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  • 8社目 50代後半

    失業期間3か月を経て入社した会社の懸念点は、実はこの会社もブラック企業ではないかという疑心暗鬼であった。入社後、周囲複数人にヒアリングするも、その兆候はなかった。むしろ、それは、まったりとしたホワイト企業そのものであった。遅刻や早退も自由、年休も取り放題、社長には、皆、好き勝手に、文句を言っている。給料も、規模の割に良く、むしろ、業界の好決算に支えられ、年に数度、特別賞与がでている状況だ。 一方、生産現場の残業と休日出勤は状態化しており、これが、この会社の一番の問題点のようだ。休日に電話応対にすぐに出たのは、休日出勤を常態化しているの人のようだった。ブラック企業の定義は色々あるが、一言で言えば…

  • 失業② 50代後半

    午前中は、ネットによる仕事探し、午後からは、2日に1度は、テニスで運動不足解消という生活を続ける中、1か月ほどして、ひとつ面白そうな案件を見つけた。車で30分ほどの場所にあるメーカーの営業責任者の案件だ。業界は全く未知のものであったが、迷うことなく応募した。仲介エージェントは、またも銀行系エージェントであった。が、10日間経っても、回答がない。しびれを切らし、ブラック企業を紹介した懇意のエージェントに”あなたが担当になってくれ”との趣旨のメールを打ったところ、即座に、そのエージェントから、担当エージェントにつなぐので、明日にでも、来社して欲しいとの電話があった。さすがに、ブラック企業を紹介した…

  • 失業① 50代後半

    失業生活初日は、妻と前から約束していたテレビ局の公開録画会場を訪問した。テレビでよくみるタレント達を見ながら、失業者が昼間からこんなことをしていて良いのかと、心配になったものだ。 失業が決まると同時に、前から懇意としていた会社の社長と相談し、場合によっては、個人事業主として営業契約することにした。しかし、これは、あくまでも最終手段で、基本的には、どこかの会社に入ることを目標とした。 ブラック企業在職中に、面談が決まっていた2社と面談する。どちらも、面接は問題なく切り抜けたのだが、”塞翁さんは、飽きしょうか?”と、ずばり、質問され、対策通りの回答を返すも、結局は、納得させることはできなかった。最…

  • 7社目② 50代中半

    当初は、次社が決まる前の退職は、ありえないと思っていたが、それ以上に、日々追い込まれた気分になり、そのうちに、睡眠も不十分になり、このまま長くいても意味がない、直ぐに辞めたいと、あっけなく、例のスイッチがはいった。たまたま案件の多い大手の懇意のエージェントから帰宅時に電話があり、明日にでも辞意を伝えようと思っている旨、伝えると、”できるだけ長くいて、給料もらいながら転職活動を続けるべきだ”との意見であり、次の日の退職報告は、とりあえずは、思いとどまった。今度の転職は、給料、業種等思いっきり範囲を拡げるしかないと決意、早速、サイトに再登録をした。懇意のエージェントにも、すべて、連絡し、支援を要請…

  • 7社目① 50代中半

    ゆでガエルになりたくないという気持ちで臨んだ転職であった。初日、9時就業開始のところ、8時20分に、出社ということで、7社目の会社生活が始まった。会議室に通されると、後に部下になるS君が既に出社していた。その後、これも部下になるE君、そして、経理の女性が出社してきた。皆、真面目そうで、雰囲気は、悪くない。8時50分、全社朝礼ということで、TV会議と事務所の皆が集まる形での朝礼が始まった。その中で、私の上司が紹介された。たしか、私の直属の上司は、社長だったはずだが。。。まず、ここで、軽く衝撃を受けたが、まずは、状況を把握しなければならない。しかし、不信感と不安が沸き起こるのを抑えることはできなか…

  • 6社目② 50代中半

    このような生活が、数年、続く。苦労しながらも、自分の立ち位置をつくることができ、周囲も良い人が多く、プレッシャーもない気楽な立場ではあったが、心のどこかに、寂しいものが、常にあった。会社のラインには入れない。会社方針もあり、年齢的に、将来性もない。余程の実績をあげても、先は見えていた。自分より年若者が上司格となっているストレスもあった。いわゆる役職定年状況だ。自分では、まだまだやれるという気も、捨てきれないでいた。このまま不満を持ちながら楽な生活を続け、定年までいるのか、あるいは、再度、組織の中心で活躍することを目指すか。。 結局は、後者を選択した。当時、よく言われていた「ゆでガエル世代」に甘…

  • 6社目① 50代前半

    正月明け、初出であった。新しい事務所は、本社兼工場のかなり大きな敷地の中にあった。守衛に挨拶をし、受付にて、名乗る。ワンマンオフィスとは、大違いである。事務所に通され、軽く挨拶をした後、正月明けの集会ということで、敷地内のホールに通され、多くの人の前で、就任の挨拶を行う。その後、1か月ほど、工場見学等研修が組まれており、久しぶりに、古き良き日本の会社に戻ってきたと感じた。敷地内には、多くの会議室がある。ワンマンオフィスを思い出し、感慨深かった。 仕事の方は、取締役の直下で、事業企画を行うのであるが、特に、決まったものがあるわけではなく、最初は、新規企画チームとのコラボの模索から始まった。新規企…

  • 5社目② 40代後半

    1年ぶりの転職活動だ。早速、前回と同じく、既知のエージェントに声をかけるとともに、名だたる転職サイトにも、すべて、再登録し、良い案件があれば、ダメ元でも、申し込むという動きをとった。特に、今回の会社を紹介してくれた個人エージェントは、問題会社を紹介した責任を感じたのか、熱心に、案件を紹介してくれた。年齢、転職回数、1年での離職など、条件は、前回より格段に悪くなっているはずだったが、なんとなく、うまくいく気がしていた。1年前よりは、格段に、案件が多く、質が良い。ワンマンオフィスにいるために、転職活動もしやすいのは、有難かった。メールのチェックやエージェントとの電話が事務所で堂々とでき、面接日程も…

  • 5社目① 40代後半

    入社1か月ほどは、東京本社にて、営業同行等を行いながら商材を学ぶことになっていた。その間、関西の拠点を整え、立ち上げの準備をする。同じ日に、自分より年輩の開発者が入社しており、なんと、6社目の会社になるということで、驚いたものだ。入社初日に、営業会議なるものがあり、見学気分で参加した。皆、そこそこしっかりしており、人間的にも悪いものは、感じなかった。が、会議の内容を聞いて驚いた。参加者は、自分の手持ちの案件の話をするのだが、ほとんどが、曖昧で、確度が低いものばかりであった。売上が目標数字に大きく届かないことが容易に推測された。”これは、えらい会社に入社してしまったかもしれない”と感じたものだ。…

  • 4社目③ 40代後半

    久しぶりで、50近い年齢になってはいたが、転職については、当初、楽観視していた。マネジメントの実績を、買ってくれる会社があると思っていたからである。今度こそ、一から出直し、定年まで働ける会社を見つけたいという思いであった。さすがに、ホームページからダイレクトの応募は厳しいと思い、エージェント案件ねらいで、多くのエージェントに登録することとした。名だたる転職サイトにも、すべて、登録し、良い案件あれば、ダメ気味でも申し込みを続けた。数打てば当たる作戦である。 複数の大手のエージェントともコンタクトがとれ、それなりに、案件紹介がくるようになった。何人かのエージェントとは、懇意となり、その後も関係が続…

  • 4社目② 40代後半

    1年以上経過し、予定をかなり遅れながらも製品上市。それまで取り扱いを決めてくれていた顧客に、納入。が、納期遅れ、品質クレーム多発で、営業は、後向きの仕事に追われることになる。そのうちに、決定的な品質の問題点が発見される。新しい市場に進出するには、開発時間が短すぎたのである。新しい市場に必要なノウハウや経験は、馬鹿にならない。大量の返品と在庫を抱え、会社側が早くも、事業撤退のプレッシャーをかけてくる。それ以降、対外的なものより、内なる敵に悩まされることになる。会社は、創立まもないベンチャーくずれで、まだ、創業者が権力を握っていた。創業者の一存ですべてが決まる体制であり、よくここまでは、創業者のあ…

  • 4社目① 40代後半

    会社の初出は、東京ではなく、関西本社であった。当日集まっていた新入社員は、私を含めて、3人で、すべて、年輩者であり、皆、大企業からの転職組だった。そのうち、Iさんは、東京勤務で、私の上司格にあたることになる人で、大企業退職以降も起業、転職を何回かしており、かなりユニークなキャラの人であった。東京へ帰る新幹線の中で、ここ7年程、仕事の実績がないので、この会社では、なんとか実績を上げたい旨を私が話すと、”塞翁ちゃん、大丈夫だよ。僕がいるから。”と自然に返して来たのには、驚いた。次の日、東京事務所に出社、午前中は、いつもどおり、システム設定等に明け暮れ、午後から手持無沙汰になったところで、Iさんが、…

  • 3社目② 40代前半

    仕事面では、嫌いな奴とつきあわなくて良い仕事だけを選ぶように心がけた。ビジネスパートナーと組んでやる仕事、事業部の新商品ソフトを売り歩く仕事。。。ビジネスパートナーや事業部の人たちとは、うまく人間関係もでき、懐かしい仕事もある。が、常に、転職を考える毎日であった。 そんな時、東京のある部門から、社内異動しないかとの誘いがあった。苦しんでいた時期であったが、私を評価してくれていた人もいたようで、その人からの誘いであった。東京勤務というのがひっかかったが、そんなこと言ってられない。早速、話を詰め、上長に伝えた。直属の上長は、私自身に興味なかった様子で、直ぐに了解くれた(初対面で感じた何とも言えない…

  • 3社目① 40代前半

    10年以上勤めた会社を辞め、久々に、もう経験すると思わなかった転職をすることになった。出社初日の朝、緊張する中、直属の部長に引き合わされた。まず最初に、なんとも言えない”のり”の軽さを感じた。が、これは、つきあい安い人というふうに、前向きにとらえることとした。部長は、10分ほど、会話した後、時間がない様子で、出張に出かけ、その後、数日、帰ってこなかった。席だけは、決まっていたので、やることがない中、まずは、PCの設定、サーバ、イントラネットへのアクセス、を行い、とにかくは、社内の事を知る事に、時間を費やした。 私を面接してくれた人は、私の上長ではなかった。結局、この人とは、1回も顔を合わせるこ…

  • 2社目④ 30代後半

    新しい職場では、周囲に英語が飛び交っており、当初、私は、英語での電話を受けるのが怖く、常に緊張していた。これは、結局、最後まで完全には解決できなかった。職場の上長、同僚は、皆良い人ばかりで、職場環境ということでは、今までで一番良かったかもしれない。今でも、飲みに行くのは、この時代の人たちが多い。特に、最初の上司となった部長とは、今でも、よくご一緒させていただいている。 一方、仕事は、苦戦した。市場が海外ということで、今までの経験、スキル、ネットワークは、ほとんど活かせず、ルーチンワークもない仕事だったため、自分のできる仕事を見つける事から始める必要があった。なによりも、海外相手の仕事なので、お…

  • 2社目③ 30代半ば

    7年が過ぎた。多くの思い出深い仕事を経験し、失敗もしたが、多くの実績を上げることもできた。人生で一番の天狗の時期だった。その頃、管理職一歩手前の資格への昇格試験を受ける候補となった。私としては、昇格して当然という気でいた。が、そこに、異変が起こる。 事業部トップが定年退職で交代する中、新しい事業部トップは、かなり自分流を打ち出すワンマンな人であった。今までの事業部のやり方を変えようと、上層部の大胆な異動と評価基準の変更を行った。一転、昇格試験に苦戦することになる。結果は、昇格見送り。所属部長からは、”年齢構成もあるので、1年待ってくれ。1年後は私が保証する”との言質を得た。が、その1年後、私は…

  • 2社目② 20代後半

    その後は、人事の言葉を信じて、我慢の毎日だった。1日1日が、ただ無難に過ぎるのをただ待つだけの毎日だった。3月の初めだったか、直属の上司に呼ばれ異動の話がある旨を伝えられた。まだ決まっていないような口ぶりで、どうするか選択しろとのニュアンスだった。内心ほくそ笑んだが、表面には出さず、神妙なふりで受け止めた。同時に、頭ごなしに人事に話をつけたことを厳しく批判された。そんなやり方は、この会社では通用しないと。部長からも同じ形の批判を受ける事になったが、全く動じることはなかった。むしろ、新しい職場への期待で胸が膨らんだ。もしかしたら、この時の異動が、今までで一番うれしかった異動かもしれない。この後も…

  • 2社目① 20代後半

    転職初日は緊張した。この時は、仕事の実績もなく、自信もないため、不安感で一杯だった。上司との対面、同僚になる人たちへの紹介。一連の行事が流れるが、終始、緊張感で満たされていた記憶がある。仕事は、特に決まったものがあるわけではなく、しばらくは、新しいプログラム言語の習得や上司との客先同行という感じだった。その日、上司の計らいで、近くの居酒屋で有志だけの小さい飲み会が設定された。ほぼ同年代の人間が集まったが、皆、既に仕事に馴染み、各々自信を持っており、気おくれを感じたものだ。唯一、同じ日に転職してきた40歳になるMさんとの昼飯だけが、癒しの時間であった。当時は、40歳にもなって、子供2人もいて、転…

  • 1社目⑤

    予想通り、合格した。初めての転職活動成功であった。退社報告は、かなり緊張し、なぜか声がかすれた。上司は、引き留めることもなく、逆に、私の能力のなさをあげつらった。今なら、これは、ポジションパワーを持つ上司の責任に帰するものであると、言い返すこともできるが、当時は、ただ黙ってうなずくことしかできず、長い間、トラウマになった。例えば、コミュニケーション不足について。これこそ、”双方”の問題であり、上司にも大きな 責任がある。自分が上司になった時には、この言葉は絶対に言わずにおこうと強く思った。 仲の良い同期達に退職の報告。ちょど同時期に辞める男が1人おり、彼とは、色々話し合った。30年以上経つ現在…

  • 1社名④

    買ったことのなかった技術者向けの転職雑誌を買い込み、すぐに見つけたのが、その後、仕事人生を変えてくれた次社の案件であった。会社は前職より10倍ほど大企業だ。職種はSE業務であったが、SE営業としての仕事の可能性もあるようだ。自分の能力が通用するかどうか大いに不安であったが、なんとかなるだろうと、高を括った。 1次面接は、事業部人事課長であり、話は、トントン拍子に進む。今から思えば、とにかく人が足りない状況であったようだ。2次面接は、先方5名と私1名の面接。特に難しい話はなく、最後に、”なぜ○○さんは、学生時代に、弊社受けなかったの?”と聞かれた時だけは、かなり戸惑い、苦笑いするしかなかった。こ…

  • 1社目③

    初めての転職活動は、難航した。当時、バブル期で、日曜日の新聞就職欄は、いつも募集記事満載だった。良さそうな会社をピックアップし、応募するも、書類すら通らない。途中入社なので、”何ができるか?””何をしたいのか?”がポイントになるのだが、私が主張したのは、”経理”という抽象的で、恥ずかしいものだった。たまに、面接にたどりついても、つっこまれると、直ぐにボロがでる。そもそも、”経理”とは何か、わかっていないのだから。この当時、滑ってがっかりした会社の多くが、その後のバブル崩壊に巻き込まれ、消失した。 ある日、ふと、思いついた。経理ではなく、”SE”で勝負したらどうだろうか? 当時、先輩が転勤した後…

  • 1社名②

    そのような状況下、当然、会社を辞めることに目は向き、まずやったのは、新聞記者試験を片っ端から受けることだった。記者になりたいわけではない。ただ、何かをしなければやってられない気持ちからである。当然、全落ちである。次に、目を付けたのが、公務員試験。1年目は、勉強もせず、全落ち。2年目は、受験勉強並みに勉強し、10倍近くの倍率を突破する。(思えば無駄な労力を費していたものだ。。)2次の集団面談も、さすがに学生相手のディスカッションに負けるわけはなく、撃破。3次の個人面談に臨む。そこで、またまた悩ましい一言が、面接官からでる。”3年も民間でやって、公務 員になるのは、もったいない”心からの思いで言っ…

  • 1社目①

    迷いながらも入社を決めた会社ではあったが、入社当初は、一生お世話になるつもりだった。半年間の新入社員研修を終え配属されたのは、関西ではあったが、通勤に1時間半以上かかる本社からは離れた事業所だった。文系で配属されたのは私1人だった。当初は、関西に配属されたことに、安心感を覚えたものだ。配属された初日に、事業所人事から、”こんなとこ嫌だろ?”と、いきなり言われ、最初の違和感を感じた。その後、数週間たった頃だろうか、事業所NO2常務に、”こんなとこ長くないから、勉強だと思い我慢しなさい”と言われ、そんなに変な所なのかと思うと同時に、上は、見ていてくれているとうれしく思ったものだ。 初めての職場は、…

  • 就職前夜③

    10/5、午前中、精密機器メーカに到着。受付の人事がピンポイントでタイプの女性であり、それだけで会社の印象がアップした。(入社時、既に結婚退社していることを知り、少なからず、ショックを受けた)面接は、人事部長と1対3のグループ面談で、手ごたえはあった。おそらく、入社したいという気持ちが勝ったからだと思われる。 面接後、仲良くなった3人で、喫茶店で長話をしたのだが、その中のひとりが気になる事を話し出した。彼も既に、ある会社に内定しており、試しに面接に来た様子だった。彼曰く、「この会社の社風が温いのは有名だ。そんな会社は危ない。俺は、既に内定している厳しいベンチャーに行くつもりだ」というものだった…

  • 就職前夜②

    就職活動も一段落した頃、当時、コマーシャル等で先進的イメージのあった東京のメーカから面接の引き合いがきた。興味本位だけで、面接に参加したところ、(就職が決まって力が抜けたせいか自分の素の姿を出せ)いつになく絶口調で、トントン拍子で合格が決まった。素の姿が出せたのは、この会社の企業力のおかげと感心したりした。新聞等を見ても、毎日のように関連記事が載っている。ゼミの女の子連中の評判もいい。東京勤務が少しひっかかったが、(当時、関西を離れたい気持ちもあり)目をつむった。ゼミの先輩へのお断りの電話は、非常に心苦しかった。しかし、自分の判断は正しいと信じて、決断、実行した。ちなみに、長い社会人人生の中で…

  • 就職前夜①

    80年代半ば大学4回生当時、まだバブル前夜であったが、少なくとも、私の大学学部の就職率は、ほぼ100%近い状況だったと記憶している。ただし、皆が自分の希望する会社に入社できたということはなく、私の友人達も7割が満足、3割は不満を持ちながらの就職だった。残念ながら、私は後者で、その時の心境も、後の転職回数に 、大きな影響を与えている。30年以上たった今でも、”もしあの時、あの会社に入社していたら。。”という妄想はぬぐえず、今でも時々、入社するはずだった会社のホームページのチェックをすることがある。 私の時代、4回生夏 休み中には、内定を獲得する必要があった。その後、10/1の就職解禁日を迎えるの…

  • はじめに

    4月、50代後半になった私は、8社目になる会社に、初出社した。3カ月の無職期間があったが、入社挨拶では、いつもどおり、若干のワクワク感と、かなりの緊張を感じた。思えば、大企業から、中小、ベンチャー、果ては、ブラック企業まで多くの会社で、同じことを何度も経験した。履歴には残らない実質的転職も何度もしてきた。 転職は、高速道路のインターチェンジで乗り換えをするよう なものである。一度、乗り換えると、元の道には戻れない。渋滞を避けて、別の道を選択した結果、より時間をくってしまう事も、当たり前にある。一方、遠回りした結果、高速で車線変更しながら進むことでは経験できないすばらしい景色や出来事に会うことも…

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塞翁さん
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あるジョブホッパーの軌跡
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