ねこ太郎 さん

ねこ太郎さん: オーラの泉
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プロフィール

ハンドル名ねこ太郎 さん
ブログタイトルオーラの泉
サイト紹介文神道と霊的な側面から見た日本史の探求です 日本史の謎を霊的側面から解き明かす試みのブログです。
参加カテゴリー
更新頻度情報提供548回 / 673日(平均5.7回/週) - 参加 2006/11/14 20:20

ねこ太郎 さんのブログ記事

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  • 2008/09/06 19:53保導連盟事件
  • TBSの報道特集で、保導連盟事件についての報道をしいました。保導連盟事件で有名なのが朴 泰赫氏が著作した醜い韓国人 (歴史検証編)出版社:光文社です。この勇気ある韓国人が行った告発に対して、日本国内では、おおくのインテリ日本人、知性派日本人が、... [続きを読む]
  • 2008/09/06 00:10矛盾した政策
  • 織田信長は、現実的には米による流通経済を追認し、新たに占領した地域で石高制の導入を推進しながら、根本的に貨幣流通経済こそ、正常な社会的経済構造を構築するための基盤だと考えていました。当時の貨幣経済は、銅銭の模造品や破損銭など悪銭の拡散により、銅... [続きを読む]
  • 2008/09/05 00:10一向宗の坊主の頭は枚挙的帰納法
  • 織田信長の視点から見て、当時の多くの一向宗の坊主の思考形態は結論ありきであったように見えていたようです。まず、自分の宗派が正しい。その結論を前提にして現実的事象を結果に合わせるべく説明を行う。これがどうも信長の気にいらなったようです。神社の工... [続きを読む]
  • 2008/09/04 20:11マイルール
  • 神人はよくマイルールを押し付けてきたそうです。自分たちの慣習を常識だと思いこみ、それを変更されると怒ります。前例に固執し、経済の構造改革などを行おうとすると、激怒して反旗を翻します。農民同士がちょっと隣の人に自分のもっているクワを一本売っただけで... [続きを読む]
  • 2008/09/03 00:10歴史上どうでもいいこと
  • 歴史上どうてもいいことですが、前々から林秀貞の念をずっと感じていました。ずっと訴えかけているものがあります。それは、刀の鍔です。刀の取っ手のところについている、あの円形の金属です。あれを、織田信秀のもらったというのです。まだ織田信秀の勢力が小さ... [続きを読む]
  • 2008/09/02 00:10権力志向の本願寺
  • 本願寺は、北朝の権力と密接に結びつくことによって室町時代に勢力を拡大していったようです。足利将軍の中には本願寺の存在を嫌悪し、討伐しよと試みた人もいたようですが、細川氏を中心として、幕府の重鎮から反対意見が出て、討伐に踏み切れなかったこともある... [続きを読む]
  • 2008/09/01 10:04本願寺のシステム
  • 神社の神人の中には技能、制作に携わる工人、売買に携わる商人、神社荘園の徴税にたずさわる徴税人が存在しただ、工人には対人折衝が苦手で口下手が多かった。商人は消費者から嫌われたら商売ができない。その点、徴税人は口が巧みで、支配下の農民に対しても高圧... [続きを読む]
  • 2008/08/31 20:52本願寺と織田家
  • 元々、織田家と本願寺は非常に親しい間柄であったようです。織田信定の君主、織田達勝が中央で起こる細川家の紛争に介入しようとして、細川家の紛争にかかわっていた本願寺に影響力を持つために、本願寺に資金提供していたようです。このため、織田達勝と本願寺は非... [続きを読む]
  • 2008/08/28 12:05縁続き
  • 木曽川において運送に力をもっていたのが蜂須賀氏ですが、集荷、配送、分配などいわゆる倉庫業に力を持っていたのが安井氏でした。この安井氏に目をつけた織田氏は、織田家譜代の家臣、浅野 氏の養子に安井氏の長男を入れるよう斡旋します。尾張の支配者の譜代衆に名... [続きを読む]
  • 2008/08/27 09:33母系社会
  • 早く父を亡くした木下藤吉郎とその一族は、熱田神宮の抱える工人衆の刀匠、関弥五郎を頼り、その勢力を頼みにしていたようです。武器生産の工人衆は熱田の管理下にあったものの、信長の支配下においては、佐久間信盛の配下となった。武器開発は織田家の命綱であり、... [続きを読む]
  • 2008/08/25 20:32薄氷の自尊心
  • 加藤弥三郎のイメージとしては、神人はものすごく良い人とものすごく性格の悪い人の両極端な人がいて、中間がないそうです。一般に、武器の制作、築城の技能設計に携わるような人は、感性が強く、非常に善良な人が多かったようですが、そうした一見、善良な人ほど... [続きを読む]
  • 2008/08/23 23:57長巻
  • 加藤弥三郎が最初に持たされていた武器が長巻です。これは、戦闘に不慣れで槍をうまく使えない神人や商人上がりの兵たちに織田軍の中で支給された武器です。巨大な刃の刀に、それと同じくらいの長さの柄がついた武器です。これは主に、巨大な刃の重さを利用して相手... [続きを読む]
  • 2008/08/22 23:04ヘビメタ侍
  • 佐脇藤八の兄、前田利家は金属製のメタリックな色が大好きだったようです。武具も普通ならさび止めに黒く焼きを入れたりするのに、わざと金属色むき出しにしてさびないようにいつも磨いていたようです。兜は烏帽子のような長ぼそい兜をかぶっていましたが、池田勝三... [続きを読む]
  • 2008/08/21 00:08この横流し者が!
  • 織田信長が神人を大変かわいがっていたのとは反対に、徳川家康は神人に嫌悪感を感じていたと思います。元々、徳川家康が幼少のころ、尾張織田家の人質になったとき、最初に預けられた家を山口氏といい、出雲系神道の神人とかかわりの深い家であったようです。また... [続きを読む]
  • 2008/08/14 00:10どこの馬の骨とも知れぬ坊主くずれが
  • 僧侶で弓の扱いがうまい男がいたそうです。非常に命中率が高いというので、柴田勝家に見出され還俗して武士になりました。太田又助といいます。その後、織田信長に認められ、信長の直属になりますが、長年、信長に仕えていた津島衆からは、あまり良く思われてい... [続きを読む]
  • 2008/08/13 00:10男の嫉妬
  • 服部小平太は信長を若い頃から知っていた典型的な津島衆である。織田信秀の直臣、林秀貞や柴田勝家らが津島衆と距離を置いていたのとは対象的に信長は津島衆に親しかった。このため、津島衆も信長を愛した。特に服部小平太は信長を神格化しており、一度でもいいから... [続きを読む]
  • 2008/08/12 00:10譜代の家臣
  • 木下弥右衛門は律儀者といわれた。織田信定がその勢力を拡大していくと、中村の木下氏がその配下に参じたのがはじまりである。一時、蜂須賀正利の与力として配されたが、蜂須賀正利が一時、織田信秀、林秀貞に不審をいだき、距離をおく姿勢をとると、いち早く信秀... [続きを読む]
  • 2008/08/11 00:10うわっ!何これ!!
  • 林秀貞は思った。南朝の愛国主義者どもは厄介だ。それに輪をかけてやっかいなのが神社の神人である。気難しく、気に食わないことがあると「不敬である!」といって打ちこわしをしたりする。揉め事の種だ。寺の僧兵もやっかいだが連中はだいたい金でけりがつく。... [続きを読む]
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  • 神社
  • 2008/08/10 00:10楡資保明神社
  • 頭の中にイマジネーションが浮かびました。あたまに浮かんだまま書きます。実史ではありません。あくまでも私のイメージです。犬山の勘定方織田信定は美濃の油の物流の窓口でもある美濃薮田の楡資保明神社と親しい間柄であった。地理的にも近く、折衝でよく懇談す... [続きを読む]
  • 2008/08/09 00:10真清田神社と大神神社
  • 真清田神社の神職である佐分清治は、自分たちの軍事的後ろ盾とする組織を欲していた。津島神社には大橋氏を中心とした南朝方の四家七苗字党の軍事力を背景に、大きく発展している。木曽川の水利権もこのままでは維持が難しくなるかもしれない。そこで目を付けたの... [続きを読む]
  • 2008/08/08 00:20それはどう考えてもまずいだろう
  • 尾張の夏は熱い。暑苦しい。林秀貞は部屋にねっころがって家来に扇であおがせていた。ただでさえ暑苦しいのに、外からドンドン太鼓の音がする。ああ、もうすぐ津島祭か。津島祭を主催する大元締めの大橋氏は大枚の金を祭りで浪費する。蔵の方が大橋家に輿入れし... [続きを読む]
  • 2008/08/06 00:10鬼の目に涙
  • 織田信秀配下の中でも槍一番とうたわれた下方弥三郎。彼は戦ができればよかった。政治の難しいことはわからん。親戚の加藤図書助から「国持ち大名になりたいなら、算術だけは覚えておけ。」といわれたが、そんなものは鼻にもかけなかった。日々武芸の鍛錬にあけく... [続きを読む]
  • 2008/08/05 00:10わりを食った人々
  • 林秀貞が台頭するにしたがい、織田家内で外交、文官が力を得るようになった。商業の役に立つとして織田信定の弟織田秀敏は歓迎したが、内藤勝介や青山与三右衛門は、正直要領を得なかった。織田信秀への忠誠の心は変わらず、いくぶんか立場は弱くなったとはいえ、... [続きを読む]
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  • 外交
  • 2008/08/04 00:10那古野城の後
  • 那古野城奪取のあと、林秀貞はすぐさま水野氏との通商関係の強化を信秀に進言した。親戚の川口宗吉を通じて水野忠政を呼び寄せ、水野忠氏などに物資を売却し、水野氏から今川に物資を横流しさせた。今川方には伊勢から水野に直接荷受けしたものだと説明させる。織... [続きを読む]
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  • 売却
  • 2008/08/03 00:10戦国婆娑羅
  • 当時、婆娑羅の風潮が流行っていたものの、若者の大部分は、ただ派手な衣装を着て、つっぱっている、なんちゃってバサラであった。本当の意味で婆娑羅を極めた者は、中国の古典に精通していなければならない。当時、婆娑羅は金や欲徳には目もくれず義や節をことさら唱... [続きを読む]
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