李 信 さん プロフィール

  •  
李 信さん: コメント欄
ハンドル名李 信 さん
ブログタイトルコメント欄
ブログURLhttp://rishin.ti-da.net
サイト紹介文人生に役に立つ 精神世界観、これを 社会の片隅で 大きく語り合える場所が ここです(笑)
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供47回 / 46日(平均7.2回/週) - 参加 2017/05/13 15:43

李 信 さんのブログ記事

  • 「不動不変の章」〜<即座の終結>Ⅳ
  • 「不動不変の章」〜<即座の終結>Ⅳ<即座の終結>Ⅰ 過去という「記憶」未来という「想像」Ⅱ「思考・思念・感情・概念・疑問」という「経験」Ⅲ「個性・自我・現実」という「精神の創造」今日から上記した3点について、それぞれの(精神における)経験の仕組みと「からっぽ感」へと帰着する「精神の作業行為」とを書いていきます。Ⅰ 過去という「記憶」未来という「想像」-1私が 最初の気づきを得て 最初にトライした精神の [続きを読む]
  • 「不動不変の章」〜<即座の終結>Ⅲ
  • この「即座の終結」論においては、先にあげた「からっぽ感」で生きることと その為の精神の操作法を書いていきます。何も 持たない心が、スムーズで円滑な生活を可能とさせたいて、総てが、順調に推移していくかのように感じます。本当に 自分の内面が「からっぽ」になり得たトキに、その爽快感と静謐さとが、実経験されて心で「理解」されるでしょう。「からっぽ」という理念とその「感覚」が 私の中にあらわれたのは、精神世 [続きを読む]
  • 「不動不変の章」〜<即座の終結>Ⅱ
  • 「不動不変の章」〜<即座の終結>Ⅱ「内面での解決」行雲流水の如き 心情にて、日常の一切を生きること。そんなことを、私は望み、心がけています。普段の心情が、さらさらとして 音もなく流れていくようにするには、如何なる精神の操作が必要となるのか?これを 論じてみたい。流れていく 心の在りようが、その流れが 滞り、止まって見えるトキがあります。過ぎた「事象」への 内面における「葛藤」-1「荷物」として 背負 [続きを読む]
  • 「不動不変の章」〜<即座の終結>
  • 「不動不変の章」〜<即座の終結>前半を書いてから しばし 間があきましたが、その間に私も 思索することができましたし、こことばの理念も なんとなくですが自分のものになってきたようです。私が 日常に心がけていて、読者さまにも役に立つ 精神の行為を ひとつあげろと言われたなら、迷うことなく以下の提案をします。「即座の終結」日々に迷うことが多く、過ぎた事象に とらわれていて しつこく「悪かった、失敗した [続きを読む]
  • 「縁起」(まるまるさんのコメント)
  • 「触れ合い」私は昨日までに<こととばの触れ合いで証しあっている>って話をしてきた。この触れ合いによって「絶対のもの」は「自己の存在感」を得る。「こと」は絶対に内包していることの理解において消滅することへの大丈夫を得る。ここで「ひとつのこと」と「ひとつのもの」は「満足」が起きるんだけど、ひとつのものの中は「完全に内包」なので「こぼれ落ちない」代わりに「溜まっていく」。だから世界に光をあてて観ると「溜 [続きを読む]
  • なりきる(まるまるさんのコメント)
  • 「なりきる」例えてみると。地球の表面が全て海に覆われているとする。それを「分離して見ている私」は「全てが丸い海」に見えるので「海(それ)しかない」ので「これを絶対の一つ」と見る。これによく聞く「私はあなた、あなたは私」という台詞を「当てはめてみる」と「海は私、私は海」によって「それは私である」と結論がつく。で、この誤解を解く為に 禅では「なりきる」を練習し、マインドフルネスという瞑想法も これであ [続きを読む]
  • 真実(まるまるさんのコメント)
  • まるまるさんのコメントから編集したものです。(コメント欄の中での会話ですので、当然 前後に脈絡はありますが、カットしています。途中に不自然な話しの流れがあるかもしれませんが、ご了承下さい)      ※赤文字は李信による補足です。「真実」「真実」とは「嘘のない世界」と捉えていただいて差異はない。真実を見極める為に「嘘のない自分」へ憧れを抱いていただければ、話は進むのである。さて「どうして 私の頭は [続きを読む]
  • 寄り添う(まるまるさんのコメント)
  • まるまるさんのコメントから編集したものです。(コメント欄の中での会話ですので、当然 前後に脈絡はありますが、カットしています。途中に不自然な話しの流れがあるかもしれませんが、ご了承下さい)      ※赤文字は李信による補足です。「寄り添う」。海と海底は接点で 寄り添っている訳だが、「海が見えている私」は距離を離しているから「見える」ので 寄り添っていない。この距離を「分離」と呼んでいるので「見え [続きを読む]
  • 「こと」は「場」に触れている。(まるまるさんのコメント)
  • まるまるさんのコメントから編集したものです。(コメント欄の中での会話ですので、当然 前後に脈絡はありますが、カットしています。途中に不自然な話しの流れがあるかもしれませんが、ご了承下さい)      ※赤文字は李信による補足です。「こと」は「場」に触れている例えば「私」は海(という事象)ならば この場は海底です。例えば「私」が空(という事象)ならば この場は 大地です。この様に「私」の変化によって [続きを読む]
  • 「こととば」とは。(まるまるさん寄稿による。)
  • 〇<こととば>とは。まるまるさん寄稿による記事です。(全文)<こと>とは 全ての事象の事である。例えば「(私が)生まれたこと」「(太陽が)昇ること」「(車が)走ること」等の「こと」である。<ば(場)>とは<こと>が起きている場所の事である。「(私が)生まれた所」「(太陽が)昇る所」「(車が)走る所」の「場所」である。〇<こととば>の証し合いの必要性「車が走る」には場所が必要で 通常、車は「道路を走 [続きを読む]
  • まるまるさんへの返信
  • まるまるさんコメント、赤色にて表示です。李 信コメント、黒字にて表示です。>証し合い、これ自体をよく理解できていないです。場所と自分の心との接点でしょうか?何故「証す」必要があるのかは わかってる?必要か?と言われれば、わからない。こととば、鑑賞者の関係性が、精神性の全般を うまく、言い当てていると思う。>感情が起きるのは、気持ちが動揺(いい意味で)することで、肉体がそれに呼応して 更に、頭脳が感 [続きを読む]
  • まるまるさんへの質問。
  • 赤文字は まるまるさんからのコメントです。黒文字は 私の質問と趣旨です。この<こととば(の証し合い)>の現場に「私という照明をあてると」無明(真っ暗な事と場)が明らかになって現れる(現場)」。これを観た「私(照明)」に「怖いという感情」「悲しいという感情」が起きるということだ。証し合い、これ自体をよく理解できていないです。場所と自分の心との接点でしょうか?感情が起きるのは、気持ちが動揺(いい意味で [続きを読む]
  • :事実: とは なにか?
  • :事実:とは なにか?(以下ウィキペディアより)事実とは、「ことの真実。真実のことがら。本当にあったことがら。」真実とは「嘘やいつわりでない、本当のこと」※仏教用語では「仮(かり)ではないこと〜究極のもの・絶対の真理究極のもの。絶対の真理」こうした定義を 下敷きにして、事実とは何か?これを 論じてみます。「事実とは何か?」実際に起きている事(現在)。起きたこと(過去)。として 誰もが認識していると [続きを読む]
  • まぼろしの創造編
  • 忘れないうちに書いときますからね〜(ぐっばい けんぼうしょうw)<創造編 序章>何も無いと感じる 精神の奥底にあって、人としての今までに 思い込んできたものが、人としての創造物であったことを知りました。概念と言われるもの、観念と言われるもの、常識と言われるもの、感情と言われるもの、記憶と言われるもの、反応と言われるもの感想と言われるもの。意見と言われるもの、個人のプライドと言われるもの、感性と言わ [続きを読む]
  • 救いと悟り
  • 「救いと悟り」最初に「救い」という言葉を意識したのは、宗教(手かざし系)に入信していた頃です。教祖の教えが全人類を「救い」、この地球が「ユートピア」に変わる。それを信じて 布教活動に励んでいました(笑)その後のふたつの団体も、自分が救われることで、世界が一歩「ユートピア」へと近づいていくような考え方でした。何か その団体の教えや目的を信じることで、自分が救われている気になっていました。自分が全人類 [続きを読む]
  • あくまでも誤解を解く(笑)
  • >これが いつわりなき、感想の一部始終であって、>愚の骨頂と 言われるなら、私には 関係がない。   Posted by 李 信 at 2017年06月12日 10:30他者を 自分の理解に基づいて 愚の骨頂って 書くのって、どうかと思う。それを書くことで、何か 私を悟らしめようとする意図も感じられる。これを 書いて 私がむかつくのか、内観でそう書かれてしまう理由をみいだそうとするのか、ほんとに内観できているのか?そうした [続きを読む]
  • 不動不変の章「実際」3
  • 不動不変の章「実際」3日常の一部始終何か 普段の自分を投げて 真理なる自分を追い求めているのではありませんか?それは ただの日常からの逃避です。平坦で怠惰な変化のない ありきたりな日常からの刺激を求めてのことです。真理論に傾倒して メッセンジャーを追っかけるする行為を くだらないとは思いますが、止めようとも思いません。総ては 自由意志のもとで 行われている日常の一環ですのでね。くだらないと書いたの [続きを読む]
  • 不動不変の章「実際」2
  • 不動不変の章「実際」「自分」という内面の世界観内面の世界には 自分しかいない。何故?自分しかいないのだろう?誰も出てこないことと、自分が過去に生まれたトキの記憶のないことが、それまでの想像と比べて 違っていた点でもあります。それでいて 充ちたりて、安からで もともとここにいたのだと、思い出していました。それまで、生きて歩んできた 道程の一切が、自分が生み出してきた経験にすぎなかったことが、一瞬にし [続きを読む]
  • 不動不変の章「実際」
  • 不動不変の章「実際」自分という「存在」精神そのものが自分自身である。ここからの疑問は 生と死の「死」の方でした。生きているのは、勿論わかっていますので、その後肉体の破棄を迎えた 後に 自分という「精神」はどうなってしまうのだろうか?ここに熱中した日々があります。憑依と言われている現象を体験したことがあり、精神だけの塊が あちこちへ移動していることが解りました。それが 霊魂とか霊とかって言われている [続きを読む]
  • 不動不変の章「景観」-6
  • 不動不変の章「景観」-5真実の提示-2「事実と想像」人の社会を 人として生きている。・・・これが、事実ですね。私も 誰も彼もが人である。人の集団生活の場が社会であり、それは 宇宙の中のひとつの 惑星の上に展開されていますね。人・社会・地球・宇宙・・・これが、現実に認識される 範囲です。認識される範囲での 出来事や経験や事件や事象については、私達は 想像を膨らませて その頭脳に胸の内に内面に思い描くこと [続きを読む]
  • 不動不変の章「景観」-5
  • 不動不変の章「景観」-5真実の提示そこで 私は考える。真実とは何か?日々に思う、種々雑多な思念が真実なのか?生きている現実が真実なのか?スピで教えらえるものが真実なのか?真実として 信じ込んでいて 思い込んでいることが その人にとっての真実なのか?その以前に 真実という観点が持たれたのは 何故だろう?真実に相反する言葉はあるのだろうか?真実という観点が あるのは、真実ではない、虚像とか 嘘とか 偽物 [続きを読む]
  • 不動不変の章「景観」-4
  • 不動不変の章「景観」-4現実とスピの世界観2スピや精神世界観って、何の為に生み出されてきた 精神観、世界観なのでしょう?ま 目的があって生み出された 特異な概念ということでなく、人の中で追い求めているのは 何故かという意味です。つまり 根源でも存在でもネーミングには こだわりませんが、そうした「何か」が、人の根本にはあると思っています。そこから 人が経験されるようになって、宗教やスピの世界観が人の世 [続きを読む]
  • 不動不変の章「景観」-3
  • 不動不変の章「景観」-3現実とスピの世界観>今の実直な自分の精神と「密着」・・・していないとすれば、スピの知識とは何でしょう。記憶上にとどまる「情報と知識」でしかないのならば、自分や他人と社会の関係性を本当には「理解」していないのではないでしょうか?自分の実生活上に 新たな認識と新たな変革が生まれていかないのであるならば、そのスピの知識は死んでいないでしょうか?例えば、自己の本質として 語られること [続きを読む]
  • 不動不変の章「景観」-2
  • 不動不変の章「景観」-2「現実面においての実際の精神」スピと言われてるカテゴリ、或いは精神世界観を示唆する情報(ブログ、書籍)において、私が感じるのは、何か 現実の社会とは かけ離れた精神だけが 描かれているということです。例えば、「ひとつ」「ワンネス」「完全性」「完璧性」「あなたはわたしでわたしはあなた」「自我と根源の存在」「非二元の論理」「私はいない」「私しかいない」「私が世界で世界が私でもある [続きを読む]
  • 不動不変の章「景観」
  • 不動不変の章「景観」景観-1今日から新しい シリーズを書いていきます。何か コメント欄にて読者様に「後押し」を頂けている様子で、私も 気が入っております(笑)ゆっくりと「歩」を すすめていきましょう。一年365日は 短いようで、長い時間経過であると思うのです。あわてて、急いで 記述を重ねるよりも、二度ダブらない記事を 丁寧に書き進めていくことを 主眼におきます。たくさんの記事を ブログに書いてきました [続きを読む]