むう さん プロフィール

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むうさん: 正岡子規 病牀六尺の青春
ハンドル名むう さん
ブログタイトル正岡子規 病牀六尺の青春
ブログURLhttp://www.boroborokun.com
サイト紹介文今年は正岡子規の生誕150年。子規についてあれこれ書いていきます。
自由文正岡子規にはまっています。よろしくお願いします。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供45回 / 139日(平均2.3回/週) - 参加 2017/05/05 06:56

むう さんのブログ記事

  • 9月19日は正岡子規の命日「糸瓜忌」です!
  • 子規記念博物館のへちまコンテスト作品展。松山市内の小学生が育てた糸瓜を毎年募集、展示しています。みなさん、こんにちは。なんだかんだありまして愚陀仏庵の話が中断したままです。もし興味持ってくださっている方がいらしたら申し訳ないです。また書きます。9月19日は正岡子規の命日「糸瓜忌」です。子規が亡くなったのは明治35(1902)年。20代で結核を患い、脊椎カリエスを併発し、晩年は寝たきりの生活を余儀な [続きを読む]
  • 正岡子規は赤福餅の俳句を詠んだのか?
  • 講談社「子規全集」で活字化されている伊勢の門弟山本勾玉が参加した時の俳句会稿伊勢土産として有名な赤福餅。つい先日、包装紙に100年以上に渡って使われてきた正岡子規の「到来の赤福もちや伊勢の春」という俳句に裏付け資料がないと指摘され、店が情報提供を呼びかけているとの報道がありました。朝日新聞デジタルhttp://www.asahi.com/articles/ASK8S777MK8SPFIB00M.html気になったので愚陀仏庵の話はお休みして、子規が赤 [続きを読む]
  • 子規・漱石 愚陀仏庵の52日②松風会が門下に
  • 消失前の愚陀仏庵。漱石は2階、子規は1階に住んだ。講談社「子規全集」第2巻から前回に続いて愚陀仏庵のお話です。正岡子規と夏目漱石が同居生活を送った愚陀仏庵は松山の中心部二番町というところにありました。建物そのものは太平洋戦争中に消失しています。旧松山藩主久松家の別荘萬翠荘(松山市一番町、坂の上の雲ミュージアムの近く)の敷地内に復元されていた愚陀仏庵は2010年に土砂崩れで全壊してしまいました。再建 [続きを読む]
  • 子規・漱石 愚陀仏庵の52日①失意の帰郷
  • 講談社「子規全集」12巻よりみなさん、こんにちは。いつもご訪問ありがとうございます。今日は8月29日。正岡子規と夏目漱石が松山の愚陀仏庵で同居生活を始めて3日目に当たります。2人が共に過ごしたのは明治28(1895)年です。27日にツイッターで呟いた通り、そのことに気づいていたのですが、書きそびれてしまって文体診断の話を書いてみたら「そういう話はいらない」と、お叱りを受けてしまいました。「たまに脱線 [続きを読む]
  • 子規、漱石、司馬遼太郎…文体診断で文豪の文章を入力してみた
  • 「文体診断ロゴーン」を御存知でしょうか。文章を入力すると、名文の中から似た文体を探し出して、どの作家や著名人の文章と似ているかを教えてくれるツールです。文章の読みやすさなども診断してくれます。最近知ったのですが、面白そうですよね。スポンサーリンク子規本人の文章でテスト文章診断。本人の文章だったらどうなるのか。試しに正岡子規の文章を入力してみました。まずは「墨汁一滴」から好きな文章をピックアップ。ガ [続きを読む]
  • やっぱり俳句甲子園は面白い!
  • 俳句甲子園ポスターから開成が2連覇8月19、20日の両日、松山で開かれた20回目の俳句甲子園は、開成高校の2年連続10度目の優勝で幕を閉じました。ネット動画などで一部を久しぶりに観戦しただけですが、面白かったです。開成高校おめでとうございます。同校の岩田奎選手の作品「旅いつも雲に抜かれて大花野」は最優秀にも選ばれました。ディベートでも大活躍だった彼。表彰式で涙を浮かべている姿がとても爽やかでした。 [続きを読む]
  • 俳句の日に子規俳句を考えた
  • 8月19日8月19日は俳句の日です。最近、放置気味でしたが、何か書かねばと日付が変わりそうになってからあわてて書き始めました。スポンサーリンク美術の概念を文学に子規の俳句と言えば「写生」のイメージが強いですね。子規の写生論は美術の概念を取り入れたものです。子規が西洋美術の写生、いわゆるスケッチの概念を知ったのは明治27(1894)年。知人の画家中村不折に教わりました。写生散歩子規は、この年の秋の終 [続きを読む]
  • 元祖野球狂の詩 正岡子規とベースボール①
  • <オンラインゲーム文豪とアルケミストの子規>夏の甲子園開幕があさってに迫りました。今年も球児の熱い夏が始まりますね。さて正岡子規と言えば野球。よく御存知の方も多いと思いますが、子規を語るには避けて通れないテーマですのでお付き合いください。まずは野球に熱中した子規について書いてみました日本に野球が伝わったのは子規が数えで5歳の明治4年(1871)年。米国人ホーレス・ウィルソンが東京開成予科で教えたの [続きを読む]
  • 子規の短歌③のぼさんが立った!寝たきり歌人正岡子規のチャレンジ
  • 四年寐て一たびたてば木も草も皆眼の下に花咲きにけり前回と同じく明治32(1899)年の歌。四年は「よとせ」。「始めて(原文ママ)杖によりて立ち上がりて」と前書きが付いています。スポンサーリンク歩けるならエベレストに子規は明治28年、日清戦争の従軍記者として現地に赴き、激しく病状を悪化させました。松山などでの療養を経て俳句革新に取り組んだのですが、翌年から寝たきり生活を余儀なくされました。いわゆる「病 [続きを読む]
  • 文アルで考える子規と漱石
  • みなさんこんにちは。文アル7日目を迎えた7月11日、ついに漱石先生が転生してくれました。7日間連続でログインすれば転生するというキャンペーンのおかげです。鴎外を取り上げて漱石を取り上げないわけにはいきませんので、今回もまた文アルの話です。スポンサーリンク新作落語に行かないか?早速、子規と同じ会派に漱石を加えて悦に入っていたところ、漱石から子規に手紙が届きました。ご覧の通り、新作落語に誘っています。 [続きを読む]
  • 文アルで学ぶ子規と鴎外
  • みなさんこんにちは。今日で文アル3日目。文豪は6人増えて27人となりました。中でも森鴎外が加わったのは嬉しかったです。だって鴎外がカッコイイから!…ではなくて子規との絡みがゲーム中で再現されるに違いないと楽しみだったんです。スポンサーリンク戦地で出会った子規と鴎外新聞「日本」の記者だった子規は明治28(1895)年4月、日清戦争の従軍記者として金州(現在の大連市金州区)へ赴きました。しかし子規が上陸し [続きを読む]
  • 子規の俳句⑦七夕と恋
  • 星の恋念も残らず別れけりみなさんこんにちは。「文アルの続きを」と思ったのですが、今日は七夕なのでそれらしい話にします。子規には七夕の句がたくさんあります。この句なんかどうでしょう?明治29(1896)年の作品。子規には珍しくロマンティックですよね。年に一度の逢瀬を終えてまた別れていく織姫、彦星の心情を「星の恋」と言っちゃうところがいいですね。声に出して読んでみると何だか気恥ずかしくなりますが。スポンサ [続きを読む]
  • 子規の俳句⑦七夕と恋
  • 星の恋念も残らず別れけりみなさんこんにちは。「文アルの続きを」と思ったのですが、今日は七夕なのでそれらしい話にします。子規には七夕の句がたくさんあります。この句なんかどうでしょう?明治29(1896)年の作品。子規には珍しくロマンティックですよね。年に一度の逢瀬を終えてまた別れていく織姫、彦星の心情を「星の恋」と言っちゃうところがいいですね。声に出して読んでみると何だか気恥ずかしくなりますが。妹に七夕 [続きを読む]
  • 文豪とアルケミスト始めちゃいました!
  • みなさんこんにちは。ずっと気になっていたオンラインゲーム「文豪とアルケミスト(文アル)」をとうとう始めてしまいました。2016年11月1日にDMM.comがリリースしたゲーム。スマホ版もリリースされたということもあり、昨今の文豪ブームに乗り遅れたままではいけないと一念発起した次第です!スポンサーリンク 世界観知っている方には釈迦に説法ですが、説明も交えつつレポしていきます。近代風情が長く続く「日本」で突如、文学 [続きを読む]
  • 子規の短歌①妻子らとむつみかたらふ夢さめて砧うつ音旅にしありけり
  • 子規庵の居間妻子らとむつみかたらふ夢さめて砧うつ音旅にしありけり子規の短歌を初めて取り上げます。明治32(1899)年7月2日の子規庵での歌会で出された歌です。出席者は子規のほか、河東碧梧桐、香取秀真(ほつま、鋳金工芸作家としても著名)ら7人でした。有名な作品を取り上げようか迷いながら「竹乃里歌」と歌会稿を収めた全集の六巻をパラパラとめくって夏の歌をあれこれ見ていたら目に止まったのがこの一首です。 [続きを読む]
  • 正岡家所蔵の史料を展示!子規記念博物館へ行こう!
  • ※子規記念博物館ロビーの子規、漱石、極堂のパネル今、松山で面白い展覧会が開かれています。正岡子規の孫、正岡明さんが所有する子規や加藤拓川の書簡などが子規記念博物館で展示されています。明さんは、妹律の養子となった忠三郎氏の息子さんです。奈良にお住まいの造園技師で樹木医さん。現在は正岡子規研究所を主宰されているそうです。会期が7月2日までと、あとわずかですが、目を引かれた展示物をいくつか紹介します。漱石 [続きを読む]
  • 子規の俳句⑥夏至過ぎて吾に寝ぬ夜の長くなる
  • 夏至過ぎて吾に寝ぬ夜の長くなる久々の更新です。今日は夏至ということで、この句を選んでみました。「寒山落木」に収められている明治29(1896)年の句です。「病苦安眠せず」という前書きがついています。自分一代では…前年、正岡子規は日清戦争に従軍記者になり、著しく体調を悪化させた子規。松山での療養を経て秋には東京に戻り、俳句革新に向けた活動を活発化させました。とはいえ自身の余命を意識しながらのこと。到 [続きを読む]
  • 子規の庭
  • 柿喰へば鐘が鳴るなり法隆寺正岡子規の代表句。などと言う必要がないぐらい有名な俳句ですよね。明治28(1895)年夏、日清戦争に従軍記者として参加し、帰国の戦中で大喀血して病気を悪化させた子規は療養のため故郷の松山に戻ります。当時松山中学の英語教師をしていた夏目漱石の下宿愚陀仏庵で50日余りを過ごし東京へ向かいます。漱石に借りたお金で旅立った子規は奈良に立ち寄り、この句を詠みました。このあたりの話は、い [続きを読む]
  • 子規の生涯⑦幼年時代豆知識(2)
  • 子規が上京するまで過ごした旧居跡正岡子規幼少期の豆知識(1)の続きです。好物はカボチャ大食いで知られる子規ですが、母八重の談話によると、小さい頃の好物はカボチャでした。柳原極堂の「友人子規」には父の実家佐伯の伯母の次のような談話が紹介されています。升さんが幼少の頃遊びに来られて御飯時に膳を出すと「オバタン」「カボタ」があるかな、などと片言いつて一同を笑はせたものださうです八重の談話をまとめた「子規 [続きを読む]
  • 子規の俳句⑤薫風や大文字を吹く神の杜
  • 薫風や大文字を吹く神の杜明治30(1897)年の句。先日紹介した柳原極堂の句碑が建てられた松山の井手神社に前からある子規の句碑に刻まれています。「大文字を吹く」。これ読んで分かる人はどれぐらいいるでしょう?私は分からなかったです。大きな文字を書いて奉納この神社には天満宮を祭ってあり、毎年祭礼の時に字が上手になるように、と子供たちが競って大きな文字の墨書を奉納する風習があったそうです。妹の律と河東碧梧桐 [続きを読む]
  • 子規の俳句④寝ころんで書読む頃や五六月
  • 寝ころんで書読む頃や五六月明治29(1896)年の句。「寒山落木 巻五」に入っています。読書の秋などと言いますが、さわやかな初夏にのんびり読書にふけるのもいいもんです。私も枕元に積み上げた子規関係の本を適当に取ってはページをめくって楽しんでいます。スポンサーリンク style="display:block" data-ad-client="ca-pub-2068410158249069" data-ad-slot="6575353438" da.. [続きを読む]
  • 子規と漱石③論争!アイデアとレトリック
  • 「七草集」と「木屑録」。互いの作品批評を通じて認め合った子規と漱石。この時期に2人の間
    で交わされた有名な論争があります。始終何かを書いている子規に対して漱石が苦言を呈したの
    がきっかけでした。スポンサーリンク style="display:block" data-ad-client="ca-pub-20684101582
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