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akarinomori's blog https://akarinomori.hatenablog.com/

子供に「育てられてる母」の雑記帳です。賑やかな毎日。主にのほほん、時々、真面目。

あっこ
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住所
国分寺市
出身
泉佐野市
ブログ村参加

2017/12/31

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  • 荷ほどき

    長男が生まれた記念すべき日が、ちょうど紅葉の季節と重なるのが嬉しい。東京は毎年この頃は特に穏やかな小春日和が続いて、少し風は強いが空は遠くの方まで澄みきっている。 今年、長男と次男は、夫の車に乗って箱根方面へと一泊の旅行に出かけた。勿論、子どもらにとって、両親が揃わないことは不本意だと私も十分過ぎるほど分かっていることである。まだ幼い彼等には確かに酷だとも思う。しかし、夫と私が別居に至った経緯を知っている長男は、静かに私達両親の姿を受け入れてくれている。もうかれこれ3年、今では当時を懐かしむ余裕さえできてきた。 旅行先から夫のline連絡で、紅葉の中、はしゃぐ子どもたちの写真が送られてきた。ロ…

  • 魔法の書

    「君達はどんどん大きくなるね」と感嘆すると「じゃあ、お母さんはどうなるの」と眉を上げる子どもたち。「そうだね、お母さんはこれから、小さく小さくなるんだと思うよ」と笑ってみせると、「小さくなってどうなるの」と身を乗り出してくる。底なしの探求心が面白かったので、こちらも大真面目な声を作って「小さくなって(両手で水をすくうような形を作りながら)これくらいになって、最後には見えなくなっちゃうんだよ」と生命の種明かしなどをしてみせてやった。次男はそうすると「なーんだそんなことか」という表情になり、即座に「僕がお母さんを産んであげる」と言ってのけたのだった。 神秘的で及びもつかない宇宙の謎も、きっと彼にと…

  • 観察日記と名付けます。

    時勢のため、長男の通う小学校では秋の運動会が、体育参観に変更になった。大掛かりな学年ダンスや組体操、組別対抗リレーなどを行わないかわりに、学年ごとの総入れ替え制で、体育の授業を保護者参観の形で催す運びになったのだ。 流れは至ってシンプルである。時間になれば児童は学年ごとに校庭に出て体育をする。それを、校庭に大きく引かれた白線の外側で保護者が見守る。入校の際には勿論、参加を希望する者の記名と、体温チェック、手指のアルコール消毒がある。一通りの儀式が完了すれば、体操服姿の児童が整列する側へと駆けつけるのである。 準備体操、ストレッチ、粛々と授業は展開される。メインとなるのは、各クラス出席番号順に競…

  • limited

    踏み切った雲のはしを、もう振り返らずに、つむじ風を掴んで、駆け上がる。 一人分にさえ足りない翼、紺色の景色を叩いて走る、追い付けない貴方と知っている、巻き戻せないぬるい幸福と知っている。 もう、「自分」には邪魔されない。もう、「自分」には邪魔させない。 貴方を知ってしまった。「貴方のいない時間」を知ってしまった。 少し遅れて笑ったあの意味は何? 言葉を探して、やっぱり止めて、しまい忘れた笑顔だけを見せた貴方。 ありのままを私に残すのは、残酷。ありのままで私を包むのは、残酷。 たどりそこねた優しい「お話」を、曖昧な「確かさ」に戻して繋ぎ止める瞬間、眉間に少し力を入れるの、泣き出しそうになるから。…

  • 不純に、頑張れ!

    褒めてもらいたくて頑張る、それは、不純な動機だろうか。人に頑張らされてるのでは消化しきれない物が残るだろうが、自分が前進する推進力の一つに、大切な人からの「頑張れ」というのはアリだと思う。 良い結果に向かっていくのに、動機の良し悪しを精査してそれを論議するのは私にとってとても回りくどい。では、逆に、望ましい動機は何だろう。誰かの力になる自分を作り上げるための、迷いさえなければ「そうなろうとする妥当な理由」は、エネルギーにさえなれば十分だと思う。 子供を見れば解る。 達成感のために彼等は確かに頑張っている。1番を取るため、駆けっこに必死になるのも、クラス発表で元気よく手を挙げるのも、大きな声で歌…

  • 「できあがってきたなあ」と思います。

    「僕は寂しいから優しくしてくれ」と意思表示できる次男は本当に強い。笑ってはいけないが、彼が両手を広げて泣き顔で私の助けを待っている姿は、誠に人として逞しい。何でも一人でこなせてしまう人が強いとは考えない。立ち位置をきちんと把握して、できるだけの事をした上で上手に相手の力を引き出せる人の方が、上位にあるのだろうと思っている。 勿論、まだ、次男は3歳で、思うままに日本語を使いこなしているわけではない。拙いながらも涙声で「独りになっちゃう、(悲しくて)泣いちゃう」と訴えつつ、私の助けを待つ。これが逞しいと言わずして何と言おうか。甘えるのでなく、頼る、その術を少しずつ、彼は習得している最中であるのだ。…

  • 栗匂う闇

    蛍をよけながら夜の田んぼ道を歩くなどは、東京郊外に生まれた我が子には未経験の事だ。熱の無い黄緑色の明滅が、風のない夜闇の中に点と線になって行き交う。梢に止まって動かない光、川面に争う光、危なっかしく地面に降りる光、気ままに見えるがそれぞれに懸命な光であるのだ。 蛍を物珍しく恋しく思うようになったのはいつからか。栗の花が高く匂うこの頃、今にも空が崩れて降り出しそうな夕暮れから明方までを、蛍はポヤポヤ、夜の中を無尽に飛ぶ。感傷的になるのは本当に日本人の勝手で、気楽に綺麗な事をほめたたえれば良いものを、そこへ亡き人の魂やら、想い人への情念やらを詩的に結び付けたがる。それも情緒、趣きと、縁側に酒肴を並…

  • 案外というか、意外というか、でもよく考えてみれば取り扱い説明書も「手作り」なんですよね。

    小学校で国語の授業で「句読点の打ち方」を習った。長い文章へ読者が読み下しやすい位置に点や丸を打つと教えられたと思う。禁止事項や、より良い記入方法はあるものの、大約は分の切れ目を視覚的に示す役割がある、との事である。 句読点をどこに打つか。これはもう記述者のセンスだ。音声で伝わる会話ではないので、抑揚で文の区切りが判然とする、事は、書き言葉には少ない。句読点もなく、ひたすら文字を続けると、最初は内容が把握できていた文章も、途中で思考が迷子になる。 この、一点、一丸を入れたり、省いたり、そんな事を机に向かって一日中している仕事もある。私が関わる「校正」という部署がそうなのであるが、とにかく地味なの…

  • 二つの瓜

    そんな事、我慢しなくても良かったのに、と、子供を抱き締めてやりたくなる時がある。けれど、子供とて我慢している最中は、他の事に気が回らないくらい必死だったろうとも思う。「大人に相談できる」という方法があって、しかもそれはごく妥当な安全な方法であると分かっていれば、彼は迷わず私に相談したことだろう。「そんな事」を我慢させてしまった私にも当然、「打ち明けて欲しかった」という情けなさは残るし、でも私に打ち明けるアイディアを思い付かなかった彼の悲しさも痛いほど分かる。 遠慮とか、気遣いとかではない、彼は、全く、大人に頼るという事を思い付きもしなかったのだ。後々に、「ああ、そうか、そういう方法もあるのか」…

  • 謎から生まれた事が、謎のまま、立ち消えになった件

    「さっき、(外で)誰がいたと思う?」と、学童保育所から帰宅した長男が嬉しそうに私へクイズを投げてきた。「学校の先生?」「違う」「〇〇君?」「違う」「えー、分からない」。息子が興奮しているのは明らかだった。「ねー、誰だと思う、いいから、答えてよ」「分からないよ、誰、有名人?」「超、有名人」「超有名人が、こんな(東京の)田舎にいる?」「いるよ」「誰?」と、私がのらりくらり受け応えをしているところへ、彼が胸を張って、「HIKAKIN(ヒカキン)!」と、報告してくれた。 「嘘でしょ?」「いたよ」「HIKAKINだよ?」「いたよ」「嘘でしょ」「ホントだもん」「本当にHIKAKINだった?」「うん」「嘘で…

  • 早苗の頃

    田を耕す人が減り、私の故郷の風景もだいぶ変わった。鬱蒼としていた神社の参道も、大幅に刈り込みの手が入り、並木は随分と殺風景になってしまった。ここ一年、帰省はできていないが、今頃の田植え時期は、どうなっているだろうか。 父が譲り受けていた畑は、大型ショッピングモールの駐車場になってしまった。私が子供の頃には、肥料用に咲かせてあったレンゲの花を、よく摘んで遊んだものだ。 紀の川の堰も、用水のために開けられている頃だろう。冬季には滞ってしまっていた水の流れが、あちこちで勢いを取り戻しているに違いない。蛍は飛び始めただろうか、蛙はうるさいほど鳴いているだろうか。それでも、今なお、残っている水田には緑鮮…

  • 「嫌い」ってどこからやってくるの? (ちょっと苦手な虫の話。駄目な人は回れ右)

    興味を持って観察しようと試みる人には申し訳ないが、私はゴキブリが苦手である。幼い頃には、おびただしい数の毛虫を箱に入れて飼った事もある私だが、ゴキブリにはどうも好意的な印象を持てない。昨年、秋の終わりだったか。夜中、寝る前の身支度にブラシで髪を梳かそうと思った時の事だった。一櫛、髪へとすき入れたブラシの毛先に違和感があった。首筋に、黒い塊が、コロリと落ちてきた。500円玉ほどの大きさのその影は、カサコソと私の肩を滑って、床に落下した。洗面所の白熱灯に浮かび上がったソレは、ゴキブリだった。 たまげた。魅入られたように動けなくなるというが、私は逃げるでもなく、声を上げるでもなく、硬直してしまった。…

  • 自由な国の自由な飲み物。

    生姜、ナツメグ、クローブ、シナモン、黒胡椒、カルダモン。小鍋に入れたこれらを少量の水と共に、加熱する。エキスと香りを十分引き出してからCTCの紅茶を加える。再び煮立ったらすぐに火を止め、蓋をして蒸らす。湯が黒褐色に染まり、鼻に抜ける程の香気が漂っていれば、そこへ、たっぷりの牛乳を注ぎ入れる。膜が張らぬよう泡立て器でゆるくかき混ぜつつ液体にしっかり熱を通す。沸騰寸前で鍋を下し、出来上がった香り豊かな紅茶を漉せば、そう、チャイの完成である。 熱くても冷たくても美味しい。振り幅の大きさは、同じくカレーも一緒だ。組み合わせるスパイスは好みだ。私がこの飲み物を知ったのは製菓学校職員時代で、これを取り上げ…

  • 置き去り

    明治生まれの祖母は、駅の券売機で乗車券を買えなかった。路線図を見て、該当駅に表示されている金額分のボタンを押せば良いだけである。昔の券売機には、ボタンが配置されていて、その全部に値段が表記されている。行先までが120円なら120円のボタンを押せば良い。しかし、彼女には、それが、できなかった。仕方がないので、これまで通り、窓口で往復の乗車券を購入した。ちなみに在来線の切符で窓口購入できるのは「往復」と決まっていたのだ。 私の3歳になる次男は、彼が2歳の折、新しく購入した液晶テレビの画面を、初対面で、何故かしきりに人さし指でこすっていた。そう、彼は、スマートフォンの画面と同じように、テレビ画面もス…

  • やどかりのハウスクリーニング

    42㎡に3人で住んでいる。子供が小さいとはいえ、かなりこぢんまりとした住まいだ。 これへ、風呂、洗面所、トイレなどの水回りと、ベンランダ、玄関スペースが含まれるから、実際の居室はそれこそ車庫ほどしかない。大型家電は洗濯機と冷蔵庫。食事用テーブルと2本のメタルラック、テレビ台ほどの食器棚1台、家具はそれだけ。しかし質素であるが不自由はない。 独り親、会社人でも弁当作りを始める前は毎日掃除するように心がけている。早朝から掃除機を掛けるわけにはいかないので、主に床全面の拭き掃除だ。畳敷の寝室は、まだその頃には子供等が寝ているので、彼等の布団の周りを物音を立てないようコソコソ忍んで回っている。 玄関扉…

  • 金でも切れぬ物

    涙もろくて、本当にいけない。涙もろくなどなかったのだが、近頃、誠に涙もろくなった。 撮り溜めていた地上波放送の映画を観た。『殿、利息でござる!』で、泣いてしまった。 登場人物の十三郎と甚内、この2人の兄弟が、もう心底、よろしくない。弟を毛嫌いしていた兄と、強欲とばかり思われていた弟とが、互いに真実の元に歩み寄るシーンがどうしようもなく、熱く尊く、切なかったのだ。史実に基づく脚本らしく、原作者は歴史学者だという。全くのフィクションではないだけに、それを上乗せすれば余計に身に染みる。 ともあれ、兄弟だ。演技派の役者ぞろいでもあり一通りでない兄弟の縁やわだかまりが、さもありなんと思われるように描かれ…

  • ごっつんこ

    眠いから寝る。腹が空いたら泣く。そんなふうに暮らしていた私が、それをしなくなって久しい。途中経過はあったにせよ、大人になって、「らしく」振る舞うように整えられて、ようやくここまで辿り着いたという感じがする。 自由だの、意志表示だの、主張だの、最近の世間様は「ご親切」が有り余っている。何が快適で、どのあたりが心地良いだとかが麻痺してくるほどには、思いやり深い。 我がままを決して許さなかった時代を賛美しているのではない。ただ、手の施しようがなくて仕方なく放任主義に鞍替えした世間様を、遠く眺めているのだ。 私達がそう躾けられてきた「らしさ」は、もう、尊重されなくなってしまった。うっかりすると、私達が…

  • 手習いの道行き。

    私は言葉を扱う世界にいる。だからこそ言葉を無下にはできない。 毎日、本当に、言葉に揉まれている実感がある。仕事で携わっている分、この雑記を書いている時は、実に気楽で純粋に楽しみながら、時に天衣無縫に文字の世界に溺れている。 好きな事を仕事にすると、辛くなるし、現実世界か自分かに幻滅する日がくる、と言う人もいる。そういう働き方、そのような求道精神が勝ってしまえば、あるいは、好きな事で食っていくというのは厳格な世界であるのかも知れない。 幸いな事に、そして残念な事に、私はまだその域に達していないので、日々、先輩方の仕事ぶりを追い、仕上げられた案件に触れ、感動ばかりしている。 今日は、大先輩が、褒め…

  • 我が平熱を知る、という事。

    とっさに何かしなければならない瞬間が、大人にはわりと日常に多くあって、思わず飛び出た一言だったり、知らずにしてしまった行動だったりがあるのだ。ただならない時や、不如意の時に限って、急を要する事が発生し、私達は自分の幼稚さや勉強不足を白日の下にさらされる憂き目に遭う。 裏を返せば、とっさの折というのは、素っ裸の自分が放り出されてしまうので、肩書でどうにかなるものでもないし、付け焼刃でしのげるものでもない。浅はかな猿知恵で勝負しようものなら、それこそ恥の上塗りになりかねないのだから、やはり「日常の姿」というのは、馬鹿にできない。 中でも油断ならないのは、言葉遣いだ。罵倒とかスラングとか、いわゆるお…

  • はじめまして「お母さん」です。

    子供達は、時々、甘えた声で「ママぁ」と私を呼ぶ事がある。私はすっとぼけて絶対に振り向かない。また繰り返し「ねえ」とか「あのさあ」とかをくっつけ「ママ」呼ばわりするので、今度はさっさと別の場所へ移動して彼等から私は姿をくらます。 追いかけて来る人達に向かい、私は宣言する。「この家に、『ママ』はいません」と。 私は「ママ」ではない。子供達が生まれた時から「ママ」と自称しなかった。たどたどしい口調で呼び掛けるには、字数の少ない、あるいは、唇の運動が比較的容易な「ママ」の発音は気持ち良いだろうと思う。何より「あ段」である「ま」の音はとてもふくよかで優しく耳にも心地よい。しかしながら、私は「ママ」ではな…

  • ほんと、毎度、すみません。

    気苦労な事であるな、と頭が下がる。子供の保育、教育に関わる現場の職員に対して、である。学童保育所から電話をいただいた。「ところでお宅のお子さんが」と来たので、例によって例の如しお説教だと、腹を括った。私の子等は、親が言うのもおかしいが、世間一般で評するところの「できたお子様」ではない。もう慣れっこと言い切ってしまえば、随分ふてぶてしいが、そう覚悟を決めでもしないとやってられない時もある。 「ところで……」と相手が切り出すので、「またですか」と言う定型の文句を飲み込み、神妙な声色を作って、「どうしましたか」と丁寧に相手の言い分に聴き入った(フリをした)。 多くの児童を預かっている、コロナの影響で…

  • ほな、「けつね」でもどやろか。

    献立に困ると、きつねうどんを作る。いや、困らなくても、食べたくなるので、作る。 手付き小鍋で、簡単に作る事ができるので造作ない。出汁は魚介なら何でも良い。我が家は鰹出汁だが、昆布でも煮干しでも十分美味しいと思う。ただ、私が関西の生まれであるから、醤油は薄口を使いたい。濃い口は魚の臭みを取るのと、風味づけに追って足す程度だ。そうそう、これは一手間であるのだが、味醂は本みりんを使う。そうめん出汁を作る時には煮切ってしまうが、うどん出汁なら構わない。 元々、忙しい商人が、おかずと主食を同時に掻き込むのに便利だというので、きつねうどんが産み出されたらしい。誕生地の説はいろいろあるが、およそ商売の町、大…

  • 貪する心

    いつから私は、このように欲深くなってしまったのかと思う。 とにかく無事に生まれてくれ、とにかく息をしていてくれ、とにかく元気に過ごしてくれ、そんな事ばかりを願っていた我が子に、ああしろ、こうしろと、うるさい小言を飽きもせず言っている。食べこぼして何が悪い。服を汚して何が悪い。勉強に手間取って何が悪い。多少、後に我が子が困る事態になるかも知れないので、ほどほどの手助けは必要だろう。が、まくしたてねばならない事由なのだろうか。 どこまで私は強欲になれば気が済むのだろうか。我が子のため、という免罪符をかざせば、自分を納得させられる気持ちにでもなるのだろうか。その日、その時が、健やかであるなら、それで…

  • この決心に、正直であろう。

    伝えるのを怖がる必要はないけれど、伝える事にはやっぱり神経質でいようと思う。知らず知らずのうちに、伝わってしまうのが、負の物でないようにしたい。 私達は、様々なモノを残せる能力を持っている。送るための手段を持っているし、受けるための方法も周辺に溢れている。だから、安易に、気軽に、軽率に、能力を、武器を、凶器を振りかざすのは、止めたい。 無意識というのは、怖い。知らないというのは、恐ろしい。解らないというのは、罪深い。あるがまま、というのは、上手く乗りこなさないと、あるいは、適度に認識しておかないと、とんでもない事を、相手に強いる事になる。 一方で同じくらい、伝える事によって、相手を救える時もあ…

  • 愛しき者への誓い

    先日分かった事なのだが、7歳の長男には、ごく軽い自閉症状があるそうだ。日常生活には支障はないので、時々発現する「困った言動」以外は健常者と変わらない。専門医からの判断ではなく、小児科医からの問診でそう告げられたので、果てしなくグレーな診断でしかないのだけれど、それでも、私が彼を理解するにはとても役に立つ情報だったのには間違いない。 それまでも、スクールカウンセラーの方からは「過集中」な傾向がある事は指摘されていた。物事に熱中すると、近距離で発するこちらの注意喚起にも全く反応を示さないのが彼の特徴であった。 親は子供をあるがままに受け入れている「つもり」になっている。自分の子であるから、という過…

  • 季節の風味

    新玉ねぎが好きで、季節になると必ず購入する。水分が多いため煮物には向かないが、ツナサンドの具や味噌汁には重宝する。冷蔵貯蔵すると芽が出やすくなるので、台所の隅に転がしておくに限る。腐りやすくて、繊細、保存には向かないがこれも旬の野菜の尊さだろう。 薄くスライスして、油揚げ、豆腐、わかめと共に味噌汁に仕立てる。出汁は煮干しが良い。すぐに火が通るので、煮すぎると跡形もなく溶けてしまう新玉ねぎ。我が家では毎日味噌汁を食すので、この季節には、毎日、新玉ねぎの味噌汁が食卓に上る。新ゴボウも良い。ササガキにした物をこれに加えると、いつもよりパンチがある味噌汁に仕上がる。子供は嫌うが、これをすする大人には、…

  • 元製菓学校職員だから、そう考えるわけじゃないけれど……。

    40歳を超え、我が衰えに愕然とする事がある。食生活に置いても、以前ほど量は食べられなくなったし脂っこいものに対する耐性も弱くなったと自覚している。 だけれども、バターを惜しげもなく使用して作る伝統菓子は好きだし、白米の旨さは他の食品より頭抜けていると確信している。 健康的に「甘さ控えめ」や、動物性油脂よりも植物性油脂推奨や、ビタミンや食物繊維を最重要視する風潮が現代人の心をときめかせているようだ。ともすれば、バターが悪モノになり、砂糖が敵視され、脂肪が邪険に扱われている。しかしながら、肥満になるのも高血圧になるのも栄養失調になるのも、それぞれの食品のせいではない。 確かに責任転嫁して逃げるのは…

  • 吾子の力

    おおかた、私はその時、疲れていたのだと思う。最後の家事を終え、子供達が眠る寝所へ向かい、怠い身体を横たえて目をつぶった。眉間の辺りがぼうっと熱くなり、意識もせぬのに、涙が次々こぼれ落ちた。灯りを消し、カーテンを引いた真っ暗な寝室である。川の字で寝ている私達は互いの寝息が聞こえる距離に転がっている。眠りが深い長男は、奥で寝息を立てている。側に眠る次男は暗がりで顔は見えないが、ぴたりと動きは止まっている。 さめざめ泣く私は、闇の中の小石となって、じっとしていた。すると、温かい小さい手が私の頬に当てられた。「大丈夫だよ」と、次男が言った。彼の身じろぎの気配がして、湿った唇が私の額と頬に触れた。「おた…

  • 崇高な天秤

    その瞬間は、確かにすごく痛い。多少の衝撃もあるし、ズシンと心にこだます余韻もある。次の一手を思い付かないくらい腰が引けるし、怖気づく。反撃などしなければ良かった、主張などしなければ良かった、自分の窮地を自分自身が作ってしまった、そんな後悔や落胆や懺悔が気持ちを砕きにやってくる。 だけれども、その痛みは、私が新しい場所へ乗り出すための対価。その痛みは、今まで私が甘んじて選んできた「怠惰」を引き剥がすための疼痛であり、苦悩。 代償を払うのも嫌、リスクを冒すのも嫌、思いやりを持って接して欲しい、とは言っても、自分は人への犠牲を極力少なく抑えたい。 釣り合わない事を平気で言うのなら、釣り合わない現実を…

  • 更地にして考える。

    骨格形成のため、我々の体内には骨芽細胞と壊骨細胞がある。インド神話には、世界の万物を産む創造神と、世を新陳代謝させ、万物を無にしようとする破壊神が登場する。 物事が整うには、双方の力が拮抗せねばならないとすると、私達が今の位置よりも変化を求めるなら、上手に壊す事を学ばねばならないのかとも考える。 良い物を作る、画期的なアイディアを発表する、それを続ける要素として、最初からそこにあったものを一度壊す。自分の概念そのものを「自分でなくなるところまで」砕く。これを実行するのが最善であるのだろうか。 新しい花を活けるには、その花瓶を飾るスペースを片付けねばならない。次の問題点を炙り出すには、現在の問題…

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