ともみ さん プロフィール

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ともみさん: アダルトチルドレン物語
ハンドル名ともみ さん
ブログタイトルアダルトチルドレン物語
ブログURLhttp://ameblo.jp/oyanokoto/
サイト紹介文機能不全家族(兄の家庭内暴力・面前DV・母の支配)、強迫性障害を乗り越えACを回復させるまで
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供22回 / 46日(平均3.3回/週) - 参加 2017/06/04 12:07

ともみ さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 私を追い詰めていったのは、毒親ではなく、毒家庭・毒家族
  • 前回の記事、下記リブログで、母の事を「嫌いと言えば、嫌い、好きと言えば好き、恨んでいると言えば恨んでる」でも「好きと言えば好き」 でも、私にとって「恨んでるとか、嫌いとか」もはや どうでもいい事。相反する思いを持つ方が正常だし、どんな感情もOKだよ。 そんなブログを書いたのですが、私がどうしてこういう思いを持っているか、捕捉の記事を書いてみたいと思います。 兄が家庭内暴力の状態になった事、これはやはり [続きを読む]
  • 恨んでいると言えば恨んでいる、好きと言えば好き、(母の事)ACの回復とは
  • こういったブログを書いていると、私は 「母の事を、恨んでいる」「母の事が、嫌い」 そんな風に思われがちなのですが、 これは違うかな? 別に恨んでないし、嫌いでもないかな・・・。 いや、恨んでると言えば恨んでるし、嫌いと言えば嫌いなんですよね。 なぜなら、 「私が味わってきた思いを 後に訴えても、何一つ伝わらなかったから・・・それどこか、真逆の反応が返ってきたから。」「それに私の人生を返して欲しい、と言う思 [続きを読む]
  • その場にいないと伝わらない母の威圧感、劣等感を子供で解消しようとした母
  • 下記リブログで書いた母からの「暴力、暴言、嘲笑」これを文字にして書いてみると、あまり伝わらないなぁと、思いました。 機関銃のように 母の口から飛び出してくる暴言、 ほんと 嘲笑うという言葉がピッタリの母が子供にしてくる嘲笑風景。その時、その場にいて、実際に母の声、表情から感じる威圧感を、受けこの言葉にさらされない限り、絶対分からないものだなと思いました。 この事に限らず、どんな事でもそうなんだろうな [続きを読む]
  • 母親ロスを強いられてきたアダルトチルドレン
  • 昨日ヤフーニュースで「母親ロス」の話が載っていました。 日本では、お母さんとの絆が深い人が多いので、お母さんという存在が亡くなってしまった時の対象喪失反応についての記事です。 この記事読んでいて思ったのですが、 毒親育ち、アダルトチルドレンの人は、母親は、ちゃんと生きていて健在にもかかわらず、 「母親ロス」の生活を小さい頃から、強いられたきた人達なんですよね。 一番自分の味方になってくれ、一番側にいて [続きを読む]
  • 周りの子に負けてしまった時の、母の暴力・暴言
  • 下記リブログでちょっと触れましたが、母がライバル視している周りの子達に勝てなかった時(負けてしまった時) 母が私に示してきた怒りは、相当なものだったのです。母が知っている限りの言葉を駆使し、馬乗りになり、暴言を吐き叩きましてきました。 今思い出せる光景。小学校三年生の、珠算教室での事でした。その日は、昇級試験の発表の日。私は合格できず、近所に住む同い年のNちゃんは合格。私の、血の気は引いていました。「 [続きを読む]
  • 生まれる場所が違ったら・・こんな事になってなかった
  • 誰もボクを見ていない: なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか Amazon この本についての記事を、今日は、私の別ブログ 「ACからの回復〜愛情と言う名の支配を脱して」( or タップ)で書いていますので、良かったら読んでみてくださいね。 この少年の育った環境が、判決にどうしてもっと反映されなかったのか、悔しい思いになったし、この本のタイトルに、グッと心にこみ上げる思いがありました。 ★現在 私は、カウンセ [続きを読む]
  • 母がライバル視していた子達に勝たねばならない生活 母の劣等感解消
  • 私たちは、年子の兄弟だったので、兄が小1になった時、私は 幼稚園の年長でした。幼稚園の頃から、すでに教育ママの母でしたが、小学校へ兄が上がると同時に、その教育ママ度は、どんどん高まっていきました。 一週間の習い事(習い事の練習時間を含む)、勉強のスケジュールは、母によって、事細かに決められていました。 母の、徹底的な教育熱心さは、母が中卒である劣等感から来ているものなので、 たんに、習い事へ行っただけで [続きを読む]
  • まるで兄の奴隷、奴隷の心理状態に
  • ここのとこ、兄が私を支配していく様子を書いているのですが、(兄の支配を) 如実にれている記憶の風景があります。年子の兄妹なので、習い事は、いつも兄妹で一緒に行っていました。(一緒に行かねばなりませんでした)兄が小1の頃に、私に言い放った言葉、「俺と並んで歩くな。お前は、何歩か下がって後ろからついてこい」この命令をされてから、兄と出歩く時、いつも、後ろをついて歩かねばなりませんでした。 いつも、ひたすら兄 [続きを読む]
  • 泣き叫ぶ私は母の生活を冒す悪い奴、床に投げ落とす父
  • 下記リブログの続きです。 物心ついた頃には、兄は毎日のように何かと、いちゃもんをつけ、最終的には、それが殴ったり、蹴ったり、つねったりに発展しました。 痛いから怖いから 当然のよう 「ギャー」と泣き叫んでいた私。 「お父さーん お母さーん」 と泣きながら助けを呼んだ事もあります。 そんな時の父と母の反応 母「何泣き叫んでいるの、うるさい 黙りなさい。あんたは、いつもいつもうるさい」  そして「うるさい、泣 [続きを読む]
  • 兄からのいじめ、上の子の権力、男の腕力を最大限駆使して
  • 私達兄妹は、年子だからでしょうか。よく喧嘩をしました。 いや、矛盾した事を書くのですが、いわゆる 「喧嘩」と言う物は、殆どした事がないように思います。 喧嘩って、 「言い合い」「殴り合い」 と言うように、双方からの「合い」が入ったもにだと思うのですが、うちの場合、ひたすら一方的なイジメとして、行ってこられたからです。いつも、上の子の権力、男の腕力を最大限駆使してかかってかられたので、私には応戦のしよう [続きを読む]
  • 母の心を支えていたものは、世間からの評価 兄はお気に入りの子
  • 私の母が、私達兄妹に強制してきた事は、 「教育虐待」と呼んでいいものだっと思いますが、今思えば、母が求めた 「勉強」「習い事」で一番になる事は、まだ私自身、努力のしようがありましした。(もちろん私は天才ではありませんから、いつもいつもは無理で、年齢とともに心がどんどん崩壊していきました。) しかし私にとって、もっとも過酷で努力のしようがない母からの強制は、 「人の先頭に立つ事」「リーダーシップを取る人間 [続きを読む]
  • 私は出来ない子、頭の悪い子と始めて思った日
  • 教育虐待に繋がっていく、母の教育ママは、いつから始まったのでしょうか。今日からは、具体的な出来事を少しずつ綴っていこうと思います。幼稚園入園以前の頃は、断片的にしか記憶がないので、よく分からないのですが、 私の兄によると、幼稚園入園前の、3、4歳の頃?には、字を覚えさせられていて、その教え方は厳しく、字を間違えるたび母は、鬼の形相で、叩きまわし、蹴りまわしていたそうです。 そうですね。私が記憶している [続きを読む]
  • 母の幸せのためだけの人生、面前DVの影響
  • 私が記憶する限りで、(子供時代、そして大人になってからも、しばらく)親に反抗をした事がありません。 私が反抗期に至る以前に、先に兄が、母にひどい暴力を振るっていたので、 「私までもが反抗してしまったら、お母さんが可哀想」 「私までもが反抗してしまったら、家庭が崩壊してしまう」 当時は、明確にこれらの思いを感じていたわけではありませんが、とにかく、何も逆らった事がなかったと思います。 いや、逆らった事がな [続きを読む]
  • 母を暴力から守るだけの人生 私だけでもいい子でいよう
  • 兄の家庭内暴力は、兄が中二、私が中一の時に始まりました。 最初は、 「お前が(母の事)言った時間にお風呂に入れるか」「晩御飯の量が少ない」「こんなまずい料理が食えるか」 とそんな反抗程度のものでした。 その頃、母は、祖父母の介護問題を抱えており生活が日々大変になりつつあった時期で、(そんな時期に)母に迷惑をかける行為をする兄の事に、少し憎しみの感情を持っていました。 子どもって、みんなそうなのかもしれませ [続きを読む]
  • 父が母の言いなりになった過程 家庭内で自分の立場を優先させた父
  • 下記リプログの続きの話です。 「父が母の言いなりの人になった背景」「母のイエスマンの父になった背景」「母が命令した通りの子育てをするようになった背景」 には、母の強烈な家庭内での力がありました。私が生まれ育った家は、¨母が言った事が、家庭内の法律¨こんな感じの家でした。 そこに至った過程には、父と母の結婚当初の出来事があります。 父は、下記リプログで書いたように、良識的な人で、威圧的な態度を取る人では [続きを読む]
  • 無関心な父、母に言いなりの父、家にはいたけど存在してなかった父
  • 私が、原家族の話をしていると、「お父さんの話が、あまり出てきませんね」「お父さんは、おられたんですか」「お父さんは、その時どうしてたんですか」等、よく質問されます。父は、いました。ちゃんと働き家族を養ってくれる父は、ちゃんと家にいました。しかし父は、家の中に、いたにはいたけれど、私の感覚としては、形として、そこに存在していただけでした。 〇兄が母に暴力を振るっていても、何事もなかったように過ごす父 [続きを読む]
  • 母の前では完全な人間でなければならないと知った日
  • うちの母が、教育ママだと最初に感じたのは、いつの事だったでしょう。私の記憶にある一番古い風景は、幼稚園の時の事だったと思います。その日は、参観日。自分のお母さんが幼稚園に来てくれると言う事で、ワクワクした思いでいました。参観中(嬉しくて)母を何度も振り返っていた私。でも母の表情がすごく気になり、不安を感じていました。「母は、どうして、あんな怖い顔をしているのだろう?私の気のせいだろうか」キリスト教系 [続きを読む]
  • 母の劣等感から始まった教育虐待 家庭内暴力へ
  • 私の母は、教育熱心な人でした。 その熱心さは極端で、¨教育虐待¨と言っていいルベルのものでした。 私は、兄ではないので、兄がどんな心理状態になり、母に暴力を振るうようになっていったかは、分からないのですが、 母が私達、兄妹に強いてきた教育は、兄の家庭内暴力に大きな影響を与えていると思います。 話は、少し飛びますが、私の母の最終学歴は、中卒でした。 母は、今まで生きてきた中、この学歴のため、多くの悔しさ [続きを読む]
  • 罰(バチ)があたったんだ・・・
  • 小学校5年くらいの時の事でした。 新聞記事を読んでいて、あるニュースに目が留まりました。 母子家庭の家のお母さんが、 「中学生の息子が、日常的にお母さんに暴力を振るいお金をふんだくっていくので、たまりかね、とうとう息子を殺してしまう」 そんなニュースだったと思います。 これを読んだ私は、完全に他人事で、 「へぇぇ世の中には、こんな事が起こるひどい家もあるんだ。自分の家が、そんな家でなくて良かった」と。 こ [続きを読む]
  • 家庭内暴力の始まり 一変した暮らし
  • 生まれ育った家での暮らしを回想した時、まず私の頭に浮かんでくる風景は、兄の家庭内暴力のシーンです。  しかしこの出来事は、もうずいぶん前の事だし、今は新しい幸せを手に入れているので、家庭内暴力の生々しいシーンが、日常的に頭に浮かんでくるわけでは、ありません。 でも、私の生きてきた人生を語る時、兄の暴力は、抜かすことが出来ないもので、言葉の使い方としてはちょっと変かもしれませんが、私が原家族での暮らし [続きを読む]
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