ぺん さん プロフィール

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ぺんさん: ぺんの古墳探訪記
ハンドル名ぺん さん
ブログタイトルぺんの古墳探訪記
ブログURLhttp://pennihonshi.blog.fc2.com/
サイト紹介文古墳巡りが趣味の大学生ぺんによる探訪記。有名な古墳から超マイナーな古墳まで様々な古墳を訪れています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供84回 / 83日(平均7.1回/週) - 参加 2017/05/27 12:19

ぺん さんのブログ記事

  • 馬絹古墳-西福寺古墳
  • ??馬絹古墳当古墳は矢上川に面する丘陵先端部に存在している径33m、高さ6mの円墳です。南側から撮影。古墳の周囲は柵が巡っておりこれ以上は近づけませんでした。主体部は切石積の横穴式石室で玄室、第二室、第一室の3室からなっています。全長9.6m、玄室高さ3m、幅3mと県内では非常に大規模な石室で、切石の接合部には白色粘土が塗り込まれていました。さらに白色粘土を用いた円形の文様も確認されています。盗掘を受けていたた [続きを読む]
  • 法界塚古墳-清水谷1号墳-2号墳-宮崎大塚古墳
  • ??法界塚古墳(法貝塚古墳)こちらは田園都市線梶が谷駅の南400mほどの台地上に存在する古墳です。昭和5年に発掘調査が行われ、羨道部から奥壁まで全長5.9m、高さ1.59mの横穴式石室が確認されました。その際に出土品として金環2、碧玉小玉3、鞘尻1、人骨、人歯、金属片、埴輪片が確認されています。調査時には石室が露出していましたが、調査の後に封土を被せ埋め戻し復元されているようです。こちら現地案内板。土地を所有して [続きを読む]
  • 久本山古墳-桃之園古墳-北見方古墳-二子塚古墳
  • ??久本山古墳久本山古墳は久本神社裏の丘陵先端部に存在する古墳です。画像では中央の茂みの最高地点あたりになります。川崎市の遺跡地図に掲載されているのみで詳細は不明です。丘陵の崖下側から階段が続いていますが、現在は登れないようになっています。立派な階段が設置されているところを見ると、かつては公園となっていて自由に立ち入ることができたのでしょうか?なおこちらの崖にはいくつもの横穴墓が開口していました。 [続きを読む]
  • 野中ボケ山古墳-青山古墳
  • ??野中ボケ山古墳野中ボケ山古墳は古市古墳群中で10番目の規模を有する前方後円墳です。規模は全長122m、後円部径65m、高さ11.5m、前方部幅107m、高さ13m。画像は前方部側から撮影したものです。現在墳丘は仁賢天皇埴生坂本陵に治定されています。そのため主体部については明らかでありませんが、堤から円筒埴輪列が見つかっており、これから6世紀前半の築造とされています。宮内庁の御触書。遠景を撮影。画像右側が後円部、左側 [続きを読む]
  • 野中古墳-浄元寺山古墳
  • ??野中古墳(うらやぶ古墳)野中古墳は墓山古墳の北側に存在する一辺37m、高さ5mの方墳です。画像は南東部から撮影したもので、南側は大きく削平を受けています。こちら現地案内板。当古墳は一見すると普通の方墳ですが、非常に多くの出土品が出たことで有名になっています。墳頂から5列の木箱が見つかり、その中から36kgにも及ぶ鉄鋌や、鉄刀154、鉄剣16、鉄鏃740などの膨大な鉄製品、11組もの甲冑(1基の古墳から出土した甲冑 [続きを読む]
  • 墓山古墳-向墓山古墳
  • ??墓山古墳墓山古墳は応神天皇陵の陪塚(ほ号飛地)に治定されている前方後円墳です。しかし全長225m、後円部径135m、高さ20.7m、前方部幅153mと非常に大きな古墳で、古市古墳群中でも5番目の規模を誇っていることから陪塚ではないとする説が有力です。上の画像は後円部側を撮影したもので、左奥が前方部となっています。こちら現地案内板。陪塚に治定されているため調査は行われていませんが、後円部墳頂には竜山石製の石棺の蓋 [続きを読む]
  • 西馬塚古墳-軽里4号墳
  • ??西馬塚古墳当古墳は応神天皇陵のは号飛地に治定されている一辺45m、高さ7.5mの方墳です。堀からは様々な形象埴輪や須恵器、土師器が出土しており5世紀後半の築造とされています。応神天皇陵である誉田御廟山古墳の築造年代は5世紀前半で築造年代に差があり、そもそも墳丘から500mほども離れていることから陪塚ではないとする説が有力だそうです。こちらは現地案内板。南西側から撮影。近くで見てみると周囲にある同規模の古墳 [続きを読む]
  • 前の山古墳-白鳥神社古墳
  • ??前の山古墳(軽里大塚古墳)前の山古墳は古市古墳群中で7番目の規模を持つ前方後円墳です。全長190m、後円部径106m、高さ20.5m、前方部幅165m。画像は前方部側から撮影したもので左奥が後円部となっています。前方部高さが23.3mと、後円部のそれより3mほども高いのが特徴的です。墳丘や埴輪から5世紀後半の築造とされています。当古墳は景行天皇皇子である日本武尊の白鳥陵に治定されています。日本書紀の記述から亡くなった三 [続きを読む]
  • 白髪山古墳-小白髪山古墳
  • ??白髪山古墳当古墳は全長115m、後円部径63m、高さ10.5m、前方部幅128mの前方後円墳です。全長よりも前方部幅のほうが長いのが特徴的ですが、これは江戸時代末期の陵墓改修工事により現在のような形になってしまったことが明らかになっているそうです。画像では奥が後円部で、手前が前方部です。当古墳は現在宮内庁により清寧天皇河内坂門原陵に治定されています。白髪山古墳という名称も「清寧天皇は生まれた時から白髪だった」 [続きを読む]
  • 小口山古墳-小口山東古墳-西山古墳
  • ??小口山古墳小口山古墳は峰塚公園内に存在する径14mの円墳です。主体部は長さ2.7m、幅1.6m、高さ1.6mの横口式石槨で、現在も内部を見学することが可能です。開口部手前は両側に石が積まれ、さながら横穴式石室の羨道部のような構造をしています。石槨内部を撮影。天井の一部が破損しているのが気になるところですね..。主体部から当古墳の築造年代は7世紀後半に位置付けられています。現地案内板。元々字が消えかかっている上、 [続きを読む]
  • 割塚古墳-峯ヶ塚古墳
  • ??割塚古墳割塚古墳は仲哀天皇陵に治定されている岡ミサンザイ古墳のすぐ南東に位置しています。一辺30m、高さ3mほどの方墳で、道を挟んだ反対側に存在した岡古墳とともに1基の塚を成していたが、工事によって2基の塚となった。との言い伝えがあります。現地案内板。〜??峯ヶ塚古墳峯ヶ塚古墳は割塚古墳から2kmほど南の扇状地に存在しています。(割塚古墳から離れていて分かりにくいのですが、古市古墳群が羽曳野市と藤井寺市 [続きを読む]
  • 岡ミサンザイ古墳-岡古墳
  • ??岡ミサンザイ古墳岡ミサンザイ古墳は全長242m、後円部径148m、高さ19.5m、前方部幅182mの巨大前方後円墳です。これは古市古墳群では誉田御廟山古墳、仲津山古墳に次ぐ3番目の大きさで、全国でも16番目の規模を誇っています。上の画像は前方部西側から撮影したもので左奥が後円部となっています。こちらは前方部東側から。墳丘くびれ部東側には造出しと考えられる出っ張りが存在していますが、これは後世に城郭として二次利用さ [続きを読む]
  • 鉢塚古墳-葛井寺1号墳-2号墳-3号墳
  • ??鉢塚古墳鉢塚古墳は古市古墳群に属する前方後円墳です。南100mほどの場所には仲哀天皇陵である岡ミサンザイ古墳が存在しており、その陪塚と考えられています。規模は全長60m、後円部径38m、高さ6.5m、前方部幅40m。こちら現地案内板。東側から後円部を撮影。仲哀天皇陵の陪塚と考えられていると上述しましたが、宮内庁に治定されているわけではないので自由に立ち入ることができます。上の画像は後円部から前方部を撮影。こち [続きを読む]
  • 大塚-愛川町2号墳-3号墳-4号墳-5号墳
  • ??大塚(愛川町1号墳)こちらは相模川西岸の台地辺縁部に存在する高塚です。画像は南側から撮影したもので49.0×59.7m、高さ13.0mの規模があります。近づいて撮影。木々が鬱蒼としており全体は確認できません。未調査のため古墳かどうかは明らかでありませんが、登ってみた感じではただの小山のようにも見えます。しかし、仮に古墳だとしたなら県内最大規模の円墳となります。今後の調査がとても楽しみです。〜??愛川町2号墳以 [続きを読む]
  • 荻野・三田地区17号墳-20号墳-2号墳
  • ??荻野・三田地区17号墳(梵天塚)こちらは荻野川東岸の台地上、畑内に存在する古墳です。現在でもわずかに墳丘が残されており2.0×1.8m、高さ0.5mほどの規模があります。画像では中央の草に覆われた高まりがあるのが確認できると思います。新編相模国風土記稿には「梵天塚高九尺等の名あり」と記されていることから、かつては9尺(高さ2.7mほど)の高さがあったことが分かっているようです。〜??荻野・三田地区20号墳こちらは [続きを読む]
  • 菩提北石原64遺跡-堀西稲荷山遺跡
  • ??菩提北石原64遺跡菩提北石原64遺跡は葛葉川右岸の台地上に存在しています。1971年の遺跡台帳に記載されているのみで、現在は消滅しているらしく一切の痕跡が残されていません。地元の方への聞き込みにより塚があったとされているのが上の画像の辺りです。なお、当遺跡の東側には菩提馬場古墳群が、その北側には菩提横手遺跡が並んで存在しています。〜??堀西稲荷山遺跡こちらは渋沢駅北側の住宅街の中に存在した高塚です。画 [続きを読む]
  • 垂仁天皇陵飛地ろ号-は号
  • ??垂仁天皇陵飛地ろ号陪塚ろ号は、垂仁天皇陵である宝来山古墳の西側に存在しています。現在は皇大神社境内となっており立ち入ることはできません。奈良県遺跡地図webでは円墳とされていますが、様々な方のブログを拝見させてもらったところ方墳であると考えられているようです。宮内庁の御触書。こちらは皇大神社。この裏手に古墳が存在します。〜??垂仁天皇陵飛地は号こちらは宝来山古墳の南側の畑内に存在している径28mの古 [続きを読む]
  • 兵庫山古墳-宝来塚垣内古墳
  • ??兵庫山古墳(垂仁天皇陵い号陪塚)こちらは垂仁天皇陵である宝来山古墳の北西に存在するい号陪塚です。径40mほどの円墳とされています。道路のすぐ脇に存在しており、また周囲には住宅が立ち並んでいるため全景を撮影することはできません。〜??宝来塚垣内古墳(仮)こちらは宝来山古墳の西側に存在しています。古墳であるとの確証は持てないようですが、道や田圃の畦道が円墳を彷彿とさせるような弧を描いていることから奈 [続きを読む]
  • 宝来山古墳-田道間守墓
  • ??宝来山古墳宝来山古墳は垂仁天皇菅原伏見東陵に治定されている全長230m、後円部径130m、前方部幅125mほどの巨大前方後円墳です。いくつもの巨大前方後円墳からなる佐紀盾列古墳群から西側に外れた場所に存在しており、周囲に大きな古墳はありません。上の画像は前方部側から撮影したものです。周濠内には田道間守墓に治定されている中島があります(画像右側)。こちら宮内庁の御触書。こちらは古墳の北側にまわって後円部を撮 [続きを読む]
  • ニサンザイ古墳-定の山古墳
  • ??ニサンザイ古墳(土師ニサンザイ古墳)ニサンザイ古墳は百舌鳥古墳群南東端に存在する全長290m、後円部径156m、前方部幅224mの巨大前方後円墳です。これは百舌鳥古墳群中では仁徳天皇陵である大山古墳、履中天皇陵であるミサンザイ古墳に次いで3番目、全国でも8番目の規模を誇ります。墳丘南西部から。上で全長290mと述べましたが、濠の水によって墳丘は崩れているようで築造当時は300mを上回る大きさがあったようです。5世紀 [続きを読む]
  • 正楽寺山古墳-ドンチャ山古墳-文山古墳-飛鳥山-舞台塚
  • ??正楽寺山古墳当古墳は東百舌鳥陵墓参考地であるニサンザイ古墳の南西部、陵南中央公園内に存在しています。径16mの小円墳と考えられていますが主体部は未調査につき不明です。出土した須恵器杯蓋から6世紀前半以降の築造とされています。美濃川を挟んだ対岸には百舌鳥古墳群の築造に関わった技術者らの集落とされる土師遺跡があります。このため当古墳や西側に存在した平井塚古墳(全長58mの前方後円墳)、後述するドンチャ山 [続きを読む]
  • 鎮守山塚古墳-文殊塚古墳
  • ??鎮守山塚古墳こちらは御廟山古墳の東側、光明院の境内に存在する円墳です。現在は西側(画像左側)が道路によって削られ、東側も防空壕が掘られていたりと保存状態は良くありません。築造当時の規模は径34m、高さ4m以上と見られています。主体部は封土の状況から粘土槨と見られ、墳丘からは様々な形象埴輪の他、祭祀に使われたと考えられる人型土製品が出土しています。どうやら古墳があるのはお寺の関係者のみのスペースのよ [続きを読む]
  • 経堂古墳-かぶと塚古墳-大塚山古墳
  • ??経堂古墳当古墳は履中天皇陵であるミサンザイ古墳の南西に位置する径20m、高さ2mの円墳です。宮内庁により履中天皇陵の陪塚に治定されているものの、現在墳丘は個人宅の敷地内に取り込まれる形で存在しています。お宅の敷地内に宮内庁管轄の古墳があるというのはとても不思議な感じですね。〜??かぶと塚古墳こちらは全長50m、後円部径42m、前方部幅22mの帆立貝式前方後円墳です。しかしながら後円部は画像左の道路により削ら [続きを読む]
  • 西酒呑古墳-東酒呑古墳-無名塚7号墳
  • ??西酒呑古墳当古墳は履中天皇陵であるミサンザイ古墳の西側300mほどのところに位置する円墳です。宮内庁により履中天皇陵の陪塚に治定されています。規模は径25m、高さ3mほど。東側から。夕暮れ前だったため逆光が強く、かなり見にくくなってしまいました..。〜??東酒呑古墳こちらはミサンザイ古墳の西側100mほどの場所に存在する径21m、高さ2mの円墳で、西酒呑古墳と同様陪塚に治定されています。この古墳は周囲を宅地で囲ま [続きを読む]
  • ミサンザイ古墳
  • ??ミサンザイ古墳(石津ヶ岡古墳・履中天皇陵)ミサンザイ古墳は履中天皇百舌鳥耳原南陵に治定されている前方後円墳です。仁徳天皇陵である大山古墳(486m)、応神天皇陵である誉田御廟山古墳(425m)に次ぐ、全国第3位の規模を誇る巨大前方後円墳となります。画像は前方部下側の拝所から撮影したものです。こちら宮内庁の御触書。履中天皇は仁徳天皇の子に当たる人物です。後述する埴輪などから5世紀初頭の築造と考えられていま [続きを読む]