大腸がん肝転移で50代半ばに亡くなった夫。すべてが終わった今、当時の自分に知らせたいことを書きます。
夫は、今年、大腸がんの肝転移で亡くなりました。がんと判って、1年数か月、50代半ばの死でした。悲しいことに、告知される度に余命は縮まっていきました。 ただ、不運なだけだったのか、もっと医師に確認したり、情報収集していれば、もっと長生きできたのではないか。同じ病気で苦しみ、悩んでいる人や家族に少しは情報提供できないか、生き延びてほしい、そんな思いからこのブログを始めます。
前回、ブログを書いた頃から仕事が忙しくなったのと、ブログを書くことで当時の悲しみがとめどなくわいてきて、しばらく更新できませんでした。少し元気になったので、頑張って書いていきたいと思います。夫の術後すぐから、わたしはセカンドオピニオンを求めるため、病院を
開腹手術を行った今年4月、結局、人工肛門を外しただけで手術は終わりました。「とても進行が早く、肝臓には手がつけられなかった。回復を待って、セカンドラインの薬に切り替え、さらなる外科手術に臨みたい」というのがO田医師の治療方針でした。肝臓のMRIは3月に撮影し
11月下旬からは点滴を再開しました。アバスチンとオキサリプラチンです。ところが、しびれがひどくなり、1クール終了後にはオキサリプラチンを中止することになりました。 寒さも一因だったかもしれません。しびれ止めのリリカという薬もあまり効かなかったようで
大腸がん肝転移・こうすればよかったと思うこと(この時点まで)4
腹腔鏡下では肝臓の転移が取れない。抗がん剤投与を続けて、来年になったら人工肛門の取り外しと同時に開腹手術で切除する、という医師の方針に対して、結局、わたしたちは特にセカンドオピニオンを取ることなく、従うことにしました。アバスチン、オキサリプラチンは効い
夫が人工肛門を外した時点で主治医は「トイレが近くなります。初めのうちは1日に20回以上、トイレに駆け込む人がいます」と言いましたが、夫はそれ以上でした。 初めの1か月は多分、1日50回近くトイレに行きました。ひどい時は15分に1回、どんなに間隔があいても
人工肛門、オストメイト、普通に生活していると縁のない言葉です。体の外側に肛門があることなんて想像さえつきませんでした。 夫が人工肛門をつけているのを見た時の第一印象は、「梅干し!」「透明のレトルトカレーパックがついている!」というものでした。「梅干し」
(改訂)大腸がん肝転移・こうすればよかったと思うこと(この時点まで)3
今、思えば、抗がん剤アバスチンとオキサリプラチンが効いていないのではないか、と思ったこの時点で、すぐに肝臓外科専門医にかかっていれば、別な判断、すぐに手術できたのではないかと思うのです。というのは、この後、もっと肝臓が悪化した今年3月の時点のCTを見て、
大腸がん肝転移・こうすればよかったと思うこと(この時点まで)2
抗がん剤が効かなくなっている時にどのような手段があったのか。今から思うとこの時、まずセカンドオピニオンを取るべきでした。 転移があるのだから、転移先を専門とする診療科へ、または、がんを専門とする病院へ。三大療法の中では化学療法と外科手術だけでなく、放射
大腸がん肝転移・こうすればよかったと思うこと(この時点まで)1
(今までの経緯) 夫は54歳。喫煙・飲酒はせず、食事は和食中心。早寝早起きで、生活習慣に関しては、とてもがんになるタイプとは言えません。 父方と母方に大腸がんになった人が1人ずつ。性格は穏やかで内向的、ストレス発散は下手な方でした。心配性で、調べること
聞いてない!肝臓の転移が大きくなっているなんて!(2016年10月)
10月半ば、いよいよ手術の日が来ました。夫は前日から入院しています。 手術の間、わたしは病院最上階にある日当たりのよいラウンジでパソコン作業をしながら待機していました。そして、予定より1時間ほど早く呼ばれ、主治医と面談しました。夫はまだ麻酔で眠っていまし
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