李 信 さん プロフィール

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李 信さん: コメント欄
ハンドル名李 信 さん
ブログタイトルコメント欄
ブログURLhttp://rishin.ti-da.net
サイト紹介文人生に役に立つ 精神世界観、これを 社会の片隅で 大きく語り合える場所が ここです(笑)
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供115回 / 103日(平均7.8回/週) - 参加 2017/05/13 15:43

李 信 さんのブログ記事

  • act/08「信頼」
  • act/08「信頼」「信頼」という言葉を 最近使いだしました。人間関係の最後にあるのは、「信頼」だけだと思います。相手の「動向」や「精神の状態」を心配することがなくて、どれだけ離れていても 会話しなくても 相手のことを「安心」して 想像ができるトキに この言葉を使う。あべさんとこでも ここでも 会話した人って 何かしらの記憶に残ります(忘れていくことも多いですがw)。記憶に残る 相手。。。って私のイメー [続きを読む]
  • act/07「慈悲」
  • act/07「慈悲」慈悲って言葉は 普段の生活の中では、ほぼ使われないですよね。宗教的、精神世界観の中では 慈悲深く生きるとか 生きなさいとかってたまにでてきますね。個人同士の会話の中で おまえには慈悲がないのか、とか 俺は慈悲深いのか?とかって思考は まずない(笑)慈悲の代名詞が 釈尊さんでしょうか、悟られた仏の身でありながら 世俗にまみれた私達に 慈悲深く法を説いて頂けた・・・みたいな使い方が よく [続きを読む]
  • act/06「精神世界の基準」
  • 昨日 かましたおやじギャグ・・・函館編です(興味のない人はする〜してね〜w)二萬円堂という 眼鏡屋さんでの店員さんとの会話店員のおばさん:「データを調べますので、お客様のお名前をお聞かせ下さい。」李信:ここは かます場面(内面)・・・「松山 千春です」店員:(一瞬間があくが)「松山 千春様ですね」・・・あまり疑ってない様子・・・李信:「いや、冗談です、本名は李信(ぴ〜音)です。場面変わって、視力測 [続きを読む]
  • act/ 05「家庭内の真理」
  • 【心の一部始終編】act/ 05「家庭内の真理」あべさんちで、うめちゃんに聞かれていた?李妻と真理の話をするのか?・・・に ついて、論じてみます(笑)こうしたブログのコメ欄とかでなく、普段つきあっている人達と 真理とか悟りの話しって、してないです。よね?(みなさん)「もし、目覚めや覚醒が 個人にとって本当に重要な救われる「要素・目的」であるならば、速攻で もっとも大切な身の周りの人に訴えかけて当然ですが [続きを読む]
  • 管理者よりみなさまへ
  • 阿部さんが ブログの中で、コメント内容について言及されました。私も以後は、阿部さんのブログから 感じ取ったり、学ばせてもらったことを阿部さんに向けてだけ、コメントをしてまいります。ただ、個人のやり取りとか 疑問とか、情報交換とか、真理論のぶつかり合いとかって、私は すごくダイナミックで好きです(笑)もし、このブログにて、みなさまと 忌憚のない意見の交換や感想の語り合いが できますれば、私には 悦ば [続きを読む]
  • act/ 04「俯瞰の範囲」
  • 【心の一部始終編】act/ 04「俯瞰の範囲」あべさんちのコメ欄に、さまざまな意見要望がよせられていて、面白い。個人個人の意見には、正論正当化される「主観認識」が含まれている。でも、違った「主観」が対比比較されると、そこに あなたは違う、私が正解・・・という観方ができあがりますね。そこが 面白いので、何故 それが 起きるのか?について考察してみます。私が使う 俯瞰の意味ですが、思考や記憶に入り込まずに、 [続きを読む]
  • act/ 03「想像力」
  • 【心の一部始終編】act/ 03あべさんち・・・常連のPさんが、やはり常連であるEさんにかみついた。基本コメント数が多いとかでね。一人の人のコメントが多いのは、確かに迷惑かもしれない。内容でなく、数の面でね。そこまでは 解る。。。かきづらいことをよく書いたよね(笑)で、ここで 外野の人達が、こぞって?コメント欄に望むこと?を書きだしている。Pさんコメに便乗して 日頃のストレスを書きだした。その中には、私 [続きを読む]
  • act/ 02「心の成立」
  • 【心の一部始終編】act/ 02「心の成立」精神と感情と記憶と感性感覚の集合によって、「心」はできあがっているかと思います。気が付けば すでに「心」なるものはあって、それ以前には 何が自分とされていたかが解りませんね。「心」が意識されると同時に「自分」という認識と 立ち位置が成立していました。「心」というのは 自分自身そのものであると、言えます。「心」がなければ、自分自身が いないか 認識されないかのど [続きを読む]
  • 【心の一部始終編】まえがき。。。
  • 【心の一部始終編】act/ 01まえがきとしてもし、生きて 我が身我が精神の一切を 解りえた人がいるとしたら、その人の 後の人生は、たぶん ひとつの願い、ひとつの祈りによって埋め尽くされていくのかもしれない。釈尊しかり、イエスしかり、その願いとは、「人の経験が幸せによって 充ちますように・・・」であろう。釈尊が 八正道を説いていたことに、疑問を持っている。イエス キリストが「愛」の観念を完成させたことに [続きを読む]
  • 垣根の消失Ⅱ
  • <行雲流水の章>act.12垣根の消失Ⅱ・・・そしてある瞬間に、むこう側が こちら側の自分という「夢」を見抜いてくれる。。。ここに一切がありますね。そして 向こうもこちらもなく、垣根の「消失」で、はじめから悟っていたことが「わかる」のですね。by あべさんちへのコメントより。阿部さんちで、むこう側?って 何かを疑問に持たれた方がいて、も一度書いてみます。とても、的を得た疑問符です。向こう側がこちら側を「 [続きを読む]
  • 垣根の「消失」
  • <行雲流水の章>act.11垣根の「消失」自我と根源との間にある「垣根」・・・これが「意識層」です。自我が生み出してきた 記憶による自己認識の束です。ある「瞬間」に これが消えて「存在」だけとなります。速攻で自我に戻りますので、その「感想」が根源に回帰した。ってことを言い始めます。一瞥がこれですが、その後には認識したはずの「存在」としての自分っていうのは、消えてしまって、また いつもの記憶層を中心に据え [続きを読む]
  • 「見性」と「空」-4(完結)
  • <行雲流水の章>act.10「見性」と「空」-4「無」という言葉表記が、もっとも適切と考えます。根源と言えばダイレクトすぎてイメージが湧かないでしょうね。「私はいない」であっても それを書く「私」が現実にはいますので、意味合いを理解することが容易ではありませんね。「私しかいない」は 好きな表現ですが、「私以外の人はいない」と理解されますと 二元の理解です。私がいて あなたがいるのが この世界で、私しかいな [続きを読む]
  • 「見性」と「空」-3
  • <行雲流水の章>act.09「見性」と「空」-3「悟り」「見性」「一瞥」・・・その後に続くのが「目覚め」「覚醒」「無」「色」そして・・・「空」の場の認識です。私達の 頭の中は、理解と記憶と情報と観念(概念と無自覚な思い込み)に占められています。(今の感覚というのは、身体感覚が付加)自我ならざる「自己」これを・・・頭脳での想像できる範囲の外、つまり 思い浮かぶことが不可能な領域を精神が経験してしまう訳です。 [続きを読む]
  • 「見性」と「空」-2
  • <行雲流水の章>act.08「見性」と「空」-2悟り・覚醒・目覚め・一瞥・・・こうした言葉によって 示そうとした人達が、いた訳です。最初に、見性した人は それを示そうとしたトキに それまでの「語意」に それがないことを知り、自らでその言葉を創作したのでしょうね。つまり「悟り」という言葉に置き換えたのでしょう。悟りに 新たな観念を加えていった結果、悟りの現象とは、人が聖人君子的な超越した人物へと生まれ変わる [続きを読む]
  • 「見性」と「空」
  • <行雲流水の章>act.07「見性」と「空」瞑想がにぎやかにブームですね。阿部さんが推奨しているのは 生きやすく生きるための瞑想ではないかと 思っています。私は 見性の後に、瞑想自体をする必要性を感じなくなりました。落ち着かない気分を 落ち着かせる為とか 真理への考察に疲れた場面では、当初には続けていましたが、今は 皆無です。椅子に座って 簡単な精神統一だけで十分に 自己精神が解決されていきますので。さ [続きを読む]
  • 大いなる孤独
  • <行雲流水の章>act.06「大いなる孤独」真説阿部さんの記事を読んで、口をついたのが「大いなる孤独」のフレーズ・・・みなさんは、悟り経験者が 何もかも 充たされていて、自由無碍なる人生観を展開している・・・と 思われているでしょうか?だとすれば そこに誤解があります。単純明快 間違いようのない「自己認識」の先にあるものは、人意識を経験する方達への「思いやり」です。阿部さんが簡単に見抜き得た真理・・・こ [続きを読む]
  • 「思考知とスローガン(観念)」後編
  • <行雲流水の章>act.05「思考知とスローガン(観念)」後編思考が表面上の「理解」「認識」「記憶化」の作業であるに 対して、「観念」を持つことは 内面における「創造」であろうと思っています。もともと 何もなかった 精神の空白に、地上で得た経験知や理解知等によって、精神の基準や基盤を生み出していることが「観念」というその人独自の「基準」なのでしょう。人によっては「個性の中核」とか「妄想」とか「思い込み」 [続きを読む]
  • 「思考知とスローガン(観念)」前編
  • <行雲流水の章>act.04「思考知とスローガン(観念)」人は「思考」と「感覚(肉体)」「感性(精神)」「感情(反応)」によって 自分を成り立たせていることが、言えると思います。思考する内容は、いつも言葉であり、映像(イメージ)も付加されたりします。ですから、思考は言葉で書き綴ることが可能です。文章として、書き、話すことができますね。考えたことは、正確に 表現することができます。総ての 文献も書籍も経典 [続きを読む]
  • 「精神性の輪廻と袋小路」
  • <行雲流水の章>act.03「精神性の輪廻と袋小路」私達の内面に、何か 難しい精神のプログラムがある訳ではない、と考えます。悟りとか覚醒とかの現象も それほど難しい理解には 及びません。平凡に平坦に生きてきた「者」が 人の意識を経験しているだけのことに気が付いて その意識の下に 現実を生きているだけですね。悟りは 自分の本質を見抜くこと。覚醒は その本質がままに日常を営むことです。これで終りです。では、 [続きを読む]
  • <行雲流水の章>act.02
  • <行雲流水の章>act.02「精神世界観と日常」その1愛は地球を救う、人々よ 愛に目覚めよ、大いなる神の「愛」に 生きよ、応えよ、そして 励むがいい。。。なぁ〜〜〜んてことを よく 新興宗教の教祖様は のたまいますね。確かに 耳ざわりがよくて、そうなんだ 僕たちは神に生かされているんだ、とか、全人類に 神とその「愛」を伝えないといけないとかって 信者の方が思い込んでいそうです。私も そんな時代?を経験で [続きを読む]
  • 無上の愛
  • <叡智黎明の章>act.10無上の愛・・・って、言葉がありましたね。この上無く素晴らしき 愛っていう意味合いですが。無上が この上がない最高のものとして、使われています。無の上がない。そのことが 最高という意味に使われています。他には 無い・・・って 考えると、それは そうなのでしょう。ただ 私は 先の記事に書いたように、無と愛は 並び立たない概念として 理解していますので、ここでの無上の意味を 無の先 [続きを読む]
  • 「無」と「愛」
  • <叡智黎明の章>act.09<「無」と「愛」>なんで、誰も この表現の違いに、疑問をもたないのだろう。。。みんな こんなことは、気にかけていないみたいだった。。。wま、表現の違いって 言い切るには、あまりにも「無」と「愛」は違っていて、もし「愛」を根本にすえるならば、「愛」ではない 何かが必要となりますが、「無」を根本に すえるならば、精神そのものが「有」であり それを「経験」しているという 説明が成り [続きを読む]
  • 謎解きの後・・・。
  • <叡智黎明の章>act.08「謎解きの後・・・。」謎ときの「謎」とは、精神世界観全般で扱われている 経験する「精神」の一連についてである。根源たる自己(自分の側の意)は 肉体を行使することと、この世界に住まうことで、人という個人の意識と意志を形成していて、肉体と共に 消え去り、人意識を経験する以前の 存在へと回帰して 個人として信じてきた「一切」が終わる。そのことまでです。謎解きの後・・・っていうのは、 [続きを読む]
  • 姉さんへのコメント
  • 姉さんのコメントを読んで その通りなんだろうと共感したので、以下のコメントをしました。39. 李 信 2017年08月05日 06:41永遠のダルマ姉さん おはようございます。書かれている事に同感します。で、脳の働き(だろう)とは 思ってみても、それ自体が 脳の働きだったり(笑)しているんでしょうね〜。記憶の領域に左右されると同時に、肉体の感覚や自他の行為への認識などが、わたしとあなたを分けている中核なのかも しれ [続きを読む]
  • あべさんちへのコメントと真意
  • <叡智黎明の章>act.07思考は現実化する。という 阿部さんの記事にコメントしてみました。ダイジェストのダイジェストでしか コメントできませんので(長文を避ける)ここに 詳しく解説と補足を書いておきます。29. 李 信 2017年08月04日 18:09阿部さん こんにちわ>あなたが持つ思考と思考パターンが、あなたの現実と人生を作りだしている・・・逆の発想があると思います。人生という現実にあるのは、思考です。って どう [続きを読む]