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- 2008/07/13 13:07攻防のジレンマ
- 太極拳を始めてから数年の間、用法を考える上で、まず抵抗を感じていたことがある。それは距離の問題だった。太極拳では、“沾、粘、連、随”(※日本語読みで「せん、ねん、れん、ずい」。以下、沾粘連随)という要訣があるように、まず相手の手に触れて、貼り付き従う戦法を取るとされている。当時の書籍等では、「まず相手の手に触れ、相手がそれを引こうとすれば離れず付き従い、攻撃してくれば化勁で流し、機に乗じて攻撃する [続きを読む]
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- 2008/07/07 08:26使えない苛立ち
- 前項で書いた喧嘩も含めて、この時期何度か経験した喧嘩で、太極拳の技を使えたことは、一度も無い。もちろんそれまで修練してきたことが何一つ役に立たなかったわけではないが、相手の攻撃をいなしてはね飛ばすなんてことは、夢のまた夢だった。実際、喧嘩では、いかに殴られずに殴るか、必死になって、“化勁”や“沾、粘、連、随”どころではなかった。でもそれは、「自分が未熟なせいだ」「知らないことがまだまだ多いからだ」 [続きを読む]
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- 2008/05/17 09:162つの突き Part 4
- 今回の経験はどちらもつまらない喧嘩話で、決して自慢にならない。相手は特に強くもなく、はっきり言って僕の方が意地の悪さで一枚上だったし、喧嘩の経緯も誉められたものではない。細かく書いたのは、そのときの体験をなるべく僕の感覚に近いかたちで想像してもらうためで、武勇伝のつもりではないので、念のため。(※よい子は決して真似しないでね…(へ_へ;))まーしかし、、一発で戦闘不能にしたという意味では印象的だった。 [続きを読む]
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- 2008/05/15 02:032つの突き Part 3
- “突き”を考えさせられた喧嘩の2つ目。前項の喧嘩からそう遠くない頃…。当時、2人の新地仲間が居て、僕を含め3人でよく飲み歩いていた。その前に、親と決別するかたちで家を離れ、独り暮らしを始めたとき、小学2年生から高校の途中まで過ごした大阪市内に戻って部屋を借りたのだけど、せっかく育った土地に戻ったのに、親しかった友人とはあまり会えなくなってしまっていた。就職して忙しくなっていたり、他県の大学に進学し [続きを読む]
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- 2008/05/14 01:032つの突き Part 2
- まず1つ目の喧嘩。24~25歳頃だったと思うが、そのときは小さなスナックでチーフ(バーテン)をしていた。僕の記憶では確か冬で、クリスマス時期だった。夜も更けてきて、お客からタクシーを呼んで欲しいと頼まれた。いつもならタクシー乗り場付近に呼ぶのだが、その時は乗り場付近の道路が混み合っていて車がなかなか動けないため、直接店近くの通りに入ってくるとのことだった。そして、ママに頼まれ、タクシーのところまでお客 [続きを読む]
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- 2008/05/13 07:582つの突き Part 1
- 前項の時期より少し遡る、まだ北新地で働いていた頃のこと。。色々事情があって水商売の世界に入ったわけだけど、夢や思いはままならず、酒の味も覚えて、半ば自棄な毎日を送っていた。…というか、若いときにありがちだが、どこか妙な自信を持っていた。まだまだ先があって、人生どうにでもなると思っていた。だから焦りが足りなかったのかも知れない。。実際、僕は恵まれていた方だろうと思う。本当に困ったときには何かしらの助 [続きを読む]
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- 2008/04/24 13:02土木のおっさん
- 今回もまた“力”について考えさせられたエピソード。実は前項『中国のリヤカー老人』と一緒に書いていたのだけど、長くなったので稿を分けることにした。20代後半に差しかかった頃のこと。。当時つき合っていた女性との半同棲や別れを経て、色々考えたことがきっかけで、僕は水商売をやめることにした。またその時期、先生のところに復帰させてもらっていたのだが、水商売をやめたことで急激に生活費が逼迫してしまい、「すみませ [続きを読む]
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- 2008/04/20 12:56中国のリヤカー老人
- たぶん僕が拳法を習い始めた頃だったと思うが、アクション俳優の倉田保昭さんが、中国大陸に武術を訪ね歩く内容のTV番組に出ていたことがあった。取材番組だが、雰囲気的には「~紀行」とか「~温泉めぐり」のような軽いタッチで、本格的に武術を紹介するという感じでは無かったが、なかなか興味深い場面があった。どこかの村で、土地の人に中国武術の型を見せてもらって、お返しに倉田さんも空手の型をやって見せていた。中国側は [続きを読む]
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- 2008/04/20 01:33お久しぶりです(^^;ゞ
- 約3ヶ月、ここを放ったらかしにしてしまいました。。(^_^;)足繁く覗きに来て下さった方々、どうもすみません。まー色々ありまして。。その間にコメントもありましたので、先ほど返事を書きました。遅くなってすみません。1月時点で準備していた原稿もあったのですが、編集中のため寝かせたままです。あと順序的にそれを先にアップしようかどうかも迷っていたので。。そんなこんなも含めて近々アップします。どうぞよろしくお願い [続きを読む]
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- 2008/01/15 13:51力の必要性
- 高校時代の話が一段落したところで、ちょっと時間を飛んでみる。ちなみに高校卒業後しばらくは、記憶に残っているほどの喧嘩話は無い。(つーか、大人になってもまだあるんかいって?(^^;ゞ)今の流派で武術を学び始めたのは、高校卒業後すぐだった。(※2007/01/03『道場見学の日の思い出』参照)故あって一旦道場を抜けるまで、4年近く太極拳やその他の拳法を習ったが、自分が強くなったという実感が特に得られたわけではなかっ [続きを読む]
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- 2008/01/08 00:19T中の武術
- T中は愛想が良く人懐こいヤツで、男勝りの女の子Kの弟分扱いされながらも、その輪の中で和気あいあいとやっていた。(※2008/01/04『鼻骨折(1/2)』参照)僕はそれより前に、ブルース・リーやジャッキー・チェンの映画、漫画『男組』、松田さんの『太極拳入門』などで、中国拳法に興味はあったが、まだどちらかといえば色もん臭さも感じていた。特に中国武術に理解があるわけでもない一般の人が、ブルース・リーと聞けば「アチョ [続きを読む]
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- 2008/01/07 01:09カンフーレディ
- 1980年代前半(だと思うが)、『ひらけ!ポンキッキ』というTVの子供番組で『カンフーレディ』という曲が流れていた。同番組の『およげ!たいやきくん』ほど大ヒットしたわけではないが、中国武術に興味が無い人でも案外憶えていたりするので、一般的にも印象深かったのだろう。何故これを取り上げたのかというと、前項に出てきたT宮とT中もこれが大好きで、振り付けで演じられている陳家太極拳や蟷螂拳の型を憶えてよく真似し [続きを読む]
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- 2008/01/06 06:27鼻骨折 (2/2)
- 最初は躊躇しつつ覗いてみた漫研だが、しばらくすると居心地のいい場所になった。みんな平和で友好的なノリだし、ディープなアニメネタも僕は大体解ってしまう。肝心の漫画も、僕はそこそこ描ける方で周りから認められていたし、後輩もなついてくれていた。そんなある日のこと。よく憶えていないが、この頃には部長が2年生の女の子に交代していて、その子が、たぶん“三題噺”のようなことをやろうとしていたのだったと思う。ふと [続きを読む]
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- 2008/01/04 20:41鼻骨折 (1/2)
- 高校3年生の2学期も終わりに近づくと、みんな就職や進学のことでピリピリする。そんな折、学食で騒ぎがあった。校内に救急車が入って来たので、「何や何や!?」と、野次馬たちがどよめき立って集まっていった。僕はあまり関心が無く、誰かが貧血で倒れたか何かだろうという程度に思っていた。その後間もなく、教室で例のS中グループの連中が噂していた。普通科の喧嘩が強くて名の通ったヤツが、食堂で誰かにカラんで逆にやられ [続きを読む]
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- 2008/01/04 10:07謹賀新年
- あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。<(_ _)>結局、年末に続きをアップ出来ず、すみませんでした。このあとの予定ですが、まずは亀田問題の記事のあと止まってしまっていた高校時代の続きです。実は高校時代の記憶に残る喧嘩2つの内、もう1つは相手がボクシング経験者だったこともあって、亀田問題にもちょっとばかり反応してしまいました。その相手とやり合ったのは、11月末~12月頃 [続きを読む]
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- 2007/12/23 23:56近況諸々
- 前回、10月27日の記事からずいぶん経ってしまった。。(^_^;)まー忙しかったのだけど、一度空いてしまうと、ついつい筆無精になったままあっという間に時間が過ぎてしまったという感じで…。足繁く見に来て下さっているみなさま、どうもスミマセン。。(^_^ゞただ、次の記事は11月初めに書きかけていた。そのためにボクシングにもちょっと触れたわけなのだけど。とりあえず、年内に1つか2つはアップしますので、どうぞよろし [続きを読む]
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- 2007/10/27 21:52亀田問題と振り子の原理
- 近頃は政治から経済から、何かというと“振り子の原理”という言葉を使うのが流行っているようだ。まー実際、この例えが当てはまることが多いのも事実なワケで。。で、亀田問題。この問題は、改めて説明するまでもないが、次男の亀田大毅がチャンピオンベルトをかけた内藤大助との世界戦で反則行為を行ったことに端を発している。また、この反則に際して、セコンドについていた父親の史郎氏と長男の興毅が反則指示を行ったとされて... [続きを読む]
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- 2007/10/24 21:19日拳部訪問
- 高校時代の続き。N浦・K戸との一件からしばらくして、H山に誘われて日本拳法(以下、日拳)部にお邪魔した。と言っても、その日、部員はH山しか居なかった。部の練習が休みで、道場を使えるから遊びに来いよと誘われたのだった。H山の友人で同じ科のH崎とS田(※僕と中学が同じだったS田とは別人)も来た。確か、H崎はまったく武道の経験が無くて、S田は空手を少しやっていたと思う。H山はノリノリで早速、「組手やろう [続きを読む]
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- 2007/10/22 16:09亀田スタイル
- 実はこの前の記事『内藤大助×亀田大毅』をアップする前から高校時代の話の続きを書いていたのだけど、まだ推敲している部分があって編集中だ。ひとまずタイムリーなネタから。内藤・亀田の件は、先週、亀田大毅が内藤に謝罪したことで終息しつつある。亀田家についての批判も、少なくとも報道の雰囲気的には、「本人にとってもいい薬になっただろうし、まだ若くて先もあるから頑張って欲しい」というような感じになりつつあると思 [続きを読む]
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- 2007/10/12 14:53内藤大助×亀田大毅
- 今日、TVのワイドショーでは、朝からこの話題で持ち切り。僕は試合をビデオに撮って深夜に観たのだけど、まー、何というか…僕もご多分に漏れず、投げの反則には呆れてしまった。。ただ、まぁ、別角度も踏まえて、ちょっと書いてみる。内藤選手のことは、普段からボクシングをマメに観ているわけではないのでよく知らなかったのだけど、試合前日のTV番組で、会見の模様や、前から亀田兄弟との試合を望んでいたことなどを取り上 [続きを読む]
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- 2007/10/08 03:04喧嘩の写真
- 喧嘩の翌日以降、S中グループがカラんでくることは無くなった。元々この中でカラんできていたのはN浦とK戸だけだ。それ以外はせいぜい、僕のことを気に入らないヤツだというのを顔に出して無視しているだけで、何かの折に嫌みを言ったり、2人と一緒にカラんできたことはあっても、普段はほとんど接触が無かった。そんな中の2~3人は、気のせいか少しばかり愛想が良くなった。S中グループの中で、僕が危機感を感じる相手はS... [続きを読む]
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- 2007/10/07 13:112対1 Part 3
- この少し前、S田に警告したことがあった。2人に対する我慢が限界に達しつつあって、ふと廊下でS田を見かけたとき、ダメモトと思いつつ、呼び止めた。S田は、N浦やK戸と仲間同士なのだから、ヤツらが僕に嫌がらせを続けていることを知らないはずはない。おそらく一緒に居るときには僕の陰口を叩き合ったりもしているだろう。しかしS田は中学のときの僕を知っているし、Y崎との喧嘩の目撃者でもある。その気になったら2対1... [続きを読む]
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- 2007/10/05 14:272対1 Part 2
- ちょっと話は逸れるが、高校3年のときの体力測定で、背筋を計ったときのこと。大方の者は100~130kg台あたりではなかったろうか。非力で100kgを切る者も居た。このとき、最も体が大きいS口とK内という2人が注目されていたのだが、S口は体に応じてそこそこの数字だったと思うが、見かけほど力が無かったため、周りからは、「おや、S口でもそんなもんか?」というような反応が漏れていた。ところがK内はいきなり170kgを出し、... [続きを読む]
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- 2007/10/04 07:212対1 Part 1
- 高校1年から3年まで、執拗にカラんで来る2人組が居た。それがN浦とK戸だった。入学したばかりの頃、前項で書いたように極真クン他何人かがカラんで来たが、僕は喧嘩にならないようにのらりくらりと交わしていた。それでも、手を出されたらやるしかないと内心覚悟していたのだが、幸いその連中は退学して姿を消していった。だがN浦とK戸だけはその後もしつこくカラんできた。僕が極真クンたちに、「停学や退学になると困るか... [続きを読む]
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- 2007/09/28 17:58高校デビュー
- 僕が通った高校へは、同じ中学から何人かが行ったが、同じ科にはS田というヤツ1人だけが一緒に入った。S田は中学2年のときに同じクラスで、よく一緒に遊んだ時期もあったのだが、何故か高校では僕を避けるようになった。元々はひょうきんで面白いヤツだったのに、少しばかりツッパリを装うようになった。いわゆる“高校デビュー”というヤツ。少し遡るが、中学時代、僕はモテていた。2年生の頃から、特に先輩や後輩の女の子に... [続きを読む]
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