bluespring77のブログ さん プロフィール

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bluespring77のブログさん: bluespring77のブログ
ハンドル名bluespring77のブログ さん
ブログタイトルbluespring77のブログ
ブログURLhttps://bluespring77.muragon.com/
サイト紹介文青春77さんのブログ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供114回 / 87日(平均9.2回/週) - 参加 2017/05/17 19:06

bluespring77のブログ さんのブログ記事

  • 1968のバイク世界一周旅行
  • その106 ふと思い出した。 ロサンゼルスを出発して、東へ走っていくと 当たり前のことであるが、だんだんロサンゼルスが遠のいていった。 ニューヨークに着き、そこから船で大西洋洋を東へ行き リスボンへ向かった。 そのあとヨーロッパ中を回り、 東へ中近東を目指しボンベイに着いた。 ボンベイから船に乗り、タイ、シンガポール、香港経由 東へ、そして横浜、日本に着いた。 当たり前のことであるが、 日本とは反 [続きを読む]
  • 1968のバイク世界一周旅行
  • その105 ここでは、私の1960年代の米国留学と バイク世界旅行の記憶をブログにしてみた。 書き始めた理由は、 amazonから著書「1968年のバイク旅行」の注文があったが、 500部しか刷らなかったので在庫がなくなり、 ブログで書くことにした。 年金暇人の身、時間はたっぷりあるので 暇つぶしとボケ防止に少しは役立つだろうと 毎日少しずつ書いてみた。 所々、抜けているところもあったので、 重複 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その104 人には人の数だけの人生があり、 どう生きるのが最も良い生き方かは その人の価値観によるので、 どの生き方が一番良いとは言えない。 しかし、一般的には、人は少しでも人より 豊かな生活をしたいという 願望は持っていると思う。 私が就職して感じた差別感というか、 失望、後悔は、有名大学出身の同期生は 入社と同時に会社の将来を担っていく幹部として、 レールが敷かれていることを知った時である。 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その104 しかし、私の1964年から68年までの米国の学校と仕事 の日々の生活のことが最も印象深く、 バイクで世界一周旅行は、 4年間の米国生活の卒業旅行的なもので、 偶然というか、たまたま、予算の関係でバイクを交通機関として使った旅行で、大げさにバイク世界旅行の部分を書くには勇気が必要だった。 今まで、ここに書いたことをまとめてみる。 そもそも、私が米国へ行く気になったのは、 1964年の「海 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その103 おだてられ、ホイホイと1960年代の米国留学と バイク世界一周旅行について、 記念にと500部自費出版したが、 「人生の途中下車」というタイトルが悪かったのか、 タダで差し上げようと決めていたが 「読んでやる」という人は、ほとんどいなかった。 自己顕示欲が弱いのか、気が小さいのか、謙虚なのか 私は著書を読んでほしいのだが、積極的に 「読んでください」と宣伝しなかった。 著書が出来上がっ [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その102 二年ほど前、旧友との飲み会の席で、 お互いの若い時の話が出始めた。 私の番になった。場の流れで1964年米国留学し、 帰国の際、バイクで世界を観て回ったことを口にした。 私にしては、自分の経験など、済んだ過去のことで、 気の抜けたビールの話をするような気分であったが、 米国留学とバイク旅行のことを一分ほど口にした。 すると、旧友たちは一瞬静まり、 あっけにとられたような顔を私に向けた。 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その102 旅の仕方にもいろいろある。 飛行機、鉄道、船の旅は快適さ、時間の節約 と利点はあるが、 自分の意志通り、自由に移動できない欠点もある。 バイクの移動は事故の危険もあり、 一般的に移動は昼間であり、 観た旅の風景は、出発地から到着地まで、 途切れがないという利点はある。 飛行機や鉄道の旅は、一足飛びに空間や夜間を苦労少なく 目的地まで移動できる。 だが、映画を最初から最後まで通して観ず、 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その101 香港に寄港し、町をぶらついていると、 前から来た中年の男性にとすれ違った途端、 その男は小さなビンを落とした。 ビンは割れ、中身の水分は道に流れ失せた。 その男性は、私が彼の体に接触したのが、 原因で病の娘のため、買ってきた高い飲み薬だ、 どうしてくれると、大声で怒鳴り始めた。 私は彼に接触した覚えはなかったが、 彼の騒ぎに多くの香港人が、私を囲みだしたので、 金を要求しているのだと判 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その100 フランス船「ラオス号」のボンベイ・横浜間の運賃は 約6万円で、当時の日本の平均月収ほどだった。 ラオス号には、マルセイユなどから乗り込んだという ヨーロッパで知り合った多くの日本人若者が乗っていた。 ニューヨークから大西洋を横断してリスボンまで乗った ギリシャの豪華客船と違い、気取った堅苦しさもなく、 お互い旅の経験を語り合って楽しんだ。 ラオス号はセイロン(現スリランカ)、シンガポー [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その99 ボンベイに着いた私は、帰国の船に乗るだけであった。 もう私には地図を広げ、道を確かめる必要もなく、 砂漠の中で車に遭遇することは、 強盗に逢うかもわからないので怖く、 時折、砂丘に上り、砂煙を上げ近づいてくる車を 確認していたが、それも必要なかった。 砂丘の上に立つと360度、視界は広がり、 音のない世界であった。 両手を広げ高々と挙げると 「アラビアのロレンス」になったような気分だった [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その98 1968年12月11日、道路という道路は人、車、白い牛、 それに「バクシーン、バクシーン」と手を伸ばし、 どこまでも、どこまでも、まとわりついてくる物乞いの子供たち、 それに自転車の後部に客席を付けた輪タクなどで 身動きもできないほど混雑しているボンベイ市内に入った。 タージ・マハルで出会ったヒッチハイカーに 教えてもらった「救世軍(サルベション・アーミイ)」が 運営する宿はボンベイの中 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その97 タージ・マハルで一人の日本人ヒッチハイカーから 12月15日、日本行きのフランス客船が ボンベイ(現ムンバイ)に入港する情報を得た。 旅の途中で、ボンベイまで行けば日本行きの船があると 聞いていたからボンベイを目指していたが、 その船の入港日までが確実だと知り、 今までは、ただ、日々のバイク旅行を続けていたが、 それまでは感じなかった帰国という現実味に 嬉しさが体中を駆け巡った。 アグラ [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その96 ボンベイ 走行三万キロ インドに入ると道路には人と白い牛があふれ、 思うようなスピードで走れなかった。 茶店で休んでいると、ボロボロの衣類をまとった大人や子供が バイクを囲み、何か雰囲気のおかしい動きをしているのが目に入った。 私は飲みかけのティを置き、バイクへ走って戻ると、 彼らはバックミラーを引きちぎって、散るように逃げ始めた。 そこへ一台の車がスピードも落とさず、私のバイクから逃げ [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その95 私のバイクは傷みが激しく、売れるようなバイクでなく、 一瞬、パキスタン・インド国境で捨てようかと思ったが、 ロサンゼルスからインドまで走ってきた バイクに愛着が湧いてきた。 そこで、インド国境係官の責任者に強引に会わせてもらい、 再交渉することにした。 すると、この責任者は、私がパキスタンの日本大使館へ行き 「このバイクは日本へ持ち帰るものであることを保証する」という お墨付きをもら [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その94 インド国境 入国不許可 イラン、アフガニスタンと砂漠地帯を走ってきた私は、 一応、町も区画され道路も整備され、 街路樹もあるペシャワールに着いたときは、正直ホッとした。 ペシャワールよりも驚いたのは、 パキスタンの首都イスラマバードの町だった。 1961年から建設が始まったという この巨大な政治都市の道路は升目状で幅も広く、緑で覆われ、 近代的な建物と建物の間は、たっぷりとゆとりを持たせ [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その93 通過した中近東の国々では、トイレを借り、 日本語の新聞を読むため、必ず、日本大使館を訪れた。 これらの国々では、現地の建物や暮らしぶりに比べ、 日本の大使館は立派すぎ、 私が強盗に襲われたのも無理はないと思った。 空っ風が紙くずや砂塵を舞い上げる、カブールの市内の道路は 舗装がはがれ、自家用車などほとんど見かけず、 古いバスやトラック、馬車が目立ち信号もなかった。 ほとんどの商いは露店で [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その92 西のヘラートから南へ、米国の援助で作られた砂漠のハイウェイを アフガニスタン第二の都市カンダ―ルへ向かった。 そこから北へ向かうと首都カブールである。 当時、私が乗っていた乗っていたヤマハYM1のバイクは ガソリンとオイルを混ぜた「混合」が燃料であった。 イランでは「混合」の給油の場所もわかるようになり 困らなくなっていたが、 アフガニスタンではガソリンは何とか手にはいたが、 オイルが手 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その91 いつものことであったが、 集落に入り道端で休憩していると、 バイクや外国人である私が珍しいのか、 子供や何もすることがないのか、大人までが私を見世物のように 遠巻きに囲み眺められた。 日本でも江戸末期から明治初期、 外国人が日本の地方を旅していると 同じように、子供や大人までもが、その外国人旅行者を囲み 珍しいのか、眺めたていたそうだだから、 それと同じようなものだった。 そのうちに、私 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その90 無法地帯のに住む、アフガニスタンの人々は銃を作るか、 カードなどギャンブルをするしか、 収入源がないとその若者は言った。 危険だから、暗くならないうちに、 この無法地帯を離れた方がいいという 彼の忠告に従い、急ぎその場を離れることにした。 走りながら高台に目を向けると、十代前半と思われる少年たちが、 いたるところで銃を抱え見張りをしていた。 アフガニスタンは砂漠の国であるが、 周りは高い [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その89 テヘランではめったに見かけなかったが、 メッシャドの女性はほとんど頭から足の先まで すっぽり黒い布(チャルド)で覆っており、 顔の判別も出来なかった。 近くで見るとチャルドは、思ったより厚めの布でできており、 暑くないのかと、他人事ながら気になった。 いよいよアフガニスタン入りである。 アフガニスタンと国境を接している イラン国境警備隊の建物前の広場に、 ヒッピーらしき十数人のヨーロッパ [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その88 体を洗ったのは、テヘランの街角の水道で洗ったのが最後、 水のない砂漠では、一週間も体を洗わない日があった。 慣れとは、恐ろしいもので歯も磨かず、体も洗わない、 茶店ではハエがティ・コップの周りに群がり、 ティとともに飲み込んで、それを吐き出すことが、 当たり前のようになったが、 いつの間にか、気持ちが悪いという感覚がなくなっていた。 茶店で飲む不衛生な飲み水のせいか、 いつも下痢をしてい [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その87 物の本などを読むと、シルクロードは崇高なものと 表現されているが、 私にとっては、ロサンゼルスからインドまでの、 過酷な道に過ぎなかった。 来る日も、来る日も、砂漠の砂塵を浴びながらの過酷な道で、 書斎でおいしいコーヒーを飲みながら、シルクロードの本を読み、 シルクロードを想像する人とは違い、 私にとっては、どこが、どう素晴らしいのか疑問であった。 しかし、私がたどった砂漠の道の半分は紛 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その86 イギリス、ドーバーのフェリー乗り場で、手に入れた 詳細な地名が記載されていない地図であったが、 イランの砂漠を走っていても、必ず100キロ以内に「食物屋」と 「油屋(ガソリン・スタンド)」があることを知った。 砂漠では、イスラム教の式典に使われたものであろう思われる 古い煙突のような塔をよく見かけた。 中に二本並んで建てられたものや、 傾き今にも倒れそうなものもあった。 集落があれば、そ [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その85 悪戦苦闘しながら、どれくらい走っただろうか。 砂道の脇に屋根を太陽を遮るように、 むしろで覆った小さな掘立小屋があった。 周りには、この小屋以外、建物はなかった。 何となく「食堂」のような感じの掘立小屋であった。 私はバイクを停め、中にいたターバンを巻いた 中年男に確かめると、 「レストラン」だと言った。 たしかに、小屋の中にはうっすらと砂埃をかぶった、 テーブルと長椅子があった。 手ま [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その84 テヘランから東へ走り出す。 目指すはアフガニスタンである。 テヘランの町を一歩郊外に出ると あの近代的な都市がウソのように、 そこから先は水平線まで砂、砂だけの砂漠であった。 この先、本当に町がるのだろうかと不安になった。 確かめるために地図を広げると、 ボールペンでなぞったような線の所々に アラビア文字で、町らしい名前が印刷されている。 未知の世界へ突入する私には、それがどの規模の [続きを読む]