渡り鳥 さん

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プロフィール

ハンドル名渡り鳥 さん
ブログタイトル渡り鳥のスポーツ日記
サイト紹介文プロ野球・ウィンタースポーツ・その他スポーツ全般を扱ったブログです。
参加カテゴリー
更新頻度情報提供462回 / 633日(平均5.1回/週) - 参加 2006/10/26 20:42

渡り鳥 さんのブログ記事

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  • 2008/01/06 06:47「サッカー日本代表」関連記事の締めくくり&ブログ休止のお知らせ
  • さて、今回で「サッカー日本代表」の記事は、ひとまず休止という事になる。もう2007年まで書いてしまったわけだから、「岡田ジャパン」の今年の戦績が、そのまま次の記事になる。今年の6月の時点で、僕はサッカーに関しては全くの素人だった。それが一つのきっかけでJリーグに関して書こうと思ったのが2007年7月6日。以来、まさかJリーグ31チームと消滅した横浜フリューゲルス、更に日本サッカ・・・ ... [続きを読む]
  • 2008/01/06 01:41イビチャ・オシム(元日本代表監督、ユーゴスラビア監督・選手、ジェフ千葉監督)
  • 2006年7月から2007年11月まで日本代表監督を務めたのはイビチャ・オシム。彼はセルビア出身で、1959年に18歳にして、サラエボのプレミイェル・リーガ所属のプロチームのFKジェリェズニチャル・サライェヴォに入団し活躍。1964年、ユーゴスラビア代表に選出され、東京五輪に出場し、順位決定戦で日本代表と対戦して2ゴールを決める。1968年、UEFA欧州選手権でユーゴ代表として・・・ ... [続きを読む]
  • 2008/01/06 01:04ジーコ(元日本代表監督、ブラジル代表選手、トルコ共和国・フェネルバフチェ監督)
  • 2002年7月から2006年6月まで日本代表監督を務めたのはジーコ(本名はアルトゥール・アントゥネス・コインブラ)。彼はブラジル・リオデジャネイロ出身で、現役時代の全盛期頃には、世界中のサッカーファンの間では知らぬものはない、と断言できるほどの有名なサッカー選手だった。1971年に、ブラジルに設立された国内リーグ「カンピオナート・ブラジレイロ」所属のフラメンゴに入団し、数年でブラジ・・・ ... [続きを読む]
  • 2008/01/05 20:32フィリップ・トルシエ(元日本代表監督、FC琉球・総監督)
  • 1998年9月から2002年6月まで、日本代表監督を務めたのはフィリップ・トルシエ。彼はフランス・パリ出身で、1976年、21歳の時にフランス2部リーグのASアングレームに所属。以来、レッドスターFC93(元FIFA会長ジュール・リメが創設したクラブチーム)、FCルーアン、そしてスタッド・ランスと、フランス2部リーグのチームを渡り歩いた。1983年、28歳で現役引退し、同年にU・・・ ... [続きを読む]
  • 2008/01/04 22:38第14回アジアカップとイビチャ・オシム監督(2007年)
  • 2006年7月、ジーコ監督の後任として、当時ジェフユナイテッド千葉の監督を務めていたイビチャ・オシムが日本代表監督に就任した。オシム監督は、1990年のW杯イタリア大会で、当時ユーゴ紛争で混乱状態だったユーゴスラビアのサッカー代表監督を務め、ベスト8進出した経歴を持ち、2003年から日本のジェフユナイテッド千葉の監督を務めてきた人物。就任会見でオシム監督はこう語った。「いま・・・ ... [続きを読む]
  • 2008/01/04 19:15W杯ドイツ大会・本戦(2006年)
  • 2006年はW杯ドイツ大会の年である。「ジーコ・ジャパン」の4年間の全てが注がれる大会の筈だった。この年の日本代表の初戦は、2月にサンフランシスコで開催されたアメリカ代表戦だったが2-3で敗退。帰国後の18日にフィンランド代表戦に臨み2-0と快勝。6日後には翌年東南アジアで開催予定の第14回アジアカップ・予選が開幕し、インド戦で6-0で大勝。6日後にはドイツ・ドルトムントでボスニア・ヘ・・・ ... [続きを読む]
  • 2008/01/04 01:50第7回FIFAコンフェデレーションズカップと第2回東アジア選手権(2005年)
  • 2005年はW杯ドイツ大会・最終予選がある年である。日本代表のグループリーグの対戦相手は北朝鮮・バーレーン・イラン。バーレーンとイランは前年のアジアカップで対戦しているだけに、お互い手の内を知り尽くしていると言ってよく、北朝鮮は情報不足で、不気味な印象があった。2月09日 北朝鮮戦→2-13月25日 イラン戦→1-2 3月30日 バーレーン戦→1-0 6月03日 バーレ・・・ ... [続きを読む]
  • 2008/01/04 01:09AFCアジアカップでの大会2連覇(2004年)
  • 2004年の日本A代表はW杯ドイツ大会・予選とAFCアジアカップに備えて試合を重ねた。2月07日 マレーシア戦→4-02月12日 イラク戦→2-0そして2月という早い時期にW杯1次予選が始まった。グループリーグの相手はオマーン・シンガポール・インド。年間通しての1次予選結果は次の通りで、6戦全勝となり、やはり力の差は歴然としていた。2月18日 オマーン戦→1-03月・・・ ... [続きを読む]
  • 2008/01/04 00:26アテネ五輪での惨敗と「なでしこジャパン」の健闘(2004年)
  • 2004年はAFCアジアカップとアテネ五輪の年である。U-23日本代表は3月に五輪最終予選に出場。監督はトルシエ監督時代にヘッドコーチを務めた山本昌邦。グループリーグの相手はバーレーン・レバノン・UAE(アラブ首長国連邦)でまず3月1日から5日までUAEのアブダビで1回戦総当りし、それから日本で14日から18日まで1回戦総当りする方式でリーグ戦を行い、総合1位となったチームは五輪本戦に出場・・・ ... [続きを読む]
  • 2008/01/03 19:31第24回キリンカップと第1回東アジア選手権(2003年)
  • 2002年7月、「ジーコ・ジャパン」が誕生した。ジーコ監督就任の発表は、当時の日本サッカーファンからは絶大な支持を集めていた。ジーコ監督は、現役時代は世界の1980年代のプロサッカー選手の中でもトップクラスの実力と人気を誇っており、その後来日して1993年の「Jリーグ元年」には鹿島アントラーズの看板選手として活躍した事もあり、日本にとって馴染みの深い人物であった。その上、トルシエ監督時・・・ ... [続きを読む]
  • 2008/01/03 18:28W杯日韓大会と「トルシエ・ジャパン」の終焉(2002年)
  • 2002年はW杯日韓大会・本戦の年である。「トルシエ・ジャパン」4年間の集大成となる大会となった。1986年、FIFA(国際サッカー連盟)のアベランジェ会長(当時)がアジアでの開催希望を打ち出して以来、多くの紆余曲折もあったが、世界各国の様々な人々の努力が報われた末の大会であった。日本代表は直前の調整試合を次々とこなした。まず大阪の長居スタジアムでウクライナ代表と戦い、その足でポー・・・ ... [続きを読む]
  • 2008/01/03 10:15第5回FIFAコンフェデレーションズカップとAFC/OFCチャレンジカップ(2001年)
  • 2001年は世界トップクラスの代表チームとの対戦が続いた。前年のアジアカップ優勝によりアジアチャンピオンの座についた為、2002年W杯を前に、日本A代表を世界と対等に戦えるチームに成長させる目的があった。3月、フランスのサンドゥニに飛び、1998年W杯優勝国のフランス代表と対戦した。しかし遭えなく0-5と大敗。続いてスペインのコルドバでスペイン代表とも対戦したがこれも0-1で撃沈。まだまだ・・・ ... [続きを読む]
  • 2008/01/03 09:14第12回アジアカップでの優勝(2000年)
  • 2000年の日本A代表も、アジアカップに向けて活発に試合をこなした。まず2月に香港で開催された第14回カールスバーグカップに出場し、1勝1敗(優勝はチェコ)。2月05日 メキシコ戦→0-12月08日 香港リーグ選抜戦→0-0(PK6-5)直後にマカオに飛んでアジアカップ予選に出場。相手はシンガポール・ブルネイ・マカオ。この予選では中山雅史が6ゴール、高原直泰が3ゴールと・・・ ... [続きを読む]
  • 2008/01/03 08:06シドニー五輪ベスト8と「黄金世代」(2000年)
  • 2000年はシドニー五輪とアジアカップが開催される年である。フィリップ・トルシエ監督はこの時、A代表・U-23代表、U-21代表の監督も兼務している。U-21代表は前年(1999年)のワールドユース・本戦に出場してイングランド代表・メキシコ代表・ウルグアイ代表を次々と破って決勝進出し、スペインには敗退したが、日本代表チームにとってFIFAの主催する国際大会では初の準優勝の快挙を成し・・・ ... [続きを読む]
  • 2008/01/02 23:42フィリップ・トルシエ監督の就任と「フラット3」(1999年)
  • 1998年、新しく就任したフィリップ・トルシエの初試合は10月のエジプト戦だった。初陣となったこの試合、トルシエ監督は直前のW杯・本戦のメンバーを、中山雅史を含めてほぼそのまま起用し、その中山の決勝ゴールで1-0と幸先良いスタートを切った。10月28日 エジプト戦→1-0同じ年の12月、トルシエ監督はU-21代表チームの監督を兼務して臨んだが2次リーグで敗退。明けて・・・ ... [続きを読む]
  • 2008/01/02 09:59岡田武史(日本代表監督、元コンサドーレ札幌・横浜F・マリノス監督)
  • 1997年途中から1998年途中まで日本代表監督を務めたのは岡田武史。彼は大阪府大阪市出身で、天王寺高校サッカー部で活躍し、1974年のAFCユース選手権に18歳ながら選抜されるなど、早くから将来を嘱望されていた。その後早稲田大学に進学したが、同大学内のサッカー同好会に所属し第一線から遠ざかっていた。その時にたまたまサッカーの早慶戦に観戦に行ったところ日本サッカー協会の関係者に出会・・・ [続きを読む]
  • 2008/01/02 08:47加茂周(元日本代表監督、日産自動車・横浜フリューゲルス・京都サンガ監督)
  • 1995年から1997年途中まで日本代表監督を務めたのは加茂周。かれは兵庫県芦屋市出身で、中学までは全くサッカーの経験がなく、兵庫県立芦屋高校で初めて経験する。1960年、関西学院大学に進学、しかし大学時代はそれほどの実績を残す事無く卒業。1964年、実業団チームのヤンマーディーゼルに入り、同社サッカー部に入部。1967年、鬼武健二監督が就任すると同時に、コーチに就任。19・・・ [続きを読む]
  • 2008/01/02 07:34パウロ・ロベルト・ファルカン(元日本代表監督、ブラジル代表監督・選手)
  • 1994年の1年のみサッカー日本代表監督を務めたのはパウロ・ロベルト・ファルカン。彼はブラジル出身で、現役時代はブラジル代表選手として数々の実績を挙げた経歴を持つ。1963年、プロチームのインテルナシオナル入りし、リオグランデ・ド・スル州選手権で優勝は5回、ブラジル全国選手権で優勝は3回。1980年、イタリアのASローマに移籍。1982年、W杯スペイン大会でジーコ、ソクラテ・・・ [続きを読む]
  • 2008/01/02 07:15ハンス・オフト(元日本代表監督、ジュビロ磐田・京都サンガ・浦和レッズ監督)
  • 1992年から1993年までサッカー日本代表監督を務めたのはハンス・オフト。彼はオランダ出身で、1964年にロッテルダムのプロチーム・フェイエノールト入りし、FWとして活躍するが1970年、怪我の影響で23歳の若さで引退。1976年、 オランダユース代表コーチに就任。1982年、マツダSCで総監督を務めていた今西和男が、当時低迷の続いていた同チームを立ち直らせるべく世界各国を廻・・・ ... [続きを読む]
  • 2008/01/02 06:51W杯フランス大会・本戦と岡田武史監督の辞任(1998年)
  • 1998年、日本代表はW杯・本戦前に精力的に試合をこなした。2月、オーストラリア遠征を行った。2月15日 オーストラリア戦→3-02月17日 南オーストラリア州選抜戦→5-12月19日 シドニー・ユナイテッド戦→1-03月、日本で第3回ダイナスティカップが開催され、2勝1敗の成績。中国・韓国と並んだが得失点差で優勝した。3月01日 韓国戦→2-13月04・・・ [続きを読む]
  • 2008/01/01 22:59アトランタ五輪での「マイアミの奇跡」と第11回アジアカップ(1996年)
  • 1996年、サッカー日本代表はオーストラリア遠征で幕を開けた。2月にオーストラリア代表と2試合を戦い1勝1敗。2月10日 オーストラリア戦→4-12月14日 オーストラリア戦→0-3直後に香港に飛び、第10回カールスバーグカップに出場した。カールスバーグカップとは、1983年から香港で開催されているサッカーの国際大会で、カールスバーグの語源は、デンマークのビール製造会社・・・ [続きを読む]
  • 2008/01/01 20:51W杯2002年大会の日韓共同開催決定への流れ(1996年)
  • 1996年、サッカー界における最大の話題は2002年のW杯の開催地を、日本と韓国のどちらにするか、であった。もともと日本がW杯招致を打ち出したのは1986年。FIFA(国際サッカー連盟)で当時の会長を務めていたジョアン・アベランジェが、これまで南米・欧州で開催してきたW杯をアジア・アフリカで開催したい意向を持ち、日本に開催の意思があるかの打診をしてきた事から始まった。もちろん協会側・・・ [続きを読む]
  • 2008/01/01 19:57ネルシーニョ問題と加茂周監督の続投(1995年)
  • 1995年11月、日本代表監督の続投問題が噴出した。前年に川淵三郎から交代した日本サッカー協会の加藤久強化部長が、「加茂周監督では1997年のW杯・予選を通過できない」と判断し、1996年からヴェルディ川崎のネルシーニョ監督に交代する提案を打ち出した。加藤強化部長の提案により、日本サッカー協会はヴェルディ川崎とネルシーニョ監督に、代表監督への就任を打診し、ネルシーニョ、川崎側も了承・・・ [続きを読む]
  • 2008/01/01 17:17加茂周監督の就任と第2回キング・ファハド・カップとアンブロカップ(1995年)
  • 1995年、新たに就任した加茂周監督の指揮の下にスタートした。加茂周は、かつて1980年代全般に渡ってそれまで弱小チームに過ぎなかった日産自動車サッカー部を当時のJSL(日本サッカーリーグ)で1・2を争う強豪チームに作り上げた実績があった。日本サッカー界の関係者の多くに、加茂監督を指示する者は多かった。加茂監督は、前任のファルカン監督によって外されていたラモス瑠偉・都並敏史らを代表に復・・・ [続きを読む]
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