早春 さん

早春さん: 姫路の地名色模様
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プロフィール

ハンドル名早春 さん
ブログタイトル姫路の地名色模様
サイト紹介文姫路とその付近の小字地名の由来を紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(2年)情報提供73回 / 799日(平均0.6回/週) - 参加 2006/09/05 13:58

早春 さんのブログ記事

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  • 2008/11/08 11:41大道ノ下 だいどうのした
  • ■姫路市市ノ郷■ 川のそばに市が立ち『枕の草紙』に「しかまの市」と詠まれたのは平安時代中期のこと、その縁(えにし)によって市川の名が起こり、架かる橋を市の橋といい、上流の神崎郡には市川町が生れた。 しかまの市の遺称地はもう少し北のほうにあって、市内城東町字市場がその遺称地だといい、その北方には市内の最古道が広峰山下を書写山麓へかけて伸び、書写東坂本には「東横大道」の古い地名が残っている。 市... [続きを読む]
  • 2008/10/31 21:14柚木河原 ゆぎがわら
  • ■姫路市西延末■ 姫路駅構内から西へ向かう列車は二本、一本の山陽本線は手柄山遊園地の脇を直進して西へ向かい、姫新線は当地区北端の冑山神社下をかすめ通過して岡山の新見を目指す。ちなみに、姫路の姫と新見の新の頭文字の組み合わせが姫新線の呼び名の始まりである。 「風土記」に「冑の落ちた処は冑丘」と語りかける十四の丘の一つ、冑山神社の山頂から至近距離に望める手柄山は、これまた十四の丘に登場する山で、古代... [続きを読む]
  • 2008/10/24 13:21あへ あえ
  • ■姫路市網干区宮内■ 福井の庄28カ村の系譜を引き継ぐ氏子の祭礼網干津の宮秋祭りの日、赤い顔に大きな目、前に突き出た高い鼻、猿田彦神の先導で神輿渡御の主役を受け持つのはむかしも今も敷村宮内である。 網干は古い歴史を持つ海辺の町で、地名のいわれを津の宮の神事の一つ放生会に漁師が網を干して参詣したからと、はからずも神仏混淆の名残を地名の起りとする。 放生会よりもさらに古い起原をもつ神事に「饗(あえ)の... [続きを読む]
  • 2008/10/16 21:37河間町 こばさまちょう
  • ■姫路市河間町■ 姫路駅から神姫バスで姫路医療センター(旧国立病院)経由に乗車すると、世界文化遺産に登録された姫路城を眺めつつ、五分ほどで河間町のバス停に着いた。バス停の標識に「こばさまちょう」の振り仮名がないので、市外から初めて訪れる人だとちょっと読みづらい難読地名のひとつである。 百メートルほど南へ下がると城内から北東への出入り口であった野里門がある。つづきの河間町は姫路城下八十八町の内の一... [続きを読む]
  • 2008/10/07 11:12勅旨 ちょうし2
  • ■姫路市花田町勅旨■ では、勅旨という地名の真の解釈はどうなのであろうか。『地名用語語源辞典』を引くと、「(たふし・倒し)の転で崩壊地名・侵食地形を云うか」とあり、侵食された危険な地形を指しているようである。たふし(倒し)とは目の前のものが突然倒れるとか崩れるとかの意で、川岸の集落をたびたび襲う洪水の被害箇所に多い地名である。たふしと云う言葉が永い年月の間にちょうしへ転訛すると、以前からの言葉は... [続きを読む]
  • 2008/09/27 14:46勅旨 ちょうし1
  • ■姫路市花田町勅旨■ ある大手出版会社が発刊した地名辞典に、姫路市花田町勅旨(ちょうし)を(ちょくし)と載せ、通称はちょうしと紹介している。ちょうしは初めからこの名であって通称ではなく、これまでに「ちょくし」の呼び名はなかった。それが資料的価値の高いとされる地名辞典に載ることで一般化され、地元をはじめとして全国に流布していく恐ろしさを身をもって体験している。 市川下流域左岸の河川沿いにある勅旨の... [続きを読む]
  • 2008/09/20 11:15貴船山(祝田神社) きぶねやま(はふりだじんじゃ)
  • ■姫路市林田町上構■ 緑したたる木漏れ日に映える赤い鳥居、稲穂の緑に競うように咲く彼岸花は、森閑と静まりかえった祝田(はふりだ)神社の秘め事とうらはらに、華やぎを添えている。ここ林田は安志庄。賀茂別雷神社の荘園であったのは文治2年(1186)と『兵庫県神社誌』は記し、ある説は寛治7年(1093)とややずれがあるのは何故なのだろうか。 麓に貴船神社を祀ることから「貴船山」の小字地名で残り、赤い鳥居の口殿に... [続きを読む]
  • 2008/09/10 21:06板 いたば
  • ■姫路市大塩■ 山陽電鉄大塩駅に降り立つと広大な塩田跡地に舞う風は、浜子たちのショツパイ汗の匂いを、すべて過去に運び去ってしまっていた。 地元の守谷利永さんは、「塩作りが盛んだったころ、東澪・中澪・西澪・尻無し澪そのほかに横澪と呼ばれる澪(みお)がたくさんあって、塩田の中に製塩場が四~五カ所あったが、25キロ入りの小俵に詰められた塩は、船に乗せ澪を通って運んだ」と往時を振り返る。 西澪の名残はいま西... [続きを読む]
  • 2008/08/26 21:50鐘鋳場 かねいば
  • ■姫路市白国■ 数ある増位山随願寺への参詣道のなかでも、佐伯神社脇の道は細くいまも古道の面影を伝え、天空を覆う境内の椋の巨木も健在だ。太古と変わらぬ翠陰に癒されて鐘鋳場の地を訪ねる。 念仏堂の下を流れる増位川をへだてた1203~1255番地辺りの該当地は意外と狭いが、新しく住まいを設けた人も、ずっとむかしからの住人も、地名へのこだわりは少ない。 鐘鋳場という地名について『姫路市町名字考』の著者は「鐘鋳場は随... [続きを読む]
  • 2008/08/18 17:15縁土塚 えんどづか
  • ■姫路市広畑区広畑■ 山陽電鉄の線路を南北にまたぐ中門通りは、新日本製鉄工場の中門を起点にしていることから街路名が起こり、踏み切りの名も中門通りと付けられている。 踏み切り南東の角地で果樹園と野菜畑を守り続ける老人は、広畑で生まれ育ち81歳だといい「この場所は、むかしえんどづかといってな−、海との境が曖昧な所で腰までつかるじゅる田ばっかりやった。さて字(じ)はどんな字を書いたか知らんけど、いまは東... [続きを読む]
  • 2008/08/03 11:13省己橋 せいこばし
  • ■姫路市今宿■ 十二所前を経由して西へ向かうバスの車窓から鬢櫛山の姿がチラチラと見え隠れする。鬢櫛山は風土記記載の十四丘の「匣丘」の比定地で、今宿の万燈山が脇を守る。 琴丘高校を抱え込む東麓の別所谷は、今宿の別所という小字(こあざ)の谷に付けられた名で、谷は昭和の中頃まで県の種蓄場があったと伝えられ、その跡の閑静な地を求めて車崎から琴丘高校が移転してきた。校地との一線を画するかのような小川は、す... [続きを読む]
  • 2008/07/22 16:27宇利ウ うりう
  • ■姫路市太市中村■ 太市平野のほぼ中央を一直線に延びる上郡停車場線は、槻坂を経るとたつの市中井へと通じ、西脇廃寺から中井廃寺へと先進的な文化の波が寄せては返った古代の大道跡をほぼ踏襲する。 大道沿いには、古代駅制にのっとった20匹ばかりの馬が置かれた「馬屋田」という地名も見受けられ、向山近くの集会所前に邑智駅家(おおちのうまや)跡の遺跡標記の立て札がひっそりと立つ。小字地名「宇利ウ」は、駅家(うまや)跡... [続きを読む]
  • 2008/07/15 16:40いか土 いかづち
  • ■姫路市山野井町■ 姫路城の西を南流する船場川と名古山の間の景福寺山の標高は51m、北西の山腹が近年になって一挙に開発が進み、元から有った地蔵堂が肩身狭しと地区の集会所で寄り合い所帯となっている。 『播磨国風土記』の十四の丘の「船丘」に比定される景福寺山は、江戸時代姫路城主の国替え時に南麓の寺院名が変わるたびに山の呼び名も変わり、明治15年作成の字限図には増位山と載る。 もと山野井町に属していた「... [続きを読む]
  • 2008/06/30 17:39桜ノ木 さくらのき
  • ■姫路市豊富町江鮒■ 仁豊野橋を東へ渡ると間もなく甲八幡神社の赤い大きな鳥居が視界に飛び込んできた。鬱蒼と繁茂する木々の奥の古社に祀られる神は「風土記」に記され、神の名にちなんだ町名が生まれ、山の姿から甲山と呼ばれる。 バスに揺られ江鮒停留所で降車。北へ向かうバスの後尾を見送ると、あれっバスが目の前から消えていった。甲山の標高は107.8m、の独立丘で、裾野は河岸段丘とよばれる豊富平野が広がりをみせる... [続きを読む]
  • 2008/06/20 20:39日和山 ひよりやま 2
  • ■たつの市御津町室津■ おだやかな表情をみせる播磨灘も、じつは複雑な海流の動きでおこる潮の急変があり、天候の悪化による自然現象では天気の回復を待つしかない危険一杯の航路であった。快晴だからと出船しても行く先が大雨であったり、突風に出合えばたちまち破船して沈没、積み荷はおろか人命までも危険にさらされる。ましてや藩主が乗船する御座船の船頭たちは観天望気に命がけで取り組んだに違いない。しかし気象は土... [続きを読む]
  • 2008/06/12 14:17日和山 ひよりやま 1
  • ■たつの市御津町室津■ 『播磨国風土記』に風を防ぐこと室のごとし故に名となす、と地名の由来を記されている室津は、向背に迫りくる山影をすり鉢のような湾面に映し、狭小な集落は当時とそう変わってはいない。古い時代から貴人たちの往来で賑わったのも、物流にともなう商人の寄港地として機能し得たのも、自然がもたらした地形の恩恵というべきであろうか。 海には二つの岬がせり出し、一つの岬は賀茂神社が祀られる明神山... [続きを読む]
  • 2008/05/30 21:02風浦 かぜうら
  • ■姫路市豊富町鍛冶内■ 仁豊野橋東詰めの信号辺りが小字でいう「風浦」の該当地で、村の中心はもうすこし北の地蔵堂辺りにあって、そこは鍛冶内村の「鍛冶内」という小字名(こあざめい)である。 もと豊富の公民館長を勤めた故大西忠雄氏は、このあたりに「おこんじ」「折戸」「三昧」とよぶ旧の小字が存在したと語る。察するにおこんじは分岐点に祀られる「お庚申」がつづまったもの、折戸は「降り戸」の替え字で、主要道へつ... [続きを読む]
  • 2008/05/25 17:16網干古文書堂・瓦版5
  • ■小野周文と番匠屋 その2■ 周文の弟の卓爾は龍野で僧として修行中であったが、そのころ丸亀藩の「司天家」として名の高かった澤山家の養子に迎えられる。 江戸時代の澤山家は代々右近を名乗り、土御門家の免許をもって易を占うのを業とし、占星術いわゆる天文占いを得意として近辺のみならず室津薩摩屋本陣や豪商の家相図などの作成に関与し、その裏書に「司天家・澤山右近」の記名を残している。 周文の妻の実家は網干の鍛... [続きを読む]
  • 2008/05/17 16:59網干古文書堂・瓦版4
  • ■網干古文書堂・瓦版4■ 小野周文と番匠屋 1 明治期の郷土画家小野周文について昨今ある縁をもって聞き取りの機会に恵まれ、そのうえ幸運にも地元興浜自治会所蔵の古文書中に周文の養子縁組に関する資料に出合い、その次第を書き残すことにした。 周文は名を寛 字は子明、周文はその号で、弘化4年(1847)8月兵庫県揖保郡網干町興濱に生まれる。小野嘉左衛門重政を父として一子に素文(画家)がある。京極佐渡守の家臣で... [続きを読む]
  • 2008/05/06 21:35高野田 こうやだ
  • ■姫路市御国野町御着■ JR山陽線御着駅で降りたのは2人だけという駅舎に立つと、なにやら心もとなかったが、青葉の蔭から急き立てるような鳥のさえずりに目的地へ向かう。 北の四辻を東西によぎる旧山陽道を文化元年(1804)、公用で通りかかった幕府の役人で狂歌師でもあった太田南畝(蜀山人)は「御着といえる宿に着く、宿の中なる土橋を渡りて、天守いよいよ見ゆ、左右に一里塚の松あり、これより縄手道を行くに…」と... [続きを読む]
  • 2008/04/23 13:26夫婦木 めおとぎ
  • ■姫路市飾磨区上野田■ 姫路城主池田三左衛門輝政の名にちなみ三左衛門堀とも、外堀川とも呼ばれる運河も、「三の切橋」辺りを過ぎると野田川と名を変える。野田川は、お世辞にも清い流れとは形容しがたく、それでも羽を休める鳥の姿が見えてホット安堵した。西河原橋から北を望む風景である。 西河原橋東の上野田公園は、春休みだというのに乗り手のない遊具が手持ち無沙汰に揺れ、若い娘(こ)が一人バス停に立つ姿を横目... [続きを読む]
  • 2008/04/07 13:45ウツギ谷 うつぎだに
  • ■姫路市林田町大堤■ 現在、国道29号線と呼ばれる道路は、姫路の下手野あたりを起点にして鳥取県の東部の因幡国へ通じることから、因幡街道の通り名もある。 下伊勢の信号で騒音激しい29号線に別れを告げ、東へ進路を変えるとそこはもう別天地、ため息が洩れるような日本の原風景が目の前に展開してくる。 大津茂川のせせらぎの恵みに育まれた下伊勢・上伊勢・大堤の3カ村は、山並みに沿った谷筋に伸びやかな暮らしを保... [続きを読む]
  • 2008/03/26 21:43射目崎 いめさき
  • ■姫路市飾東町塩崎■ 飾東町を南北に縦貫する天川の源流は、古法華ダムを起点にして猫の谷をくぐり抜けると姫路市の東部御着へ至り、およそ全長18キロメートルを南下して播磨灘に注ぐ。 天川中流域の両岸にまたがる塩崎の北方に「射目崎」とよばれる地名がある。ここは急な角度で大きく方向を変える堤防沿いにあって、村の人たちが「才の神さん」と呼ぶ明神社が南向きに立つ。 射目崎という地名について、日本地名研究所の谷... [続きを読む]
  • 2008/03/12 21:30網干古文書堂 瓦版3
  • ■網干湊に春一番の風が吹く■ 格子窓から射し込む陽がスーツと奥まで和らいでとどく三月、あちこちの町から湊から「梅の花だより」とともに「雛祭り」の催しが届いてきます。 かつて揖保川河口の港町として栄えた網干の中心地、新在家の片岡家において、3月1日から3日まで初めての雛まつりが催されました。今回はそのときの様子をお伝えしましょう。 薄ぐらい蔵のなかから久方ぶりに取り出された雛箱から、持ち主が手習いに使用... [続きを読む]
  • 2008/02/23 11:27水尾 みお
  • ■姫路市大津区平松■ 播磨灘に河口をもつ大津茂川下流域の平松は、上流からの土砂の流入により川淵に寄州が生まれ、対岸の大江島と州境の帰属をめぐる諍(いさか)いをたびたび繰り返してきた。 それでも川のくねる堆積作用は新しい土地を沿岸に生み出し、「西新田」だとか「西開」など開拓の歴史を地名に残し、なおも汐入川と大津茂川の狭間にある灘方吉美村の塩作りに支障を来たし、廃田の時期を早めたのではなかろうか。 ... [続きを読む]
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