市川隆久 さん プロフィール

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市川隆久さん: 市川隆久の大まじめブログ
ハンドル名市川隆久 さん
ブログタイトル市川隆久の大まじめブログ
ブログURLhttp://ta-ichikawa.com
サイト紹介文「国家は悪いことをする」という考えの思想的背景を明らかにし、今後の日本を考える。
自由文多くの日本人は「国家は悪いことをする」と考えているが、その一方で「富国強兵」政策により19世紀の日本は、アジア諸国の中で唯一国家の独立を維持することができた。
互いに矛盾する考え方は、日本の伝統文化の別個の部分から生まれたものだ。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供36回 / 27日(平均9.3回/週) - 参加 2017/05/03 10:24

市川隆久 さんのブログ記事

  • アメリカでも振り子が戻りつつある
  • アメリカは自由の国ですが、自由の内容は時代と共に変遷しています。移民が始まった当初は、「イエス・キリストと同じ心を持った人」でなければ、まともに扱ってもらえない積極的自由の時代でした。魔女狩りで女性が焼き殺されたこともあったし、黒人は奴隷でした。白人男性でも人に雇われた者は、「人の意見に左右され、確固たる心を持てない者」として、公職に就けませんでした。みなに奉仕するという隣人愛の行為などできないと [続きを読む]
  • 欧州の難民問題
  • これから難民・移民の問題を書こうと思います。昨年ドイツが難民を無制限に受け入れると宣言したことが発端となって、中東から難民が殺到して欧州が大混乱しました。イギリスは欧州大陸からのイスラム系難民流入を嫌がり、EUを脱退してしまいました。大陸諸国でも、難民排斥を主張する政党が大躍進しています。日本のマスコミは、難民排斥を主張する政党を「極右」と呼んで、極端な意見を主張する少数派であるかのように印象操作 [続きを読む]
  • 今でも大アジア主義者がいる
  • 大アジア主義というのは、日本と東アジア諸国は文化が共通だからお互いに理解しあえる、だから同盟して欧米に対抗しよう、という考え方です。実際には、日本人は支那人や朝鮮人とは伝統文化が違い考えることが全く違うので、大アジア主義の前提が間違っています。明治から昭和の敗戦に至るまでの日本のアジア政策は、大アジア主義の幻想から来ていたので現実性がなく、ことごとく裏目に出てしまいました。中でも支那と共存共栄しよ [続きを読む]
  • 支那人には、誠がない
  • 日本は、「満州は日本の領土だ」などとは主張していません。ただ、実質的な統治者として、満州の住民の福祉を向上させる責任がある、と考えていました。また、「日本人と支那人・朝鮮人・満州人は仲間だから、手を携えて欧米列強に対抗しよう」という大アジア主義の幻想によって、満州を欧米列強に対抗する拠点にしようとも考えていました。満州への莫大な投資も、清朝やロシア政府との了解を取り付けてから実施したものです。もし [続きを読む]
  • 横須賀に行きました
  • 最近、アメリカの空母や日本の護衛艦・イージス艦の話をしょっちゅうニュースで見聞きするので、軍艦に興味を持つようになりました。そして実際の軍艦を見てやれと思って、帝国海軍の本拠地だった横須賀に行ってきました。「軍港めぐり」という湾内を巡行するクルーズもあるのには、びっくりしました。1時間弱横須賀湾内を観光船でぐるっと一周し、自衛隊の基地やアメリカの基地を海から見るのです。平日にもかかわらず一回のクル [続きを読む]
  • 満州は支那のものだ、と言い出した
  • 自国の安全保障のために日本は戦争をし、その結果朝鮮だけでなく南満州の権益をも得ました。そこには満州人・支那人・朝鮮人などが住んでいるので、彼らの福祉向上に努めることが統治者の務めだと考え、日本は社会インフラ・教育・医療・産業などにものすごい額の投資をしました。支那本土より安全で豊かになったので支那人が満州に殺到し、満州はますます発展していきました。ところが第一次世界大戦の終了と共に、満州の状況が激 [続きを読む]
  • 満州は支那ではない
  • 満州には、満州人(女真族)が古来から住んでいて、支那の一部だったことはありません。満州人の男性はもっぱら狩猟を行っていて、農耕を満州人の女性と朝鮮人奴隷がしていました。17世紀初めに満州人は支那に攻め込んで明王朝を滅ぼし、新たに清という王朝を立てました。支那に攻め込んで清を作った後でも、満州人は満州を自分たちだけの土地にしておこうと考え、支那人の入植を禁止していました。支那人が満州に移住するように [続きを読む]
  • 今度はロシアと戦うはめになった
  • 日清戦争で日本に負けたために、清は朝鮮に対する宗主権を放棄し、朝鮮の独立を認めました。普通の国であれば、せっかく独立ができたのだから国力を蓄え軍備を強化し、そのうえで自国の独立を支援して戦争までしてくれた日本と、同盟を結ぶはずです。ところが朝鮮はまじめに自立することを考えず、強いパトロンに頼ろうとしただけでした。ロシアの方が日本より強いのではないかと考え、朝鮮はロシアに接近しました。もしもロシアが [続きを読む]
  • 中華思想が日本のアジア政策の障害だった
  • 明治維新後の日本は、自国の安全保障を最優先にしていました。なにしろ、欧米から不平等条約締結を強制され、弱みを見せれば植民地化される危険と隣り合わせだったからです。このために日本は、国内の体制を強化して富国強兵を図りましたが、もう一つの方策として近隣諸国と同盟を結んで、集団安全保障体制を構築しようとしました。その対象として考えたのが支那と朝鮮です。日本は、「他のアジア諸国と文化を共有している」という [続きを読む]
  • ミニトマト
  • 植木屋に勧められて、「新鮮な野菜が食べられたらいいな」と軽い気持ちで、庭に小さな菜園を作り、ミニトマト・ナス・ピーマン・キューリ・ゴーヤの苗を植えました。苗を植えてもなかなか成長しなかったのですがその原因が分かりませんでした。いろいろ調べまくった結果、苗を植えてから根付くまで二週間かかるのでその間成長しないということがやっと分かりました。またゴーヤとナスは寒さに弱いのでワラを敷いてやらなければなら [続きを読む]
  • 朝鮮通信使
  • 「朝鮮通信使」というのは学者がつけた用語で、江戸幕府は「朝鮮来聘使」と呼んでいました。「来聘」は「貢物を持ってやってくる」ということですから、朝貢と同じ意味です。では「朝鮮は日本に朝貢外交をしたのか」というとそういうわけでもありません。「朝鮮来聘使」は非常にあいまいな使節団です。「朝鮮来聘使」は、朝鮮国王が徳川将軍に派遣した使節団で、天皇陛下には謁見していません。これを東アジアの国際関係の中で見る [続きを読む]
  • 日本は千年間鎖国していた
  • 7世紀の飛鳥時代までの日本は、国名を倭と言い、天皇陛下は外国に対して「倭国王」を名乗っていました。倭国王は手紙(国書)を支那の皇帝に送り、皇帝も返事をよこしました。両者の間には国交があったわけです。ところが日本は、680年頃に国名を「日本」に変え、天皇陛下は支那の皇帝に対して「天皇」を名乗りました。国名の変更は特に問題ありませんが、「天皇」を名乗ることは重大な外交上の問題を引き起こしました。天皇は [続きを読む]
  • 支那に、二里近づいた
  • 荻生徂徠(おぎゅうそらい)は、江戸時代中期の儒学者です。孔子や孟子が説いたもともとの儒教はどういうものだったのかを研究し、後の日本に非常に大きな影響を与えました。彼は江戸市内から西に二里のところにある品川に引っ越したことがありましたが、その時に、「聖人の国に二里近づいた」と大喜びしたという有名な逸話があります。「聖人の国」とは支那のことで、支那に行きたくて行きたくてどうしようもない気持ちが、良く表 [続きを読む]
  • 大アジア主義
  • 大アジア主義というのは、「東アジア諸民族は、漢字・仏教・儒教など共通の文化を持っているからお互いに理解しあえる。だから大同団結して欧米に対抗しよう」という考え方です。この考え方は、19世紀半ばの幕末に日本で生まれた考え方で、支那人や朝鮮人の賛同者はあまりいませんでした。それは日本人が勝手に、東アジアには共通した文化がある、と勘違いして考え出したもので、支那人や朝鮮人はそう思っていなかったからです。 [続きを読む]
  • 自転車
  • 私は車の運転ができないので、その代わりにひんぱんに自転車に乗っています。今は普通のママチャリに乗っていますが、マウンテンバイクやタイヤの太い頑丈な自転車を使っていた時もありました。電動自転車を使う気は、まだありません。家内のお供でブランドの服の店に行ったとき、150万円の自転車を売っているのを見て、びっくりしました。ベンツの自転車でさえ、20万円ぐらいなのに、高すぎます。新しい自転車を買おうと思い [続きを読む]
  • 孝を優先する社会は近代化できない
  • 支那の「宗族」は、共通の先祖(父方の)を持つ血族集団で、きちんとした系図(族譜)を持っています。メンバーの数は数千人になるものもあります。宗族の女性が他の宗族の男性と結婚しても、その女性の先祖は変わらないので、もとの宗族から離脱するわけではありません。夫の宗族のメンバーにはなりません。支那人の夫婦が別姓なのは、こういうから理由です。「孝」は、両親だけでなく同じ宗族の仲間に尽くすことです。特別に仲の [続きを読む]
  • 孟子
  • 孟子は、孔子の次に偉い儒教の大先生で、彼の言行をまとめた『孟子』は、儒教のもっとも権威ある正典である「四書」の一つになっています。『孟子』の「盡心章上」第35に、孟子と弟子との間の質疑が書かれています。 弟子が、「皇帝の父親が人を殺して逮捕され、息子である皇帝の前に引き出されたら、皇帝はどうすべきか」と質問しました。孟子は、「皇帝の位を捨て、父親を背負って逃げ、追手に見つからない安全なところで父親 [続きを読む]
  • 大乗仏教が栄えているのは日本だけ
  • 仏教はキリスト教、イスラム教とともに世界宗教だと言われていますが、勢力は他の二つに比べてかなり見劣りがします。仏教国と言えるのは、東南アジア諸国と日本、チベット、モンゴルぐらいです。東南アジア諸国の仏教は小乗仏教で、大乗仏教とはかなり内容に隔たりがあります。小乗仏教と大乗仏教の違いは、あるいはキリスト教とイスラム教の違いより大きいかもしれません。結局、大乗仏教を信奉しているアジアの主要国は、日本だ [続きを読む]
  • 支那では一時的に仏教が栄えた
  • 支那で仏教が流行り出したのは、後漢末の内乱時代(2世紀末)でした。大変な時代で、後漢の最盛期に5000万人以上あった人口が、七分の一以下の7百万人少しにまで減ってしまいました。明日どうなるか分からない不安の中で、支那人たちは精神的な救いを求めていました。儒教は、社会を安定させるにはどうしたら良いのかを説くだけで、人の心の不安を解消することには関心がありません。それに対して仏教は、苦(精神的な苦痛) [続きを読む]
  • 深大寺に行きました
  • 東京西郊にある深大寺に行ってきましたが、足を鍛えるつもりで6キロぐらいの道を歩いていきました。天台宗の別格本山ということでかなり寺格の高い寺院ですが、一般的には「深大寺ソバ」で有名です。1時間半ほど歩くと向こうに「深大寺門前ソバ」という大きな看板が見えました。広い駐車場に車が満杯になっていて客が店から溢れて外に並んでいました。「これだけ繁盛しているからには旨いに違いない。昼を食べてから深大寺にお参 [続きを読む]
  • インドでは仏教は消滅した
  • 多くの人は、インドではいまだに仏教が幅広く信じられていると考えているようですが、実は仏教は滅びてしまいました。20世紀になって仏教復興運動が起こり、今では数百万の信者がいますが、13億人の人口の中の数百万人ですから、微々たるものです。3000年以上前に北方からアーリア人がインドに侵入して現地人を奴隷にし、インドにカースト制度に基づいた社会ができました。この極端な人種差別・階級差別社会の基本的な構造 [続きを読む]
  • 日本人は、他のアジア人と考え方が全く違う
  • 前回までに、日本人は儒教のことなどほとんど考えていない、ということを説明しました。神道は日本人の考え方に決定的な影響力を持っていますが、この宗教は日本独自のもので、他のアジア諸国では信奉されていません。日本人の発想に大きな影響を与えている大乗仏教は、他のアジア諸国にはほとんど普及していません。儒教のもっとも重要な道徳は、孝(親や血族を大事にする)と忠(主君に仕え、自分の役割を忠実に果たす)の二つで [続きを読む]
  • イエス・キリストと天皇陛下の役割は同じ
  • イエス・キリストは、他のユダヤの預言者よりはるかに高いレベルの方ですが、本質的には預言者です。キリスト教の神の言葉を受け取り、それを人間に知らせ神の命令を実践させるのが役割です。天皇陛下は、天照大神の言葉を受け取り、それを人間に知らせ神の命令を実践させるのが役割です。つまり、イエス・キリストと天皇陛下は、神の言葉を受け取って他の人間に知らせるという同じ役割を担っています。この役割を担った人間を、キ [続きを読む]
  • 尊王思想
  • 光圀が彰考館の学者に『大日本史』編纂を命じたのは、「日本は昔から儒教の国だった」ということを証明するためでした。ところがまるで正反対の結論がでてきたので、編纂の作業はほとんど中断することになってしまいました。日本人は昔から今まで、天照大神が日本を守り支配している、と考えています。その支配の仕組みは『日本書紀』や『古事記』の中で説明されています。天照大神が孫のニニギのミコトを天上にある高天原から日本 [続きを読む]
  • お城を買わないか
  • アメリカ人の友人が東京に来たので、一緒に食事をしました。思い出話をしている最中に、「ところでフランスのお城を買わないか?」と彼が言い出しました。僕が金持ちでないことを知っているはずなのに、変なことを言うなあと思いました。彼の叔父さんの一人が変わり者で、奥さんとは離婚し子供もいないしで、リタイア後にフランスの田舎で古い崩れかかった城を購入し、それを修理しながら暮らしていたそうです。その叔父さんが亡く [続きを読む]