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- 2006/05/30 01:27明智光秀関連年中行事
- 毎年5月3日◆亀岡光秀まつり明智光秀公の遺徳を偲び、市民あげて顕彰する京都府亀岡市最大の祭。明智光秀公武者行列の参加者は公開抽選会で決定される。毎年6月14日【明智光秀命日】◆明智光秀公御祥当法要滋賀県大津市の西教寺で光秀公および一族・諸将含む... [続きを読む]
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- 2006/05/29 21:22比叡山の七不思議?
- ◆慈忍和尚と「一眼一足」第十九代天台座主・慈忍和尚(じにんかしょう)、名は尋禅。右大臣・藤原師輔(兼家・道兼の父、道長の祖父)の子。第十八代天台座主・慈慧大師(元三大師)の高弟(兄弟弟子には『往生要集』の恵心僧都)。座主の位に就いてからも修行に明け暮れ... [続きを読む]
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- 2006/05/07 03:49明智光秀の埋蔵金
- ◆丹波に伝わる伝説明智光秀が織田信長の命により丹波攻めをしたのは二度に及んでいるが、ニ度目の天正六年、氷上郡と多紀郡の境である金山山頂に一夜のうちに金山城を築城したと伝えられている。ある日城内より出た光秀は、宿場町として賑わう追入の一軒の宿屋に入って... [続きを読む]
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- 2006/05/07 01:30信貴山城
- 所在地:奈良県生駒郡平群町信貴畑 信貴山朝護孫子寺駐車場◆梟雄・松永久秀爆死の城楠木正成による築城伝説があるが、天文五年(1536)管領細川晴元の被官木沢長政が築いたとされる。長政は梟雄として名高い松永久秀より先んじる謀将として、享禄三年(1530)主君を河内... [続きを読む]
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- 2006/05/06 18:13比叡山の七不思議?「なすび婆」と天海
- ◆天海と「なすび婆」天海が比叡山延暦寺・南光坊に住していた頃の話。夜も更けた南光坊の門を叩く者がいた。小僧が外に出てみると、なすび色の顔の老女がニヤニヤしながら立っていた。女は昔宮中に仕えていたが、人を殺してその身を地獄に落とされたのだった。仏の... [続きを読む]
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- 2006/04/16 22:08長篠の戦いと明智家中軍法
- ◆長篠合戦で使用された鉄砲の数この戦いで織田軍が使用したとされる三千挺の鉄砲は、甫庵本『信長記』が根拠ですが、実はその史料的信憑性は高くないとされています。ところが史料的信用度が高いとされる池田本『信長公記』にも三千挺と書かれています。しかし明らかに「... [続きを読む]
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- 2006/04/03 23:16戦国乱世の姫たち(随時追加)
- ◆千代・見性院(1557〜1619)土佐藩初代藩主・山内一豊の妻。郡上八幡城主・遠藤盛数の娘で慶隆の妹という説が有力。身分が低かった頃の一豊に嫁入りした。千代が貯めていた金で名馬を買い、これが馬揃えの際に織田信長の目に留まって以来、夫・一豊が出世を重ね、後に土... [続きを読む]
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- 2006/03/16 23:15智明るくして、秀でること光の如し―明智光秀の生涯(作成中)
- ◆享禄元年(1528)?〜永禄五年(1562)<生い立ち>明智城を斉藤義龍に追われて諸国流浪、朝倉氏に仕官明智光秀がいつどこで生まれたのかは判然としていない。ただ、美濃土岐氏の流れを汲む明智光隆(もしくは光綱)の子として享禄元年(1528)美濃に生まれたとされる... [続きを読む]
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- 2006/03/12 22:52洞ヶ峠
- ◆光秀が順慶出陣を待った場所現在の国道1号バイパス「八幡洞ヶ峠」附近。車が途絶えることがない交差点である。かつての面影はほぼ完全に失われている。本能寺の変から八日後、天正十年六月十日。光秀は山城・河内の国境「洞ヶ峠」に着陣した。光秀の組下である大和の筒... [続きを読む]
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- 2006/03/08 23:01旧本能寺と二条新造御所跡
- ◆「此附近 本能寺址」碑天正十年六月二日早暁、本能寺を無数の水色桔梗の旗指物が取巻いた。信長「如何なる者の企てぞ。」森蘭「明智が者と見えまする。」信長「是非もなし・・・。」 明智勢衆四方より乱れ入る。(『信長公記』)「本能寺の変」はまさにこの場所で起きた... [続きを読む]
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- 2006/03/08 00:36明智戻り岩と明智橋
- ◆三草越え丹波亀山(亀岡)と摂津池田を結ぶ国道423号線(摂丹街道)。天正十年六月一日夜、信長に中国出征を命じられた光秀は、この道を中国へと進軍していたという。ところが・・・亀山を発向してまもなく、この場所で急に引き返した。「亀山より中国へは三草越え... [続きを読む]
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- 2006/03/02 20:43光秀と、もうひとりの日向守・「鬼日向」水野勝成
- ◆水野勝成(みずのかつなり)永禄7年(1565)〜慶安4年(1651)備後福山藩初代藩主。三河国刈谷城主水野忠重の嫡子。通称・藤十郎、日向守。徳川家康の生母・於大の方が父・忠重の姉で、勝成は家康の従弟。正室は三村親成の養女・柵(三村家親の実子)。妹が加藤清正の正室。... [続きを読む]
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- 2006/03/01 03:14福知山城
- 所在地:京都府福知山市内記一丁目福知山城公園観光駐車場(有料)◆明智光秀が築いた城天正8年(1580)に明智光秀が築いた平山城。別名・龍ヶ城。元々福知山の地には文亀〜永正元年(1501〜1521)に移住してきた塩見(横山)頼勝の子・頼氏が築いた横山城が存在していたが、... [続きを読む]
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- 2006/02/26 02:43比叡山焼き討ちに積極的だった光秀
- ◆光秀が中心となって比叡山焼き討ちを準備元亀元年(1570)、浅井朝倉軍が逃げ込んだ比叡山を信長が囲み、両軍が対峙する「志賀の陣」が起こった。信長はこの戦いで弟・織田信治と宇佐山城の森可成を失っている。睨み合いの結果は信長掌中にあった将軍・足利義昭(浅井朝倉軍... [続きを読む]
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- 2006/02/23 21:50光秀には人望が無かった?しかも戦下手?
- ◆光秀に対する低い評価光秀に否定的な意見として大抵目にするのが次の2つです。?光秀には人望が無かった。?光秀は戦が下手である。果たしてそうなんでしょうか…。◆光秀には人望が無かったのか光秀に人望が無かったとする意見の根拠は「本能寺の変後に味... [続きを読む]
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- 2006/02/22 02:16「遠山の金さん」は明智光秀の同族?
- ◆遠山左衛門尉景元寛政5年(1793)〜安政2年(1855)通称金四郎。時代劇で有名な遠山の金さんが江戸北町奉行に任命されたのは天保11年(1840)3月2日。江戸町奉行は現在で言うと警視庁と東京都庁と東京地裁を合わせたような役所で、その長たる奉行は大変な激務だった。... [続きを読む]
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- 2006/02/21 02:01妙心寺浴室「明智風呂」
- 所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町妙心寺駐車場◆光秀の妙心寺逃亡説国の重要文化財。天正15年(1587)妙心寺塔頭大嶺院(現在は無い)の密宗和尚(光秀の母方叔父)が、光秀の菩提を弔うために創建した。明暦2年(1656)に改築され、昭和2年(1927)まで僧侶たちの... [続きを読む]
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- 2006/02/19 04:06日光東照宮の桔梗紋は「あの人」の家紋?
- 日光東照宮鐘楼と陽明門随身像の桔梗紋(拡大可)◆明智光秀の桔梗紋日光東照宮の桔梗紋は誰の家紋なのか。徳川家康の墓所がある日光東照宮に徳川家の三つ葉葵紋以外に無数の桔梗紋が隠されているのはなぜなのか。豊臣家滅亡に... [続きを読む]
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- 2006/02/19 00:10明智家臣団?旧幕臣衆
- ◆伊勢貞興【いせさだおき】永禄2年(1559)〜天正10年(1582)幼名熊千代・小法師。通称与三郎。従五位上伊勢守、伊勢貞良の子。伊勢家は伊勢流故実の達者で代々室町幕府の政所執事を務めた名門。伊勢新九郎長氏(宗瑞・北条早雲)は遠縁に当たる。足利義政の頃の伊勢貞親... [続きを読む]
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- 2006/02/18 23:23明智家臣団?丹波衆
- ◆荒木氏綱【あらきうじつな】?〜?山城守を称す。荒木氏好の子。丹波八上城を本拠とする波多野家の重臣で丹波多紀郡の細工所城(井串城・荒木城)・園部城に拠った。波多野旗頭七人衆のうち「丹波鬼」と畏怖された勇将として知られる。「井串極楽、細工所地獄、塩岡岩ヶ... [続きを読む]
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- 2006/02/17 00:28明智家臣団?譜代衆
- ◆斉藤利三【さいとうとしみつ】天文7年(1538)〜天正10年(1582)6月17日丹波黒井城主。従六位上・内蔵助。美濃守護代斎藤氏の一族。父は斎藤利賢、母は明智光秀の妹で、光秀の甥とされる。妹は四国土佐の戦国大名・長宗我部元親の正妻。妻は稲葉氏の娘。娘のお福は... [続きを読む]
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- 2006/02/16 22:23伝明智光春所用 南蛮胴具足(東京国立博物館蔵)
- ◆明智光春=明智秀満?兜には左右に兎の耳形の立物、中央に小型堰月立物が付いている。胴は鎬を中心に配した南蛮形で胸に「天」の文字、背面には富士形を叩き出している。↓是非クリックお願いします↓この記事に関する情報をコメント欄に書き込んで下さい!... [続きを読む]
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- 2006/02/14 16:27明智家臣団?一族衆
- ◆明智秀満【あけちひでみつ】?〜天正10年(1582)6月15日丹波福智山城主。三宅弥平次(三宅藤兵衛綱朝の実子もしくは養子)。正六位下・左馬助。光秀の甥もしくは従兄弟(一説に明智光春)ともいわれる。三宅氏が明智一族であるとする説もある。天正6年(1578)荒木村重... [続きを読む]
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- 2006/02/13 23:58坂本龍馬は明智光秀の子孫?
- ◆坂本龍馬の違枡桔梗紋明智一族であると伝わる坂本家初代の墓が高知県南国市才谷(旧長岡郡植田郷才谷村)にある。初代・太郎五郎の墓碑の側面には「太郎五郎は山城国の生まれで、おそらく弘治、永禄のころ戦乱を逃れて才谷村にやってきたのであろう」といった意味のことが... [続きを読む]
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- 2006/02/12 17:07明智光秀と川端道喜の粽(ちまき)
- 御ちまき司 川端道喜の「道喜粽」1束5本3,150円(要予約)所在地:京都市左京区下鴨通北山角◆粽(ちまき)の川端道喜光秀の好物と言われる物のひとつ、それは粽(ちまき)である。意外なことに、笹に包まれた粽が登場するのは戦国時代になってからだそうだ。川端... [続きを読む]
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