ももまる さん

ももまるさん: 光秀と信長
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本能寺の変明智光秀日本史(日本歴史)
本能寺の変明智光秀日本史(日本歴史)
日本の戦国時代
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プロフィール

ハンドル名ももまる さん
ブログタイトル光秀と信長
サイト紹介文戦国を駆け抜け、やがて運命の本能寺に至る光秀と信長の史跡・事跡紹介、コラムなど。
自由文智勇兼備、家臣領民に慕われる名君、築城家、鉄砲名人、文化人、愛妻家。戦国を八面六臂で活躍する光秀の苦悩が野望に変わる時―
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更新頻度情報提供59回 / 819日(平均0.5回/週) - 参加 2006/02/02 03:34

ももまる さんのブログ記事

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  • 2007/12/25 01:14荒木村重と光秀、叛将の符合点
  • ◆外様でありながら破格の待遇荒木村重は摂津三守護の一人・池田勝正の重臣であったが、足利義昭と信長の争いが表面化した際に主家が義昭方となったにも拘らず、信長方に馳せ参じて厚い信頼を得た。元亀四年(1573)三月二十九日、細川藤孝とともに逢坂まで信長を出迎えて忠... [続きを読む]
  • 2007/11/18 17:43「本能寺の変」光秀の動機?黒幕説
  • ◆朝廷黒幕説◆将軍義昭黒幕説◆羽柴秀吉黒幕説◆徳川家康黒幕説◆イエズス会黒幕説◆毛利輝元黒幕説◆長宗我部元親黒幕説◆千利休黒幕説◆本願寺黒幕説◆高野山黒幕説 他無数。⇒黒幕説に共通するのは、まずその「黒幕」と信長との利害関係ありきで、... [続きを読む]
  • 2007/11/11 23:35「本能寺の変」光秀の動機?怨恨説
  • ◆光秀は母を人質として八上城に籠もる波多野兄弟を誘降し、信長のいる安土に送ったが、信長が兄弟を磔刑にしたために怒った城兵が報復として光秀の母を磔にした。(『総見記』、『柏崎物語』)⇒『信長公記』の「調略を以て召捕り」という記述から着想したもの。『信長公記... [続きを読む]
  • 2007/10/29 23:20西教寺と明智光秀
  • 所在地:滋賀県大津市坂本5−13−1(上)本堂(左・伝坂本城城門)総門◆西教寺の成り立ち 正式名、天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺。聖徳太子の創建と伝えられる。その後荒廃したが、慈恵大師良源すなわち元三大師が復興、念仏道場とした... [続きを読む]
  • 2007/10/27 01:03慈眼大師(天海)と慈眼寺
  • 所在地:京都府京都市右京区京北町周山上代4◆天海光秀説根拠の一つ 慈眼大師すなわち南光坊天海と明智光秀が同一人物ではないかという説の根拠の一つとして挙げられるのが、明智光秀が築城した周山城の麓にある曹洞宗慧日山・慈眼(禅)寺である。この寺の釈迦堂には明... [続きを読む]
  • 2007/10/23 01:30頼山陽『本能寺』
  • ◆頼山陽(1780〜1832) 江戸後期の歴史家・漢詩人・陽明学者。大塩平八郎に影響を与えた。山陽は号。子に安政の大獄で処刑された頼三樹三郎。七言律詩『本能寺』で光秀を皮肉っている。◆『本能寺』本能寺 溝幾尺(本能寺、溝幾尺なるぞ)吾就大事在今夕(吾、大... [続きを読む]
  • 2007/10/18 00:15高野山と光秀
  • 弘法大師の足下に佇む光秀と信長の供養塔(高野山金剛峰寺)◆高野山攻め 元亀二年(1571)九月信長が比叡山延暦寺を焼き討ちし、天正八年(1580)三月には顕如が信長に降伏して石山本願寺を退去、10年に亘る石山戦争が終結した。「次は高野山」... [続きを読む]
  • 2007/10/03 22:28明智左馬助湖水渡り
  • 小林清親『明智左馬之助湖水渡之図』版画(大津市歴史博物館蔵)所在地:滋賀県大津市◆明智左馬助主演『逃亡者』 光秀の娘婿・明智左馬助光春(正しくは、弥平次秀満)は、守備の任にあった安土城において山崎合戦における光秀敗戦を知り救援に向かった。... [続きを読む]
  • 2007/04/01 00:36勝龍寺城
  • 所在地:長岡京市勝竜寺◆細川家累代の拠点南北朝時代の暦応二年(1339)、男山八幡宮まで進出した南朝方に対抗すべく北朝方の足利尊氏が細川頼春に命じて城館を築かせた。西国街道と久我畷を抑える交通の要衝にある。応仁・文明の乱(1467〜1477)の際には畠山義就(西... [続きを読む]
  • 2007/03/31 20:45黒井城
  • 所在地:兵庫県丹波市春日町黒井◆丹波の赤鬼・赤井悪右衛門直正建武二年(1335)丹波国春日部荘を領有した赤松貞範がこの地・猪ノ口山に砦を築いたことに始まる。約二百年後の天文十一年(1542)赤井才丸が荻野氏の養子となって荻野十八人衆の盟主として荻野直正を名乗... [続きを読む]
  • 2007/03/31 18:02周山城
  • 所在地:京都市右京区京北周山町◆明智光秀が築いた謎の城郭天正七年(1579)明智光秀が丹波攻略時に築いた城。付近の宇津氏が天皇家の御料地で山国荘と呼ばれたこの地を横領し、それを光秀が駆逐した際に築かれたともいう。光秀は城主として明智光忠を配していたが、山... [続きを読む]
  • 2007/03/28 02:07坂本城
  • 所在地:大津市下坂本◆比叡山焼き討ちで光秀が城主に元亀二年(1571)織田信長は突如として比叡山延暦寺を囲み、焼討ちを行った。前年、敵対する浅井・朝倉連合軍が摂津石山本願寺と交戦中だった信長の虚を突いて琵琶湖西を南下、一気に京へ侵入しようと織田領内を席巻... [続きを読む]
  • 2007/03/21 15:02「井伊の赤備え」と明智光秀
  • ◆井伊家筆頭家老・木俣守勝木俣守勝(1555〜1610)。三河国出身で九歳の頃から徳川家康に仕えたが、天正九年(1581)、身内争いのため京へ逃れて明智光秀に仕官した。播磨神吉城攻め、大和片岡城攻め、石山本願寺攻めなどで戦功を上げ、光秀に認められて信長に謁したのち、... [続きを読む]
  • 2007/03/21 02:33「元三大師」と明智光秀
  • ◆元三大師(がんさんだいし)第十八代天台座主・良源(912〜985)、諡号は慈恵大師(じえだいし)。一般には通称の元三大師(※1月3日に亡くなったため)の名で知られ、比叡山延暦寺の中興の祖である。魔滅大師(豆大師)、角大師(つのだいし)とも呼ばれ、その護符... [続きを読む]
  • 2006/12/24 02:45丹波の伝説?足立ち地蔵
  • ◆黒井城攻めと明智秀満明智光秀の従兄弟である秀満と光忠が黒井城攻めの策を練っていたころ、秀満が急な病にかかった。ある晩熱にうなされていると夢に弘法大師が現れ、「御仏が土中深く埋もれているので、掘り起こしてお祀りせよ。」と告げた。秀満はお告げのとお... [続きを読む]
  • 2006/12/18 00:30幻の信長菩提寺「天正寺」
  • ◆「忠臣」秀吉が発案天正十年(1582)山崎合戦において「叛臣」光秀を討ち取る大功名を立てた「忠臣」秀吉は約4ヶ月後、亡君・信長を弔うと称して船岡山の北に位置する大徳寺において織田一族・譜代の重臣を差し置き、盛大に葬儀を執り行った。無数の僧侶が日本全国から... [続きを読む]
  • 2006/12/17 22:152007年新春1月3日放送「明智光秀」(フジ)
  • SANSPO.COM>芸能(以下引用)「唐沢寿明、フジ新春時代劇で信長の家臣・明智光秀を熱演」◆明智光秀に取り組んでいる唐沢寿明。ドラマでは“裏切り者”のレッテルをはがすのか…俳優、唐沢寿明(43)が来年新春放送のフジテレビ系スペシャルドラマ「明智光秀〜神... [続きを読む]
  • 2006/09/22 03:10味土野女城・男城跡
  • 所在地:京丹後市弥栄町味土野:史跡前にスペース有 ※経路は数キロに亘って谷間の崖地で普通車1台幅の険路隘路、急な坂道・カーブのため要注意。◆細川ガラシャ(明智玉)隠棲地味土野はもともと「御殿(みどの)」と呼ばれていたという。現在でも矢の材料「矢竹」が... [続きを読む]
  • 2006/06/09 00:30丹波亀山城
  • 所在地:亀岡市荒塚南◆ここから始まった本能寺の変別名、亀宝城。天正三年(1575)信長に丹波平定を命じられた明智光秀が、丹波守護代内藤氏の支城を攻略、天正五年(1577)丹波攻略の足がかりとして築城した。天正七年(1579)丹波平定が完了、翌天正八年(1580)には丹波一... [続きを読む]
  • 2006/06/06 02:20光秀辞世
  • 光秀の辞世と呼ばれるものは2つ存在する。◆辞世の偈順逆無二門(順逆二門無シ)大道徹心源(大道ハ心源ニ徹ス)五十五年夢(五十五年ノ夢)覚来帰一元(覚メ来タレバ一元ニ帰ス)軍記物『明智軍記』「たとえ信長を討つとも、順逆に問われるいわれはない... [続きを読む]
  • 2006/06/03 17:10明智光秀最期の地
  • 所在地:京都府京都市伏見区小栗栖小阪町◆明智藪山崎の合戦で破れた光秀は、一旦近くの勝龍寺城に逃れた。その後夜陰に紛れて北門から脱出、近江坂本城を目指した。近江には三千の兵が残されている。しかし、気がつけば供回りの主従はわずかに十三騎。久我畷から淀、山... [続きを読む]
  • 2006/05/31 03:04老ノ坂峠
  • ◆旧山陰道・老ノ坂峠国道9号線を亀岡に向かい、老ノ坂トンネルの左手前にある脇道に入っていく。すると、この竹薮に出る。トンネルの上は老ノ坂峠城跡だという。老ノ坂峠は愛宕山巡礼者の通り道でもあった。かつては茶屋が何軒かあったらしい。当時は賑わっていたのかもし... [続きを読む]
  • 2006/05/30 14:05比叡山の七不思議?「慈忍和尚」と光秀
  • ◆慈忍和尚と「一眼一足」第十九代天台座主・慈忍和尚(じにんかしょう)、名は尋禅。右大臣・藤原師輔(兼家・道兼の父、道長の祖父)の子。第十八代天台座主・慈慧大師(元三大師)の高弟(兄弟弟子には『往生要集』の恵心僧都)。座主の位に就いてからも修行に明け暮れ... [続きを読む]
  • 2006/05/30 01:27明智光秀関連年中行事
  • 毎年5月3日◆亀岡光秀まつり明智光秀公の遺徳を偲び、市民あげて顕彰する京都府亀岡市最大の祭。明智光秀公武者行列の参加者は公開抽選会で決定される。毎年6月14日【明智光秀命日】◆明智光秀公御祥当法要滋賀県大津市の西教寺で光秀公および一族・諸将含む... [続きを読む]
  • 2006/05/29 21:22比叡山の七不思議?
  • ◆慈忍和尚と「一眼一足」第十九代天台座主・慈忍和尚(じにんかしょう)、名は尋禅。右大臣・藤原師輔(兼家・道兼の父、道長の祖父)の子。第十八代天台座主・慈慧大師(元三大師)の高弟(兄弟弟子には『往生要集』の恵心僧都)。座主の位に就いてからも修行に明け暮れ... [続きを読む]
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