山梨県山梨市北の大井俣窪八幡神社の大宮司家の孫 貞明皇后の御用掛吉田鞆子の足跡を紹介しております
陸軍大将白川義則 総持寺新井石禅師 東宮侍従長・御歌所長入江為守 皇后宮典侍千種任子 皇后宮典侍竹屋津根子 御歌所寄人阪正臣 御歌所寄人千葉胤明 日本女子大学校創始者成瀬仁蔵 日本女子大学2代目校長麻生正蔵 吉田鞆子次兄井染禄朗 外国人(敬称略)
伊勢神宮新穀感謝祭 神宮・猿田彦神社 参拝の旅 令和元年11月25日・26日
八幡宮の氏子総代となって三年 三回目の伊勢神宮新穀感謝祭 神宮参拝の旅です 外宮・内宮 猿田彦神社御垣内参拝の後 おはらい町散策の時間を利用して 再び一人内宮へ 団体では遥拝しか叶わなかった 荒祭宮・風日折宮の参拝をも果たすことができました 内宮の参拝で
國學院大學博物館「有栖川宮家・高松宮家 ゆかりの新収蔵品」展
一昨日 10月27日(日)國學院大學博物館で開催の 「有栖川宮家・高松宮家 ゆかりの新収蔵品」 を観覧させていただきました 台風などのこともあり危ぶまれておりましたが 最終日に間に合うことができました 展示品の内でも 貞明皇后のご遺品には 感動いたしまし
颱風(24号)一過 鎮まれる八幡様 2日(火)
先日 「鞆子の部屋」最後のお客様に宮司様ご一家をお迎えいたしました お持ちいただいたお義母様の五十年前の結婚式のお写真には 当室保管の「小袿」と「常袿」が 鞆子さんの数ある衣裳の中から この二着を選ばれていたとは 単なる偶然とは思えない縁を感じます
2枚目は 大正六年四月十八日皇后宮職御用掛仰付られてより間もなくの洋装姿 裏面には「長服は祝日用・・・ 三十三歳」と記されています
過日 吉田家直系の方から 鞆子保存の貴重な写真をお借りし コピーさせていただきました 追々掲載させていただきます 先ず1枚目は 大正六年四月十八日皇后宮職御用掛仰付られてより間もなくの洋装姿 裏面には「外出服 大正六年五月 三十三歳」と記されています 最
春の連休(ゴールデン・ウィーク)2日目は谷中霊園へ 吉田家ゆかりの家の墓の調査 近くには第十五代将軍徳川慶喜公ご夫妻の墓所が 側室たちもご一緒でした向かいには勝精さんのお墓も
20日(火) 「鞆子の部屋」に第二の主賓をお迎えいたしました 信州松本某国立系大学教授と遠州浜松某私立大学教授ご夫妻です こちらのお二方は 拝領の品より 鞆子さんの書き残した物に甚く興味を示され 短い時間でしたが 有意義な時を共有させていただきました 拝
本日「鞆子の部屋」に 女性お二方をお迎えいたしました 神社本庁にお勤めで宮中賢所にご奉仕していたことのある方と千葉県野田市の某神社の禰宜様 お二方は十二単衣・袿などの研究者 前記の方をお迎えするために作った部屋と言っても過言でない 此の部屋の主賓でありま
それは20年前の夏の事だ 大宮司吉田家の土地建物を山梨市に寄贈した子孫の方は 屋敷内の なかでも蔵にあった七つの長持ちに収められていた物 その全てを骨董商に売却した その多くは鞆子さんが宮中から持ち帰ってきた物だ 身の回りの物と一緒に拝領の品も少なくな
甲州史料調査会調査報告古文書からみる窪八幡神社 甲州史料調査会により2011年から始まった大井俣窪八幡神社 元大宮司家三十代の孫吉田鞆子 旧蔵文書と大工村天神社有賀家 旧蔵文書の調査が2016年夏に終わりました 今日はその調査報告会が山梨市民会館の会議室
鞆子袿袴肖像 女史三十五歳の時の写真を 昭和十三年に絹本に描いたもの
11月27日(月) 吉田鞆子旧蔵文書・大工村天神社旧蔵文書調査報告会
甲州史料調査会調査報告古文書からみる窪八幡神社 甲州史料調査会は、山梨県をフィールドとして史料の調査研究活動を行う民間の会です。本会では2011年から大井俣窪八幡神社(山梨県山梨市北)元宮司家の吉田鞆子旧蔵文書と大工村天神社旧蔵文書の調査をおこないました。今
吉田鞆子編集による飯島茂氏の遺稿集です 明治20年から昭和20年までの著作が収集されています ヤフーオークションのアラート「吉田鞆子」が初めてヒットしました
今日は窪八幡神社秋の例大祭です 三基の神輿はそれぞれ地区を渡御しています 祭りが最高潮を迎えるのは三基の神輿が帰ってくる夕刻ですが その前にお詣りをしてきました二年前の例大祭http://blog.livedoor.jp/ukaikansaku-yoshidatomoko/archives/18920106.html
窪八幡神社の秋の例大祭が近づいてまいりました 吉田鞆子さんの残した昭和三十六年十月十二日の例大祭の写真六葉です一 日原宮司祝詞 助勤四人吉田鞆子七十七才 土屋喜美子四十八歳 村田頼保 日原正文二 日原宮司祝詞奏上三 日原宮司祝詞 四 御輿に神霊稜御
ドラマや小説には悪役というものがあるが 明日最終回を迎えるNHKの連続テレビ小説「花子とアン」の悪役第一番手 それは蓮子の兄葉山晶貴伯爵だろうか 蓮子と言えば柳原燁子 柳原白蓮のことだ その兄と言えば柳原義光氏のこと 祖父光愛氏の次女で父前光氏の妹の愛子
吉田兄弟姉妹の祖父である最後の大宮司吉田正保の妻かつが茂氏のおばに当たります 国春ー国延―茂と続くようです 国延氏とかつさんはきょうだいですが どちらが上かわかりません 吉田護朗録朗兄弟と飯島茂氏三人で写った新聞記事です これは飯島氏が日露戦役当時を振り
旧福嶋屋土蔵様 当方の所持する軍医総監飯島茂氏の写真です 中将相当の正装です お宅にもあるかと思われますがこの写真は笛吹市春日居町郷土館にわが町出身の偉人コーナーに拡大掲載されています
調査の最終日が9月1日でしたので 窪八幡神社で月初めの朔日に行われる月次祭(つきなみさい)に参列 昇殿参拝をいたしました
ほんの10日ほど前の猛暑が嘘のように秋の気配を感じ始めた大井俣窪八幡神社社務所で甲州史料調査会の先生方による窪八幡神社と大工天神社の古文書の調査が行われました 今回で4年 5回目 3日間の調査でした 何百とある文書の微細な紙片でも一枚一枚解読し写真に記
ここ3~4年恒例となっている夏の行事二つの日程が決まった 一つは山梨市北にある大井俣窪八幡神社の社務所で行われる同神社と 隣接地区の大工天神社の古文書の調査と 窪八幡神社研究会員や氏子さんを対象に開かれる勉強会だ 日程は8月30日(土)31日(日)9月
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陸軍大将白川義則 総持寺新井石禅師 東宮侍従長・御歌所長入江為守 皇后宮典侍千種任子 皇后宮典侍竹屋津根子 御歌所寄人阪正臣 御歌所寄人千葉胤明 日本女子大学校創始者成瀬仁蔵 日本女子大学2代目校長麻生正蔵 吉田鞆子次兄井染禄朗 外国人(敬称略)
八幡宮の氏子総代となって三年 三回目の伊勢神宮新穀感謝祭 神宮参拝の旅です 外宮・内宮 猿田彦神社御垣内参拝の後 おはらい町散策の時間を利用して 再び一人内宮へ 団体では遥拝しか叶わなかった 荒祭宮・風日折宮の参拝をも果たすことができました 内宮の参拝で
一昨日 10月27日(日)國學院大學博物館で開催の 「有栖川宮家・高松宮家 ゆかりの新収蔵品」 を観覧させていただきました 台風などのこともあり危ぶまれておりましたが 最終日に間に合うことができました 展示品の内でも 貞明皇后のご遺品には 感動いたしまし
颱風(24号)一過 鎮まれる八幡様 2日(火)
先日 「鞆子の部屋」最後のお客様に宮司様ご一家をお迎えいたしました お持ちいただいたお義母様の五十年前の結婚式のお写真には 当室保管の「小袿」と「常袿」が 鞆子さんの数ある衣裳の中から この二着を選ばれていたとは 単なる偶然とは思えない縁を感じます
2枚目は 大正六年四月十八日皇后宮職御用掛仰付られてより間もなくの洋装姿 裏面には「長服は祝日用・・・ 三十三歳」と記されています
過日 吉田家直系の方から 鞆子保存の貴重な写真をお借りし コピーさせていただきました 追々掲載させていただきます 先ず1枚目は 大正六年四月十八日皇后宮職御用掛仰付られてより間もなくの洋装姿 裏面には「外出服 大正六年五月 三十三歳」と記されています 最
春の連休(ゴールデン・ウィーク)2日目は谷中霊園へ 吉田家ゆかりの家の墓の調査 近くには第十五代将軍徳川慶喜公ご夫妻の墓所が 側室たちもご一緒でした向かいには勝精さんのお墓も
20日(火) 「鞆子の部屋」に第二の主賓をお迎えいたしました 信州松本某国立系大学教授と遠州浜松某私立大学教授ご夫妻です こちらのお二方は 拝領の品より 鞆子さんの書き残した物に甚く興味を示され 短い時間でしたが 有意義な時を共有させていただきました 拝
本日「鞆子の部屋」に 女性お二方をお迎えいたしました 神社本庁にお勤めで宮中賢所にご奉仕していたことのある方と千葉県野田市の某神社の禰宜様 お二方は十二単衣・袿などの研究者 前記の方をお迎えするために作った部屋と言っても過言でない 此の部屋の主賓でありま
それは20年前の夏の事だ 大宮司吉田家の土地建物を山梨市に寄贈した子孫の方は 屋敷内の なかでも蔵にあった七つの長持ちに収められていた物 その全てを骨董商に売却した その多くは鞆子さんが宮中から持ち帰ってきた物だ 身の回りの物と一緒に拝領の品も少なくな
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鞆子袿袴肖像 女史三十五歳の時の写真を 昭和十三年に絹本に描いたもの