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2018/11/17

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  • み言葉の掲示板が完成!! 日本ナザレン教団大阪田辺教会(田辺ナザレン教会)東住吉区の教会

    田辺教会の教会員の方が、手作りで、み言葉の掲示板を作成してくださいました。 言葉は 詩篇19:14「私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。」を一部改変してあります。 前を通った人の心の片隅にでも留まればと思います。 これからも、恐れないで、語り続けましょう!! 「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる・・・この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」(使徒 18:9~10)

  • 12月23日礼拝と来年のカレンダー 日本ナザレン教団大阪田辺教会(田辺ナザレン教会)東住吉区の教会

    今日は、来年のカレンダーを配布しました。 来年2019年、田辺教会は、創立65周年を迎えます。 ------------------------------------------- 12月23日 礼拝 「喜びの知らせ」 ルカ福音書 2章8~20節 ・世界で一番最初のクリスマス礼拝に招待されたのは・・・ 野原で野宿をしていた羊飼いだった。 ・羊飼いは、仕事柄、ユダヤ教の掟やしきたり、儀式などを十分に守ることができず、 汚れていると思われていて、神殿にも入れてもらえなかった。 ・彼らは、自分たちは神さまから愛されていない、受け入れてもらえない、ゆるしてもらえない、自分たちは駄目だと思っていたかも…

  • クリスマス礼拝と祝会(田辺ナザレン教会)

    【クリスマス礼拝&祝会】 . 今日(16日)は1週間早くクリスマス礼拝と祝会をいたしました。 . 各自持ち寄りでしたが、 思いのほか、ごちそうが集まり、満腹になりました。 久しぶりにお見えになった方もおられ、感謝でした。 . 礼拝説教は、ルカ2:1~7から「救い主の居場所」と題して行いました。 . イエス様は私たちの心の中に入りたい、真ん中に座したいと願っておられます。 今から2千年前、宿屋にはヨセフやマリア、そして生まれたばかりのイエス様が入る余地はありませんでした。 私たちの心の中はどうでしょうか? イエス様が入る余地はあるでしょうか? . 【音声録音は下記】36分 181216.mp3 …

  • 「天使のくどき文句」(マリアの受胎告知)12月9日礼拝説教。日本ナザレン教団大阪田辺教会(田辺ナザレン教会)東住吉区の教会

    2018年12月9日 礼拝説教 「天使のくどき文句」 ルカ 1:26~38 救い主イエスキリストをこの世に誕生させるためには、どうしても母親になる女性が必要だったのです。そのために、神様はマリアを選ばれました。 今日は、神様のみ使い(天使)が、どのようにして、マリアを説得したのか、神様のみ使いとマリアとのやり取りを中心に学んでいきます。 ここで、神のみ使いはマリアを口説く(説得する)のに3つの言葉を使っています。 1.「主があなたと共におられます」2.「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおう」3.「神には、なんでもできないことはありません」 神様は、私たちにも(教会で信徒として)「…

  • キリスト者の完全に関する確認事項(ウェスレー『キリスト者の完全』17章より)

    第17章 年会での質疑応答など 17章には、1744年~47年に4回にわたって行われた年会での質疑応答、確認事項などがまもめられています。 (※Q&A形式で書かれていますが、平文に直す。これまで(16章まで)の記述と重複することもあります。また仲川による補足・言いかえてある部分もあります。) 1.聖化されるとは、神にかたどって造られた新しい人にされることである。 仲川による補足: アダムとエバの原罪によって損なわれた神のかたちとしての性質が、(キリストの十字架と復活によって)再創造されるということであろう。 2.完全なクリスチャン(神のかたちに創り変えられた新しい人)とは、心を尽くし、精神を尽…

  • 「祈りは届いていた」(ザカリヤとエリサベツ)12月2日 礼拝説教。日本ナザレン教団大阪田辺教会(田辺ナザレン教会)東住吉区の教会

    2018年12月2日 礼拝説教 題「祈りは届いていた」 聖書: ルカ福音書 1章5~20節 ザカリヤとエリサベツの夫婦は、子どもができないまま、すでに高齢になっていた。 彼らは、祈りや願いが叶えられず、もしかしたら「自分たちは神様にかえりみられていない」と思っていたかもしれないが、それでもなお彼らはヤケになったり、投げやりになったりしないで、信仰をもって、主に仕え続けてきました。 そして神様もそのような彼らに目を注ぎ、彼らの祈りに耳を傾けておられた。彼らの祈りは神様にちゃんと届いていたのです。 そして神様は、神様の目からご覧になって最もふさわしい、最善の《時》に願いを叶えられた。 【説教の音声…

  • チャペルコンサートならぬキッチン?コンサート

    2018年11月25日、花園教会の児島忠男兄が、日本ナザレン教団大阪田辺教会(田辺ナザレン教会)の礼拝にお見えになられ、礼拝後に食堂でギターコンサートをしてくださいました。 神様からの思わぬプレゼントで、一同、大感激しました。 www.youtube.com

  • 「感謝の先取りをしよう」詩篇126篇、他。2018年11月25日 礼拝説教 日本ナザレン教団大阪田辺教会(田辺ナザレン教会)東住吉区の教会

    「感謝の先取りをしよう」 詩篇126篇、他 2018年11月25日 田辺教会礼拝説教 ある牧師先生が「病気を治してください」とか「〇〇が必要です。〇〇を与えてください」ではなく、「病気を治してくださり、健康を与えてくださいますから、感謝します」「〇〇を与えてくださり、ありがとうございます。」と感謝の先取りをしなさいと言っておられました。 それは、病気のほうや、欠けているものばかりに意識を向けるのではなく、健康になった自分(その人)の姿や与えられたことに意識を向け、神様(に対する感謝の思い)に目を向けることになります。 まだ捕囚民のエルサレムへの帰還が完了しておらず、再建も始まったばかりでしたが…

  • 「心の割礼」(ウェスレー『キリスト者の完全』第6章)仲川牧師

    「心の割礼」--ウェスレー『キリスト者の完全』第6章 1733年1月、30歳になったウェスレーは、聖マリア教会で「心の割礼」という説教をしました。 その説教の中で「聖潔(きよめ)」とは、肉と霊の一切の汚れから清められ、キリストのうちにある諸々の徳を身に着け、私たちの心が天の父が完全であるように完全な者に更新されることである」と定義しています。 そしてこの説教を通して、ウェスレー自身が気づいたことを『キリスト者の完全』の6章で述べています。その中からいくつかのことを紹介しましょう。 私たちの唯一の幸福とは、我らの魂を創りたもうた神に結びつくことであり、1つの霊によって主に結びつけられることである…

  • 神に献げる決心(ウェスレー『キリスト者の完全』2~5章)仲川牧師

    1725年、23歳のウェスレーは、自分の全生涯を――人生や生活の一部分ではなく。すべでの思いや考え、すべての行いや言葉を――神に献げる決心をしています。(『キリスト者の完全』第2章。以下『完全』と略す。) ウェスレーは、その後も、神様から同様のチャレンジを何度か受けています。さらに、1729年には、聖書の研究を通して、「キリストが歩まれたように(自分も)歩む」ということ。「キリストの内にあった思いを持つこと」が必要不可欠なことであると言っています。(『完全』第5章) ウェスレーが20代の時に受けたこれらの神さまからのチャレンジは、その後のウェスレーの全生涯の原点になったと思われます。私たち現代…

  • 「キリスト者の完全」に関する最も簡略なまとめ(ウェスレー『キリスト者の完全』15章)仲川牧師

    「キリスト者の完全」に関する最も簡略なまとめ ウェスレー『キリスト者の完全』15章 『キリスト者の完全』第15章で、ウェスレーは、完全論に対して様々な誤解があることを踏まえ、ご自身の完全論をまとめています。 (1)「完全なクリスチャン」であっても、善を行うこと、神のあらゆる儀式に参加すること、無知や誘惑、弱点や欠点などから解放されるものではない。下記(2)(3)を参照。 *信仰が成熟し、完全になった(達した)からと言って、もう儀式(礼拝など)に参加しなくてもよいとか、善きことを行わなくてもいいというわけではない。 また、無知や欠点、弱点などが無くなるわけでもない。(キリスト者の完全とは、そのよ…

  • 【神の聖化の御業は少しずつ進んで行く】 ウェスレー 『キリスト者の完全』 第13章より

    【神の聖化の御業は少しずつ進んで行く】 ウェスレー 『キリスト者の完全』 第13章より 罪の赦し、御霊の内住、新しい清い心は、一瞬に与えられるものではなく、漸進的に(少しずつ)進んでいく。 【神の一般的な順序】 1.自分は富んでいて正しい、何の不自由もないと自信を持った人を、自分は貧しい裸の人間であると自覚させる。2.神の怒りと裁きが自分に下るかもしれないという恐れを起こさせる。3.神に呼ばわる(救済を叫び求め、祈る)なら、神は罪の赦しと天国があることを示してくださる。4.キリストの血によって無条件に(信仰のみによって)義とされたことを知り(信じ)、神と和解し、聖霊によって神の愛が注がれ、天国…

  • 【カルヴァンの「予定と予知」】

    【カルヴァンの「予定と予知」】 【予知説について】・「予知説」とは、その人が恵みに適格であるかどうかを、神が事前に予知し、適格であろうと予知される者を救われる者として選び、邪悪と不敬虔に傾くであろうと予知される者を滅びに選んだという説。 ※カルヴァンはこの説を否定するが、アルミニウスは肯定する。 カルヴァンは、その立証の1つとして、まずイエス・キリストのことを挙げている。 イエスは正しい行いをしたから(あるいは、そうするであろうと思われたから)神の子とされ、マリアから生まれたわけではない。価なくして、このような栄誉を与えられたのである。 つまり、カルヴァンにとっての選びとは、天地万物が創造され…

  • アルミニウス主義について

    【アルミニウスとカルヴァンの違い】 カルヴァン アルミニウス 予 定 予定は、予知に基づくものではない 予知して予定する 贖 罪 選ばれた者(たち)のため キリストの救いは、万民のため 人 性 人は全く堕落して、意志の自由はなく、膳を行う力も持ち合わせていない。 人の罪は1つの傾向である。意志の自由は残されている。 恩 寵 恩寵を拒むことはできない 恩寵を拒むこともできる 聖徒の保持 これを信ず 疑わしい ※以上は、柏井園 『基督教史』 より抜粋。 【アルミニウス主義の7要綱】 1.神の意志の絶対性 神の意志の絶対性は、神の意志が、神ご自身の行動に関するものか、人間の行動に関するものであるかに…

  • 【神が支配したもうがゆえの完全】ウェスレー 『キリスト者の完全』 第13章より

    【神が支配したもうがゆえの完全】 ウェスレー 『キリスト者の完全』 第13章より ・自分が無になり、神様がすべてとなられる。・自分の力は神から来たものである。私たちの一思一考をすべて主が支配しておられるから、私たちは主が良しとしたもうことを思い、考え、行動する。 (語るのも自分が語るのではなく、自分のうちにいて語られる主の御霊である。その時その時に、語るべきことも、なすべきことも、主が教え、導いてくださる。)・神に完全に支配されているならば、もはや悪念も誘惑も入り込む余地はない。・神が私たちの心をご支配してくださることによって、私たちの心は「人知では測り知ることのできない平安」と喜びにあふれて…

  • 「メソジストの性質」(ウェスレー『キリスト者の完全』第10章より)日本ナザレン教団大阪田辺教会(田辺ナザレン教会)東住吉区の教会

    「メソジストの性質」 (ウェスレー『キリスト者の完全』第10章より) ・メソジストとは「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、主なる神を愛する」者である。・私たちは、神の中に生き、神から決して渇くことのない永遠の命に至る命の水をいただき、それに満たされているので、平安と喜びに満たされ、一切の恐れや不安から解放され、幸せ(幸福)である。・神は善の御方であり、いつも最善のことしかなさらない、したがって、与えられるものも、また取り去られることがあっても、最善をなしたもう主に感謝し、主をほめたたえる。・平穏無事な時でも、苦難の時でも、病の時でも、健康な時でも、死に直面した時でも、神に感…

  • 「老いても、なお強く」(ヨシュアとカレブ)田辺教会(東住吉区の教会)礼拝説教

    「老いても、なお強く」(ヨシュアとカレブ) ヨシュア記 13章1節,同14章6~13節 2018年 11月18日 田辺教会 礼拝説教【説教を音声で聞く】(mp3形式,約27分) 「あなたは年が進んで老いたが、取るべき地は、なお多く残っている。」(13:1) 1.「あなたは年が進んで老いた」 ・神様はヨシュアが老いたことをご存知であった。神様は私たちが老いていることもご存じである。 それは、老いから来る様々な変化――体力や視力の低下、気力の低下、病気、経済的問題、将来の不安、家族の問題――そう言ったことを神様はちゃんとご存知であり、必要な助けを備えていてくださるのです。 「あなたは年取ったね」と…

  • 「キリスト者の不完全さと完全さ」(ウェスレー『キリスト者の完全』第12章)仲川牧師

    「キリスト者の不完全さと完全さ」 (ウェスレー『キリスト者の完全』第12章) (※節数字は『キリスト者の完全』第12章内での節番号)(注)『キリスト者の完全』の記事は、原文そのままではなく、仲川牧師が自分の言葉で言い換えている部分があります。また自分なりの感想やコメントをつけ加えています。 キリスト者はいかなる意味で完全ではないのか。 ・知識においては完全ではない。(9節) 神のみが全知なのだから、キリスト者とて無知から逃れることはできない。 ・理解力などにおいても完全ではない。(12節)・いかなるキリスト者でも欠点や弱点はある。 (※しかし、欠点や弱点を克服し、絶えず成長していく必要はある。…

  • 「2つの天国」(黙示録22章より)田辺教会(東住吉区の教会)礼拝説教

    礼拝説教「2つの天国」(ヨハネ黙示録22章より) 2018年 11月11日 田辺教会・礼拝説教 住宅展示場(モデルハウス)というのがあります。 実際に居住できる家そっくりに建てられた家の見本です。 そこに行けば、新しい家の使い勝手や雰囲気も分かり、新しい家にいるのと同じ気分を味わえます。 実は、天国にも「モデルハウス」があります。それは教会です。教会は不完全で、永続的ではありませんが、それでも天国のことが体験的に分かるようになっています。 「御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れている。」 (ヨハネの黙…

  • 「主にあって死ぬ幸い」(黙示録14章)田辺教会(東住吉区の教会)礼拝説教

    「主にあって死ぬ幸い」田辺教会(東住吉区の教会)礼拝説教 ヨハネの黙示録 14章 6~13節 2018年 11月4日 田辺教会での礼拝説教より 今日は、13節を先に見て参ります。 「またわたしは、天からの声がこう言うのを聞いた、「書きしるせ、『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』」。御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」(黙示録 14:13)。 1.「今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである」 死ぬことがなぜ幸いなのでしょうか。それはイエス・キリストを信じさせていただいて死ぬ人は、人生がただこの世だけで終わるのでないことを信じて死ぬことが…

  • 「勝利を勝ち取った教会」(黙示録12章より)田辺教会(東住吉区の教会)礼拝説教

    「勝利を勝ち取った教会」 ヨハネの黙示録 12章1~12節 2018年10月28日 田辺教会・礼拝説教 「この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。」(9節) 今日のテーマは、悪魔(サタン)は投げ落とされてしまったということです。 私たちが今住んでいる世の中でも、悪魔(サタン)が猛威を振るっているように見えることがあります。 しかし、私たちはそのような悪魔(サタン)の働きには、限界があるということ、そして、神様の力のほうが強い、悪魔に勝ち目はないということを今日覚えておきたいと思います。 結論を先にお…

  • 「教会―地上の天国」(黙示録7章より)田辺教会(東住吉区の教会)礼拝説教

    「教会――地上の天国」 ヨハネの黙示録 7章 9~17節 2018年10日21日 田辺教会・礼拝説教 今日はクリスチャンに対して神様がどのようなことをしてくださるかということをお話ししていきます。大きく分けて3つのことが書いてあります。 1.「白い衣を身にまとった」人たち(9節)というのは、どのような人なのか。 14節の後半には「彼はわたしに言った、『彼らは・・・その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。』」 ここに出てくる白い衣をまとった人たちというのは「小羊の血で洗って白くした」つまりイエス様の十字架の血潮によって清められて清くなった人たちのことなのです。これは言うまでもなく、私たち…

  • 「主は門を開かれる」(黙示録3章より)田辺教会(東住吉区の教会)礼拝説教

    「主は門を開かれる」 ヨハネの黙示録 3章 7~12節 2018年10月14日 田辺教会。礼拝説教 「見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。(8節)」とイエス様はおっしゃっておられます。 この門というのはどういう門なのでしょうか。それは祈りが聞かれるという祝福の門であり、また福音宣教(伝道)の門が開かれるということでもあります。イエス様はヒラデルヒヤ教会の祈りを聞かれ、彼らのために福音宣教(伝道)の門を開いてくださったのです。 それではいったいなぜ、イエス様はこの教会のためにこのようにしてくださったのでしょうか。ヒラデルヒヤ教会はそんなに立派な教会だったので…

  • 「初めの愛に戻ろう」(黙示録2章より)田辺教会(東住吉区の教会)礼拝説教

    「初めの愛に戻ろう」 ヨハネの黙示録 2章 1~7節 2018年10月7日 田辺教会・礼拝説教 今日私たちが読んでいます黙示録は、パウロがエペソで伝道をしてから約40年、パウロがエペソ人への手紙を書いてから約30年経っていました。若い頃にパウロから洗礼を受けた青年たちも、教会の長老クラスになっていたでしょう。 そしてここでイエス様はそんな彼らに「(わたしは)あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている」「あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。」とおっしゃっておられます。(2~3節) 私たちが時には涙ながらに祈ったり、涙を飲みながら苦労していること、それらのこ…

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