と以蔵の墓

    春まだ浅き高知市の北部、比島というところに、祖先の墓の掃除に行っていました。まだ風が寒く冬のさなかとういう感じですが、お墓の近くには菜の花が一面に咲きほこっていました。比島山は江戸時代、日本で最初の完全な皆既日食の観測に成功した山ですが、史跡と言えば、

  • スパイカメラと私

    極小カメラである「ミノックス」は戦前の1930年代に、今紛争のさなかにあるウクライナの隣国のバルト3国の一つ、ラトビアのリガで誕生した。ライターを少し大きくした程度の極小カメラで、戦後はドイツにわたり、立派なスパイカメラとして世にでた。戦時中は、敵国の軍港

  • そは彗星か小惑星か?

    宇宙を探索していると沢山の太陽系天体と遭遇する。そのほとんどは未知の小惑星であって、芸西天文台の60センチ反射望遠鏡時代には優に1,000個を超える小惑星を発見した。しかし、数年にわたる長い追跡観測が完了して、アメリカの小惑星センターから確定番号をもらえたもの

  • ☆ 風船爆弾余話☆

    第2次大戦中の末期に、日本が発明した風船爆弾には、多くの天文家も関与していたらしいことが判明した。ある天文雑誌に連載していた頃、それを読んでいたある天文同好会の会長が戦時中に横須賀の陸軍技術研究所に配属されていた。終戦の、不要になった和紙をリヤカーいっぱ

  • 風船爆弾の秘密(2)

    奇想天外な発明とされる”風船爆弾”は、関東地方から東北にかけての海岸の基地から発射された。一説によると終戦まぎわの僅かな期間に、数百発が飛ばされたというが、実際にアメリカ大陸に到達したものは少なかった。当時の新聞には、あちこちの山岳地帯で、原因不明の山

  • 風船爆弾の秘密(1)

    今話題になっているアメリカ大陸や、日本の東北地方で目撃された謎の風船はここ高知市の上空でも目撃された。 数年前の秋の良く晴れた日、自宅の屋上で雲の様子を確かめているとき、一機の白い巨大な風船が、偏西風に乗って、比較的早いスピードで東進していた。風船の下

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