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2018/04/02

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  • 江戸城の現在

    江戸城は、扇谷上杉氏の重臣である太田道灌が築城した とされています。 太田氏が武蔵南部に進出する前には、江戸氏の屋敷が あった後に、築城したようです。 関東地方の騒乱の中で、城主が変わっていき後北条氏の 勢力圏となりました。 豊臣秀吉の北条討伐後に、徳…

  • 四谷見附跡

    四谷見附は、江戸城36見附の一つで江戸城西側の外堀の 市ヶ谷見附と喰違見付の間に位置し、甲州街道と青梅街道 につながる、重要な交通拠点です。

  • 喰違見付跡

    喰違見附は、江戸城外堀の赤坂見附と四谷見附の間に ある門で、江戸城の見附と呼ばれる城門は、枡形門と いう高麗門と渡櫓門の二重構造の門が多い中で、喰違 門は、虎口と呼ばれる土塁を前後に伸ばして、その間 に門を築いた城門でした。

  • 赤坂見附跡

    赤坂見附は、江戸城の外堀にあった門の一つです。 見付とは、城の外郭に位置して外敵の侵入を防いだり 外敵の接近を見張るための城門です。 赤坂見附は江戸城の他の門と同様に石垣と高麗門と 渡櫓門を組み合わせた枡形と言われる防御施設でした。

  • 半蔵門

    半蔵門は、江戸城内郭の西側の吹上につながる門です。 江戸期には半蔵門は枡形の高麗門と渡櫓門の二重構造でしたが 現在は渡櫓は撤去されています。 皇居の通用門として利用されています。

  • 北桔橋門

    北桔橋門(きたはねばしもん)は本丸の北側の門です。 皇居東御苑の北側の出口で北の丸公園につながります。 太田道灌が江戸城を居城していた時にはこの門辺りが 大手だったようです。

  • 平川門

    平川門は、江戸城三の丸の北部にある高麗門と渡櫓門の 二重構造の枡形門です。 大名などが通る大手門に対して、女中などが通る通用門と して使用されていたようです。

  • 白鳥濠 展望台

    本丸跡の南西付近に白鳥濠展望台があります。 樹木に隠れていてちょっと目立たないのであまり人がいなく 隠れ家的なスポットとしてお気に入りです。

  • 中之門跡

    中之門は江戸城の中でも最大級の巨石を使用していて ほとんど目地のない整層の石垣です。 奥にあるのは大番所です。 …

  • 富士見櫓

    富士見櫓は本丸の南端に位置する三層構造の櫓です。 江戸城の天守閣が焼失後は天守替わりとして使用され 将軍が富士山…

  • 富士見多門櫓

    本丸の西側の蓮池濠に面した石垣に富士見多門はあります。 多門とは長屋造りの防御施設で江戸城には多数の多門が ありましたが、現存するのは富士見多門と二重橋近くの 伏見櫓の両側にある2つの多門のみです。

  • 二重橋

    二重橋濠に架かる正門鉄橋の別名が二重橋です。 皇居の正門に架かる正門石橋のことと誤解されてることが 多いようです。 …

  • 桜田門

    桜田門は、正式には外桜田門と言い、三の丸にある桔梗門が 内桜田門と呼ばれていたようです。 西の丸を守る枡形の二重構造の門で、高い防御力を有していました。

  • 大手門

    大手門は江戸城の正門で、諸大名が江戸城に登場する際に 使用しました。 高麗門と渡櫓を組み合わせた枡形の二重構造で…

  • 江戸城 天守閣

    江戸城の天守閣は、1607年の慶長度天守、1623年の元和度天守、 1638年の寛永度天守と3度に渡り建てられましたが、1657年の 明暦の大火で焼失しました。 江戸幕府は再建を検討しましたが、財政難などから天守閣は 不要と判断し、以後天守不在となっています。

  • 江戸城 皇居

    江戸城は、扇谷上杉氏の家宰 太田道灌が築城しました。 太田道灌のころの江戸城は現在のの本丸跡程度の大きさで 日比谷の辺りまで海だったそうです。 徳川家康の関東移封時に、江戸城を本拠地と定めて、城域が 拡張していき三代将軍徳川家光のころに総構えが完成しました。 明治維新で江戸城無血開城が行われて、明治以降は皇居となりました。

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