由比 貴資 さん プロフィール

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由比 貴資さん: ブログ猫間障子
ハンドル名由比 貴資 さん
ブログタイトルブログ猫間障子
ブログURLhttp://nekomasho-ji.sblo.jp/
サイト紹介文福岡県の最西部、糸島のささやかな名所旧跡を訪ねて、その歴史や伝説を紹介するフォトブログです。
自由文山あり海あり、川あり平野あり、豊かな自然に包まれ、歴史ロマンをぐっと秘めた糸島をのぞいてみてください。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供13回 / 1日(平均91.0回/週) - 参加 2017/06/01 15:13

由比 貴資 さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 志摩師吉の大石に祀られた巨大な石と女神  2017年5月
  • 志摩師吉の大石に祀られた巨大な石加布羅(がぶら)橋から、県道54号線を志摩師吉(もろよし)方面に進むこと300メートル、高台の新興住宅地の東口には、でんと巨大な石が鎮座している。石は複数あって、最も大きなもので、高さ2.5メートル、長さ5メートル、幅3メートルもある。この辺りの地名を「大石」と呼ぶのは、この巨石が起こりといわれている。嘉永4(1851)年、福岡藩よりこの大石を切り出すようにとお達しがあった。同年 [続きを読む]
  • 平等寺跡の山茶花塚 2017年4月
  • 潤の平等寺跡国道202号線が雷山川と交わる潤(うるう)橋から北西50メートルには、うるう幼稚園があって、その隣に真清水(益水)観音堂がある。この場所一帯は、かつて「平等寺」という禅宗の古寺があった。お堂の北50メートルに「番田(番殿・ばんでん)」、東100メートルに「鐘撞(かねつき)」という通称地名が残っていることからも、100メートル四方もあったという、七堂伽藍を極めた大寺の規模が想像できるだろう。創建は、 [続きを読む]
  • ひっくしの由来と桑原・四所神社  2017年3月
  • 桑原の「ひっくし」柑子岳の南、桑原に流れる大原川の東橋辺りには、「飛櫛」という地名があった。あった、というのは公式地名としては既に消滅しているからである。飛櫛は「ひっくし」と読み、現在は「桑原飛櫛貝塚」にその名を留めるのみ。近くには、北に東泉寺、西に四所神社がある。この変わった響きの地名の起こりは、戦国時代まで遡るという。東泉寺は、寛文年間(1661-1673年)に、大応国師によって博多・福崇寺の末寺とし [続きを読む]
  • 草場池の大蛇を退治したのは、楢崎将監光方ではないか   2017年3月
  • 白木神社のこと柑子岳の「村上登山口」から、西に100メートルのところにある神社である。祭神は、「林業の神様」として知られる五十猛命(いそたけ の みこと)。正親町天皇の永禄年間(1558-1570年)、柑子岳城に臼杵氏居城の時には山中の立野という場所にあったが、現在の場所へは落城後に移築された。また、同区には、柑子岳城の城代・臼杵進士兵衛鎮氏と、その家臣であった楢崎将鑑光方を祀る「楢崎神社」がある。趣がある木造 [続きを読む]
  • 柑子岳と、柑子岳城を取り巻く戦国糸島   2017年1月
  • 柑子岳の眺望福岡市西区の北に位置する柑子岳(こうしだけ)は、かつては志摩郡の内で、東は草場村、西は今津村に属した。標高254.5mの低い山だが、登山ルートが整備されており、展望所から見晴らす景色も素晴らしい。ハイキングがてらの登山客も、年間を通して少なくないようである。私は訪れたのは1月末、「一ノ谷登り口」から東回りに登って、山頂には30分ほどで、一周には1時間から1時間半くらいかかったと思う。当日は天気に [続きを読む]
  • 六所神社と油比神社  2017年1月
  • 境内は一体どこにある…志摩イオン方面から県道85号線を東進すること1km足らず、右手に大きな鳥居が見えてくる。扁額には「六所神社」と認められるが、通りに対して斜向きの鳥居の後ろには、田畑が広がるばかりで、肝心の境内も社殿も見当たらない。さらに東に150mで、また鳥居。ここが、社殿の前後に巨大な2本のヒノキがまっすぐ伸びる、六所神社の境内である。六所神社の盛衰祭神は、熊野三神と住吉三神の合わせて六柱を祀る。こ [続きを読む]
  • 今津の鎮守の杜、登志神社と四所神社   2016年12月
  • 今津を守る神古来より外国船が多く来集する地であった今津には、その鎮守のために「登志神社」と「四所神社」が祀られていた。登志神社のこと登志宮こと登志神社は今津の産神で、古くは大社であって朝廷の崇敬も厚く、神領も多かった。祭神は、豊受皇大神、中筒男命、姫大神の三柱である。神宝には、縁起をはじめ、猿楽面、笛、假面などがあったというが、天保15(1844)年にすべて焼失した。現在、9月初旬には境内にて、今津人形 [続きを読む]
  • 今津と臨済宗の開祖・栄西の足跡  2016年12月
  • 今津の昔現在の福岡市の西北、博多湾の西に面する「今津」は、古くは中国からの船が多く来集した港で、「登志湊(としのみなと)」と呼ばれていた。古代の律令制における国・郡・里の当時の名称を記した辞書『和名抄』(平安時代中期成立)を紐解けば、志摩七郷の一つに「登志」の郷名が認められる。今津と怡土庄平安時代の終わり、中央の有力な大寺社や公家は、海外の珍しい品々を入手しようと、こぞって博多沿岸の荘園権利を求め [続きを読む]
  • 楠田寺と身代わり地蔵伝説のこと   2016年12月
  • 怡土七ヵ寺の一、楠田寺とは東(ひがし)の真方、バイパス下の真方交差点から、県道を長野峠に向かって南に200メートル進んだ辺り、左手の小山の中腹に寺院がある。山門も扁額もなく、どこから境内なのかすらわからない。緩やかな山道の詰まりに古びた堂舎が一棟あるだけ。ここが、かつては七堂伽藍の隆盛を極めた、楠田寺(くすでんじ)とはなかなか想像できないだろう。山号を種宝山と号し、二丈波呂・龍国寺の末寺である。その [続きを読む]
  • 祖父の思い出   〜祖父のノートより
  • 祖母は九人の子を育てたせいか子ども嫌いで、祖母の膝に私が腰掛けると、衣服にシワがよるといって、払いのけられたのをよく覚えている。祖父はそれほど他所の孫と内の孫とを区別はしなかった。祖父は従弟たちが来るとよく世話をしていた。兄はそれを見て、従兄弟たちに対抗意識を持っていたようだったが、これが後々まで響いてくることになる。私は、相当大きくなるまで祖父っ子であった。「ショウスケ来い」とすぐ命令される。そ [続きを読む]
  • 修行を積んだ蛇は龍になるという 【 養円寺の昇龍伝説 】   2016年10月
  • 海千山千長く経験を積んで、世の中の裏も表も知り尽くした強(したた)か者のことを、やや皮肉を込めて「海千山千(うみせんやません)」などと表現する。この言葉の語源をたどれば、海または山に千年棲んだ蛇は、やがて龍になる(立派になる)という故事に由来するらしい。龍興山・養円寺さて、その「龍」の字を山号に冠する寺院は糸島にもいくつかある。佐波海岸から加茂川に沿って、南に300メートル進んだところには、「龍興山 [続きを読む]
  • 糸島でたった一つだけの式内社、志登神社とは   2016年9月
  • 小学校の遠足で行った小学校では春と秋に遠足に行くが、私が前原小1年の秋には、「志登神社」に訪れたことを覚えている。それがよほど印象に残っているわけでもないのだが、私が神社と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、いつもここである。田畑の中に、こんもりと佇む緑深い鎮守の森。鳥居をくぐれば、参道の左右に並んだ石灯籠の間を、さらりと、涼風が抜き抜けてくる。糸島唯一の式内社とは今から1100年以上昔の平安時代中期、醍醐 [続きを読む]
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