クリスチャン さん プロフィール

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クリスチャンさん: カトリック典礼
ハンドル名クリスチャン さん
ブログタイトルカトリック典礼
ブログURLhttp://romancatholic.seesaa.net/
サイト紹介文カトリック典礼を紹介するためのブログです。フェイスブックの二つのグループにも寄稿中です。
自由文カトリック典礼を紹介するためのブログです。イエス様の時代から伝わる大切な伝統です。聖書も言うではありませんか。教えを残らず守れ、たった一つの伝統も粗略にするな、と。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供51回 / 73日(平均4.9回/週) - 参加 2017/05/11 00:54

クリスチャン さんのブログ記事

  • 神を知る心 ー 知恵を働かせて ◆6、被造物をしらべる方法
  • アロイジオ・デルコル神父『神を知る心 ー 知恵を働かせて』◆6、被造物をしらべる方法 では、その方法は? 神からつくられたものをしらべるというその方法です。といっても、それらのものを、最後のものまで、完金な柳度にしらべないかむり、ひとつの結論もだせないというわけではありません。 では、さっそく、その神からつくられたもののなかで、いちばん身じかなものである自分のことから考えてみましょう。 わたしは、神 [続きを読む]
  • 神を知る心 ー 知恵を働かせて ◆5-2、類似によって  
  • アロイジオ・デルコル神父『神を知る心 ー 知恵を働かせて』◆5-2、類似によって  では、かれらには、宇宙をさぐるほどの知恵がなかったのでしょうか?いいえ、そうではありません。すでに、かれらは、宇宙をさぐってまいます。現代人といえども、この点では負けていません。 では、すでに、かれらが、宇宙をさぐったというのなら、それほどの知恵かあったのなら、なぜ、もっと早くそれらのものの主をみいださなかったのでしょ [続きを読む]
  • 神を知る心 ー 知恵を働かせて ◆5、類似によって
  • アロイジオ・デルコル神父『神を知る心 ー 知恵を働かせて』◆5、類似によって  被造物、すなわち、つくられたものの偉大さと美しさは、そのつくり主を類似によって、推しはからせるためのものだと、いわれているのです。 類似というのは、似ているところをくらべるということです。それで類比ともいわれます。たとえば、まっかに咲いた”ばら"を思いうかべたえてください。それは、その妙なる美しさによって、美そのものであ [続きを読む]
  • 神を知る心 ー 知恵を働かせて ◆4、聖書の教え
  • アロイジオ・デルコル神父『神を知る心 ー 知恵を働かせて』◆4、聖書の教え イエズス・キリストの使徒聖パウロが昔のローマ教会の信者にあてた手紙があります。これを書いたのは、神のとくべつな霊感にみちびがれてですから、聖書の一書となっています。聖書といえば、内容の責任を神ご自分負うことになりますから、「神のことば」だといわれています。そして、直接当時の信者にあてたものであるにしても、すべての時代、すべ [続きを読む]
  • 神を知る心 ー 知恵を働かせて ◆3、知恵の書のことば
  • アロイジオ・デルコル神父『神を知る心 ー 知恵を働かせて』◆3、知恵の書のことば このことについて、旧約聖書は、たいへん明らかにのべています。 「なにはさておき、神を知らない人は、だれでも、しん底から愚かなものである」(知恵の書13:1)と、まずのべています。ごらんのとおり、うわべだけの愚さではなく、しん底から、すなわち、完全に、どの見地からみても愚かなのです。 つづいて、こういいます。「かれらは、目に [続きを読む]
  • 神を知る心 ー 知恵を働かせて ◆2、なぜ神をみとめたくないのか?
  • アロイジオ・デルコル神父『神を知る心 ー 知恵を働かせて』◆2、なぜ神をみとめたくないのか? 「見たくないからみないのだ」というなら、とうぜん、「なぜ見たくないのか?」と問わねばなりません。その動機について、ちょっと、さきにのべておきましたから、ここで、もっとくわしく考えてみましょう。 ずるずると、悪い生活におぼれてしまって、泥沼のなかに、いつまでも、おちついていたい人、あるいは、不潔なおこないを [続きを読む]
  • 神を知る心 ー 知恵を働かせて ◆1、神を考える知恵
  • アロイジオ・デルコル神父『神を知る心 ー 知恵を働かせて』◆1、神を考える知恵 聖パウロは、いまのべたとおり、「神について知りうることは、かれらにとっても明らかである」といったのです。 では、なぜでしょう?答えは、かんたんです。神が、それを、かれらにあらわされたからです。そして、わたしたちは、人間である以上、知恵をもっていますから、神のみわざであるこの世について、いろいろのことを考えねばならないの [続きを読む]
  • アロイジオ・デルコル神父『神を知る心 ー 知恵を働かせて』
  • アロイジオ・デルコル神父『神を知る心 ー 知恵を働かせて』(巻頭緒言) 作られたものの偉大さと美とは、そのつくり主を、類似によって推しはからせるものだと聖書に書いてあります。これこそ神を知る道です。この道を、知恵深く、一歩一歩ずつ進みましょう。(巻末) 神を知らない人は、だれでも、しん底からおろかなものである。かれらは、目にみえるよいものを通して、"存在するお方"を知ろうとはせず、そのわざに目をとめ [続きを読む]
  • 『神をさがす心』(最終項)
  • 『神をさがす心』(最終項)天は、神の光栄をかたり、大空は、そのみ手のわざを告げる。そのことばを、日は日に告げ、そのたよりを、夜は夜に伝える。その音の意味は、人に悟れないような話しでもなく、ことばでもない。そのひびきは、全地をめぐり、そのことばは、世のはてにおよぶ。詩編19:1-15 [続きを読む]
  • 神をさがす心 ー 目にみえるものを通して ◆9、個人的な生活では・・・
  • アロイジオ・デルコル神父『神をさがす心 ー 目にみえるものを通して』◆9、個人的な生活では・・・ このことを、ひじょうに明らかに証明している実例かありますから、ここで、紹介しましょう。それは、神の存在を、自分では強く否定している人たちでさえ、自分の家庭の、その個人的な生活では、認めているということで、この人たちは、〃神なんか存在するものか!”'と、さかんに無神論をいきまいているのに、いざ、自分の愛す [続きを読む]
  • 神をさがす心 ー 目にみえるものを通して ◆8、神の知識をふかめること
  • アロイジオ・デルコル神父『神をさがす心 ー 目にみえるものを通して』◆8、神の知識をふかめること それにしても、知恵ある人間ですから、ほんのちょっとでもその知恵を働かせるなら、すぐ神の存在を証明するためのじゅうぶんな資料をみつけることができます。 ここで、ことわっておかねばならないのは、,この、じゅうぶんという意味です。なぜなら、それは、完全ということではないからです。 しかし、ほんとうに神が存在す [続きを読む]
  • 神をさがす心 ー 目にみえるものを通して 
  • アロイジオ・デルコル神父『神をさがす心 ー 目にみえるものを通して』◆7、土台をくずそうとしても無理 人間は、神に向かって、「なぜわたしに命令をくだすのか?」とも、「わたしに、こんな命令をくだす権利がどこにあるのか?」ともいえないからです。 わたしたち人間は、神が存在するかぎり、その権利をいなむことができません。それは、明白すぎる事実です。ある人々が神の存在をみとめたくないのは、そのためです。 つ [続きを読む]
  • 神をさがす心 ー 目にみえるものを通して ◆5、・・・健全な精神
  • アロイジオ・デルコル神父『神をさがす心 ー 目にみえるものを通して』◆5、・・・健全な精神 これは、鍛錬をおこたった体のあわれな終末ですが、知恵のほうも使わないでおくとしたら、どんなことになるでしょう? そうです。幼ないころ、あれほど「なぜ?」をくりかえしていた子どもも、しばらくすると、すっかり考えなくなってしまうのです。こんどは、まえの例とは反対に、知恵をあまり働かせずそのままにしておくと、その [続きを読む]
  • 神をさがす心 ー 目にみえるものを通して ◆3、知恵をはたらかせること
  • アロイジオ・デルコル神父『神をさがす心 ー 目にみえるものを通して』◆3、知恵をはたらかせること といっても、子どもは、少しずつ成長するにつれて、ほかのものごとにも興味をもつようになってきます。それも悪いことではありません。しかし人は、自分が知恵をもった人間であることを、けっして忘れてはならないのです。 わたしは、ずっと前に、ひとりの柔道の先生に会ったことがありました。もちろん柔道をならうつもりで [続きを読む]
  • 神をさがす心 ー 目にみえるものを通して◆2、テレビの例
  • デルコル神父『神をさがす心 ー 目にみえるものを通して』◆2、テレビの例 具体的な例をあげてみましょう。 部屋のかたすみに、テレビがあり、小さな子どもが、じっと見ています。しばらくすると、母親に、テレビをゆびさして、「おかあちゃん、これなあに?」とききます。「テレビですよ」と母親がこたえると、その子どもは、ちょくせつそれを自分の目で見ているので、すぐなっとくします。でも、またすぐ、つぎの質問がとびだ [続きを読む]
  • ◆1、神の存在は証明できるか
  • デルコル神父『神をさがす心 ー 目にみえるものを通して』◆1、神の存在は証明できるか神の存在 - ある人たちは、キリスト教を否定定するために、「どうせ、神の存在なんか科学的には証明できないことだから」といいます。ごらんのとおり、攻撃は、キリストの存在、あるいは、キリストの思想について、というよりも、神の存在にむけられます。 その理由は、かんたんで、キリスト教それ自身、神の存在が、その土台になっている [続きを読む]
  • デルコル神父『神をさがす心 ー 目にみえるものを通して』
  • デルコル神父『神をさがす心 ー 目にみえるものを通して』(巻頭緒言) 神の存在がみとめられるねうちがあるでしょうか。この問題は、いろいろとやさしく、わかりやすく説明されています。知恵をよく使って、宇宙万物のつくり主である神を見わけるかしこい人となりましょう。(巻末) 前世紀のイタリアの有名な詩人は、「わたしがどこを見まわしても、おお、偉大な神よ、わたしの目にはあなたのすがたが見えます」とうたったこ [続きを読む]
  • 信仰の道:秘跡について ◆18-3、洗礼式の意味
  • アロイジオ・デルコル神父『信仰の道 ー 秘跡について』◆18-3、洗礼式の意味 キリストは、すべての人の救いのために亡くなられたのです。そのため聖霊は、この救いにあずかる可能性をすべてにお与えになります。 それで、キリストの福音とその教会をしらなくても、自分のおよぶ限りに真理をさがし、神のみ旨を果たす人は救われると考えられます。教会は、もしその人が、洗礼のことを明らかに知るようになったなら、きっと洗礼 [続きを読む]
  • 信仰の道:秘跡について ◆18-2、洗礼式の意味
  • アロイジオ・デルコル神父『信仰の道 ー 秘跡について』◆18-2、洗礼式の意味 誰が洗礼をさずけることができますか? 洗礼の通常の奉仕者は、司教、司祭、あるいは助祭です。しかし、その必要があるときは誰でもさずけることができます。洗礼を受けていない人でも、さずけることができます。その時に、教会がするとおりにするという望みがあって、教会で使う言葉を使うなら、その洗礼は有効です。 離教教会とプロテスタントの [続きを読む]
  • 信仰の道:秘跡について ◆18、洗礼式の意味
  • アロイジオ・デルコル神父『信仰の道 ー 秘跡について』◆18、洗礼式の意味 洗礼式のときに用いられるいろいろなしるしは、それぞれ、その意味をもっています。 十字架のしるしを、式のはじめにしますが、これは、救いがイエズスの十字架の功徳によって得られることを示しています。 その次に神のみことばの朗読があります。これは、洗礼によって信仰をあらわすからです。それで、洗礼のことを、「信仰の秘跡」ともいいます [続きを読む]
  • 信仰の道:秘跡について ◆17、洗礼の秘跡
  • アロイジオ・デルコル神父『信仰の道 ー 秘跡について』◆17、洗礼の秘跡 洗礼は、すべてのキリスト教生活の土台であり、聖霊による霊的生活の入り口です。 洗礼によって、わたしたちは先祖伝来の源の罪から解放されて神の子どもとして新たに生まれ、キリストの神秘的な体のメンバーとなり、教会に属するようになって、教会の使命にあずかるです。洗礼は、み言葉による水を通じて行われる再生の秘跡なのです。 この秘跡は洗 [続きを読む]
  • 信仰の道:秘跡について ◆16、入信の秘跡
  • アロイジオ・デルコル神父『信仰の道 ー 秘跡について』◆16、入信の秘跡 それは、洗礼、堅信、聖体のこの3つの秘跡でず。つまり、この3つがキリスト教生活の土台となっているのです。つまり、洗礼によって神の恵みに生まれ、堅信によって信仰を強められ、永遠の命のかてであるご聖体によって神の恵みが養われるのです。それは、信者が、神たどの命の宝をますます深く味わい、完全な愛徳にまで辿りつくことができるためです。 [続きを読む]