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2017/06/13

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  • みちのくの小京都・角館

    みちのくの小京都・角館枝垂れ桜が爛漫と咲き誇る姿を思い描きながら、角館駅に到着する。やはり花のシーズンである。たくさんの人が駅に溢れていた。駅近くにある観光案内所で散策地図を手に入れ、さっそく町歩きを開始する。まずは駅通りと呼ばれる広い通りを西に歩く。しばらく行くと、町を南北に貫く通りに突き当たる。その通りが武家屋敷通りだ。その通りの北側に位置するのが武家町(内町)で、深い木立に覆われた閑静な地域になっている。一方、南側は町人町(外町)で、たてつ家や西宮家などの幾つかの商家が今も残り、家並みが櫛比する地区になっている。この地に城下町がつくられたのは、元和6年(1620)と古い。この地を所領した芦名氏が現在見るような城下町をつくり、その後、秋田藩の所領となり佐竹家が入部した。以来400年近く城下町として栄えたので...みちのくの小京都・角館

  • 武家屋敷と枝垂れ桜の角館

    枝垂れ桜が爛漫と咲き誇る姿を思い描きながら、角館駅に到着する。やはり花のシーズンである。たくさんの人が駅に溢れていた。駅近くにある観光案内所で散策地図を手に入れ、さっそく町歩きを開始する。まずは駅通りと呼ばれる広い通りを西に歩く。しばらく行くと、町を南北に貫く通りに突き当たる。その通りが武家屋敷通りだ。その通りの北側に位置するのが武家町(内町)で、深い木立に覆われた閑静な地域になっている。一方、南側は町人町(外町)で、たてつ家や西宮家などの幾つかの商家が今も残り、家並みが櫛比する地区になっている。この地に城下町がつくられたのは、元和6年(1620)と古い。この地を所領した芦名氏が現在見るような城下町をつくり、その後、秋田藩の所領となり佐竹家が入部した。以来400年近く城下町として栄えたのである。今は桜の名所とし...みちのくの小京都・角館

  • 作家三浦哲郎の故郷・一戸町

    三浦哲郎といえば私小説作家として知られている。出世作『忍ぶ川』は芥川賞を受賞している。三浦の生まれ故郷は青森県の八戸であるが、青春期には父の故郷である岩手県一戸で生活している。したがって、三浦の感性を育てたのは一戸と言っていい。氏の住まった家が今も一戸に残されているし、菩提寺もある。桜の花が咲き誇る、5月のある日、私は一戸を訪ねた。盛岡からいわて銀河鉄道のローカル線に揺られること1時間ほどで一戸に着いた。車窓からは、ようやく春を迎えたという風情の、まだ冬枯れの様相を呈している潅木の林や所々に蕗の薹が顔をだす畑が眺められた。車内を見渡すと、通学の学生やらいかにもこの地方特有の風貌をした年配の乗客が多いのに気づく。ローカル線とはいえ、乗客が多いのは、この鉄道が地元の人々の生活の足になっているためだろう。今回は一戸を...作家三浦哲郎の故郷・一戸町

  • 作家、三浦哲郎の故郷・一戸町

    三浦哲郎といえば私小説作家として知られている。出世作『忍ぶ川』は芥川賞を受賞している。三浦の生まれ故郷は青森県の八戸であるが、青春期には父の故郷である岩手県一戸で生活している。したがって、三浦の感性を育てたのは一戸と言っていい。氏の住まった家が今も一戸に残されているし、菩提寺もある。桜の花が咲き誇る、5月のある日、私は一戸を訪ねた。盛岡からいわて銀河鉄道のローカル線に揺られること1時間ほどで一戸に着いた。車窓からは、ようやく春を迎えたという風情の、まだ冬枯れの様相を呈している潅木の林や所々に蕗の薹が顔をだす畑が眺められた。車内を見渡すと、通学の学生やらいかにもこの地方特有の風貌をした年配の乗客が多いのに気づく。ローカル線とはいえ、乗客が多いのは、この鉄道が地元の人々の生活の足になっているためだろう。今回は一戸を...作家、三浦哲郎の故郷・一戸町

  • 作家、三浦哲郎の故郷・一戸町

    三浦哲郎といえば私小説作家として知られている。出世作『忍ぶ川』は芥川賞を受賞している。三浦の生まれ故郷は青森県の八戸であるが、青春期には父の故郷である岩手県一戸で生活している。したがって、三浦の感性を育てたのは一戸と言っていい。氏の住まった家が今も一戸に残されているし、菩提寺もある。桜の花が咲き誇る、5月のある日、私は一戸を訪ねた。盛岡からいわて銀河鉄道のローカル線に揺られること1時間ほどで一戸に着いた。車窓からは、ようやく春を迎えたという風情の、まだ冬枯れの様相を呈している潅木の林や所々に蕗の薹が顔をだす畑が眺められた。車内を見渡すと、通学の学生やらいかにもこの地方特有の風貌をした年配の乗客が多いのに気づく。ローカル線とはいえ、乗客が多いのは、この鉄道が地元の人々の生活の足になっているためだろう。今回は一戸を...作家、三浦哲郎の故郷・一戸町

  • 作家、三浦哲郎の故郷・一戸町

    三浦哲郎といえば私小説作家として知られている。出世作『忍ぶ川』は芥川賞を受賞している。三浦の生まれ故郷は青森県の八戸であるが、青春期には父の故郷である岩手県一戸で生活している。したがって、三浦の感性を育てたのは一戸と言っていい。氏の住まった家が今も一戸に残されているし、菩提寺もある。桜の花が咲き誇る、5月のある日、私は一戸を訪ねた。盛岡からいわて銀河鉄道のローカル線に揺られること1時間ほどで一戸に着いた。車窓からは、ようやく春を迎えたという風情の、まだ冬枯れの様相を呈している潅木の林や所々に蕗の薹が顔をだす畑が眺められた。車内を見渡すと、通学の学生やらいかにもこの地方特有の風貌をした年配の乗客が多いのに気づく。ローカル線とはいえ、乗客が多いのは、この鉄道が地元の人々の生活の足になっているためだろう。今回は一戸を...作家、三浦哲郎の故郷・一戸町

  • 作家、三浦哲郎の故郷・一戸

    三浦哲郎といえば私小説作家として知られている。出世作『忍ぶ川』は芥川賞を受賞している。三浦の生まれ故郷は青森県の八戸であるが、青春期には父の故郷である岩手県一戸で生活している。したがって、三浦の感性を育てたのは一戸と言っていい。氏の住まった家が今も一戸に残されているし、菩提寺もある。桜の花が咲き誇る、5月のある日、私は一戸を訪ねた。盛岡からいわて銀河鉄道のローカル線に揺られること1時間ほどで一戸に着いた。車窓からは、ようやく春を迎えたという風情の、まだ冬枯れの様相を呈している潅木の林や所々に蕗の薹が顔をだす畑が眺められた。車内を見渡すと、通学の学生やらいかにもこの地方特有の風貌をした年配の乗客が多いのに気づく。ローカル線とはいえ、乗客が多いのは、この鉄道が地元の人々の生活の足になっているためだろう。今回は一戸を...作家、三浦哲郎の故郷・一戸

  • 銚子から犬吠埼へ

    6月の中旬の梅雨晴れの1日、銚子、犬吠埼を訪ねた。初夏の海風が気持よく吹きつける岬の旅はさぞかし快かろうという期待感で胸はふくらんでいた。何よりも、予想外の天気の良さだったのだから。半島とか岬が人をひきつけるのは、それらが隅っこにあるということが最大の理由だろう。中心からはずれた辺境、そこには私達が忘れてしまっている何かが今も生きているにちがいなく、それをこの目でたしかめてみたい、という、ひそかな願望があるように思える。実際、訪れた岬の生活風景は、想像していたよりも鄙びたものではなかった。時折、この地方独特の民家が散見されるものの、概して、どの家も今風のつくりに建て替えられていて、調子抜けした感じではあった。むしろ、銚子から終点の外川までを結ぶ銚子電鉄の一輛電車に乗った時に、ローカルな気分に浸れたのである。古く...銚子から犬吠埼へ

  • 東海道草津宿探訪

    草津は江戸時代以来、東海道と中山道がまじわる宿場町だった。その宿場の状態が現在どうなっているのか以前から興味をもっていた。今では東海道のローカル線の一駅になってしまっているが、かつての街道筋は宿屋や茶店が並び立ち、さぞかし賑わっていたことであろう。そんな草津の駅に降り立ってみた。線路と交差するように街の東西を走るメインストリートは、明るく閑静なただずまいだった。街全体に高層ビルがないのがいい。空が広く、それだけに街が明るく感じられた。地方都市を訪れると、私はいつも、この街に住めるかどうかを私なりの基準で判断してみることにしている。買い物の便利さ、医療施設の充実、環境はどうか、気候はどうかなどを詮索してみるのだ。これらの基準からすると草津はとりあえず合格点を越えるだろうと思えた。駅内にある観光案内所のスタッフに、...東海道草津宿探訪

  • 真間川、国府台、矢切りの渡し

    市川という地が歴史に登場するのはかなり以前のことになる。万葉時代にすでにその名があらわれ、そこを訪れる人がいたということである。そんな市川の地を、晩秋の、暖かい一日訪れた。この地は、作家の永井荷風が、戦後の一時期住んだことのある町で、荷風は、当時のありさまを随筆に詳しく書き残している。実を言うと、この地を訪れたのは、はじめてでない。たしか、中学生時代に、クラブの担当教師と訪ねたことがある。それと、高校時代の、これも同じクラブ活動の一環として、貝塚発掘調査でここを訪れている。いずれも半世紀ほど前の、気の遠くなる昔の記憶である。「市川の町を歩いている時、わたしは折々、四、五十年前、電車や自動車も走ってなかった東京の町を思出すことがある。杉、柾木、槙などを植えつらねた生垣つづきの小道を、夏の朝早く鰯を売りにあるく男の...真間川、国府台、矢切りの渡し

  • 宵闇祭り

    宵宮の闇が訪れると、各町内から引き出された神輿が勢揃いする。神輿はあやしくも美しく飾られて、それを担ぐ担ぎ手たちが群れ集まる。若い女の声も入りまじり、「そいや、そいや」の掛け声も勇ましく、高く、低く、ある時は大きく傾き、神輿はハレの装いで町中を練り歩いてゆく。担ぎ手たちの連帯の意気込みに支えられて、神輿は重々しく、かつ、神々しく輝いて見える。神輿はそれぞれに独自の顔をもっている。それはその町の歴史を現してもいるのである。狭い町並みを六基の神輿は互いに見えぬ糸でつながれているかのように、ほどよい間隔をたもちながら、ゆるゆると進んでゆく。そんな中で、突然、神輿を取り囲む人の群れが、大きく揺らめいたかと思うと、野太い声が飛びかい、女の悲鳴がわきおこる。「喧嘩だ、喧嘩だ」の声。祭りに喧嘩はつきものとはいえ、その勢いは尋...宵闇祭り

  • 懐かしのおばけ煙突

    それはずっしりとした存在感があった。子供心に恐ろしいものに見えた。お化け煙突と呼ばれた、高さ八三メートルもある四本の黒い煙突は、町のどこからも遠望できた。その高さは尋常ではなかった。鉱物的なその煙突のかもしだす風貌は、つねに威圧的であった。お化け煙突と呼ばれる、その煙突は、じつは、火力発電所であった。四本の煙突が、ちょうどひし形に立ち並んでいるために、眺める場所によって、その本数をさまざまに変えた。お化け煙突の名はそこから銘々されたものだと、最近まで思っていたら、本当はそうではないらしい。お化けの真相は、それらの煙突から立ちのぼる煙が、ときおり出たり、出なかったりで、それが不思議に思えたためにつけられたというのが本当のところであるらしい。とはいえ、お化け煙突の銘々の由来は、今や俗説のほうが一般化している。つねに...懐かしのおばけ煙突

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