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日本の城 城グル! http://shiroguru.blog.fc2.com/

城好き大学生のブログです。 日本の城を写真たっぷりで紹介していきます。

小倉城、杉山城、菅谷館の記事を公開準備中です

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2018/03/04

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  • 茅野市民館 ~鬼場城から足を延ばして

    茅野市民館と丸井伊藤商店鬼場城から299線を車で走ること10分ほど、茅野市の中心部にやってきました。ここでのお目当ては、大学の建築の授業で度々登場していた茅野市民館。私は文系なんですけれども、建築が好きなので、わざわざ理工学部の授業を取っていました。その授業を受け持っていた建築家の古谷誠章先生が設計したもので、早稲田の建築学の先端を行く古谷先生の作品を生で見てみたかったんです!そして、古谷先生の名前を...

  • 尖石遺跡 ~鬼場城から足を延ばして

    尖石遺跡 ~鬼場城から足を延ばして鬼場城から15分ほど車を進めて、日本史の教科書にも載っている有名な石器、縄文時代の遺跡、尖石遺跡までやってきました。日本初の縄文集落の研究が行われた場所であり、かつ国宝指定を受けるような、豊富且つ特徴的な土偶、土器類が発掘されたことで、国の史跡となっています。地元の小学校教師の宮坂氏が発見し、その後の調査も個人の活動として行われたことが驚きです!現在は茅野市尖石縄...

  • 鬼場城 ~くそでか連続堀切!~

    鬼場城 (長野県茅野市)上原城をあとにして、鬼場城へやってきました。鬼場城は、築城者や築城年代は不明ですが、矢崎和泉守が城主であり、武田信玄に属したという記録が残っているだけとなってます。諏訪から八ヶ岳連峰の麦草峠を抜けて、佐久へと至る街道とを見張る城であり、さきほど攻城してきた上原城の支城として機能していました。この付近の城跡の中では、上原城に並ぶか、それ以上の遺構の残存度だと思います。上原城か...

  • 頼岳寺 ~上原城から足をのばして~

    頼岳寺と「なとりさんちのたまごや工房」上原城から下山し、麓にある頼岳寺へ行ってきました。ここは、1631年開山の曹洞宗のお寺さんで、上原城主だった諏訪家の菩提寺でもあります。江戸初期に、諏訪地域を治めていた日根野氏が転封となり、代わってもとの領主であった諏訪頼水が諏訪を治めることになった際、諏訪氏の菩提寺でしたが、既に焼失して荒廃していた永明寺の代わりとして創建したとのこと。駐車場も3カ所あるほどの立...

  • 上原城~岩、岩、岩の城!~

    上原城今回は、長野県諏訪市に位置する上原城を訪れました。信長の野望をやっている人ならおなじみの城ですよね。毎回あっさり落城しますが...この城は諏訪大社の神官で、諏訪地域の領主として君臨した諏訪氏の居城として繫栄していました。武田信玄に諏訪氏が滅ぼされた後は、板垣信方や長坂光堅等の有力武将が城代になるなど、信濃と甲斐を結ぶ重要な拠点として機能していました。武田氏滅亡後は、諏訪湖湖畔の高島城に統治機能...

  • 4年ぶりに!

    多分、誰も気には留めていないと思いますが、お久しぶりです(笑)管理画面にログインしたのが4年ぶりということで、だいぶ懐かしい気持ちになっています。このブログは私が高校2年生の時に始め、大学受験で一度は中断しましたが、2年ほどはちょくちょく更新していたのではないのでしょうか。私も大学4年生となり、無事に就職活動を終え、全国をぶらぶら一人旅をしている中で、このブログの存在を思い出し、せっかくならお城巡りや...

  • 田中城(1) ~下屋敷公園から本丸櫓へ~

    田中城(1) ~下屋敷公園から本丸櫓へ~田中城は豪族の一色氏の居城で徳一色城と呼ばれており、武田氏の侵攻に際には遠江支配の拠点として田中城と改称されました。1601年に酒井忠利が入城すると円形の外曲輪を設け、城の面積は三倍に広がりました。家康が駿府城に移ると将軍の宿泊施設である田中御殿として整備されました。焼津インターから車で10分ほどで下屋敷公園の駐車場に着きます。ちなみに東京インターから焼津まで飛ばして...

  • 苗木城 (2) ~複雑な石積みの大矢倉へ~

    苗木城 (2) ~複雑な石積みの大矢倉へ~北門を抜けると三の丸に到達します。登城路の左側には大矢倉の石垣が見えてきます。石垣は巨岩の上に築かれています。それでは三の丸に入る前に北門の分岐を左に曲がって北門のほうへと進んでいきましょう。大矢倉付近の石垣は打ち込み接ぎで積まれています。石段を登って大矢倉の石垣の下にある道を進んでいくと北門跡に到達します。風吹門の北側にあるもんなので北門と呼ばれています。...

  • 苗木城 (1)1 ~石畳を踏みしめ風吹門へ~

    苗木城 (1)1 ~石畳を踏みしめ風吹門へ~<苗木城とは>加藤景廉を祖先とする遠山氏の居城で天文年間に遠山直廉によって木曽川沿いに築かれました。本能寺の変後の1582年には遠山は徳川についていたために羽柴秀吉の影響下にあった森長可に攻められて落城し、川尻秀隆が城代として入城しました。関ヶ原の戦いで東軍に属した遠山友忠は苗木1万5000石を与えられ以後12代にわたってこの地を治めました。まずは麓にある...

  • 大野城(3)~これぞ見せる石垣!尾根上にある北石垣へ~

    大野城(3)~これぞ見せる石垣!尾根上にある北石垣へ~(今回のルート)北石垣は小石垣と百間石垣の間の山の百閒石垣側にあるため、小石垣から向かうためには山を一つ越えていく険しい山道を通っていくことになります。小石垣から15分ほど山を登ると視界が開けた場所に出ます。ここには三差路の分岐があり、左に行くと主城原礎石群へ、真ん中の道は北石垣を経て百間石垣へ、右は行き止まりになっていますが、今回は右の道に行っ...

  • 大野城(2)~古代の技術を肌で感じる!圧巻の小石垣へ~

    大野城(2)~古代の技術を肌で感じる!圧巻の小石垣へ~(今回のルート)前回車を止めた駐車場のようなスペースから小石垣に向かうルートは2つあります。一つ目は駐車場前の道を管理事務所方面に右手に向かったすぐのところにある山の中へ入っていく登山道です。2つ目は左手に向かうとすぐの分岐を右に行くルートです。前者はとても険しい道なので後者のルートから小石垣を目指し、北石垣も見るために前者のルートから戻ってくる...

  • 大野城(1)~1000年の前のものがこんなに残っているとは!圧巻の百間石垣へ~

    大野城(1)~1000年の前のものがこんなに残っているとは!圧巻の百間石垣へ~<大野城とは>福岡県大野城市にある朝鮮式山城で、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した後、665年に大和朝廷が防衛のために築いたという記録が日本書紀にも残っています。馬蹄形状の尾根から谷を廻る土塁と石塁の外周城壁は、約6.8キロメートルであり、日本一の規模を誇る山城となっています。<今回のルート>福岡市内から大野城の駐車場がある四...

  • 花巻城(2)~コンパクトな城ながら見どころ満載!復元門がある本丸へ~

    花巻城(2)~コンパクトな城ながら見どころ満載!復元門がある本丸へ~本丸の正門である西御門です。近年になって絵図面などをもとに忠実に復元したそうです。ここは公式の門として、藩主や要人など限られた人しか使えなかったそうです。本丸の西側には空堀が掘られており、また、北側は崖なので本丸に行くには土橋を渡っていかなくてはいけません。もちろん枡形の構造になっています。こころなしかほかの城と比べて石垣が低いよ...

  • 花巻城(1)~宮沢賢治ゆかりの地のお城には水堀が現存!~

    花巻城(1)~宮沢賢治ゆかりの地のお城には水堀が現存!~花巻城は岩手県花巻市にあるお城でもともとは稗貫氏の城で鳥谷ヶ崎城と呼ばれていました。その後、秀吉の奥州仕置でこの地は南部家のものとなり、南部信直の代官北秀愛が城代として入り、名前も花巻城と改められました。円城寺門と時鐘堂が現存しており、本丸西御門も近年復元されました。(今回のルート)今回は車を花巻市体育館に停めてお城をめぐりました。この駐車場...

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