コトちゃん さん プロフィール

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コトちゃんさん: 事代主のブログ
ハンドル名コトちゃん さん
ブログタイトル事代主のブログ
ブログURLhttp://ameblo.jp/indiaindia-27/
サイト紹介文神社仏閣に伝わる伝承から歴史を知るブログです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供36回 / 44日(平均5.7回/週) - 参加 2017/05/10 19:43

コトちゃん さんのブログ記事

  • 杷木神籠石
  • 白村江の戦い前後 九州には神籠石と呼ばれる石垣が数箇所築かれました。この時代博多は海でしたので神籠石で護っている地域は、斉明・天智天皇のいた朝倉・日田地域と鞠智城のある熊本地区のように思います。ここは斉明・中大兄皇子のいた朝倉地区の廻りを護る杷木神籠石です。福岡県朝倉市杷木林田・杷木穂坂にある城跡。筑後川北岸の筑後平野最東端、標高192mを最高所とする丘陵に所在。朝倉市には斉明(さいめい)天皇の朝倉宮 [続きを読む]
  • 夕月神社②
  • 石橋の掛かって入るところは、堀になっています。どうもここには昔 夕月城という城があったようです。しかも二重で、空堀の脇には土塁まであります。拝殿末社 この神社の夕月城は 築城年代や城主などはわかっていないそうですが、立地で見頂くと判るとおもいますが、左右を宮地嶽神社と麻氐良神社で挟み、筑後川の正面を杷木神籠石で囲んだ立地であることからも重要な地のように思います。 伊勢の月読宮は別名 月の宮というそう [続きを読む]
  • 夕月神社①
  • 毎至正月一日必射戯飲酒 其餘節略與華同 好棊博握槊樗蒲之戯 氣候温暖草木冬? 土地膏腴水多陸少 以小環挂鸕?項令入水捕魚 日得百餘頭 「正月一日に至るごとに、必ず射的競技をし、酒を飲む。その他の季節行事はほとんど中国と同じである。囲碁、すごろく、樗蒲(サイコロ賭博のようなもの)の遊びを好む。気候は温暖で草木は冬も青い。土地は肥えていて、水沢地が多く陸が少ない。小さな環を鵜の首筋にかけ、水に入らせて [続きを読む]
  • 月読神社(朝倉)②
  • 月読神社に関する記載は無いようですが、高木神社は大行事神社と云ったとあります。 大行事神社と云えばあの橘の広庭の朝闇神社も大行事神社と云ったと有りました。 この辺で大行事神社と言えば英彦山神宮と関係が深いようで、先人達はどうも天忍穂耳命との関係が深かったのかもしれません。この神社の土台も別所神社と同じですね。末社ここの裏山の山頂に南朝三代の慶長天皇が眠っているそうで天皇山と呼ばれているそうですが、 [続きを読む]
  • 月読神社(朝倉)①
  • 開皇二十年 俀王姓阿毎字多利思北孤號阿輩雞彌遣使詣闕 上令所司訪其風俗 使者言 俀王以天為兄以日為弟 天未明時出聽政跏趺坐 日出便停理務 云委我弟 高祖曰此大無義理 於是訓令改之 「開皇二十年、倭王の姓”アマ”、字”タリシホコ”。号”アハケミ”が遣使して宮中にやって来た。お上(高祖)は所司(担当官)に命令して、その風俗を訪ねさせた。使者は”倭王は天を兄とし、日を弟として、天がまだ明けない時に出て政 [続きを読む]
  • 岩屋神社(再UP)
  • この神社は2015年12月に御紹介した神社で、その時には全く気付かないでいました。 如意宝珠というものがある。その色は青で、大きさはニワトリの卵くらい。夜になると光る。魚のひとみだと言っている。(旧随書より) 岩戸神社福岡県朝倉郡東峰村宝珠山3100 ここも朝倉で山の名前そのものが宝珠山といいます。岩屋神社は、中国・北魏からの渡来僧「善正」が修行場「日子山(彦山・英彦山)」を開いた翌年の532年( [続きを読む]
  • 阿蘇神社(朝倉)③
  • これはなかなか急な石段です。手摺が無いと危険です。磐をえぐりとったような参道です。この社には蝙蝠さんが住み付いていました。本来御神体が入っているはずですが、開けっ放しでも抜けの空でした。 旧隋書の倭国の記載には 有阿蘇山其石無故火起接天者 俗以為異因行禱祭 有如意寶珠其色?大如雞卵 夜則有光云魚眼精也 新羅百濟皆以俀為大國多珎物並敬仰之恒通使往來「阿蘇山がある。その石は理由もなく火がお [続きを読む]
  • 阿蘇神社(朝倉)①
  • 以前ご紹介した神社ですが、新たにご紹介します。この神社は年代としては元禄四年(一六九二)の産神として肥後熊本の阿蘇大明神を勧請したとなっています。「朝倉風土記」では、この辺りは元々阿蘇山(あそやま)といったようです。 元々この神は阿蘇山(あそやま)の上宮に祀られていたそうですが、阿蘇大明神が勧進されたとき、お参りするのに難儀するで日田往還のすぐ脇の「段の原山」に3神を勧進して祀ったと言うこと [続きを読む]
  • 恵蘇八幡宮(改訂版)②
  • 漏刻(水時計)のオブジェです。天智天皇(中大兄皇子)が皇太子時代に日本で最初の水時計を作ったと言われていることからでしょう。 御陵山斉明天皇を一時的に埋葬したとされていますが、1号墳 2号墳と古墳の数は2ツあり埴輪などから五世紀のものではないかと云われていますが、未発掘のままで詳細は不明です。 しかし一時的に斉明天皇を埋葬したのなら、ただの人の古墳とは云えないでしょう。木の丸殿跡 所在地   [続きを読む]
  • 恵蘇八幡宮(改訂版)①
  • 御子中大兄皇子は朝倉の関の山上に仮葬せられ、御自身は丸木の御殿を建てさせ芦の簾に苫の屋根、塊を枕にし、一年もの永い間まつりごとに遠ざかることをおそれ、日を月にかえて12日間服喪し給う。 朝倉風土記よりこの関の山と表記されている場所が、現在の恵蘇八幡宮です。郷社 恵蘇八幡宮 木の丸殿 斉明天皇(第35代皇極天皇、第37代)祭神応神天皇(第10代) 天智天皇(第39代)由緒 斉明天皇7年(西暦66 [続きを読む]
  • 天子の森
  • 天子の森所在地 福岡県朝倉町大字須川字乗馬 2928-1 4世紀末、朝鮮半島は百済・高句麗・新羅の三国に分割され、7世紀に至るまで和戦を繰り返していたが、660年7月、百済はついに新羅・唐の連合軍に亡ぼされ、同年10月、かつてから親交関係にあった日本へ使者を遣わし救済の要請をしてきた。斉明天皇と中大兄皇子らは、その要請を受け入れ、救援軍を派遣することを決定した。翌661年1月6日、天皇は、中大 [続きを読む]
  • 麻氐良布神社(改訂版)③
  • 拝殿は荒んでいますが本殿 なかなか神秘的に撮れました。 祭神伊弉諾尊 合祀 天照大神 素盞嗚尊 月讀尊 蛭子尊 伊耶奈美尊の名前がありません。 当時の様子に「朝倉風土記」に細かい記載があるので引用します。 斉明天皇の7年(661)5月、唐と新羅の攻撃を受けて危機にある百済の乞いを容れて救援軍を送るべく、その準備のため中大兄皇子、大海人皇子ほか文武百官を引連れて筑紫に下られた [続きを読む]
  • 麻氐良布神社(改訂版)②
  • 100m程登ると石の祠が見えてきました。この祠が中宮に当たるのでしょうか?左右(まてら)良城跡築城年代は定かではないが秋月種実によって築かれたと云われる。 秋月氏といえば、蘇我氏の親衛隊 東漢氏を祖とする日田の大蔵一族です。石段が見えてきました。これはすごい数の祠です!弥永宮 一座(大己貴) 美奈岐宮 三座(素戔嗚尊・大己貴命・事代主命)住吉宮 三座(表筒男 中筒男 底筒男) 筑紫宮 一座(五十 [続きを読む]
  • 麻氐良布神社(改訂版)①
  • 斉明天皇が朝倉宮に入り滞在75日(7月24日)御年68歳で病の為崩御された。 この死因とされるのが 朝倉橘広庭宮の建設に際しては、朝倉社の木を切って用いたために神が怒って宮殿を壊したほか、宮中では鬼火が目撃され、大舎人らに病死者が続出したという。 当時の人は麻氏良布神社の木を伐採したことと関連付けたようです。 ではこの山とはどのような山かご紹介しましょう。政所?普通 親王、三位以 [続きを読む]
  • 宮地嶽神社(朝倉)
  • やはり右三階松は倭国の家紋ではないかと思わせる場所があります。 橘の広庭の近くにも宮地嶽神社と同じ名前の山があり、その中腹にはある古墳があります。湯ノ隈装飾古墳この古墳は六世紀後半の古墳であり、装飾が施されているそうです。筑後国続風土記には「湯ノ熊の後山の石窟」と記されているそうです。 六世紀後半と云うとまさに「日出處天子」(日出ずるところの天子)の時代の古墳ですね!更に山頂にはこの古墳 [続きを読む]
  • 宮野神社
  • 斉明天皇が朝倉宮にいる最中に鎌足に造らせたと云われる神社がこれで宮野と読むのでしょうか?宮野神社所在地 福岡県朝倉町大字宮野字中宮野1248祭神 大己貴命 天児屋根命 吉祥女宮野神社は大字宮野の氏神であり、毎年10月25日に祭礼が行われている、この宮野神社は、藤原氏祖先の墓といわれ、天孫降臨のとき天照大神に従った「天児屋根命」を祀ってある。斉明天皇6年(660年)、朝鮮半島の百済が唐と新羅の郡に亡ぼされ、日 [続きを読む]
  • 橘の広庭(改訂版)
  • 斉明天皇一行は、3月25日那大津(博多)に着き、磐瀬行宮(三宅)に入り、5月9日には朝倉宮に移る。朝倉宮とは、以前ご紹介した橘の広庭のことをいうようです。猿沢の池この池は、昔から常に満々と水をたたえ今まで枯れたことがない。かんばつの時には、この池で雨乞いがなされ、池の水を汲むと大雨が降るといわれていた。また、昔は池底がとても深く、つり鐘が埋められているという伝説があり、廃寺となった長安寺と関係が [続きを読む]
  • 高宮八幡宮
  • 斉明6年(660年)7月、親交が深かった朝鮮半島の百済が、新羅・唐の連合軍に亡ぼされ、10月に使者を遣し救済を要請 斉明天皇は、中大兄皇子弟の大海人皇子(天武天皇)、大田皇女・額田王らと共に、12月に、大和の国高市群飛鳥岡本宮を出発、難波宮に移りました。 八日、吉備の大伯海(おおく・岡山県邑久郡沖)に到着。十四日伊予の熟田津(にぎたつ)に停泊、石湯行宮(いわゆ・道後温泉)に六十余日間滞在 [続きを読む]
  • 兼大明神
  • 川上峡與止日女神社付近白角折神社日本武尊が川上梟師を討ち取ったと伝わる川上峡の近く白角折神社のある背振山の麓に聞きなれない名前の神社が建っています。兼大明神の由来 この大明神には 日本武尊と吉備武彦神が祭られています。第十二代景行天皇の皇子 日本武尊がこの地に登られてみると賊の川上梟師の一党が大変な威勢を振るっていた 尊は天賦の智勇をもってこの賊を征伐された のち十六代仁徳天皇の御代に一社を [続きを読む]
  • 岡山神社
  • 以前肥前千葉氏の本貫地で須賀神社をご紹介しましたがその他にも小城の小城公園は小城藩初代藩主鍋島元茂から二代藩主直能によって作られた名庭園で多くの花が楽しめます。この神社の中にも神社が存在します。岡山神社社沿革御祭神:國武大神(元小城藩主 鍋島元茂公)、矛治大神(同二代 鍋島直能公) 祭礼日:春季祭・4月8日(宵祭)4月9日(大祭)、秋季祭・10月18日(宵祭)10月19日(大祭)、小祭・1月1日(元旦祭) 境内社:天満 [続きを読む]
  • 鞠智城(きくちじょう)
  • 古代西海道(九州)での肥後国の税の比率は26%で全国2位 陸奥国(出羽国を除いた東北のほとんどの地域)の次に多い税を納めていた国であったそうです。モニュメント鞠智城のことが書かれている最古の文献は『続日本紀』で、文武天皇二年(六九八)五月二十五日条に、「大宰府に命じて、大野・基肄・鞠智の三城を修理させた」と記されています。当時の日本は、友好国であった百済を復興する為に朝鮮半島に派兵を行いましたが [続きを読む]
  • 菊池神社
  • 菊池という地名は、もしかしたらここからついたのかもしれません。この神社からは菊池平野が望めます。菊池ではよく会う顔の狛犬です。手水舎菊池神社祭神 建武の中興より南北朝に至る間、終始吉 野朝に精忠を捧げられた菊池一族の中、贈従一 位菊池武時命、贈従三位武重命、同武光命の三 柱を主神とし、殉皇の一族二十六柱の神霊を奉 祀する。摂社・城山神社は元寇撃退に殊功をたてられた 贈従三位菊池武房命と肥後文教の渕源と [続きを読む]