『日本書紀』を読んでいると、不思議な数字に気が付くことがあります。 『日本書紀』編纂時に現れるのは、天武天皇の崩御日と川嶋皇子の薨去日が同じ9月9日という…
邪馬台国については「魏志倭人伝後世書き換え説」、日本書紀については「原日本紀仮説による復元紀年」にもとづいた考察をつづっています。
古代史3部作をどうぞよろしく! 『邪馬台国は熊本にあった!』(扶桑社新書) 『日本書紀「神代」の真実』(ワニブックスPLUS新書) 『ヤマト王権のはじまり』(扶桑社新書)
『日本書紀』を読んでいると、不思議な数字に気が付くことがあります。 『日本書紀』編纂時に現れるのは、天武天皇の崩御日と川嶋皇子の薨去日が同じ9月9日という…
NHKスペシャル「古代史ミステリー ヤマト王権 空白の世紀」について
あす3月24日の午後9時から、NHKスペシャル「古代史ミステリー ヤマト王権 空白の世紀」が放映されます。 内容の詳細はわかりませんが、倭の五王(讃・珍・…
古代史にまつわる1テーマを3分でまとめるというコンセプトで始めたYouTube「古代史新説チャンネル」の【3分古代史サーガ】シリーズの第2回目は、古代史最強…
先日、YouTube「古代史新説チャンネル」で【3分古代史サーガ】という新シリーズを始めました。 古代史にまつわる1テーマを3分でまとめるというのがメイン…
私の邪馬台国論の根幹をなすのは、魏志倭人伝後世書き換え説です。 魏志倭人伝の行程記事は、帯方郡から不彌国までは里数が書かれていますが、不彌国から投馬国へ…
【謹賀新年】「古代史論争の分かれ道」第2回め実施!〈古代史系ユーチューバーコラボ企画〉
あけましておめでとうございます!本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 本日1月3日に古代史系ユーチューバーコラボ企画「古代史論争の分かれ道」の第2回目動…
2023古代史最大のニュースと言えば、富雄丸山古墳で決定!?
2023年もまもなく終わろうとしています。 ことしの古代史の界隈を振り返ると、もっとも注目を集めたのは富雄丸山古墳と言ってよいのではないでしょうか。 吉野ヶ…
このたび初めてYouTubeのショート動画というものを作ってみました。 11月3日のYouTubeコラボ企画「古代史論争の分かれ道」でご一緒させていただいた…
【お知らせ】●11月3日にスタートする古代史系ユーチューブコラボ企画「古代史論の分かれ道」(参加チャンネル:「地図をなぞって日本古代史を考える」「武田晴樹 燃…
【お知らせ】YouTubeコラボ企画「古代史論争の分かれ道」がスタートします!
YouTube【古代史新説チャンネル】を始めたのは、新型コロナ禍まっただ中の2020年9月でした。 それから3年が経ち、2023年10月現在、公開動画は91…
銅鏡にはさまざまな銘文が鋳出されたものがありますが、そのなかに年号が記されている「紀年銘鏡」というものがあります。 その紀年銘鏡は、日本国内から十数面出土し…
『梁書』は、唐(618年~907年)の初頭の629年に姚思廉(ようしれん)が成立させた南朝の梁(502年~557年)の歴史を記した史書です。 その倭伝には次…
いま佐賀県の吉野ケ里遺跡に熱い視線が注がれています。 弥生時代後期の有力者の墓であろうと推定されていた墓から石の蓋が取り除かれ、赤色顔料の痕跡が見つかり…
『日本書紀』の第2巻にあたる神代下(かみよのしものまき)は、日本神話としてあまりにも有名な出雲の国譲りと天孫降臨から語り始めます。 物語の流れは一般的に…
今や考古学の世界やマスコミ報道における「邪馬台国畿内説」とは、奈良県桜井市の「邪馬台国纒向説」を指すと言ってよいでしょう。 2009年に纒向(まきむく)遺跡…
邪馬台国時代に日本にいた人たちは、当時の「倭国」をどのように考えていたのでしょうか? そして、当時の中国の人々は「倭国」をどのように思い描いていたのでしょう…
『検証・新解釈・新説で魏志倭人伝の全文を読み解く』好評発売中です!
今回も新刊の宣伝ですみませんが。 『検証・新解釈・新説で魏志倭人伝の全文を読み解く~卑弥呼は熊本にいた!~』が、アマゾンランキングで4位になりました。 な…
『検証・新解釈・新説で魏志倭人伝の全文を読み解く~卑弥呼は熊本にいた!~』まもなく発売!
今年の大河ドラマ『どうする家康』の主人公はタイトル通り徳川家康。連日の宣伝で煽りに煽って(?)公開された『THE LEGEND & BUTTERFLY』の主…
『日本書紀』の継体天皇7年条に次のような歌が収載されています。 隠国(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の川ゆ 流れ来る 竹の い組竹節竹(くみだけよだけ) 本辺(…
魏志倭人伝は、240年に女王国にやって来た梯儁(ていしゅん)の記事で次のように語っています。 正始元年 太守弓遵遣建中校尉梯儁等 奉詔書印綬詣倭国 拝仮倭王…
【橿原神宮】 本ブログ「邪馬台国と日本書紀の界隈」で当初から綴ってきました『日本書紀』紀年論への新アプローチ法をまとめた講座が開講…
『日本書紀』は紀元前660年の神武天皇即位から697年の持統天皇の譲位までを編年体で記しています。 しかし、3世紀前半に日本のどこかに確実にいたとされる「卑…
古墳時代の幕開けを告げる古墳とされることも多い箸墓古墳(はしはかこふん)ですが、その被葬者はまだ謎のままです。 【箸墓古墳】(奈良県桜井市) 余談ですが、い…
いつもご覧いただきありがとうございます。YouTubeを始めたこともありますが、ここのところ本ブログをなかなか更新できていません。今後このブログで何を書いてい…
これまで書いてきたように、私の紀年復元では初代天皇の即位年は西暦301年です。 神武東征は294年から301年ということになります。 一方、いわゆる邪馬台…
今回は本日2月1日の新聞記事から。 以前から古代史の界隈でよく話題になっていたいわゆる「年輪年代法の闇」に関する話です。 遺跡からの出土物などの年代特定に…
今回は前回に引き続いて、本ブログのもう一つの柱である『日本書紀』の紀年復元に関する基本的な考え方を記しておきたいと思います。 従来から主流であった干支を用いた…
あけましておめでとうございます。いつもこのブログをお読みいただきましてありがとうございます。 年の初めにあたって、「邪馬台国と日本書紀の界隈」の邪馬台国に関す…
日本武尊(下):後日談〜白鳥の飛行ルートの示すもの~/原日本紀の年代記〈12〉
古代日本の伝説的人気ヒーローであるヤマトタケルを復元しています。今回は、日本武尊が崩御された後の関連記事を見ていきます。*「原日本紀の年代記」は本ブログで独自…
日本武尊(中):356年東国遠征~357年崩御/原日本紀の年代記〈11〉
古代日本の伝説的人気ヒーローであるヤマトタケルの人生を復元しています。熊襲を平定したヤマトタケルは、矢継ぎ早に東国遠征に向かうこととなります。*「原日本紀の年…
日本武尊(上):318年誕生~355年熊襲討伐の報告/原日本紀の年代記〈10〉
古代日本の伝説的人気ヒーローであるヤマトタケルの人生を復元してみたいと思います。*「原日本紀の年代記」は本ブログで独自に紀年復元した年代観にもとづいています。…
本日10月10日、第6回もずふる古墳マラソンが開催されました。 私は、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)前の大仙公園を走るマラソンがあることを知り、それに申し込まない…
東京オリンピック開幕あたりからオリンピック・パラリンピック期間中ずっとブログ更新を休んでおりましたが、その間に、講座の開講が決まりました。 大阪よみうり文…
私は、独自の「原日本紀」仮説というものを用いて、日本書紀の紀年復元を行っています。 そして、そこから見えてきた数々の新説を著書や本ブログなどで公表してきまし…
成務天皇:334年誕生~373年崩御/原日本紀の年代記〈9〉
成務天皇の治世は60年間だったとされますが、事績はほとんど語られることはなく、無事績年は53年にのぼります。*「原日本紀の年代記」は本ブログで独自に紀年復元し…
私の邪馬台国熊本説の根幹をなすのは「魏志倭人伝後世書き換え説」です。 『邪馬台国は熊本にあった!』を書いた時には「魏志倭人伝後世改ざん説」という名称にしてい…
景行天皇(下):353年武内宿禰の東国派遣~日本武尊の活躍~366年崩御/原日本紀の年代記〈8〉
今回は、景行天皇紀に語られる武内宿禰、日本武尊の活躍と、景行天皇の後半生について見ていきます。*「原日本紀の年代記」は本ブログで独自に紀年復元した年代観にもと…
景行天皇(中):347年九州遠征出発~352年伊勢神宮への皇女派遣/原日本紀の年代記〈7〉
今回は、熊襲討伐に関連した景行天皇の九州遠征について見ていきます。*「原日本紀の年代記」は本ブログで独自に紀年復元した年代観にもとづいています。 景行天皇・大…
景行天皇(上):317年誕生~346年纒向日代宮造営/原日本紀の年代記〈6〉
景行天皇紀にも多くの物事が語られています。何回かに分けてまとめます(たぶん上・中・下の3回)。今回は誕生から、治世4年の宮の建造までを見ていきます。*「原日本…
先日、はじめて隅田八幡神社(すだはちまんじんじゃ)に行ってきました。 2019年、拙著『ヤマト王権のはじまり』で、隅田八幡神社の人物画像鏡に記された銘文につ…
垂仁天皇(下):333年皇位継承者決定~342年崩御/原日本紀の年代記〈5〉
今回は垂仁天皇治世に考案された形象埴輪や石上神宮の由緒などについて見ていきます。*「原日本紀の年代記」は本ブログで独自に紀年復元した年代観にもとづいています。…
垂仁天皇(中):326年相撲の起源~332年殉死の廃止/原日本紀の年代記〈4〉
今回は垂仁天皇治世にあった史上最初の角力(すもう)や、謎の多い誉津別皇子(ほむつわけのみこ)、伊勢神宮の起源などについて見ていきます。*「原日本紀の年代記」は…
垂仁天皇(上):誕生~325年狭穂彦の乱/原日本紀の年代記〈3〉
垂仁天皇紀には実に多くの物事が語られていますので、上・中・下の3回にわけてまとめます。今回は誕生から、最初の皇后である狭穂姫の兄である狭穂彦の叛乱までを見てい…
原日本紀の年代記〈2〉初代天皇(山幸彦=神武天皇=崇神天皇):後半生
*「原日本紀の年代記」は本ブログで独自に紀年復元した年代観にもとづいています。 今回は、初代天皇が日向(ひむか)から大和(やまと)へ東征を成し遂げ、橿原宮で…
YouTubeで「邪馬台国を熊本に想定した場合、邪馬台国に対抗できるだけの国力を備えた狗奴国(くなこく)をどこに想定するのでしょう?」という主旨のご質問をい…
原日本紀の年代記〈1〉初代天皇(山幸彦=神武天皇=崇神天皇):前半生
本ブログでは、原日本紀仮説(『日本書紀』には紀年延長操作の施される一段階前の『原日本紀』が存在したという仮説)に基づいて、無事績年を削除し、紀年を復元し、さ…
原日本紀の復元072 『日本書紀』が記す神代の事実〈10〉彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけ
前記事の火闌降命(ほのすそりのみこと)(海幸彦)と彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)(山幸彦)の説話の中で、彦火火出見尊がまさに海宮(わたつみのみや)から…
原日本紀の復元071 『日本書紀』が記す神代の事実〈9〉海幸彦と山幸彦
昔から親しまれている神話に登場する「海幸彦(うみさちひこ)」と「山幸彦(やまさちひこ)」の兄弟ですが、この名前は『日本書紀』本文には出てきません。 「兄の火…
原日本紀の復元070 『日本書紀』が記す神代の事実〈8〉天孫降臨
あけましておめでとうございます。いつもお読みいただきありがとうございます。本年もよろしくお願いいたします。 経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たけみかつ…
原日本紀の復元069 『日本書紀』が記す神代の事実〈7〉大己貴神の国譲り
『日本書紀』第一巻を概観したまま、昨年夏で途切れてしまっていた『日本書紀』の神代の事実を見ていくシリーズを完結させておきたいと思います。『日本書紀「神代」の…
前々回の記事で丹波の千歳車塚古墳について書いた流れで、手元にあった今城塚古代歴史館平成30年春季特別展の図録『古代の日本海文化―太邇波(たにわ)の古墳時代―…
(いきなり余談ですが・・・)昨日たまたまNHKが日本書紀を題材にした番組を放映していたので視聴しました。期待していたのですが、内容がちょっと杜撰でがっかりとい…
(最初に)拙著『日本書紀「神代」の真実』(ワニブックスPLUS新書)の重版決定!の連絡を出版社さんからいただきました。ご購入いただきましたみなさまのおかげです…
『日本書紀』は30巻からなる日本最初の正史です。 そして、初代の天皇はいわずと知れた神武天皇です。 しかし、神武天皇が最初に登場するかというとそうではありま…
邪馬台国とヤマト王権の関連性を探って、日本のはじまりを知るためには、ヤマト王権が誕生したのがいつかを知る必要があります。 ところが、ヤマト王権の誕生時期に…
奈良盆地南西部の御所市(ごせし)に葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)という神社があります。葛城山麓にある、立派できれいな社殿を持つ神社です。 ご…
いつもお読みいただき、ありがとうございます。 前回のYouTube始めました!告知に続いての広告で申し訳ありませんが、次の著作『日本書紀「神代」の真実』が、…
突然ですが、YouTubeを始めました。 3年とちょっとブログを書いてきましたが、より強く伝えたいことが、新しい記事を書き重ねるたびにどんどん埋もれていって…
前記事で、帯方郡(たいほうぐん)から狗邪韓国(くやかんこく)への行程記事について考えました。結論は、帯方郡から狗邪韓国への具体的な道のりを示したものではなく…
少し前に、〔「魏志倭人伝」を全文現代語訳してみる〈1〉帯方郡から伊都国まで〕を書いた時に、帯方郡(たいほうぐん)から狗邪韓国(くやかんこく)への行程は観念的…
いろいろな古代史本を読んでいると、「なんとなく」決まり事みたいになっている事柄に出会うことがあります。 「第19代允恭天皇(いんぎょうてんのう)の崩御年が4…
神武天皇に仕えた「道臣命」と崇神天皇に仕えた「大彦命」は同一人物か?
『日本書紀』は中国の史書から、多くの文章を引用しています。 そのまま引用されたものもあれば、人物名などを差し替えて引用したものもあります。 それら文章の出典…
本日6月14日に開催予定だった「第6回もずふる古墳マラソンin大仙公園」は、新型コロナウイスルの影響で来年に順延となりました。私としては久しぶりの「ほぼ」ハー…
「魏志倭人伝」を全文現代語訳してみる〈1〉倭の国々を行く(前半)「魏志倭人伝」を全文現代語訳してみる〈2〉倭の国々を行く(後半)「魏志倭人伝」を全文現代語訳し…
「魏志倭人伝」を全文現代語訳してみる〈4〉倭の地誌を語る(後半)
「魏志倭人伝」を全文現代語訳してみる〈1〉倭の国々を行く(前半)「魏志倭人伝」を全文現代語訳してみる〈2〉倭の国々を行く(後半)「魏志倭人伝」を全文現代語訳し…
「魏志倭人伝」を全文現代語訳してみる〈3〉倭の地誌を語る(前半)
「魏志倭人伝」を全文現代語訳してみる〈1〉倭の国々を行く(前半)「魏志倭人伝」を全文現代語訳してみる〈2〉倭の国々を行く(後半)の続きです。 其風俗不淫男…
「魏志倭人伝」を全文現代語訳してみる〈2〉倭人の国々を行く(後半)
「魏志倭人伝」を全文現代語訳してみる〈1〉倭人の国々を行く(前半)の続きです。 東南至奴国百里官曰兕馬觚副曰卑奴母離有二万余戸伊都国から東南の方角に10…
「魏志倭人伝」を全文現代語訳してみる〈1〉倭人の国々を行く(前半)
突然ですが、「魏志倭人伝」の全文訳をやってみようと思い立ちました。 というのは、本ブログで記事を書くときに、必要な部分については訳していましたが、都度都度部…
『三国志』「魏志倭人伝」の描く倭地の世界観を読み解くには、3つの重要なワードがあります。ただし、これは私の主観的な判断ですので、当然異論もあると思います。 …
『原日本紀』仮説〈5〉現代の私たちが最も古代史の真実に近づける方法とは?
『原日本紀』仮説〈1〉〜〈4〉でみてきたことを前提に、干支による紀年復元が難しいという状況を打破するために、私が提唱したいのが『原日本紀(げんにほんぎ)』と…
『原日本紀』仮説〈4〉『日本書紀』の干支から紀年は復元できるか?
『日本書紀』の紀年がおかしい、延長されているというのは、かなり昔から共通認識になっていました。軒並み100歳を超える初期天皇の寿命をみると、科学的思考や検証…
『原日本紀』仮説〈3〉『日本書紀』はどのように編纂されたのか?
『日本書紀』には完成一段階前の中間文書的な『原日本紀(げんにほんぎ)』が作成されたのではないかという仮説について、今回は視点を変えて『日本書紀』編纂過程から…
『原日本紀』仮説〈2〉『日本書紀』はどのような方法で紀年延長したのか?
現在私たちが目にする『日本書紀』において、編纂者による紀年延長が行われていることは明らかです。 では、紀年延長はどのような方法によって行われたのでしょうか。…
2020年のはじまりに、ある勉強会で「成立1300年! 『日本書紀』から古代史を考える」という題目の話をしました。 内容は、(1)『原日本紀(げんにほんぎ)…
出雲と大和展を見て、改めて七支刀の太和四年説はないだろうという話
2月になって上京の機会があったので、東京国立博物館で催されている「出雲と大和」展を観てきました。「日本書紀成立1300年 特別展」と銘打って早くから大々的に…
「魏志倭人伝」は、帯方郡から邪馬台国までの行程記述やその他の旁国、そして女王卑弥呼を戴かない狗奴国について述べた後、習俗や産物についてかなり丁寧に書き記して…
百舌鳥・古市古墳群の被葬者を考える〈11〉百舌鳥と古市の真実の系譜が見えた!?
百舌鳥・古市古墳群に被葬された天皇について考えてきたシリーズも今回で最後です。 最後に、仁徳天皇陵(大仙陵古墳(だいせんりょうこふん))に関する一つの仮説を…
百舌鳥・古市古墳群の被葬者を考える〈10〉同時代の大型前方後円墳に眠るのは誰?
4世紀末から5世紀末(安閑天皇陵まで含めると6世紀前半)まで、巨大な歴代天皇陵の並ぶ百舌鳥・古市古墳群は、昨年7月の世界遺産登録で一気に注目を集めました。 …
【謹賀新年】『日本書紀』の5世紀以前の干支は後付けと考えてよいのでは?
あけましておめでとうございます。今年も本ブログをよろしくお願いします。 〈橿原神宮〉 2020年は、720年に『日本書紀』が成立して1300年という記念すべ…
百舌鳥・古市古墳群の被葬者を考える〈9〉天皇以外で巨大前方後円墳に眠るのは誰?
前回までの記事で、4世紀末から5世紀末までの歴代天皇の御陵を比定しました。順に以下のようになりました。 【仲哀天皇】津堂城山古墳【応神天皇】上石津ミサンザイ…
百舌鳥・古市古墳群の被葬者を考える〈8〉倭の五王「讃」と「珍」の陵は?
さて、百舌鳥・古市古墳群の被葬者を比定していくこのテーマも大詰めに近づいてきました。 今回は倭の五王の「讃(さん)」と「珍(ちん)」の御陵について考えたいと…
百舌鳥・古市古墳群の被葬者を考える〈7〉応神天皇陵は応神天皇の御陵ではない!?
私は、第14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)が395年に崩御された後、スムーズに第15代応神天皇(おうじんてんのう)への皇位継承がなされたのではないかと考え…
百舌鳥・古市古墳群の被葬者を考える〈6〉古墳群の幕開けを告げる津堂城山古墳は誰の陵?
少し期間があきましたが、今回からは仁徳天皇以前の天皇の御陵について考えていきたいと思います。 改めて古墳の築造年代と歴代天皇の崩御年を掲載(図表1)して、考…
景初二年(238年)、公孫氏滅亡と同時に卑弥呼が魏に使いを送ります。難升米(漢字の読み不詳:仮に「なしめ」とします)を代表とする一行です。 それに応える使節…
百舌鳥・古市古墳群の被葬者を考える〈5〉雄略天皇も巨大前方後円墳に眠る?
百舌鳥古墳群の大仙陵古墳を第16代天皇の仁徳天皇陵と比定したのに続いて、ニサンザイ古墳を第17代履中天皇陵、田出井山古墳を第18代反正天皇陵と比定しました。…
百舌鳥・古市古墳群の被葬者を考える〈4〉謎のニサンザイ古墳は誰の陵か?
前記事では、日本最大の古墳である大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)が仁徳天皇陵で間違いないだろうという結論になりました。 引き続き、古墳の築造年代と歴代天皇…
百舌鳥・古市古墳群の被葬者を考える〈3〉仁徳天皇陵に眠るのは仁徳天皇なのか?
「百舌鳥・古市古墳群の被葬者を考える〈1〉多くの巨大前方後円墳はいつ築かれたのか?」で古墳の編年表を作成し、「百舌鳥・古市古墳群の被葬者を考える〈2〉5世紀…
百舌鳥・古市古墳群の被葬者を考える〈2〉5世紀の天皇崩御年を整理する
前記事では、4世紀末から5世紀末までの、百舌鳥・古市古墳群を中心とした巨大前方後円墳の築造年代を推定してみました。*前回の図表に誤りがありました。岡ミサンザ…
百舌鳥・古市古墳群の被葬者を考える〈1〉多くの巨大前方後円墳はいつ築かれたのか?
本年7月の百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)の世界文化遺産登録決定以来、関連の講演会を聴講したり、刊行物を読んだりしていました。 そのなかで、古…
前記事では、陳寿(ちんじゅ)が『三国志』撰述にあたって裴秀(はいしゅう)の『禹貢地域図(うこうちいきず)』を参照したはずだということを検証しました。そうする…
日数は「道里」ではない!〈1〉 陳寿『三国志』と裴秀『禹貢地域図』
「魏志倭人伝」を正しく解釈するために、共通認識として定義したい言葉がいくつかあります。 その筆頭は「周旋(しゅうせん)」だと思っています。従来、「ぐるっと…
「世有王皆統属女王国」とは? 伊都国の「王」と女王国の「女王」
今回は、『三国志』「魏志倭人伝」の伊都国に関する記事にあらわれる「世有王皆統属女王国」の読み方について、自説をまとめてみたいと思います(なお、これについては…
原日本紀の復元068 『日本書紀』が記す神代の事実〈6〉八岐大蛇
高天原(たかまがはら)を追放された素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、下って出雲国の簸(ひ)の川上に到られます。『日本書紀(一)』(岩波文庫)の注釈では宍道湖(…
原日本紀の復元067 『日本書紀』が記す神代の事実〈5〉天岩屋
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)との誓約(うけい)の結果により、高天原(たかまがはら)を奪おうとするような邪心がないことが認…
原日本紀の復元066 『日本書紀』が記す神代の事実〈4〉天照大神と素戔嗚尊の誓約
父母(伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと))から根国(ねのくに)行きを命じられた素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、高天原へ行って姉の天照…
原日本紀の復元065 『日本書紀』が記す神代の事実〈3〉国生みと神生み
神世七代(かみのよななよ/かみよしちだい)の最後の神は、みなさんよくご存知の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)です。そして、この二神…
おかげさまで、拙著『「日本書紀」だけが教えるヤマト王権のはじまり』が、重版(増刷)となりました。ありがとうございます! そこで今回は、改めて本書の宣伝をさせ…
前記事では、「魏志倭人伝」の行程に関する「放射説」について考えました。 今回は、近年よく語られるようになった説について考えてみたいと思います。しいてその説に…
「魏志倭人伝」の行程記述の読み方にはいくつかの説があります。 まず、一つが「連続説」と呼ばれるものです。これは、「魏志倭人伝」の記す行程を一本の道と考え、帯…
原日本紀の復元064 『日本書紀』が記す神代の事実〈2〉神世七代
しばらくは『日本書紀』の記述を確認しながら読んでいきたいと思います。 『日本書紀』はその書き出しで、天地(あめつち)や陰陽の区別もつかない混沌とした状態が…
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2023年もまもなく終わろうとしています。 ことしの古代史の界隈を振り返ると、もっとも注目を集めたのは富雄丸山古墳と言ってよいのではないでしょうか。 吉野ヶ…
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『梁書』は、唐(618年~907年)の初頭の629年に姚思廉(ようしれん)が成立させた南朝の梁(502年~557年)の歴史を記した史書です。 その倭伝には次…
いま佐賀県の吉野ケ里遺跡に熱い視線が注がれています。 弥生時代後期の有力者の墓であろうと推定されていた墓から石の蓋が取り除かれ、赤色顔料の痕跡が見つかり…
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邪馬台国時代に日本にいた人たちは、当時の「倭国」をどのように考えていたのでしょうか? そして、当時の中国の人々は「倭国」をどのように思い描いていたのでしょう…
今回も新刊の宣伝ですみませんが。 『検証・新解釈・新説で魏志倭人伝の全文を読み解く~卑弥呼は熊本にいた!~』が、アマゾンランキングで4位になりました。 な…
今年の大河ドラマ『どうする家康』の主人公はタイトル通り徳川家康。連日の宣伝で煽りに煽って(?)公開された『THE LEGEND & BUTTERFLY』の主…
『日本書紀』の継体天皇7年条に次のような歌が収載されています。 隠国(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の川ゆ 流れ来る 竹の い組竹節竹(くみだけよだけ) 本辺(…
魏志倭人伝は、240年に女王国にやって来た梯儁(ていしゅん)の記事で次のように語っています。 正始元年 太守弓遵遣建中校尉梯儁等 奉詔書印綬詣倭国 拝仮倭王…
今や考古学の世界やマスコミ報道における「邪馬台国畿内説」とは、奈良県桜井市の「邪馬台国纒向説」を指すと言ってよいでしょう。 2009年に纒向(まきむく)遺跡…
邪馬台国時代に日本にいた人たちは、当時の「倭国」をどのように考えていたのでしょうか? そして、当時の中国の人々は「倭国」をどのように思い描いていたのでしょう…
今回も新刊の宣伝ですみませんが。 『検証・新解釈・新説で魏志倭人伝の全文を読み解く~卑弥呼は熊本にいた!~』が、アマゾンランキングで4位になりました。 な…
今年の大河ドラマ『どうする家康』の主人公はタイトル通り徳川家康。連日の宣伝で煽りに煽って(?)公開された『THE LEGEND & BUTTERFLY』の主…
『日本書紀』の継体天皇7年条に次のような歌が収載されています。 隠国(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の川ゆ 流れ来る 竹の い組竹節竹(くみだけよだけ) 本辺(…