荒川和人 さん プロフィール

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荒川和人さん: 日本音楽の伝説
ハンドル名荒川和人 さん
ブログタイトル日本音楽の伝説
ブログURLhttps://ameblo.jp/heianokina
サイト紹介文六国史、枕草子、源氏物語、十訓抄、古事談などの古典から、音楽にまつわる伝説・伝承をピックアップ!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供68回 / 33日(平均14.4回/週) - 参加 2017/08/20 23:02

荒川和人 さんのブログ記事

  • 貞保親王
  • 清和天皇の皇子の貞保親王(さだやすしんのう)は、歴史の中でも、傑出した雅楽の名手といわれる方です。 遣唐使の藤原貞敏(さだとし)から琵琶を、清和天皇の師匠の太田丸から笛を習われました。 藤原貞敏に習った縁のためか、貞保親王が「五常楽」(ごしょうらく)を吹いていた時、ロウソクの火が揺れて、廉承武(れんしょうぶ)の霊が顕れたという説話があります。(「古今著聞集」)貞保親王は、笛の練習のため、山の巨石の上 [続きを読む]
  • 清和天皇
  • 唐の廉承武(れんしょうぶ)博士から琵琶を習い、帰国した藤原貞敏(ふじわらさだとし)は、その後、仁明(にんみょう)天皇と、第一皇子である文徳天皇の琵琶の師となりました。ただ、『文机談』(ぶんきだん)によると、文徳天皇は琵琶に対する愛着は深かったけれども、演奏技量はそれほどでもなかったとされています。天皇といえども、芸術の上では公平に評価しているところが、素晴らしい。文徳天皇の跡を継がれた清和天皇は、 [続きを読む]
  • 玄象
  • 廉承武(れんしょうぶ)博士が授けた琵琶「玄象」(げんじょう)は、皇室に置かれ、三種の神器に次ぐ宝として、大切に保管されておりました。 「玄象」という名前は、黒い象の彫刻が施してあったためと伝えられています。この「玄象」についても、不思議な説話が残っています。有名な「今昔物語集」第24にある物語は、「青山」と同じく、村上天皇の時代の説話です。映画「陰陽師」に安倍晴明の友人として登場する源博雅(みなもと [続きを読む]
  • 廉承武と五常楽
  • 昔々、平安時代に、貞保親王(さだやすしんのう)という貴人がおられました。清和天皇の皇子で、「延喜楽」の舞を作った方です。皇族の中でも、特に雅楽に秀でておられました。貞保親王が桂川で御遊をなさった時、「五常楽」(ごしょうらく)という曲を奏されました。すると、ロウソクの灯の向こうに、冠をつけた人の影が現れたのです。   われは唐の廉承武の霊なり   五常楽、百反におよぶ所には、かならず来たるなり廉承武 [続きを読む]
  • 藤原貞敏
  • 最後の遣唐使として、大戸清上と一緒に唐に渡った藤原貞敏(ふじわらさだとし)は、唐の廉承武(れんしょうぶ)博士に、琵琶を習い、「玄象」(げんじょう)「青山」(せいざん)(後に天皇御物)という琵琶の名器と琵琶譜を多数持ち帰リました。また、「賀殿」(かでん)という曲を琵琶で習い伝えたといわれています。「賀殿」(かでん)は、その後、任明天皇の勅命で、和邇部太田麿(わにべのおおたまろ)が、藤原貞敏の琵琶譜か [続きを読む]
  • 大戸清上
  • 平安初期には、大戸清上(おおとのきよかみ、又はおおべのきよかみ))や尾張浜主(おわりのはまぬし)をはじめとして、優れた音楽家が多数、現れました。特に、大戸清上は、雅楽寮の笛の名手でもあると同時に、多くの名曲を作曲し、現代でも、遣唐使の悲劇と共に、日本音楽史にその名は輝いています。嵯峨天皇が南池院に行幸した際、名曲「秋風楽」(しゅうふうらく)を作曲。次の任明天皇の即位の際には、「承和楽」(しょうわら [続きを読む]
  • 任明天皇
  • 嵯峨天皇のご長男である任明(にんみょう)天皇は、高校の日本史の教科書にも登場しませんし、一般に名前の知られた方ではありません。しかし、この任明天皇こそ、日本の音楽史上、特筆すべき人物なのです。自ら作曲を手掛けると同時に、雅楽曲の日本化を進めました。嵯峨天皇の教育方針と思われますが、任明天皇は広井女王と源信(みなもとのまこと)から、和琴、筝を習い、龍笛を大戸清上(おおとのきよかみ)に習っています。 [続きを読む]
  • 嵯峨天皇
  • 現在の京都の地・平安京に都を遷したのは桓武天皇です。京都の地を推挙したのは、宇佐八幡神託事件で道鏡の野望を粉砕した和気清麻呂ですが、風水の観点から、四神相応の地として京都への遷都を薦めたそうです。 桓武天皇は、なら丸という方に琴を習っていたと記録がありますが、皇子である嵯峨天皇は、文化芸術面で優れた足跡を残しています。 嵯峨天皇は、一般的には、書道に優れ、空海、橘逸勢と共に「三筆」(さんぴつ)の一人 [続きを読む]
  • 音声菩薩
  • 玄宗皇帝や楊貴妃が活躍した8世紀は、日本では遣唐使たちが唐やインド、ペルシャの文化を日本に伝え、わが国は、ちょうど明治維新のころのように、外来文化をどんどん吸収する時代でした。752年5月には、インド僧菩提センナを導師として、大仏開眼供養会が催行されました。大仏開眼は、まさに唐と日本の絶頂期を象徴するセレモニーであったといえます。その後、東大寺の大仏は、源平合戦や戦国時代などで、何度も被災していますが [続きを読む]
  • 慶雲楽
  • 蛇や毒蛾を追い払う曲があるように、目に見えない鬼や物の怪、邪気、邪霊を祓う曲として「慶雲楽」(きょううんらく)があります。別名を「両鬼楽」(りょうきらく)ともいいます。中国では、人間が食事する際、食鬼、飲鬼という鬼たちがやってくると言われています。食鬼、飲鬼というのは、おそらく餓鬼霊(飢えた人の霊)のようなものなのでしょう。「両鬼楽」は、これらの鬼を追い払うために、食事の時に演奏する曲だったそうです [続きを読む]
  • 裹頭楽
  • 「還城楽」(げんじょうらく)や「甘州」(かんしゅう)は、蛇を追いやる曲ですが、昆虫を防ぐ曲として「裹頭楽」(かとうらく)があります。裹頭(かとう)というのは、虫除けの弁慶の頭巾のようなかぶりものです。この曲は、唐の李徳祐の作と伝えられています。伝説によると、金沙国(四川省)から100年に一度、毒蛾(蜂という説もあり)の大群が飛んできて、人々に被害を与えていたそうです。その時、錦の布で頭を包んで、この [続きを読む]
  • 還城楽
  • 夜、笛を吹くと蛇が来るといわれます。インドの蛇使いも笛を吹いてコブラを躍らせますし、音楽の神・弁天様も白蛇を眷属にしています。蛇は音楽に反応するのでしょうか? 雅楽の名曲のひとつに「還城楽」(げんじょうらく)があります。舞もあり、蛇を捕まえる様を基にしています。戦から城に帰る途中、蛇に襲われたところ、馬が蹴散らしたとか、摩利支天が大蛇を退治する舞である等、由来は様々です。 「抜頭」(ばとう)の番舞( [続きを読む]
  • 甘州
  • 玄宗皇帝は、自らも作曲を手掛けていました。日本で伝承されている舞楽の「甘州」(かんしゅう)は、玄宗皇帝作と言われています。中国の甘粛省に、甘州という地名があり、おそらく地名を曲名にしたのでしょう。甘州は、元々、甘竹(かんちく)の産地だそうです。甘竹は、日本では「呉竹」「唐竹」とも呼ばれ、中国の竹細工に使われる竹です。写真を見る限りポピュラーな普通の竹です。中国の「甘竹簫」(かんちくのしょう)という [続きを読む]
  • 夜半楽
  • わが国の雅楽曲の中に「夜半楽」(やはんらく)という変わった名前の曲があります。この曲は、玄宗皇帝が帝位につく前、李隆基(りりゅうき)という名前だったころ、夜半に挙兵し、韋皇后(いこうごう)を討伐した時に作ったものと言われています。韋皇后というのは、則天武后を真似して政治を私物化しようとした悪女です。日本では、承和年間(834〜848年)に、仁明(にんみょう)天皇の御遊の際、夜になって退出音声(まかでおん [続きを読む]
  • 西王母
  • 3月3日は桃の節句ですが、本来は、中国神話に登場する西王母(せいおうぼ)の誕生日でした。西王母は、伝説の崑崙山に住む最高位の女性の仙人で、孫悟空が番人をしていた桃園は、西王母の管轄する桃園だったのです。 西王母の3月3日の聖誕祭は、蟠桃会(ばんとうえ)と呼ばれ、天上界では、神々や仙人が集い、霊芝の美酒を西王母に捧げてお祝いするそうです。西王母の桃は、三千年に一度、花を咲かせる不老長寿の妙薬と呼ばれてい [続きを読む]
  • 龍神の声
  • 鎌倉時代の「十訓抄」(じっきんしょう)には、唐の玄宗皇帝の笛の説話が載っています。少し物語風に脚色してみました。玄宗皇帝がある晩、あまりにも美しい満月を見て、龍笛を吹いてみたい気分にかられました。  「満月がいつもより大きく見える。なんと神秘的な月なんだろう」皇帝は、月の光に誘われるように、龍笛を吹き始めました。  「おや?今夜はやけに上手く笛が吹けるな。  うーん、大カンの音も、つづねの音もよく [続きを読む]
  • 千秋楽
  • 唐の玄宗皇帝の誕生日の祝宴について、逸話が残っています。「千秋楽」といえば、大相撲やタカラヅカの最終日をイメージしますが、本来は、玄宗皇帝の誕生日のお祝いの曲の名前だったのです。 当時、玄宗皇帝の誕生日を「千秋節」(せんしゅうせつ)と呼んでいました。玄宗皇帝は、誕生日に百頭の馬を着飾らせ、お酒を傾けたそうです。その時の曲が、雅楽曲の「傾盃楽」(けいばいらく)であるといわれています。また、梨園の楽人 [続きを読む]
  • 春楊柳
  • 玄宗皇帝の時代は、音楽だけでなく、漢詩においても、李白と杜甫という史上最高の詩人があらわれました。李白は、742年、玄宗皇帝の妹で道士だった玉真公主の推薦を得て、玄宗皇帝に仕えました。 楊貴妃の美しさを牡丹の花に喩えた「清平調詞」三首などの作品をつくり、宮廷文人として大いに活躍していました。記録では、わが国遣唐使の安倍仲麻呂とも親交があったようです。 しかし、李白は宮中の生活が肌に合わず、礼法を無視す [続きを読む]
  • 楊貴妃
  • 玄宗皇帝の妃であった楊貴妃は、唐を衰退させた傾国の美女として有名ですが、彼女は音楽の才能が豊かで、様々な楽器を演奏していました。 玄宗皇帝の演奏会では、琵琶を担当し、また、磬(けい)(打楽器の一種)の名手としても有名でした。梨園の楽人以上の腕前だったそうです。彼女の琵琶は、ラサの壇で作られたもので、絃は生糸だったそうです。楊貴妃は、道教の太真という道号のシャーマンでもあったため、夢で天女が舞うのを [続きを読む]
  • 鶴亀
  • 玄宗皇帝の治世は「開元の治」と呼ばれ、唐の文化は絶頂期を迎えました。李白や杜甫などの詩人もこの時代の方で、遣唐使の安倍仲麻呂は、李白とは友人でした。能楽の「鶴亀」(つるかめ)は、玄宗皇帝の治世を称えたものと言われています。「鶴亀」は能の演目の中で最も短く、能楽の入門者が最初に稽古する曲によく選ばれます。ただし、能としては玄宗皇帝がシテであるため、決して軽々しい曲ではありません。能楽 「鶴亀」新年を [続きを読む]
  • 春庭花
  • 聖武天皇が東大寺の大仏を建立しようと四苦八苦されていたころ、唐の都では玄宗皇帝(在位712年〜756年)が活躍していました。この時代は、日本から多くの遣唐使が派遣され、安倍仲麻呂のように中国の科挙(かきょ)の試験に合格し、玄宗皇帝に重用されて、現在のベトナムのハノイの長官まで昇進された方もいらっしゃいました。(科挙は高級官僚採用の登用試験)玄宗皇帝といえば、楊貴妃を寵愛したことで有名ですが、彼は楊貴妃と [続きを読む]
  • 大仏開眼
  • 天平勝宝4年(752年)4月9日、東大寺にて大仏開眼供養の式典が執り行われました。1万人の僧侶が参加し、病床の聖武太上天皇に代わり、インド僧の菩提僊那(ぼだいせんな)が筆で大仏に眼を入れました。インドから遥々、日本に辿り着いた菩提僊那も万感の想いだったことでしょう。「僧一万を請ず。すでにして雅楽寮及び諸寺より、種々の音楽、並びにことごとく来集す。また王臣諸氏の五節、久米舞、楯伏、踏歌、袍袴等の歌舞、東西 [続きを読む]
  • 採桑老
  • 「胡飲酒」(こんじゅ)のお話の中で、多資忠(おおのすけただ)が、山村正連に殺害されたことを記載しました。 実は、この時断絶したのは「胡飲酒」だけではありませんでした。多家(おおのけ)は、「採桑老」(さいそうろう)という異色の秘曲も伝承していたのです。「採桑老」(さいそうろう)は舞もあり、数ある舞楽の中でも、最も変わった演目の一つといえるでしょう。 死を目前にした老人が、長寿の妙薬といわれる桑の葉を求 [続きを読む]
  • 蘭陵王
  • 仏哲(ぶってつ)が伝えた「林邑八楽」の中でも、舞楽「蘭陵王」(らんりょうおう)は、著名な舞楽曲の一つです。何年か前のNHK大河ドラマ「義経」でも、冒頭のシーンで蘭陵王の舞が使われていました。蘭陵王も悲劇の英雄で、どこか源義経に似ています。今から約1400年前、わが国では聖徳太子と同じ時代、中国の北斎という国に実在した蘭陵王・長恭(ちょうきょう)の伝説にもとづく曲です。歴史書によれば、長恭は「貌柔心壮、音 [続きを読む]
  • 胡飲酒
  • 「胡飲酒」(こんじゅ)も、林邑八楽(りんゆうはちがく)の一つで、仏哲が日本に伝えたと言われています。 別名「酔胡楽」(すいこらく)「宴飲楽」(えんいんらく)とも呼ばれ、胡の国(ペルシャ周辺)の王が酒を飲み、酔って踊った姿を舞にしたものと伝えられています。酔ってフラフラの様子がよく描写されています。 現在、伝承されている舞はオリジナルではなく、平安時代に改作されたものと言われており、振付は大戸真縄、 [続きを読む]