bluespring77のブログ さん プロフィール

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bluespring77のブログさん: bluespring77のブログ
ハンドル名bluespring77のブログ さん
ブログタイトルbluespring77のブログ
ブログURLhttp://bluespring77.muragon.com/
サイト紹介文青春77さんのブログ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供76回 / 42日(平均12.7回/週) - 参加 2017/05/17 19:06

bluespring77のブログ さんのブログ記事

  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その70 スイスのツェルマットからウィーンまでは約600キロ、 高速道路を走れば、一日で行ける距離であるが、 バイク旅とはいえ、ただ、闇雲に走っても面白くない。 二度と来ない素晴らしいところもあるかもしれないと 一般道を走ることにした。 九州や四国ほどの小さな国、スイスから 東西に長く伸びるオーストリアに入った。 西にスイス、北にドイツのバイエルン州、 南に高い山で国境を接するイタリア、 その麓、 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その69 翌朝、このYHで朝食を摂っていると、 「オジさんじゃない?」と、 二十歳前後の日本人女性が声をかけてきた。 28才の私に 「オジさん」とはと、一瞬、驚き、あっけにとられたが 彼女は初対面ながら、にこやかに嫌味のない女性で その自然な振る舞いに私は好感を持った。 彼女は、私がバーゼルのガソリン・スタンドで 給油しているとき、 ヒッチハイクで乗せてもらっていた車から 私が日本人だと気付き、 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その68 スイス、ツェルマット 今なら、誰でも知っている、マッタ―フォルンの登山口 ツェルマット。 当時、私はそれがスイスのどこにあるか知らなかった。 マッタ―フォルンが美しい山であることは 写真などを見て知っていたので、 是非行ってみたいと思っていた。 人に聞きながらBrigの町から、登山電車の軌道に沿って、 スイス特有の民家が散在する小さな集落を いくつも通り過ぎ、ツェルマットの町の入口に着 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その67 夕立がやみ、虹のかかったライン川を渡ると スイスのバーゼルだった。 バーゼルはフランス、ドイツと国境を接する スイスの第三の都市である。 スイスは九州より少し大きめな国である。 バーゼルはもとより、スイスに入った途端、 今まで通過した国々では、見たこともない絵葉書をから 抜け出したような、 きれいな風景が広がった。 旅の途中で、なんども素晴らしいと 思い撮った写真が無駄であったと 思える [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その67 列車がハンブルグ駅に着くと、私は緊張がほぐれ 疲れがでて、ぐったりとしていた。 改札口を出ると、構内の壁に飾ってある、 小さなピカソのデッサン画が目に入った。 それは闘牛士が闘牛と戦っているデッサン画であった。 近くで見ると、闘牛は点のように、 闘牛士は、マッチ棒のようにしか、見えなかったが、 少し離れて観ると、実物を見ているような流動感 あふれるデッサンであった。 このデッサン画を観る [続きを読む]
  • 1986年のバイク世界一周旅行
  • その66 その部屋の横には、静まり返った 体育館のような広い部屋があった。 二人の兵隊の一人が、私を連れ出し、 その部屋の片隅にあるベンチに、座れと言って立ち去った。 私は、この先どうなるのだろうかと、不安を抱えながら 肩を落とし、しゃがみ込むようにベンチに腰を下ろした。 十分ぐらいだっただろうか、私には結構長く感じられたが、 軍服姿の三十過ぎの女性が、 「パスポート」と無表情に言って、 私のパス [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その65 東ベルリンでの出来事 安ホテル前の駐車場にバイクを置き、 航空運賃は10ドルを払い、ハンブルグ空港から パン・アメリカン航空で西ベルリンへ出かけた。 当時1ドルは¥360であったから、 ¥3,600払ったことになる。 現在、ハンブルグ・ベルリン間の航空運賃は 約140ドルである。 50年前に比べ、14倍になっている。 ガソリンは1リッター¥60ほどであったが、 今は3倍の¥180ほどであ [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その64 翌朝、外へ出るとYHの周りは 「飾り窓(売春宿)」が軒を並べていた。 そのあと、いろいろなYHに泊まったが、 このYHの周りのことは、ヒッチハイカーの間では 有名な話でよく話題に出た。 アムステルダムは「アンネの日記」でも有名な街である。 アンネ一家八人が、ナチスの迫害から逃れるため 1942年から2年間隠れ住んでいた部屋が 博物館になっている。 アムステルダムでは、どこでもある運河沿い [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その63 1968年当時、ベルリンは東ドイツ領内で 東西ベルリンに分断されていた。 外国人は東ベルリンへ入ることができと聞き 是非ベルリンに行こうと決めた。 ダンケルク、アムステルダム 数日間、ロンドン観光に費やしやした後、 再びドーバー港からフェリーでカレー港に上陸、 東へ旅を始めた。 ドーバー港でフェリーに乗るまで時間があったので 売店を覗いていると、中近東の地図を見つけた。 それは本当に偶 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その62 ロンドン ル・アーヴァルから約三時間、 フェリーに乗っている間、船員に頼み込み、 びしょ濡れになった体をエンジンルームで温めながら、 衣類を乾かした。 ド―バー港から一気にロンドンへ向け走り出したが、 日が暮れ途中のB&Bに泊まることにした。 久しぶりに英国訛りだったが、B&Bの女主人の英語を聴き、 気分的にもホッとした。 食事もオムレツから解放され、 朝食は「ツー・エッグ・ウイズ・ベー [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その61 ルーブル美術館の前で、カリフォルニアに住んでいたという フランス人男性が私のバイクのプレート・ナンバーを見て 話しかけてきた。 私がフランス人は英語を話さないので、 レストランでは、オムレツばかり食っていると、愚痴ると、 彼は「フランス人は自分の国に誇りを持っており、英語で話しかけられると、わからないふりをするのだ」とウインクした。 そのような話を聴いたことがあった。 やはりフランス人は [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その60 フランス、オムレツ、オムレツ 早朝、バイクの衝突音で家々から 人々が飛び出してくるのがわかった。 そして人々が私を道路脇へ運び、 大丈夫かと、口々に声をかけながら介抱てくれた。 私は、しばらく事故のショックで口もきけなかったが、 三十分ほど横になっていると気分も良くなったので、 バイクを点検すると、ハンドルが少し曲がっているだけであった。 たまたま、事故を起こしたのが、自動車修理工場の前 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その59 フランスの国境を越え、 スペインン第二の都市バルセロナへ入った。 テレビのCMなどで有名な、アントン・ガウディが一八八二年に設計した、サグラダ・ファミリア教会がまだ建設中で、 寄付を集めながらの工事で、いつ完成するかわからないと 町の人は言っていた。 街角で絵を描いている老人を後ろから眺めていると、 片言の英語で話しかけてきた。 老人はピカソが青年期バルセロナで過ごしたことや、 ピカソが [続きを読む]
  • 1968年のバク世界一周旅行
  • その58 地中海に沿って 私はフランス南部、一般道路を地中海に沿って西へ向かった。 道路は狭い一車線か二車線で、カーブが多く、 片側は地中海で反対側は小高い丘が続き、 赤瓦の高級住宅や別荘が点在し、 アメリカのウエスト・コーストに似た風景であった。 暑い七月、バカンスシーズンが始まったらしく、 狭い道路を多くの車がノロノロ走っていた。 ところどころで、渋滞にいらだった運転手たちが 車から降りて、口 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その57 ピザの斜塔は大聖堂の鐘塔として、一一七三年工事にかかったが、 十メートルほど建設したところで、傾き始めたが造り直しもせず、 そのまま建設を続け、約二百年後に完成したそうだ。 何故、造り直さなかったのかと、チケット売り場の係員に聞くと、 本当かどうかはわからないが、 造り直したら経費がかかる。 それより、このまま建設して、傾いていることが有名になれば、 観光客が多く来て,その塔上費で建 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その56 フィレンツェからピザへ ローマ観光に二日ほど費やした後、のどかな田園地帯を北へ三百キロ、車道から脇道へ細い農道を上がると、 葡萄畑に囲まれた小高い丘に、フィレンツェのYHはあった。 朝食は葡萄棚の下に並べられたテーブルで摂り、デザートは葡萄を適当に取り食べることのでき、旅の中でこのYHは忘れられない一つである。 フィレンツェの町は私が訪れた二年前、 一九六六年の大洪水で、建物や文化遺産が [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その55 アフリカ大陸行きをあきらめ、 ナポリから北へローマを目指すことにした。 本格的なヨーロッパ・ツーリングの始まりだった。 地図を見入ると、ナポリ・ローマ間は、たったの二百キロで、 アメリカ大陸を横断した私には、非常に短い距離だった。 葡萄畑やオリーブ畑などの中を通る、 イタリアの高速道路E45を北上した。 日本のそれとよく似た高速道路の路肩には、 多くの若いヒッチハイカーが、 リックやシャ [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その54 ナポリからヨーロッパ・ツーリングへ 空港からタクシーを飛ばし、ナポリ港へ行った。 ちょうど私のバイクを乗せた客船が接岸中で、 ナポリ支社には、すでに連絡が入っており、 入管手続きは簡単に済んだ。 当初の大雑把な計画では、イタリア南部から船でエジプトへ渡り アフリカ大陸の北部を西へ向かうつもりだったが、 船で行くと、また、バイクが行方不明になるかもしれないと、 不安になり、 その夜は、計画 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その53 リスボン バイクはナポリへ 「チン、チン、チン」と、心地よい音に、私は目覚めた。 ベッドわきの窓を開けると、向かいの建物に挟まれた狭い石畳の坂道を電車が下っているのが目に入った。 雲一つない紺碧の空、朝日が前の建物に反射して、 二階にある私の部屋へ射し込み、気持ち良い、 さわやかなリスボンの朝であった。 前夜は下船に手間取り、このB&Bに着いた途端、 疲れが出て、すぐベッドに入ったが、 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その52 リスボン バイクはナポリへ 一九六八年六月十八日の深夜 ニューヨークを出港して八日目、リスボンに入港した。 下船手続きは終わり、 私のパスポートはだけが、客船の下船口、臨時の入管事務官のデスクにポツンと忘れられたように置かれていた。 私が彼に問いただすと、ポルトガルのビザがないので 下船できないと言った。 ポルトガル・ビザの必要性について、ニューヨークの旅行社も 乗船するときも、私は知ら [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その51 ヨーロッパへ 大西洋航路 ニューヨーク港を出港してすぐ、ロビーに夕食のメニューと、 円形テーブルの指定席表が張り出された。 食事は、いつも同じテーブルの指定された席と決められていた。 どのテーブルも、八人ほど座れる大きさで、 家族連れは家族連れ同士、夫婦連れは、夫婦連れ同士で 座るように一応は指定されていたが、 どういうわけか、私は老人カップルだけの席に指定され、 ときおり愛想笑いして話 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その50 ヨーロッパへ  大西洋航路 ポルトガルのリスボンまで、ギリシャ船籍の豪華客船で行くことになった。 当日、一九六八年六月十日、 出航は夕方であるが、接岸ピア(港)が多く、私の乗る客船が接岸しているピア(港)62を探すのに時間がかかるだろう思い、 昼食を済ませると、すぐ接岸しているピア(港)へ向かった。 乗船待ちの客は、子供までドレスアップしていた。 私だけが、アメリカ大陸横断の途中、 雨や [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その49 一九六八年六月十日 四年間住んだアメリカを離れる日が来た。 もう五十年の前のことで正確な数字は忘れたが、 バイクでアメリカ大陸横断に要した費用を計算してみた。 間違っておれば訂正をお願いする。 走行距離:      ロサンジェルス・ニューヨーク            5,500km 使用バイク:     ヤマハYM1(混合燃料)305CC 燃費:        30km(リッター) 使用 [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その48 リスボン行き客船の予約を済ませた後、バイクの最終整備をするため、ハドソン川の下にあるリンカーン・トンネルを抜け、 ニュージャージー州のチェリーヒルのヤマハ工場へ行き、 その日は、チェリーヒルのモーテルに泊まった。 翌朝、六月八日、ロバート・ケネディの葬儀を見るため、 ニューヨークへ。バイクは駐車場に預け、革ジャン、皮ズボン姿にヘルメットを抱え、群衆で大混雑のロックフェラーセンター前の、セ [続きを読む]
  • 1968年のバイク世界一周旅行
  • その47 アメリカ横断の疲れは全く感じなかった。 市内の中心地にあるホテルを訪ねたが、 ロバート・ケネディの葬儀を見ようと、全米から予約が殺到しており、全く予約できなかった。 YMCAにも行ったが、ラフな服装をしたヒッピーまがいの連中が長蛇の列をなしていた。 どんなところでもいい、とにかく泊まるところを確保しようと、 走り回っていると、偶然、予約できるホテルを見つけた。 やっとホテルを予約できた喜 [続きを読む]