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- 2008/09/28 20:06これが「ザ・プロ空手」だ!
- ブルース・リーによる世界的なカラテブームの中、昭和49年、福岡にて全日本プロ空手協会が旗揚げ。カラー胴着をを着用し、まるで劇画のような試合展開で人気も出始め、『ザ・カラテ』というタイトルでテレビ中継もされ、紅幸司やバッファロー・弁慶などが人気選手だった。プロ空手創設者の大塚剛は世界無差別級チャンピオンを謳い、映画「世界最強の格闘技・殺人空手」に主演するなど、プロ空手は絶頂期を迎えるものの、あまりに... [続きを読む]
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- 2008/08/31 09:24前田日明とリングス
- "世界最強の男はリングスが決める!"をキャッチフレーズにいろいろな新しい試みを行っていた「リングス」。新生UWF崩壊後に新たにUWF戦士たちが新団体を設立するものだと思われていたが、藤原を中心に、船木、鈴木などが参加した「藤原組」、高田を中心に大部分の選手が参加した「UWFインターナショナル」。そして、1991年、前田日明はたったひとりで「リングス」を設立することとなる。リングス創立10周年記念総集編~RIN... [続きを読む]
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- 2008/08/28 14:13マッハパンチ 猪狩元秀
- 現在、初期のK-1の元レフェリーとして有名だった猪狩元秀。日本大学在学中より日本拳法部で活躍。現在、日本拳法協会理事長・主席師範九段。日本拳法をベースとした重いマッハパンチと呼ばれる必殺技でキック界にデビュー後は連戦連勝で、ムエタイ統一王者サタンファー・ソープラティープを敵地ルンピニー・スタジアムでKOするなど、頂点を極めた。「マッハパンチ伝説 猪狩元秀」1979年にはマーシャルアーツ旋風の中、WKA世界ミド... [続きを読む]
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- 2008/08/23 16:08熊殺し ウィリー・ウィリアムス
- 映画『地上最強のカラテPART2』で巨大なグリズリーとの闘いから「熊殺し」と呼ばれ、70年代の格闘技界にブームを巻き起こしたのがウィリー・ウィリアムス。四角いジャングル 最終章 格闘技オリンピックアントニオ猪木, ウィリー・ウィリアムス, 大山倍達, 南部英夫ウィリーが最も世間の注目を浴びたのがアントニオ猪木の「格闘技世界一決定戦」と銘打たれた異種格闘技戦。総合格闘技が進化した現在では別にめずらしいことではない... [続きを読む]
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- 2008/07/27 15:26超象 チャンプア・ゲッソンリット
- 立ち技最強といわれるムエタイ。その中で、タイ国外でほとんどの試合をし、近代ムエタイの発展に貢献したと思われるのがチャンプア・ゲッソンリット。当時、オランダキックボクシング界は急速な発展をとげ、ロブ・カーマンやピーター・スミットなどがその中心選手だったが、ムエタイでは彼らのウェイト(ライトヘビー、ミドル級)の選手が手薄で、ウェルター級の選手がオランダ勢の対戦相手だったのだが、あまり芳しくなかった。そん... [続きを読む]
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- 2008/07/23 15:44ケンカ十段 芦原英幸
- 芦原英幸はフルコンタクトカラテにて「サバキ」と呼ばれる独特の技術で革命を起こし、芦原会館を設立、のちに、K-1で大ブレイクする正道会館の館長となる石井和義や角田信朗、円心会館の二宮城光らを輩出した。新説!!芦原英幸―いま明かされる天才空手家の技と心 (BUDO-RA BOOKS)フルコム そもそも、芦原英幸の名を一躍有名にしたのが、梶原一騎原作の劇画「空手バカ一代」。この「空手バカ一代」の中で「ケンカ十段」として登場し... [続きを読む]
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- 2008/07/17 08:02シーザー武志とシュートボクシング
- シーザー武志はキックボクシング全盛期の1972年にデビュー。当時、沢村忠引退後のメインイベンターの一人、亀谷長保との対戦はTV中継された。シーザーのキックボクサーとしての成長とは逆にキック界は沢村の引退で一気に衰退していくも、日本ウェルター、ミドルのチャンピオンとなる。キック低迷期に第一次UWFの面々と出会う。当時、初代タイガーマスクの佐山聡、プロレスの神様、カール・ゴッチのアドバイスがきっかけとなり、キ... [続きを読む]
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- 2008/07/06 19:51マーシャルアーツ誕生の裏にあの有名人が・・・
- 全米プロ空手、マーシャルアーツは70~80年代、世界の格闘技界を席捲し、ヨーロッパや、日本のキックボクシング界はマーシャルアーツ化していく。特に日本では、ベニー・ユキーデの影響で全日本マーシャルアーツ連盟が発足した。全米プロ空手は1974年にクイーン夫妻とプロデューサーのマイク・アンダーソンにてPKA(Professional Karate Association)が発足されたことで本格的に始動するのだが、PKAの創立者マイク・アンダーソンにプ... [続きを読む]
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- 2008/07/02 13:53怪鳥 ベニー・ユキーデ
- Training and Fighting SkillsBenny Urquidez1977年。当時、新日本プロレスのアントニオ猪木の「格闘技世界一決定戦」におけるVSザ・モンスターマン戦の前座で全日本ライト級2位の鈴木勝幸と戦ったのが日本初登場の"怪鳥"ベニー・ユキーデ。当時、日本のキックボクシング界はスーパースター沢村忠の引退で人気も急降下。そこで苦肉の策として日本キックvs全米プロカラテという図式に活路を求めた。その中でひときわ強烈... [続きを読む]
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- 2008/06/29 10:31前田日明とリングス
- "世界最強の男はリングスが決める!"をキャッチフレーズにいろいろな新しい試みを行っていた「リングス」。新生UWF崩壊後に新たにUWF戦士たちが新団体を設立するものだと思われていたが、藤原を中心に、船木、鈴木などが参加した「藤原組」、高田を中心に大部分の選手が参加した「UWFインターナショナル」。そして、1991年、前田日明はたったひとりで「リングス」を設立することとなる。リングス創立10周年記念総集編~RIN [続きを読む]
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- 2008/06/26 13:08燃える闘魂 アントニオ猪木
- 日本の格闘技・プロレス界において、確実に中心にいた人物が"燃える闘魂"アントニオ猪木である。ということは納得いく事実だろう。猪木はブラジル移住の時代に力道山からスカウトされ、1960年、プロレスデビューを果たした。アントニオ猪木 必殺技全集-極意-Iプロレス 力道山が創立した日本プロレスではジャイアント馬場と二枚看板だったが、馬場との対戦要求が容れられなかったことや日本プロレスとの度重なる確執から1... [続きを読む]
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- 2008/06/21 07:35キックの荒鷲 藤原敏男
- 昭和30年代後半、当時「けんか空手」と言われた極真空手の3人がタイ国のムエタイと試合をすることとなる。不慣れなグローブを着け、なんとか勝ち越したが、タイ式ボクシングの強さに舌を巻くほどであった。その3人の中に「鬼の黒崎」と言われた黒埼健時がいた。ムエタイに魅せられた黒崎氏は目白ジムを設立し、ムエタイを倒す選手の育成に励むようになる。この目白ジムの所属選手が藤原敏男だ。当時、目白ジムには島三男、大沢昇を... [続きを読む]
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- 2008/06/17 13:44闘志天翔 佐竹雅昭
- 立ち技打撃系格闘技で絶大な人気のK-1。そのK-1最大の功労者とも言えるのが、"怪獣王子"こと佐竹雅昭。当時、正道会館は全日本空手道選手権で3連覇を成し遂げ、カラテでは無敵の佐竹を全面に押し出し、プロ化への道を探っていた。その第1弾として全日本キックの日本武道館におけるドン・ナカヤ・ニールセンを1RKO。その後、USA大山空手との5vs5の大将戦で佐竹はウィリー・ウイリアムスと戦い、判定勝ち。まっすぐに蹴る... [続きを読む]
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- 2008/06/13 10:07蝶のように・・モハメド・アリ
- モハメド・アリといえば、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」という言葉がたいへん有名だが、ヘビー級に華麗なフットワークと鋭い左ジャブを活用するアウトボクシングを持ち込んだスタイルで70年代のボクシングを席捲した。そもそもは1960年のローマオリンピック・ライトヘビー級金メダリストでプロに転向するや無敗でヘビー級タイトルを獲得。その後は3度タイトル奪取に成功し通算19度の防衛を果たした。ボクシング史上屈指の偉... [続きを読む]
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- 2008/06/10 16:29UWF~伝説の格闘集団
- PRIDEやHERO'Sなどを中心に総合格闘技が全盛の現在。総合格闘技や異種格闘技の交流が夢だった80年代、すでにプロレス団体ながら総合格闘技、真剣勝負を目指す格闘技集団UWF(ユニバーサル・レスリング・フェデレーション)があった。1984年、新日本プロレスの新間寿が当時売り出し中の前田日明をエースに、藤原喜明、木戸修、高田伸彦、スーパータイガー(佐山聡)、山崎一夫らが合流して旧UWFは動き出す。UWFはカール・ゴッチを師と仰... [続きを読む]
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- 2008/06/04 13:36カンムリワシ 具志堅用高
- 70年代、ジュニアフライ級の世界王座防衛世界新記録(当時)を樹立した、日本ボクシング界屈指のボクサー"カンムリワシ"具志堅用高。沖縄県石垣市に産まれた具志堅は高校の時、インターハイにて活躍。高校卒業後は名門協栄ジムに入門。1976年、WBA世界ジュニアフライ級(現・ライトフライ級)王座に初挑戦。チャンピオン、ファン・グスマン(ドミニカ)を7RKO。わずかプロデビュー9戦目で世界チャンピオンになる。この時、「ワ... [続きを読む]
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- 2008/05/31 18:15ザ・プロ空手
- ブルース・リーによる世界的なカラテブームの中、昭和49年、福岡にて全日本プロ空手協会が旗揚げ。カラー胴着をを着用し、まるで劇画のような試合展開で人気も出始め、『ザ・カラテ』というタイトルでテレビ中継もされ、紅幸司やバッファロー・弁慶などが人気選手だった。プロ空手創設者の大塚剛は世界無差別級チャンピオンを謳い、映画「世界最強の格闘技・殺人空手」に主演するなど、プロ空手は絶頂期を迎えるものの、あまりに [続きを読む]
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- 2008/05/29 12:45第2次キック界の救世主たち
- 日本キックボクシング団体の老舗、全日本キックボクシング連盟。その創設はキックの全盛期だった昭和40年代。藤原敏男や猪狩元秀らを輩出した。しかし、"キックの鬼"沢村忠が引退。キック界は衰退し、全日本キックも活動を休止する。バブル期だった1987年、向山鉄也、斎藤京二、赤土公彦らベテランをメインに新生全日本キックは復活。当時の全日本キックはWKAと提携していたため、WKAの外国人選手が売りで、ロブ・カーマ... [続きを読む]
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- 2008/05/28 17:32空道 大道塾
- 大道塾は、極真会館第9回全日本空手道選手権王者となった東孝により1981年に創始された。当時は「格闘空手」をキャッチフレーズに、スーパーセーフ着用による顔面攻撃を取り入れ、パンチなども、いわゆる空手の「突き」ではなく、より実戦的なボクシングの技法を基本動作に取り入れるなど、格闘技としての空手を追求していた。また東氏自身も柔道三段の腕前もあり、投げや関節技も取り入れられるなど、当時としては非常にめずらし... [続きを読む]
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- 2008/05/24 16:45キックの鬼 沢村 忠
- 昭和40年代、月曜夜7時はほとんどの家庭のテレビはTBS系のこの番組が映し出されていた。その名もズバリ「キックボクシング」。YKK提供のこの「キックボクシング」は野口プロモーションの日本キックボクシング協会の試合をTV中継するというもの。当然その中心選手は゛キックの鬼"こと沢村忠。視聴率は毎週30%を越え、昭和48年には沢村は当時、三冠王の王や、大鵬を退け日本プロスポーツ大賞に輝くというスーパースターとなっ... [続きを読む]
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- 2008/05/20 18:09初代タイガーマスク 佐山聡
- 80年代前半、プロレス界に一世風靡した伝説のプロレスラーがいた。タイガーマスク。劇画でおなじみのキャラクターだが、まるで、その劇画からそのまま出てきたような人間離れした動き。1981年4月23日蔵前国技館に於けるダイナマイト・キッド戦にて初めてのデビューだったが、その風貌はマスクのあまりのお粗末さに苦笑した。だが・・・ゴングが鳴ると、その苦笑は驚きに変わった。すごい・・・人間は鍛えればこんなにも動けるもの... [続きを読む]
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- 2008/05/17 17:10帝王 ロブ・カーマン
- 1999年10月、一人の偉大なキックボクサーが引退試合に臨もうとしていた。トレードマークの口ひげと短髪。代名詞となったローキックで世界を股にかけて活躍した「キックの帝王」ロブ・カーマン。少年時代はブルース・リーに憧れ、東洋武術に興味を持ち始め、16歳のころ、インドネシア武術であるブンチャックシラットを習い始めるも、より実践的な格闘技を求め、キックボクシングのオランダメジロジムへ入門。デビュー後は、ベニ―・... [続きを読む]
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- 2008/05/14 13:02鉄人 アンディ・フグ
- 1987年、極真会館主催の4年に一度の全世界大会で、日本ではまだ無名だった外国人が、現極真(松井派)館長の松井章圭と当時外国人史上初めてとなる決勝進出を果たした。テコンドーの技「脳天蹴り」(かかと落し)を駆使し、円を描くような華麗な組手。英雄伝説アンディ・フグ~SAMURAI Spirit Forever~ 上巻アンディ・フグ その未知の外国人選手こそ、"鉄人"アンディ・フグ。偶然の顔面へのパンチが判定に影響し、準優勝。彼... [続きを読む]
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- 2008/05/13 13:17骨法と堀辺正史
- 80年代後半、格闘技界では前田日明率いるUWFが話題の中心になっていた。それと同じ時期にプロレス雑誌やマスコミがコゾッテ取り上げた武術があった。堀辺正史氏が唱える「骨法」。当時、新日本プロレスのアントニオ猪木や船木優治、山田恵一などが骨法の技を取り入れたことで一躍、骨法は注目されることとなる。堀辺氏によれば、骨法司家の第52代で、骨法は奈良時代の武人、大伴古麻呂より伝わる日本独自の拳法で、堀辺正史が幾多... [続きを読む]
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- 2008/05/13 13:04"ゴッドハンド"大山倍達
- 「地上最強の空手」をキャッチフレーズに、それまでの寸止め空手しか存在しなかった頃にフルコンタクトカラテを全世界に広めたのが、大山倍達が創立した極真会館である。大山倍達、世界制覇の道1923年(大正12年)、朝鮮人の両親から産まれた。幼少時より拳法を学び、山梨少年航空学校入学してまもなく、船越義珍氏より空手を学ぶ。終戦後の1947年、全日本空手道選手権で優勝。身延山や千葉県清澄山にて山篭りし、特に清澄山には、な... [続きを読む]
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