遙かなる透明という幻影の言語を尋ね彷徨う さん プロフィール

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遙かなる透明という幻影の言語を尋ね彷徨うさん: 遙かなる透明という幻影の言語を尋ね彷徨う
ハンドル名遙かなる透明という幻影の言語を尋ね彷徨う さん
ブログタイトル遙かなる透明という幻影の言語を尋ね彷徨う
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/ekimae05
サイト紹介文タイトルはかなり気取ってますが要は現代詩及短詩系文学(短歌俳句)の愛好の皆さんと楽しみいのです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供41回 / 14日(平均20.5回/週) - 参加 2017/09/10 20:28

遙かなる透明という幻影の言語を尋ね彷徨う さんのブログ記事

  • 世界の名言−森鴎外
  • 「人には誰が上にも好きな人、いやな人というものがある。そしてなぜ好きだか、いやだかと穿鑿(せんさく)してみると、どうかすると補足するほどのよりどころがない。」(森鴎外『阿部一族』43より) [続きを読む]
  • 中原中也ノート⑤
  • 中原中也が三十歳でなくなってからすでに七十数年たっている。私は中也の初期の作品で最もよく知られている「サーカス」の、それは童謡風であるが、どこかもの悲しく、わびしく、なんとなくやるせない、あの旋律が私の心を今でも引きつけてやまない。  幾時代かがありまして   茶色い戦争がありました   幾時代かがありまして   冬は疾風吹きました  幾時代かがありまして    今夜此処での一殷盛り  サ [続きを読む]
  • 物陰論Ⅱ(現代詩)
  • 影は、透明な物体の悲哀である影は、不透明な物体の真実である真実にまとわりつく哀しみがぼくには見えない存在の深い影をやどしているから懐かしい明日へのみずみずしい怒りの葡萄のひとふさもただ昏いだけの悩みの深さも語らず歎かず喉元を過ぎて恐怖に襲われる影は、内面から沸き起こる命あるものの本質的な怒りに狂おうと光りに変わることは決してないそれが唯一の望みなのだ影の、ぼくには見えない影の存在がたとえ古代の密書 [続きを読む]
  • 井上靖の詩的出発をめぐるメモ①        
  • (1) 北陸のこの地にやがてみぞれが降りだす十一月の頃になると、きまって井上靖がはじめて書いたという詩のことが思い出される。井上が高校二年のとき(金澤の旧制第四高等学校時代)のこと。室生犀星の詩集『鶴』を読んで、すごく感動し、自分も詩を書こうとおもいたって書いた詩を当時新聞の紹介でみた『日本海詩人』という詩誌のもとをたずねる。昭和四年(一九二九)のことであった。井上文学の出発はこの一編の詩からはじ [続きを読む]
  • 中原中也ノート④
  •   2 奉仕の気持になりはなったが、さて、格別の、こともできない。 そこで以前より、本なら熟読。そこで以前より、人には丁寧。   テンポ正しき散歩をなして麦桿真田を敬虔に編み―― まるでこれでは、玩具の兵隊、 まるでこれでは、毎日、日曜。 さらに作品は続く(神社の日向を、ゆるゆる歩み、/知人に遇えば、に [続きを読む]
  • 世界の名言−太宰治
  • 「もう一度お逢いして、其の時いやならハッキリ言ってください。私のこの胸の炎は、あなたが点火したのですから、あなたが消して行って下さい。私一人の力では、とても消すことが出来ないのです。」 (太宰治『斜陽』101より) [続きを読む]
  • 中原中也ノート③
  • 中原中也が「千葉寺療養所を退院後、小林秀雄、大岡昇平等の友人が住んでいた鎌倉転居を思い立ち、三月に寿福寺浦の家に移っている。転々と住まいを換えた中也のこれが最後の寓意である。その頃の心境をうかがわせる作品を「文学界」に発表したのが「春日狂想」である。(三月二十三日付の日記に「文学界に詩稿発表」とある。)  春日狂想    1 愛するものが死んだ時には、  自殺しなけあなりません [続きを読む]
  • 世界の名言−夏目漱石
  • 「どんな人の所へ行こうと、嫁に行けば、女は夫のために邪になるのだ。そういう僕が既に僕の妻をどのくらい悪くしたか分からない。自分が悪くした妻から、幸福をも求めるのは押しが強すぎるじゃないか。」(夏目漱石『行人』399より) [続きを読む]
  • 中原中也ノート②
  •  中也が三十歳の若さでなくなるのだが生前と死後に出版された詩集が二冊あるだけだが、どうしてこんなに昭和詩人の中では一流の抒情詩人と評価され読み継がれているのだろうか。私の単純な疑問は鮎川信夫の文章で(「日本の叙情詩」)でおおよそ納得できた。 中也が三十歳の若さでなくなるのだが生前と死後に出版された詩集が二冊あるだけだが、どうしてこんなに昭和詩人の中では一流の抒情詩人と評価され読み継がれているのだろ [続きを読む]
  • 村山暮鳥ノート−風は草木にささやいた
  •  暮鳥の『生三陵玻璃』の反響の大きさは本にも戸惑うほどであったと言うが、萩原朔太郎は「人間の霊魂の叫びである」と一度は絶賛したものの詩集を取り巻く反響や変化に戸惑いを感じながらのちに、半ば否定している。それが本心ではないようにおもえるのだが、やがて雑誌「詩歌」(大正五年七月号」で鈴木末三が「山村暮鳥氏と聖山三陵玻璃」と題した長文の批評を寄せた。そこには「常識と概念をもって「聖三稜玻璃」を読む読者に [続きを読む]
  • 羽衣草 (現代詩)                
  • 雪雲がどっかり居座るとぬれたきみの影が、よぎる凍える世間はせますぎて道が閉ざされる不安以心伝心の凍えたかたちが雪だといった祖父の規則正しい生き方なんかに長く気づかず、夜毎、徘徊する人がいるという人畜生と、聞こえるところそっちへ行ったことを、ぼくはなんと云っていいのかなぐさめの言葉もつうじないのかせいぜい風に吹かれるままのきみの薄手のコートを、水っぽい雪に姿を変えながら、虫けらみたいに踏みつぶされた [続きを読む]
  • 山村暮鳥の初期詩編をめって⑤
  • 指をつたうてびおろんにながれよる昼の憂愁、然り、かくて縺れる昼の憂愁 一の処女をsといい二の処女をfといい三の処女をyといい然してこれらの散りゆく花が廃園の噴水めぐり、うつむき、匂いみだれてかがやく。びおろんの絃よ!悲しむ如く、泣く如く哀訴の、されどこころ好き唄をよろこぶ銀線よ! 昼の憂愁 ……         ({三人の処女」全行)  この詩集には、島崎藤村が序文 [続きを読む]
  • 世界の名言−平塚らいてう
  • 「恋愛のある男女が一つの家に住むということほど当前のことはなく、ふたりのあいだにさえ極められてあれば形式的な結婚などはどうでもかまうまいと思います。ましてその結婚が女にとって極めて不利な権利義務の規定である以上なおさらです。」(平塚らいてう『平塚らいてう評論集』56より) [続きを読む]
  • 山村暮鳥の初期詩編をめぐって④
  • 明治四十二年に自由詩社から「自然と印象」が創刊。人見東明の「酒場と夢見る女」が発表され、その第九号には暮鳥の作品が掲載されている。福田夕咲「春の午後」、今井博楊「Deaty only日の歿しゆく時」にならんで、暮鳥の「航海の前夜」の総タイトルのもと四編の詩が掲載されている。そのうちの二編を次に掲げる。鉛の如(やう)に重く、ゆく方無き夕べの底。織りは大(おほひ)なる 悲哀に飛廻り、さ迷ふ。三階の窓よりsよおま [続きを読む]
  • 山村暮鳥③ー初期詩編まで
  •  山村暮鳥が群馬での生活を離れて東京築地聖三一神学校に入学したのは明治三十六年。入学の経緯については曖昧ながら、親しかったウオールの世話であったようだ。本人の「半面自伝」によれば「(進学校に入るまで)に自殺を図ること前後三回。学校では乾燥無味なギリシャ、ヘブライの古語学より寧ろ文学の方面により多くの生けるものを感じ、その研究に傾いた。」と 述べている。 暮鳥は明治三十七年に岩野泡明、前田林外、相馬 [続きを読む]
  • 事件(現代詩)
  • 事件振り向いてもその声は見えなくて空耳の淋しさみたいなものが一瞬漂うありふれた日々を打破したい打破すべきものにまで、古い感傷がつきまといおそらく一瞬、空耳に隠れてなにも見えないいつも想像は勝手だからみっともいいもんじゃないと教えてくれた空耳に騙された気持ちが溢れてくる空を睨む今朝も死んでしまった過去の空耳をいまさら虐殺なんてできないのに海岸ではアサリの身を探しているトイレ船も満員だ(写真とは直接関 [続きを読む]
  • 山村暮鳥の初期詩編をめぐて②
  • 暮鳥の詩論である「言葉に非ず、形象である。それが真の詩である。」を引用しながら朔太郎はそこに疑問を呈している。「私はこの説似たいしては七分通り賛成三分透り反対である。」と暮鳥の詩論が進みすぎているということに賛意を保留したとみた方がいいようである。「最もよく詩の特質を発揮した詩編」として「だんす」を揚げて、その詩について読みを試みている。あらしあらししだれやなぎに光あれあかんぼのへその芽水銀歇私 [続きを読む]
  • 中原中也ノート①
  • ① 千葉寺での詩作など 中原中也が二度目の精神衰弱が起きるのは昭和十一年である。太宰治がバビナール中毒により東京武蔵野病因に収容されたのが同年の十月、その翌月の十一日に、溺愛していた文也が小児結核で急死。やっと築きかけた幸せな生活が崩れ去る。文也の遺体は中也が離さず、上京した母フクに説得されてやっと棺にいれたという。しかし元の生活は望むべきもなかったようだ。  彼は文也の死後、一日に何回ものその霊前 [続きを読む]
  • 山村暮鳥の初期詩編をめぐって
  • *この文章はもう五年ぐらい前に書いた文章です。きっと堅くてよみずらいと思いますが、よろしくご判読ください。又連載になりますが、引き続け宜しくお願いします。山村暮鳥が、萩原朔太郎、室生犀星と 「人形詩社」を設立したのは大正六年三月のこと。『文章世界』の紹介によると、「人魚詩社」は「詩、宗教、音楽の研究を目的」としていた。暮鳥が、朔太郎、犀星との詩の世界でむすばれていたのは北原白秋への敬慕ということから [続きを読む]