まつとの頼重 さん

まつとの頼重さん: 高松松平藩ご城下物語
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讃岐の伝説高松松平藩古墳時代を考える
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昔話、伝承、神話
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プロフィール

ハンドル名まつとの頼重 さん
ブログタイトル高松松平藩ご城下物語
サイト紹介文高松松平藩の知れれざる魅力とは・・・。
参加カテゴリー
更新頻度(2年)情報提供24回 / 771日(平均0.2回/週) - 参加 2006/10/08 20:29

まつとの頼重 さんのブログ記事

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  • 2007/09/22 14:07 (108)“桂小五郎ら勤王志士と親交のあった高松藩主の兄”
  •  讃岐の風土記年代順全目次 幕末、讃岐にも勤王の志士がおり、水戸や長州の志士たちと連絡をとりながら活動していました。高松藩士の勤王家としては、長谷川宗右衛門(そうえもん)と息子の速水(はやみ)、甥の松崎渋右衛門(しぶえもん)の長谷川一族、在野の草莽の志士としては、小橋安蔵(こばしやすぞう)を中心とする木内龍山(りゅうざん)、村岡箏子(ことこ)、小橋橘陰(きついん)、太田次郎、小橋友之輔(と ... [続きを読む]
  • 2007/09/22 14:06 (1)ラジオ中四国8局ネット らじお放送2006.11
  • 『高松松平藩まちかど漫遊帳』そぞろ高松ごゆるりまいろう! 平成18年10月1日〜12月2日 実施今回の催しの核となっているのが、市民プロデューサーの皆さん!!玉藻城「まつとの」と「ぽっくり」西日本放送ラジオでも『讃岐発 高松松平藩 ご城下物語』中国・四国の8局ネットで9県に放送決定!!RNC−RNB−RKC−JRT−RSK−RCC−K ... [続きを読む]
  • 2007/09/22 14:02 (1)ラジオ中四国8局ネット らじお放送2006.11
  • 『高松松平藩まちかど漫遊帳』そぞろ高松ごゆるりまいろう! 平成18年10月1日〜12月2日 実施今回の催しの核となっているのが、市民プロデューサーの皆さん!!玉藻城「まつとの」と「ぽっくり」西日本放送ラジオでも『讃岐発 高松松平藩 ご城下物語』中国・四国の8局ネットで9県に放送決定!!RNC−RNB−RKC−JRT−RSK−RCC−K ... [続きを読む]
  • 2007/09/22 14:02(21)高松松平家の屋敷
  • ?江戸の大名屋敷イ、上屋敷・・・東京都千代田区飯田町2、3丁目(江戸城小石川御門内)ロ、中屋敷・・・同上ハ、下屋敷・・・東京都港区白金台(国立自然教育園)?国許の下屋敷  『栗林荘』(別名、オンクリバヤシ、オハヤシ、クリノオハヤシ) =現在の栗林公園=?その他屋敷イ、お花畑(お下屋敷)・・・現在の高松市花園町から多賀町1丁目及び観光通2丁目付近  承応2年(1653) 5月5日、頼重公はこの別荘に藩の老臣らを招い... [続きを読む]
  • 2006/11/04 12:52(20)左近さん 松平頼該(よりかね) 宮脇公
  • 領民に親しまれた八代藩主の長男 高松ではご年配の方の中に、頑固者・ヘンクツ者のことを「あれは、左近さんだ」という例えがあります。 これは八代藩主松平頼儀のの長男として、文化六年(1809)江戸小石川の藩邸で生まれながら生涯日陰の身で過ごした『松平頼該』(左近)のことです。 松平左近は生まれつき聡明であったと云われるが、後に父頼儀の愛妾お時の方に萬五郎(十代藩主 頼胤)が生まれると、うとまれて八才の時、国元... [続きを読む]
  • 2006/10/20 08:08(19)十一代藩主 松平頼聰(よりとし) 懿公(いこう)
  • 一、生い立ち 頼聰は九代頼恕の子として江戸藩邸で生まれた。二十才で十代頼胤の養嗣子となり、二十六才で井伊直弼の娘・千代姫と婚儀、二十八才で第十一代藩主となった。 頼聰は最後の高松藩主として、幕末から明治維新の動乱期の藩政にたずさわり苦労をしたが、東京移住後は離縁していた正室と復縁し、華族(伯爵)に列して平穏な生活を営んだ、後明治三十六年七十才で逝去。十一代、松平頼聡 生没年:1834-1903 父:讃岐高松藩... [続きを読む]
  • 2006/10/20 07:52(18)十代藩主 松平頼胤(よりたね) 靖公(せいこう)
  • 一、生い立ち 八代藩主頼儀の第四子として江戸屋敷で生まれ、九才で九代藩主頼恕の世継となり、十七才で将軍徳川家斉の息女・文姫と婚儀、三十三才で十代藩主となる。頼胤の治世は二十年間であったが、徳川幕府の勢力が衰え、勤皇攘夷論が国内で騒がしくなってきたころであった。 二、藩政 『願わくば襄公(八代)の政治にならい、愨公(九代)の遺志を奉じ以って藩政に従わん、望むらくは汝ら腹心を吐露し、直言正義を以って述べ... [続きを読む]
  • 2006/10/19 20:33(17)九代藩主 松平頼恕(よりひろ) 愨公(かくこう)
  • 一、生い立ち 頼恕は、節約の殿様といわれる。水戸徳川家九代治紀の次男として水戸藩邸で生まれ、十八才で頼儀の養嗣子となり、二十四才で高松藩九代目の殿様となる。 頼儀の善政が災いし、藩は五十万両の借入金を持って破綻寸前になっていた。二、頼恕の財政改革 藩士の禄高の二割カット、絹織物の購入禁止などの節約令を出したり、藩が米の売買を行いその収益で四十万両を儲けるなどなりふり構わぬ方法を行った。その中、重... [続きを読む]
  • 2006/10/19 01:01 (16)八代藩主 松平頼儀(よりのり)襄公
  • 一、生い立ち 六代藩主松平頼真の子として高松で生まれ、十一才で七代藩主頼起の世子となる。 十八才で藩主となり、二十九年間に十六回の干ばつを経験し、特に就封ご七年間は連続して干ばつがあり、その上江戸屋敷まで炎上するという災害に取り付かれたような殿様でした。二、藩政 頼儀は生来学問好きのうえ律儀な性格で、在職中は善政を施し、塩と砂糖という地場産業の振興に心血を注いだ。いわゆる讃岐の基幹産業の『 ... [続きを読む]
  • 2006/10/18 17:25 (15)参加してきました3
  • ●仏生山の語りべ「橋本タカ子」の時ばなし(10月15日実施)大正15年4月1日生まれのタカ子さんは仏生山の生き字引!なんでも知ってるなんでも調べる好奇心旺盛なおばあちゃま。そんなタカ子さんの時ばなし・・・今回のテーマはずばり「法然寺」高松松平藩の菩提寺であります。広... [続きを読む]
  • 2006/10/17 21:59 (14)七代藩主 松平頼起(よりおき)
  • 一、災害との戦い 松平頼重が高松に入封して以来、十一代二百二十七年間に七十六回の自然災害を経験している。単純計算で、三年に一度災害に見舞われその九割が讃岐特有の旱魃でした。 高松藩の、旱魃対策はため池の新設・修築、さらに新田開発・塩・砂糖などの殖産興業策などの積極策と節約令など支出を制限する消極策のどちらかでした。 頼起は、父の頼... [続きを読む]
  • 2006/10/17 20:03 (13)六代藩主 松平頼真(よりさね)
  • 一、生い立ち 頼真は先代頼恭の長子で、江戸に生まれた。二十九才で父の跡を継ぎ讃岐守に任ぜられた。翌年領内は大風洪水による大被害にあったが、藩士の禄を旧に戻し、民政の復興に力をそそいだので領内に活気がよみがえった。二、学問の振興 頼真は、父と同様に学問の振興に力を入れた。苦しい財政の中、中野天満宮の北に、頼常が創建した旧こうどうのに... [続きを読む]
  • 2006/10/15 10:47 (12)五代藩主 松平頼恭(よりたか)穆公 中興の祖
  • 一、生い立ち 二十九才で高松藩主(祖は水戸徳川頼房の三男・奥州守山藩二万石に生まれた) 幼い頃から文武に励み、馬術・水泳が得意であった。二、中興の祖 政治の模範は、実父頼貞と二代藩主頼常で、特に頼常のように先ず自分が範を示し、家臣・領民にも行わせる事を心がける。 三代頼豊の時代から天変地異が続き、頼恭の治世中も水害・旱魃に毎年のよう... [続きを読む]
  • 2006/10/14 20:38 (11)四代藩主 松平頼桓(よりたけ)懐公
  • 一、業績     藩主には、十六才で頼豊の息女春姫を稼し嗣となったが、度々飢饉や財政危機に遭遇し、藩は極度の窮乏状態であった。元禄十七(1704)年から三十一年続いた天変地異と先代の失費の後始末に追われました。 頼桓は、二代頼常の政治を模範とし、頼豊が残した膨大な借財返却のため、財政緊縮による倹約政策として『倹約令』を出した。 また、藩士... [続きを読む]
  • 2006/10/14 20:02 (10)三代藩主 松平頼豊(よりとよ)恵公
  • 一、生い立ち 松平頼重の孫で、頼重と側室松野の間に生まれた頼侯(五千石)を父に持つ。 史家の中山城山は頼豊を評して『公のひととなりは、奢侈を好み、力士を養いき、是を以て国用足らず、大いに土民を苦しめたり』としている。二、華やかな生活  頼豊は在国中、政治の一切を大老の大久保主計に委ね、主計は徳川頼房の曾孫にあたる人物で頼豊が江戸から... [続きを読む]
  • 2006/10/14 12:49 (9)二代 松平頼常(よりつね)節公
  • 一、名刀真守(さねもり)の物語  松平家には、名刀真守があり重要文化財となっています。真守は、平安時代の名工・真守が作った太刀です。 初めこの名刀は、新羅三郎義光の佩刀だったが甲斐武田家に伝わり、武田信玄や勝頼の愛刀であった。後に徳川家康に伝わり、家康は末子の頼房に与え水戸家の家宝としていた。ところが水戸藩主となった光圀は自分が弟... [続きを読む]
  • 2006/10/14 09:44 (8)高松松平藩 系図
  • 初代、松平頼重 生没年:1622-1695 父:常陸水戸藩初代藩主 徳川頼房 幼名:竹丸、八十郎 1639-1642 常陸下館藩主 1642-1673 讃岐高松藩初代藩主 1656 従四位下権少将 1656 左京大夫 讃岐守 正室:(父:土井利勝) 綱方(義父:常陸水戸藩二代藩主 徳川光圀) 1656-1718 徳川綱條(水戸徳川家へ) 頼剛 ... [続きを読む]
  • 2006/10/12 23:59 (7)高松藩祖 松平頼重(よりしげ)英公
  • 一、生い立ち 徳川家康の孫すなわち家康第十一男徳川頼房の長男で、同腹の弟に水戸藩主徳川光圀がいる。 同腹の兄弟は、互いに子息を相手側に養子にやり相続している。 頼重の母は、水戸家家臣谷重則の息女「久」のちの高瀬局。お久が身ごもったとき頼房は、兄の徳川義直(尾張)徳川頼宣(紀伊)の両者に子がなく自分も二十才の若さであったため、久の子を水... [続きを読む]
  • 2006/10/12 18:32 (6)参加してきました 2
  • 10月11日水曜日たかまつ松平藩まちかど漫遊帖のツアー「粋町の鮨をつまんで歩く夕暮れ」・・・いやぁ楽しかったですよ!サブタイトルが〜江戸風情・旦那遊びを極める〜高松中心街・・・そう昔は「花町」だったところを今「粋町(いきまち)」と呼びお寿司屋さんを巡ってみよう!というこのツアー!こだわりの寿司店5箇所を1貫〜2貫づつ頂くという贅沢さ!... [続きを読む]
  • 2006/10/09 18:53 (5)参加してきました!
  • 10月8日日曜日に、まちかど漫遊帖「黄門様のお忍びある記」に参加してまいりました。知らなかったんです高松松平藩の初代藩主頼重公が水戸光国公のお兄さんだったなんて!!!高松は黄門様と大変ゆかりのある町なんですね!玉藻公園西門〜商店街を通り〜栗林公園までの約2.5km時間にして2時間のテクテク町ぶら・・・日頃歩いている道なのになんと見落... [続きを読む]
  • 2006/10/07 20:51 (4)高松松平藩のお話
  • 松平藩のお話 − 讃岐のへぇ〜塾ブログ 『讃岐の風土記』より   1.“讃岐高松二代目藩主は水戸黄門の息子” 2.“茶道・千家と讃岐との深い縁” 3.“柳沢吉保と讃岐高松藩との名刀をめぐる確執” 4.“井伊直弼と徳川斉昭との板挟みにあった高松藩主” 5.“最後の高松藩主は最後の将軍徳川慶喜の従兄弟” 6.“日本三大庭園より立派といわ... [続きを読む]
  • 2006/10/07 10:46 (3)まちかど漫遊帳「まちあるき」プラン
  • たかまつ松平藩 まちかど漫遊帳 2006 10/1(日)〜12/2(日) 〜そぞろ高松ごゆるり参ろう〜 1.黄門さまのお忍びある記【5話参照】 2.屋島で考える松平藩 3.片原町(耽溺)極小茶会 4.地上113m「峠の茶屋」で一休み 5.粋街の鮨をつまんで歩く夕暮れ【6話参照】 6.城下の面影・昭和のにおい ... [続きを読む]
  • 2006/10/05 23:08 (2)高松藩歴代藩主
  •     歴代藩主          在位期間            初代 松平頼重 よりしげ 寛永19(1642) −延宝元(1673)        ‖ 二代 松平頼常 よりつね         −宝永元(1704)       ‖ 三代 松平頼豊 よりとよ         −享保20(1735)      ‖ 四代 松平頼桓 よりたけ         −元文... [続きを読む]
  • 2006/10/05 20:35 (1)ラジオ8局ネット らじお放送決定
  • 『高松松平藩まちかど漫遊帳』そぞろ高松ごゆるりまいろう! 平成18年10月1日〜12月2日 実施今回の催しの核となっているのが、市民プロデューサーの皆さん!!「まつとの」と「ぽっくり」西日本放送ラジオでも『讃岐発 高松松平藩 ご城下物語』中国・四国の8局ネットで9県に放送決定!!RNC−RNB−RKC−JRT−RSK−RCC−KRY−B... [続きを読む]
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