唐変木 さん プロフィール

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唐変木さん: 陳寿が編んだ倭人伝
ハンドル名唐変木 さん
ブログタイトル陳寿が編んだ倭人伝
ブログURLhttp://orchard.exblog.jp/
サイト紹介文リアリズムの古代史
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供15回 / 14日(平均7.5回/週) - 参加 2017/09/07 20:02

唐変木 さんのブログ記事

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  • 特置一大率・常治伊都國
  • 「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」 旧唐書 「置一大率、検察諸國、皆畏附之」 新唐書 「置本率一人、検察諸部」「一大率=本率一人」は、「大率=本率」であり複数の大率の中の一人である。これに似ているのが、「共立一女子爲王 名曰卑彌呼」で、複数いるシャーマンの女の中の一人ということになる。特別(臨時)に置いた一大率が、伊都国で常... [続きを読む]
  • 東アジアの倭国 4
  •                       「後漢の滅亡 Ⅱ」 184年中国で黄巾の乱が勃発し後漢の衰退が始まった頃、倭国でも大きな変動が始まっている。史書に記されている倭国大乱である。後の史書に様々な時期な書かれているが、この時代は中国の政情の変化に韓半島、倭国が大きな影響を受けすべてが連動していた時代である。後漢に交易の窓口として金印を授かり認可されていた倭国王は、後漢... [続きを読む]
  • 東アジアの倭国 3
  •                     「後漢の滅亡」 後漢の光武帝と言えば、倭国に金印を授けたことで有名な天子であり、人気が高い。漢代の人口は、6000千万とされていたが、王莽時代で半分となり、さらに14年間の統一戦争で光武帝即位の時は、1500千万と25%にまで減少していた。人材不足に悩む光武帝は、朝鮮半島東部の日本海側の嶺東県を放棄した。中国人が引き上げた後は地元濊貊... [続きを読む]
  • 東アジアの倭国 2
  •                         「朝鮮半島の制圧」 この当時朝鮮王は「右渠」であったが、真番の周囲の国々が皇帝に謁見したりすることを抑えて通じさせなかったと史記の朝鮮列伝に記されている。これを理由に前108年、漢軍は陸海から侵攻し朝鮮王国を滅ぼした。漢書に「真番の辰国」の記載があり、後の「辰韓・弁辰」なのだろうから、真番郡は洛東江の流域まで南下するかもしれない。と... [続きを読む]
  • 東アジアの倭国 1
  • 紀元前221年燕国に続き斉国も滅亡し、中国がついに秦の始皇帝によって統一された。史記にはその時の領土は「東は海および朝鮮に至った」と記されている。しかし真番、朝鮮の地は「遼東の外敦に属した」とあり、いわゆる保護下にあった。 前202年には、漢の「劉邦」が四面楚歌で有名な垓下の戦いで「項羽」を滅ぼして皇帝となった。前漢である。燕国を攻めて同郷人の盧を燕王としたが裏切りに合ったが劉邦... [続きを読む]
  • 自女王國以北
  • 「自女王國以北」の文章は倭人伝に二度出て来る。漢文の専門家に言わせると、この文章が漢文の重要要素である「リズムの美」を壊しているそうだ。「女王、卑弥呼、倭女王」と重複を嫌ってきた超一流史家の陳寿が分からないはずがない。反対にリズムを壊すことにより、陳寿は自以北を強調しているのである。三国志の用例からすると女王国も含まれる。「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊... [続きを読む]
  • 詐欺師「陳寿」
  •   魏志倭人伝 「東南陸行五百里 到伊都國」「末廬國から東南の方向へ500里歩けば、伊都國に至る」この「陸行」は、陳寿の詐欺的造語である。少し前に編纂された魏略逸文 には「東南五百里到伊都国戸万余」とあり、陸行はない。魏略と魏書は、おそらく予め大鴻臚で整理された原資料も元に書かれているはずである。九州北部に上陸したのだから、当然陸行だろうという甘い考えから加筆されたものだ... [続きを読む]
  • 1 漢委奴国王
  •  漢の武帝の連年に及ぶ征服政策のため武帝が死亡した前87年には人口は半減し、農業生産は落ち込み散々な状況となっていた。王莽時代には六千万、後漢の光武帝が14年かけて統一した時には一千五百万人である。人材不足に悩む後漢の光武帝は、30年、半島東部の嶺東七県を放棄し濊貊の長に委託した。また真番故地は韓の廉斯を交易の窓口として特権を与えた。 倭人に対しても同様で、半島南部と九州北部にの... [続きを読む]
  •  倭国を作ったのは越人である。漢委奴国王、倭国王帥升、卑弥呼も越人であり、論衡、山海経の倭人も越人である。紀元前473年に越王「勾践」は呉「夫差」を滅ぼし、山東半島南側の青島市の西南まで北上して琅邪山を都とした。そして華北、華南を繋ぐ貿易港として栄えた。 紀元前333年今度は越が楚に滅ぼされると、越人達は四散して行った。航海上手の越人達は、朝鮮半島南部や九州北部へと移住して来た。... [続きを読む]
  • 漢文
  •  漢文の特徴は、その美しさについて簡潔ということである。漢文はその発生の初めから知的に整理された中国の文章語で、紀元前の文献である論語や孟子の頃にはすでに記載語として成立していた。その文章は当時の口語の煩雑さを整理して、より簡潔な形に凝集させたものである。そしてこの文体の志すところはその簡潔の美のみではなく、もう一つの重要なものとして、リズムの美があった。簡潔さの例として、まず漢文では時... [続きを読む]
  • 樂浪海中有倭人 Ⅱ
  •  漢書地理誌 「樂浪海中有倭人」魏代の史家如淳は、「如墨委面、在帶方東南萬里」と万里を加えている。魏代の倭国までの里数だが、宋書にも「倭讃萬里修貢」の記載があり「遠路はるばる」という意味の修辞である。陳寿は「倭人在帶方東南大海之中」と改変している。楽浪郡を帯方郡に変えたのは、公孫康が帯方郡を開設しそれを司馬懿が討伐したことによって、卑弥呼の朝貢が成されたことを出発点にするためで... [続きを読む]
  • 樂浪海中有倭人
  • 漢書地理誌 「樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以歳時來獻見云」唐代の史家「顔師古」は、次のように注を書いている。 如淳曰:「如墨委面、在帶方東南萬里」 臣贊曰:「倭是國名、不謂用墨、故謂之委也」 師古曰:「如淳云『如墨委面』、蓋音委字耳、此音非也。倭音一戈反、今猶有倭國      魏略云 倭在帶方東南大海中、依山島爲國、度海千里、復有國、皆倭種  魏の時代の如淳は倭国までを萬... [続きを読む]
  • 到其北岸狗邪韓國 Ⅱ
  •  越は隣国の呉と戦争をし紀元前473年には呉を滅ぼすも、前334年〜前306年に楚によって滅ぼされた。越は春秋時代に南シナ海の面する中国浙江省にあった国である。越は呉を滅ぼした時に都を山東省に移したという説もあり、とにかく山東方面には馴染みがあった。相次ぐ戦乱に海岸沿いを北上し、山東南側、韓半島南部、九州北部へと移住して来た海人族である。 韓半島南部の倭人達は、鬼... [続きを読む]
  • 到其北岸狗邪韓國 
  •  三国志 韓伝 「韓在帶方之南、東西以海爲限、南與倭接、方可四千里」 (韓は帯方郡の南にあり、東西は海を限界とし、南は倭と接し、四方は四千里ばかり。)    弁辰 「トク廬國與倭接界」  (トク廬國と倭は境を接している)    倭人伝 「?韓國」  韓国は通リ過ぎている。        「其北岸狗邪韓國」  其は倭国を指す。狗邪韓國は倭地であり、韓との国境である。倭の... [続きを読む]
  • 魏志倭人伝 原文
  • 倭人在帶方東南大海之中 依山?爲國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國 從郡至倭 循海岸水行 ?韓國 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里 始度一海千餘里 至對馬國 其大官曰卑狗 副曰卑奴母離 所居絶? 方可四百餘里 土地山險 多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田 食海物自活 乗船南北市糴 又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國 官亦曰卑狗 副曰卑奴母離 方可三百里 多竹... [続きを読む]
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