coqtez さん プロフィール

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coqtezさん: COQTEZ Blog
ハンドル名coqtez さん
ブログタイトルCOQTEZ Blog
ブログURLhttps://coqtez.blog
サイト紹介文大好きな国鉄のプロダクトデザインへの主観的な印象と、持続可能な企業の経営を中心に鉄道を語ります。
自由文横浜市生まれ、ロサンゼルス育ちの43歳。法政大学経済学部卒。東京都在住。制御系SE、外資系半導体FAE/TAMを経て、現在は株式会社エムエイチエス代表取締役。趣味はもちろん鉄道(乗る、写真、模型など何でも)。
国鉄は収益性の高い公共企業体だった
大好評!シリーズ「国鉄の歴史」(全23話)
衝撃の事実!「新幹線の父」十河信二国鉄総裁は、「ブルートレインの父」でもあった!!
毎週日曜日20時更新目標。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供45回 / 8日(平均39.4回/週) - 参加 2017/08/07 10:22

coqtez さんのブログ記事

  • コラム:3系列の国鉄ブルートレイン
  • 平成27(2015)年8月22日。臨時列車となった札幌発上野行き寝台特急「北斗星」を最後に、昭和33(1958)年10月の東京−博多間を結ぶ寝台特急「あさかぜ」のデビューから始まったブルートレインの歴史の幕がいったん閉じました。実は、「ブルートレイン」と言っても3つの異なる系列があります。ざっくりと、何がどう違うのでしょうか?特に鉄道に興味がない方でも分かるように、簡単にまとめてみました。1.20系昭和33(1958)年 [続きを読む]
  • コラム:臨時車両設計事務所はなぜ「臨時」だったのか
  • #シリーズ「PEの歴史」は、いったんお休みします。昭和32(1957)年2月21日。それまで国鉄の車両設計部門は工作局客貨車課と動力車課に置かれていましたが、「臨時車両設計事務所」という名称で本社付属機関として分離独立することになりました。でも、なぜ臨時だったのでしょうか?1.表向きの理由翌年昭和33(1958)年からの「五か年計画」が取りまとめられており、その計画の目的には老朽化した車両を新しいものに置き換え [続きを読む]
  • PEの歴史(1) : Pacific Electric の誕生前夜
  • 20世紀初頭、「世界最大の電車ネットワーク」と呼ばれた Pacific Electric(パシフィック・エレクトリック)。米国カリフォルニア州で、総延長約800キロにも及ぶ巨大な鉄道網を有する会社はどのようにして誕生したのでしょうか。1.電気鉄道ができるまでロサンゼルス市内の鉄道は、1874年に始まりました。その誕生は、文字通りの馬力によるもので、1頭またはそれ以上の馬がオープンベンチの客車を引っ張る形での馬車鉄道でした。1 [続きを読む]
  • 私見:アメリカでの「ブルートレイン」の知名度
  • 1985年2月、翌月に引退する東京−大阪を結ぶ夜行寝台急行「銀河」号の20系客車の写真を撮りに大船駅に行った小学5年生の私ですが、そのすぐ後に衝撃的な知らせが飛び込んできました。東洋経済オンライン「「公園のブルトレ」修復に取り組む社長の熱意」Yahoo! ニュース ヘッドライン1.父のアメリカ駐在当時、私の父は松下通信工業(現パナソニック)に勤めていました。大船駅の写真撮影から1ヶ月ほど経ったある日、父の海外赴任が [続きを読む]
  • 所感:東洋経済オンライン記事
  • 昨日6月17日午前6時に、東洋経済オンラインニュースとして私の活動を取り上げていただいた記事がネット上に配信されました。東洋経済オンライン「「公園のブルトレ」修復に取り組む社長の熱意」Yahoo! ニュース ヘッドラインこちらの記事は、Yahoo! ニュースのヘッドラインにも掲載され、本当にありがたいことです。記事として取り上げることを決断してくださった東洋経済新報社編集局の大坂直樹様、そしてわざわざこちらまでお越し [続きを読む]
  • コラム:十河信二と在来線
  • 「新幹線の父」である十河信二は、国鉄総裁時代に当然のことながら東海道新幹線の建設を最優先にしました。では、十河にとって在来線とはどのような位置付けだったのでしょうか。1.日本国という体とその血管十河総裁は、ある時国会で「総裁は新幹線ばかりやっていて、地方線をつくらないではないか」という質問を受けました。確かに、国鉄の歴史(5):「君たちに夢を」 で取り上げたように、単なる政治的な目的での鉄道路線の [続きを読む]
  • コラム:2つの新幹線開通記念碑
  • 昭和39(1964)年10月の東海道新幹線開通を記念して、東京駅には2つの記念碑があります。今回は、それらにまつわるエピソードを取り上げます。国鉄の歴史(17):東海道新幹線開業1.ブロンズ製の記念碑国鉄の石田禮助総裁と磯崎叡副総裁の時代、東海道新幹線開業三周年を記念して、東京駅の新幹線中央乗換口正面の柱にブロンズ製の記念碑が設置されました。そこには、こう書かれています。「この鉄道は日本国民の叡智と努力に [続きを読む]
  • コラム:十河信二と新幹線テープカット
  • 昭和39(1964)年10月1日の東海道新幹線出発式に、十河前総裁と島前技師長の姿はありませんでした。国鉄の歴史(17):東海道新幹線開業1.出発式当日千駄ヶ谷のアパートに、口をへの字にぐっと力を込めて結び、出発式の様子を伝えるテレビの画面を食い入るように見つめる一人の老人の姿がありました。それは、十河信二前国鉄総裁その人でした。元秘書 三坂健康は出発式の後、気になって十河の元を訪れました。三坂は、十河に出 [続きを読む]
  • コラム:愛情が注がれた国鉄103系電車
  • 製造総数3,447両。形式ごとの量産総数では、実は世界一といういまだ破られていない記録を持つこの電車の生い立ちに迫ります。1.103系電車の登場ぶどう色(茶色のことです)の電車だらけの中で、中央線に明るいオレンジ色の101系試作電車が颯爽と現れたのは、昭和32(1957)年のこと。都市圏でカラフルな電車が行き交う様子は今や当たり前の情景となりましたが、その当時はとても斬新なものでした。この101系電車は、急速な経済成 [続きを読む]
  • 【リターン】国鉄の香り
  • 5/31に終了した、福岡市貝塚公園 ブルートレイン保存車両 ナハネフ22 1007 再修復プロジェクト 2017 でお礼の品の一つとして準備していた「国鉄の香り」フレグランスについてのお話です。1.『国鉄の香り』とは一体何?ブルートレインを含めて、昭和30、40年代頃の国鉄車両の車内に入ると、独特の匂いがします。車内公開イベントでも、「あー、この匂い懐かしいね!!」とおっしゃられる方は本当に大勢いらっしゃいます。あの匂 [続きを読む]
  • 【リターン】藍染Tシャツ&ハンドタオル
  • 5/31に終了した、福岡市貝塚公園 ブルートレイン保存車両 ナハネフ22 1007 再修復プロジェクト 2017 でお礼の品の一つとして準備していた「藍染Tシャツ&ハンドタオル」についてのお話です。1.藍染め&オーガニックコットンブルートレインは、中国語で「藍色列車」。ブルートレインという一流品の修復支援へのお礼として、藍色つながりで藍染めの品をラインナップに用意しました。特注品の作成を依頼したのは、札幌にある藍染坐 [続きを読む]
  • 【リターン】パンの缶詰
  • 5/31に終了した、福岡市貝塚公園 ブルートレイン保存車両 ナハネフ22 1007 再修復プロジェクト 2017 でお礼の品の一つとして準備していた「パンの缶詰」のお話です。1.PANCANお礼の品ラインナップに食品としてもう一つ加えたのが、パン・アキモトさんの「パンの缶詰」です。パン・アキモト缶詰を開けると、そこにはいきなりフワッフワのパンが入っています。そして、製造日から約3年間も保存でき、いざという時の非常食になると [続きを読む]
  • 【リターン】A4クリアファイル
  • 5/31に終了した、福岡市貝塚公園 ブルートレイン保存車両 ナハネフ22 1007 再修復プロジェクト 2017 でお礼の品の一つとして準備していた「A4クリアファイル」のお話です。1.コンセプト鉄道は、自動車や航空機などの他の交通機関と比較して最も環境負荷の少ない、エコな乗り物です。移動手段として列車を選ぶことは、自然環境の保護のために普段の生活の中で私たちができることの一つとも言えると思います。島秀雄国鉄技師長は [続きを読む]
  • 【リターン】青のハーブティー
  • 5/31で終了した、福岡市貝塚公園 ブルートレイン保存車両 ナハネフ22 1007 再修復プロジェクト 2017 でお礼の品の一つとして準備していた「青のハーブティー」のお話です。1.藍とは?藍(あい)は、藍染めの原料などに利用されているタデ科の植物です。葉のちぎったところから根を生やすほど生命力が旺盛なのだそうです。 2.藍の効能最近の研究で、ポリフェノールや食物繊維、ミネラルなどの成分がたくさん含まれていて、体に [続きを読む]
  • 【リターン】国鉄青モケットクッション
  • 5/31に終了した、福岡市貝塚公園 ブルートレイン保存車両 ナハネフ22 1007 再修復プロジェクト 2017 でお礼の品の一つとして準備していた「国鉄青モケットクッション」のお話です。1.青モケットそもそもこの青モケットとは何でしょう?昭和30〜40年代の国鉄車両は、日本全国どこへ行っても普通車であればこの青色のクッション生地(モケット)を使った座席になっていました。これは私の知り合いで、実際に国鉄の鉄道技術研究所に [続きを読む]
  • まとめ:十河総裁と島技師長と国鉄ブルートレイン
  • 十河信二国鉄総裁が尊敬されていた、恩師である後藤新平初代鉄道院総裁は、ある時このように訓示を述べられたそうです。「多くの人々の協力にまつところの大きい鉄道に従事するものは、まず愛というものに徹しなければならない。ただただ鉄道のためにつくすという心がけをもち、その愛を乗客、貨物、器具、機械におよぼすのである。要するに鉄道のために鉄道を愛し、万事に精神をこめて献身的に鉄道に従事してもらいたい」この言葉 [続きを読む]
  • コラム:「ブルートレインの父」十河信二総裁(2/2)
  • 昭和31(1956)年11月19日、この日戦後初めてとなる夜行特急列車「あさかぜ」号が走り始めました。2−1.雷が落ちる十河総裁も、この1番列車に乗り込みました。ところが、雷が落ちます。企画した広島鉄道管理局の瀧山はこう書いています。「総裁は、初列車に乗って西下された。大いに喜んでいただけただろうと、広島駅でお迎えすると、いきなり大きな雷を落とされた。客車便所の急造の腰掛が便器と形が合っていない、というので [続きを読む]
  • コラム:「ブルートレインの父」十河信二総裁(1/2)
  • これまでのストーリー(国鉄の歴史)で「新幹線の父」として描かれている十河総裁と、ブルートレインとの間には一見何のつながりもないように思われるかもしれません。ところが、歴史を紐解くと意外なことに十河総裁はブルートレインの父でもあるのです。1−1.内部の反対十河総裁が就任されてから約1年後の昭和31(1956)年11月19日、東海道線(東京〜大阪間)の全線電化が完成しました。それをきっかけに、東京〜博多間を直通 [続きを読む]
  • コラム:島技師長の設計思想
  • プロダクトつまり工業製品は、その設計者に似るといわれます。新幹線だけでなく、有名な蒸気機関車「デゴイチ」ことD51も島技師長の作品です。そのデザインには、合理的で控えめかつシンプルな美しさのなかに格調の高さを感じます。1.直角水平主義島家では、朝食は毎日午前6時定時に始まりました。そして、ナイフやフォークなどの食器類、バター、パンなどの食べ物はすべてテーブルに対して直角・水平に配置しなければならない [続きを読む]
  • コラム:十河総裁と東海道新幹線のカラーリング
  • 昭和37(1962)年初頭、試作車両のカラーリングをいよいよ決めることが必要になりました。島秀雄技師長は、このような指示を出します。1.二案用意してください「二案用意してください。外部の専門家の参考意見も聞いて、最後は総裁に決めていただきます。」そこで、さっそく臨時車両設計所のメンバーはデザインをまとめます。1つは、アイボリーに赤のライン。もう1つは、アイボリーに青のラインを入れたものを用意しました。そ [続きを読む]
  • 国鉄の歴史(終):老兵の消えて跡なき夏野かな
  • 昭和38(1963)年5月17日。国鉄総裁として最後の記者会見で十河は一句詠みました。「老兵の消えてあとなき夏野かな」23−1.十河信二死すそれから18年たった、昭和56(1981)年10月3日。十河信二は、入院していた鉄道中央病院で息を引き取りました。享年97歳。10月22日、葬儀・告別式が高木文雄第8代国鉄総裁を葬儀委員長、藤井松太郎(当時交通協会会長)を葬儀副委員長として東京の青山葬儀所で執り行われました。葬儀後、遺 [続きを読む]
  • 国鉄の歴史(22):分割民営化への道
  • 昭和40年代、ストライキが頻発して遅れや運休が頻発した乗客の怒りが頂点に達し、ついに暴動が起きてしまいます。昭和48(1973)年3月13日、高崎線上尾駅で起きたいわゆる「上尾事件」。ダイヤが乱れて列車に乗り切れなかった約1万人の通勤客が暴徒と化し、電車や駅設備、信号機などをボコボコに壊してしまいました。この年の9月19日、磯崎総裁は辞表を提出し、受理されました。総裁職を引き継いだのは、藤井松太郎でした。藤井総 [続きを読む]
  • 国鉄の歴史(21):労使対立激化
  • 石田総裁は、その二期目途中の昭和44(1969)年5月27日、高齢により勇退。総裁のバトンは鉄道省出身の副総裁、磯崎叡に渡ります。21−1.EL・DL一人乗務その頃、労使対立(一般職員と管理職との間の対立)は一層激しくなっていました。そのきっかけとなったのが、それからさかのぼること約2年前の昭和42(1967)年3月にまとめられた「五万人の合理化計画」の中で打ち出された「EL・DL一人乗務」制でした。この提案はどういうこ [続きを読む]
  • 国鉄の歴史(20):巨額債務のはじまり
  • 十河総裁なき後の国鉄は、昭和39(1964)年度決算から赤字へと転落し、その後二度と黒字になることはありませんでした。この年、収入の6,002億円に対して支出が300億円上回りました。そして、翌年以降さらに毎年雪だるまのように債務が膨らんでいったのです。20−1.清廉潔白石田総裁は、商売に徹した後の人生は、無給で世の中のために尽くすべきであるという信念を持っていました。そして、国鉄総裁という職はそうした「パブリ [続きを読む]