- 2007/09/12 15:10機至れり(断食/少食)
- 私が華厳経に対して興味を持ちはじめたのは2000年だったが、実際に調べ始めたのは2006年秋からだった。その時になって漸く機が熟したのだろう。 私がタバコを止めたのは2001年秋である。酒を止めたのは2004年秋である。酒も煙草も止めた身なら、断食は身体的には不可能ではないだろうと思う。タバコを止めた時私は「嗚呼これで俺も断食できる身体になった」と思ったのを今も記憶している。 西式健康法の流れをくむ甲田光雄医師の... [続きを読む]
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- 2007/09/12 08:08ブレナンの祈り
- 私は自己を神の意志に委ねる。私は自己のハートと魂を神に渡す。私は人生で最高のものを受け取るに価する。私は人生で最高の目的のために奉仕する。私は神の神聖な顕現である。以上は"アファーメーション(自己肯定の言葉)"形式になっているので、実際に祈る時には「〜してください」の形式になる。... [続きを読む]
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- 2007/04/10 23:49聖書と、華厳経と複雑系と・・・
- さて、耶蘇である私が何故に華厳経に興味を持ったのか、どこにもほとんど書いたことはなかった。? イザヤ書53章と黙示録11章1-12節及びダニエル書9章24-27節は、聖書の三本指に入る筆頭格の重要個所であり、これらは3つとも十字架を示している。喩えて言えばイザヤ書53章が静止画像なら、黙示録とダニエル書の指摘個所は動画である点のみが違う。さて私が重大な関心を抱くのは「十字架にかかって死に、そして復活する」という... [続きを読む]
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- 2007/04/06 01:13「現世利益」について -B・A・ブレナンを手がかりに
- (新宗教を除く)伝統宗教の人はシタリ顔をして、「現世利益」を否定して教える人が多い。だがヒーリング界のバ−バラ・アン・ブレナンは『癒しの光 上』(河出書房新社)の中で、ブレナンはこの本で、「ホログラフィー理論」を強く説いている。そしてこれが私には華厳経の思想とダブって見えるのである。またブレナンは以下のようにも述べている。前提7:「意識が現実とその現実内での経験を創りだす」。影響:(中略) 1 「... [続きを読む]
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- 2007/03/31 09:48白隠禅師 坐禅和讃
- 況んや自ら回向して直に自証を証すれば自証即ち無証にてすでに戯論(けろん)を離れたり因果一如の門ひらけ無二無三の道直し無相の相を相として行(ゆく)も帰る余所ならず無念の念を念として謡ふも舞ふも法の声三昧無礙の空ひろく四智円明(しちえんみょう)の月さえん... [続きを読む]
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- 2007/03/25 07:25「内観」と「祈り」
- §1ある方が小生に「内観」を強く勧めてくださっている。内観とは、しかるべき施設で泊まり込みで所定のカリキュラム内で、「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑かけたこと」を、専ら考え続けるものである。そうして自分自身の姿がよく見えるようになるというものである。私自身は内観の経験がないので勧めることも止めることもする立場にはない。だが各種心理療法等を勉強した立場からは相応の効果を期待できるものと... [続きを読む]
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- 2007/03/25 02:04宗教教育する側の立場の者がとるべき態度
- ネット上で、ある人が私を[宗教]教育しようとして、いろいろ言ってきたことがあった。だがその人は自らの位置を、私と対等な立場ではなく、常に上から下に向かっての態度を一貫してとり続けた。そしてその状態は、関係の最初から最後まで一貫して続いた。そして自己の危険負担はゼロで、自分は常に安全な物陰に潜んでいて、堂々と身を隠さないでいる私の背後からやったののである。だが、これは決定的な誤りであり、これは宗教教... [続きを読む]
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- 2007/03/25 01:19耶蘇善財への嫌みの一例
- 298 :小谷野敦『評論家入門 清貧でもいいから物書きになりたい人に』:2007/02/21(水) 13:20:00「いまインターネットのホームページなるものを覗くと、まあ実に多くの人が、たくさんの本を読んではその感想文を日記のようなものに書きつけている。実のところ、レヴェルの高いものは高いが、低いものは恐ろしく低レヴェルで、読んでいて不快になることも少なくない。おそらく彼らは、自分の書いたものを人に読んでほしいのだろ... [続きを読む]
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- 2007/03/25 00:16耶蘇善財の描く「キリスト像」と、耶蘇善財の器の大きさの関係
- 360 :名無しさん@京都板じゃないよ :2007/02/24(土) 18:42:49 「山より大きなイノシシは出ない」という。ことわざの本来の用法とは違うが、自分の器より大きなキリストは描けないのではないか。 漏れもそうだが、耶蘇善財も自分の大きさに合わせてキリストを描いているのだと思う。それは、或る意味、当たり前のことであり、仕方のないことである。 私を見下しての、上記の投稿があった。私は特に反応することもなく黙殺した。... [続きを読む]
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- 2007/03/20 01:39「仰げば尊し 我が師の恩」 (師弟関係について)
- 仰げば 尊し 我が師の恩教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)思えば いと疾(と)し この年月(としつき)今こそ 別れめ いざさらば互(たがい)に睦し 日ごろの恩別るる後(のち)にも やよ 忘るな身を立て 名をあげ やよ 励めよ今こそ 別れめ いざさらば朝夕 馴(なれ)にし 学びの窓蛍の灯火 積む白雪忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月今こそ 別れめ いざさらば1番は卒業生、2番は在校生、3番は卒業... [続きを読む]
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- 2007/03/19 06:32リスト: 読んではいけない本
- 読んではいけないੑ
2;『原理講論』「統 968;=原理協会」(「 19990;界基督教統一神霊 協会」)のテキスӠ 8;。荒唐無稽な... [続きを読む]
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- 2007/03/16 15:34アルバム: 辨榮聖者御尊像
- 辨榮聖者御尊像辨ઑ
4;聖者御尊像(「複# 069;自由」の書物より 21462;り込んだもの)で すが、軽量化を図Ӛ 6;ました。... [続きを読む]
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- 2007/03/08 23:54密教の法具と「気」の世界
- 私が画像を掲げている弘法大師空海が手に持っているのは密教の法具の一つの金剛杵(五鈷杵)である。必要を感じてその必要を満たすことができるなら、その人がそれを使うのも良かろうとは思う。だが本当は同じことをするなら徒手空拳・素手でできるほうがより好ましいという考えを私は持っている。また九字の印その他印契は密教・修験道・道教・古神道問わずどれにも存在する。そして気功の達人なら、印を組むことによって気の流れ... [続きを読む]
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- 2007/03/08 23:20師弟関係について
- 華厳経の「入法界品」は、登場する善財童子が53人の善知識から学び取る求法物語である。 私は師弟関係というものを大学一年時より非常に重視してきた。そしてそれぞれ師事した諸先生方から学び取れるよう努めてきた。とにかく何事かを学ぶに価する方のお側に接すること、一緒の空気を吸うことが大事なのである。人と人の情報交換は文字情報による「教授法」だけでなく、釈尊が摩訶迦葉に伝えた時の「拈華微笑」の故事のように文... [続きを読む]
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- 2007/03/05 21:34耶蘇善財とキリスト教神学
- 誤解を招かぬよう何度でも言うが、私はキリストの為に命を張る意思に変わりはない。祈りは今も毎日の習慣である。 ただキリスト教と一口に言っても、ギリシャ正教やロシア正教等の東方教会とローマカトリック教会とevangelischな"プロテスタント"諸派があり、プロテスタント神学一つとっても、聖書神学/教義学/歴史神学/牧会神学/とあり、神学専攻でもない自分には時間がいくらあっても足りんのである。 さらに言う... [続きを読む]
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- 2007/02/23 14:21リスト: ブログ村
- ブログ村仏教ブロӞ
4;ランキングバナー 398;テキスト版リンク 12391;す。ポチっと押し ていただくだけでಈ 0;構です。にほ... [続きを読む]
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- 2007/02/21 23:46ブック リスト: 気功[と宗教]
- 気功[と宗教][気の
;治療]大事典新人物 往来社。別冊歴史ෞ 1;本 特別増刊99 <<こӚ 8;一冊でまるごとわ 363;る>>シリー... [続きを読む]
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- 2007/02/19 23:44師の衣鉢(法灯)を受け継ぐ
- 私の最大の得意技は「自分が師事した諸先生方の衣鉢を受け継ぐこと」である。多くの一流の先生方の老成した時期の最もおいしいところばかりを食べてきたのである。しかも善財童子の故事のように、私も一人の先生に師事し、ある程度の年数学んだ頃に、その先生を神は冷酷な仕方で私から取り上げ、そして必ず次の先生が与えられてきた。気が付いたらそうなっていただけであって、私は別に何の真似をした覚えもなければ、意図的にし... [続きを読む]
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- 2007/02/19 03:28耶蘇善財と宗教哲学
- 哲学界では宗教哲学専攻の人でも「○○さんは仏教」「○○先生はキリスト教」とかいう風にカテゴライズされて見られるのが普通だ。 だが本当にそれでいいのだろうか?聖書は正典だけなら創世記から黙示録まで66書。仏教も代表的な経典なら、華厳経、法華経、涅槃経。人類の偉大な古典の原典だけなら一生かけても読めないということもなかろう。また老子/荘子、四書五経も読まずにすますわけにもいかないだろう。もちろん仏教の... [続きを読む]
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- 2007/02/19 03:20再び二等兵から歩む
- 私はこれまでの過酷な境遇をただ己が生き延びたい一心で死にもの狂いで歩んできたせいか、キリスト教については相応に悟るところがあった。しかしいつまでもそれに安住するのもよくないと考え、仏教の世界へ再び目を向け、二等兵から歩んでみたいと思った。 念のため申し添えると私の"キリスト"に対する態度はいささかも変わることはない。昔の白樺派等の文学者などに見られた、一時期キリスト教に関わるがその後離れて... [続きを読む]
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- 2007/02/19 03:14耶蘇善財と仏教のなれそめ
- 私と仏教の最初の接点は何時何所でかという話である。自分は今は耶蘇だが元々は禅宗、特に曹洞宗の教育を受けている。曹洞宗系の高校の出身である。道元禅師の語録である『正法眼蔵随聞記』を読みながら、いつも道元禅師の説法を聴いている雲水の姿をイメージしていた」というのが実態に近いかと思う。ただ、この禅寺仕込みの精神、なかなか役に立ってくれている。 キリスト教というのは、世間の軟弱なイメージ(「弱者のルサン... [続きを読む]
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