ひで さん プロフィール

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ひでさん: 御朱印もとめて神社巡り
ハンドル名ひで さん
ブログタイトル御朱印もとめて神社巡り
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/ganbarekyushu/
サイト紹介文週末ごとに夫婦で楽しんでいる神社巡り(御朱印集め)の記録です。
自由文南九州には魅力いっぱいの神社がいっぱい点在していますね。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供10回 / 7日(平均10.0回/週) - 参加 2017/05/08 15:40

ひで さんのブログ記事

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  • 和気神社(鹿児島県霧島市)
  • 今から千二百余年前の奈良時代、道鏡に都を追われた和気清麻呂は、再び都に呼び戻されるまでの日々をこの周辺で過ごしたと伝えられています。その和気清麻呂を祭った神社で交通安全、学問、建築の神として御利益があるといわれています。近くに清麻呂が入ったといわれる温泉「和気の湯」があり、浴後、腰掛けられたという腰掛石も残っています。また、坂本龍馬夫妻が新婚旅行でこの地を訪れたことを記念する碑があります。 神社前 [続きを読む]
  • 霧島神宮(鹿児島県霧島市)
  • 閑寂な老杉の濃い緑に包まれた参道・境内を抜けると、格調高い朱塗りの社殿の荘厳かつ豪華絢爛な姿があらわれます。 建国神話の主人公である瓊々杵尊(ニニギノミコト)を祀った霧島神宮は、創建が6世紀と古い歴史を誇る神社です。 最初は高千穂峰と火常峰の間にある背門丘に建てられたといいますが、霧島山の噴火による焼失と再建を繰り返し、500年以上前に現在の場所に移されました。現在の社殿は島津氏第21代当主(第4代薩摩藩 [続きを読む]
  • 母智丘神社(宮崎県都城市)
  • 神社のある丘の頂上には陰陽石と呼ばれる巨石があり、古くは石峯と呼ばれました。この石の穴に狐が棲むと言われ、お稲荷さんの祠(ほこら)ができ、信仰されていました。近くからは石器や土器などが出土しており、古代から人々が住んでいたことがわかります。明治3年に都城地頭となった三島通庸(みちつね)が、ここに社殿を建て参道に桜を植え整備して母智丘神社と命名しました。(元記事:http://www.city.miyakonojo.miyazaki.j [続きを読む]
  • 旭丘神社(宮崎県都城市)
  • 旭丘と書いて「ひのお」と読む。元和元年(一六一五)旧領主 北郷忠能公御代、一国一城令により城山(現・歴史資料館)からこの地(現・明道小・市役所)に領主館を移設した。そのときには既に山立ちがあって、南向きの御社殿があり上之別府天神また氷室天神とも称していた。又、安政四年(一八六七)都城島津家二五代久静(ひさなが)公の痔病平癒の為、京都から勧請した神も奉斎されたと記録が残されている。明治四年六月二十八 [続きを読む]
  • 田ノ上八幡神社(宮崎県日南市)
  • 『日向地誌』によると、彦火々出見尊、豊玉姫、応神天皇を祀るとある。大隅国桑原郡に稲津弥五郎というものがおり、その地の一宮八幡の御神体を背負い来て、この地に祀ったという。社殿は天永元年庚寅十月二十五日創建すると伝える。島津氏が飲肥を領した時代にも大いに崇敬したが、伊東氏の飲肥初代藩主伊東祐兵(報恩公)が楠原八幡原にあったのを現在地に遷座したともいわれる。(天正十六年、『日南市史』による)伊東氏が藩主とな [続きを読む]
  • 岩崎稲荷神社(宮崎県日南市)
  • 『日南市史』によると、伊東家二十代伊東祐慶(飫肥二代藩主)のとき、願成就寺の僧祐遍(赤面法印と称された名僧)を導師に現在地の新山に遷座した。また『日向地誌』などによると、当社の起源はなお古く、延元二年(一三三七)に伊東祐持初めて伊豆から下り、都於郡に居城を構えた後、伊豆国田方郡岩崎に鎮座の霊を都於郡三財村に遷して岩崎稲荷として祀って来た。天正十五年(一五八七)、祐慶の父祐兵が妖肥領主となるに及んで [続きを読む]
  • 駒宮神社(宮崎県日南市)
  • 古蹟(御鉾の窟、御手洗池、天皇の井戸、神宮寺跡) 駒繋松跡、当神社東方道路沿いにあり。海辺にて鈞をなされた折白髪の老人から龍馬を与えられ、その馬に龍馬と命名。愛馬で鵜戸の父君にお会に行かれる都度、この松に繋がれたと伝えられる。草履石、駒形石、愛馬龍石の足跡という。 立石の牧、神社より北へ四キロ国道沿いの山上に跡あり天皇宮崎の宮居に向かわれるとき、愛馬龍石を草原に放ちになりその縁りで字名を立石という。 [続きを読む]
  • 吾平津神社(宮崎県日南市)
  • 吾平津神社は明治期までは乙姫大明神といわれた。祭神は、カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)の妃であったアヒラツヒメ。神武東征には同行されずこの地に残り、ことの成功を祈り成就されたことから乙姫さまは諸祈願成就の神として信仰を集めている。別名、乙姫神社とも呼ばれる。(元記事:http://nichinanshinavi.moo.jp/genre/ahiratujinnja/#primary)ゴールデンウイークの中日に伺ったが、残念ながら社務所には鍵がかかっていて [続きを読む]
  • 御年神社(宮崎県三股町)
  • 当神社は、応永四年(一三九七年・室町時代)、時の領主藤原氏が天下泰平・国家安穏・万民安泰を祈願して当宮村地区の宗廟として建立したものであると社記にある。  当時は、中央において南北朝の争乱もようやく治まりかけたが、地方ではまだ争いが続いており、荘園制度は崩壊の兆しをみせていた。そこで、領主藤原家光が領地の安穏を祈願して建立したものであると伝えられている。(公式サイトより) [続きを読む]
  • 神柱宮(宮崎県都城市)
  • 当神柱宮の創建は、人皇第68代後一条天皇の御代、萬壽年間(西暦1024〜1028年)に太宰府より大監(たいげん)という職にあった平季基(たいらのすえもと)が来都し、無主の荒野であった日向国諸県郡島津一帯を開墾して、宇治関白藤原頼通に寄進されました。 後の鎌倉時代、薩摩・大隅・日向にまたがる日本最大の荘園と称された「島津荘」の成立に起因します。季基は領主として島津荘を治めるに当たり、梅北に屋敷を構え、萬壽3年 [続きを読む]
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