織田 創 さん

織田 創さん: 戦国時代 信長と戦国の英雄たち
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参加トラコミュ

本願寺美術館、博物館、ミュージアム日本の戦国時代
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毛利輝元日本のお城めぐりの旅大河ドラマ・風林火山
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宇喜多秀家松永久秀日本映画、邦画
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名将〜山中鹿介幸盛織田信秀相撲(大相撲)
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城郭・城跡豊臣秀吉犬山
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竹中重治前田利家囲碁
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高遠織田信雄日本の世界遺産
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真田昌幸日本史(日本歴史)森長可
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武田信玄歴史本能寺の変
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プロフィール

ハンドル名織田 創 さん
ブログタイトル戦国時代 信長と戦国の英雄たち
サイト紹介文光秀出陣!間もなく本能寺の変。信長最後の時が迫ります・・・
参加カテゴリー
更新頻度情報提供243回 / 803日(平均2.1回/週) - 参加 2006/09/28 21:52

織田 創 さんのブログ記事

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  • 2008/08/17 09:50如何なる者の企てぞ!?
  • 何というタイミングでしょうか。数日留守している間に、パソコンが壊れたようです。暑さでやられたんでしょうか?無念…しばらく更新出来そうもありません。申し訳ありません。 [続きを読む]
  • 2008/08/12 22:45本能寺の変 〜其の一 敵は本能寺にあり!〜
  • 天正10(1582)年6月1日夕刻。明智光秀は、大将格の家臣を集め「森乱丸の使者が来て上様(信長)が中国出陣前に閲兵を行うので京へ向かう」と告げます。これはもちろん京へ軍勢を向けることを不審に思われないようにするための虚報だと思われますが、これを事実とし明智軍を京へ... [続きを読む]
  • 2008/08/10 18:37“本能寺の変”直前の信長と織田家諸将
  • 天正10(1582)年6月1日、本能寺の変前日、織田家の主だった家臣たちはどこで何をしていたのでしょうか?柴田勝家率いる北陸方面軍は、越中(富山県)の上杉氏の属城・魚津城攻めの真っ最中。勝家の配下には前田利家や佐々成政・佐久間盛政が従っていました。魚津城は、本能... [続きを読む]
  • 2008/08/09 18:36暦問題の再燃
  • 天正10(1582)年6月1日、この日、一度は収束したかと思われていた暦の問題を信長が再び蒸し返します。公家の勧修寺晴豊は日記に「これ信長むりなる事候」と記しています。この問題は、この年1月に濃尾の暦者の訴えが発端になったようで、東国で多く利用され信長が慣れ親し... [続きを読む]
  • 2008/08/03 11:23信長、最後の上洛 〜幻の大茶会〜
  • 天正10(1582)年5月29日申の刻(午後4時頃)信長は雨の中、京での馬揃え以来1年3ヶ月ぶりの上洛を果たします。信長に付き従ったのは小姓衆ら30名ほど。下働きの者や女性などを含めても100〜150人程度だったでしょうか?少人数だったため信長は全く無警戒だったように思われ... [続きを読む]
  • 2008/08/02 18:06明智光秀、出陣 〜ときは今・・・〜
  • 天正10(1582)年5月26日、信長の命により羽柴秀吉を援護するため出陣準備をしていた明智光秀は準備を終え坂本城(滋賀県大津市)から中国方面へを出陣。まず、居城の丹波亀山城(京都府亀岡市)に入ります。27日、愛宕山へ参詣。武神の勝軍地蔵を祀る愛宕大権現に戦勝を祈願。... [続きを読む]
  • 2008/07/27 17:46斎藤利三事件 〜稲葉家臣騒動〜
  • 信憑性にやや難があるとされる『稲葉家譜』に、「本能寺の変」4日前に裁定が下った明智家と稲葉家の家臣をを巡るある騒動が記されています。天正10(1582)年5月27日付けで、信長の裁定を伝えるため堀秀政が記した稲葉貞通(一鉄の次男)宛ての文書には、稲葉家を出て明智家... [続きを読む]
  • 2008/07/20 16:39明智光秀の坂本帰国 〜続く家康饗応〜
  • 天正10(1582)年5月16日?備中高松城を攻めている羽柴秀吉の報せを受けた信長は、これを機に一気に毛利を討ち果たし、九州まで平定しようと考え、明智光秀をはじめ細川忠興や池田恒興・高山重友らを援軍の先陣として出陣させることを決めます。17日、急遽、家康の接待役を... [続きを読む]
  • 2008/07/18 23:13三職推任 
  • 話が一ヶ月ほど遡りますが、『三職推任』の件は重要な問題なので触れておきたいと思います。完全に忘れていました(汗この『三職推任』は公家の勧修寺晴豊の日記『晴豊公記』(天正十年夏記)の天正10(1582)年4月25日と5月4日付けの部分で触れられています。天正10(15... [続きを読む]
  • 2008/07/13 17:30備中高松城水攻め
  • 天正10(1582)年5月、安土に家康が訪れている頃、備中(岡山県西部)の高松城を攻めている羽柴秀吉は、危機を迎えていました。秀吉が備中に出陣したのは、この年3月15日ごろ。武田勝頼が自刃した4日後。3月19日、秀吉は配下の宇喜多氏の城・沼城(岡山市)に入城。毛利方が対... [続きを読む]
  • 2008/07/06 19:53明智光秀の家康饗応
  • 天正10(1582)年5月11日、信孝が四国遠征のため出陣した同じ頃、徳川家康も主だった重臣を引き連れ安土へ向け出発していました。この日は岡崎(愛知県岡崎市)に到着し、松平家忠らの接待を受けます。家康や穴山信君を迎えるに当たり、信長は街道の警備はもちろんのこと、家... [続きを読む]
  • 2008/06/29 14:45信孝の阿波出陣 〜長宗我部元親、最大の危機〜
  • 天正10(1582)年5月、信長は本格的に四国の長宗我部元親討伐に着手。四国統一を目前にした長宗我部元親に対し、信長はこれまで「四国は手柄次第切り取ってよい」としていた方針を転換し、天正9年末頃?「土佐一国と阿波南半国の領有を認めるが伊予と讃岐は返還するよう」... [続きを読む]
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  • 四国
  • 2008/06/22 21:31信長の名所巡り 〜其の二 安土凱旋〜
  • 天正10(1582)年4月16日早朝、掛川出発。見付の国府(磐田市)を通り、馬伏塚・高天神・小山を眺めながら、天竜川に差し掛かります。この天竜川は古くから「暴れ天竜」といわれるほどの激流で知られる難所。家康は、この天竜川に太田牛一が『信長公記』に“歴史上初”と書き記す... [続きを読む]
  • 2008/06/15 16:38信長の名所巡り 〜其の一 家康、心づくしの接待〜
  • 天正10(1582)年4月10日、武田攻めの戦後処理を終えた信長は安土へ向け出発。すばやい行動が特徴の信長ですが、この時は東海道をのんびりと進み、富士山などの名所を見物しながら家康の接待を受けての、のんびりとした帰国となります。この日は、甲府を出立し右左口(ウハ... [続きを読む]
  • 2008/06/12 22:21生誕450年の織田兄弟の記念行事は?
  • 梅雨入りと共に急激に仕事が忙しくなった管理人ですが皆様いかがお過ごしでしょうか?織田信長史もいよいよ佳境に入ってきましたが週末更新したいと思います。今日はちょっと一休みで別のネタ。今回のタイトルの“生誕450年の織田兄弟”ですが、もちろん織田信長と信勝... [続きを読む]
  • 2008/06/08 17:30武田残党狩りと飯山一揆
  • 天正10(1582)年4月、旧武田領内各地には六角次郎のように織田軍の追っ手から逃れ潜伏している武田旧臣らが多数いました。織田軍は徹底的な捜査を行い、領内の農民らが武田残党を捕らえてくると褒美を与え、その褒美を目当てに農民らも武田残党に力を貸す者が多かったようです... [続きを読む]
  • 2008/06/07 18:25恵林寺焼き討ち 〜快川紹喜の焼死〜
  • 天正10(1582)年4月3日、信長が台ヶ原(山梨県北巨摩郡)で富士山を眺めている頃、同じ甲斐国内にある恵林寺では悲惨な出来事が起きます。武田家が織田軍に敗れたため、武田領を拠点に反信長の活動を続けていた六角次郎が恵林寺に逃げ込みます。恵林寺の快川紹喜は織田軍の... [続きを読む]
  • 2008/05/31 15:51信長の甲斐入り 〜諸将の穏やかなひと時〜
  • 天正10(1582)年4月2日、信長は信忠に信濃・諏訪への駐留を命じると自らは予定通り帰国の途につきます。この日は一時的に雨が降るような天気でしたが諏訪を出発。甲斐(山梨県)を経由し東海道沿いに安土への帰国を計画していた信長一行は甲斐の台ヶ原(大ヶ原:北巨摩郡白洲町... [続きを読む]
  • 2008/05/25 16:01真田昌幸の恭順 〜真田家と滝川家の縁〜
  • 天正10(1582)年3月下旬、滝川一益は上野(群馬県)箕輪城に入城。その後すぐに厩橋城に居城を移しますが、ここへ近隣の諸将が人質を伴い次々と出仕し、関東を支配する立場になった一益に挨拶をします。出仕した主なも武将は小幡信真・由良国繁・長尾顕長・北条(きたじょう)高広... [続きを読む]
  • 2008/05/24 22:21旧武田領の知行割と国掟
  • 天正10(1582)年3月29日、信長は諏訪・法花寺にて旧武田領の国割を以下のように発表。甲斐国(山梨県)・・河尻秀隆。ただし、穴山信君の所領は安堵しているので代替地として信濃・諏訪一郡を与えられます。駿河国(静岡県)・・徳川家康。上野国(群馬県)・・滝川一益... [続きを読む]
  • 2008/05/21 22:13嫡男・信忠への天下継承
  • 天正10(1582)年3月24日、旧武田領内各地で駐留している各部隊に兵糧を支給することを決め菅屋長頼に兵員名簿の作成を命じ、深志城(松本城)にて兵の人数に応じ兵糧を支給します。25日、上野(群馬県)の小幡信真(憲重の嫡子。信実とも)が甲府の織田信忠のもとを訪れ恭順の意... [続きを読む]
  • 2008/05/17 21:40滝川一益、上野国拝領 〜“関東管領”滝川一益の誕生〜
  • 天正10(1582)年3月20日、徳川家中が信長一行を迎える準備に奔走している頃、上諏訪の法花寺の信長本陣には、武田の旧臣が次々と挨拶に訪れていました。この日、信長の家臣・菅屋長頼の勧めで木曽義昌が挨拶に訪れ信長に馬2頭を献上。取次ぎの滝川一益を介し、信長も刀と... [続きを読む]
  • 2008/05/14 21:19日本・コレクション奇譚・信長は茶器も狙った
  • 明日、15日(木) NHK教育で放送予定の『知るを楽しむ・歴史に好奇心』(22:25 〜 22:50)で、信長公が取り上げられます。10日前にもNHK教育でたばかりですが、再びの登場、うれしいですね〜ということで、録画予約完了!今回は、『日本・コレクション奇譚・信長は茶器... [続きを読む]
  • 2008/05/11 15:07上様の“御成” 〜大わらわの徳川家〜
  • 天正10(1582)年3月19日、信長が上諏訪の法花寺に着陣した頃、徳川家中にも信長の安土への帰国に関する情報がもたらされます。17日に徳川家康は信長に挨拶に出向いているようで、この日かそれよりも少し前に帰国の日程が告げられたのかもしれません。19日の『家忠日記... [続きを読む]
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