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- 2007/11/27 22:55 石垣山城 〜もうひとつの駆け引き〜
- 小田原城を取り囲む豊臣秀吉軍の石垣山城でもうひとつの駆け引きの幕が降りようとしていた。秀吉が九州を鎮圧していたころ、奥羽の諸将たちは、様々な動きをしていた。中でも伊達政宗は、あわよくば奥州王として天下を望んでいた。しかし、登場が遅すぎた。しぶしぶ石垣山の秀吉のもとへ出向いた政宗。・・・・秀吉は普請場にあらわれた政宗をみるや、 にこにこと笑いかけながら、手招きをした。 ... [続きを読む]
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- 2007/11/24 21:17 石垣山城 〜突然現れた絶望〜
- ・・・・豊臣秀吉は、山中城を攻め落としたのち、 箱根・湯本の早雲寺へ、仮の本陣を置いた。 「急くな」と秀吉は 「ゆるりと攻むるがよい」 悠々たるものであったが、そのうちに、 「城を築くとしよう」といい出した。・・・・真田太平記〈3〉上田攻め (新潮文庫)より抜粋関白秀吉の余裕の小田原攻めである。天下の堅城小田原城を攻めるにあたって秀吉の取った戦法。籠もる北条 ... [続きを読む]
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- 2007/11/20 22:12 小田原城 〜戻せない決断〜
- 後世の人々は、「あの時こうしていれば...」と、思うことは多い。「歴史に if は禁物」とはよく言ったものだ。歴史ではなくても我々の身の回りでもそうだが...関白秀吉の小田原攻め。俗に言う「小田原評定」。油断していると現代でも言われがちだ。・・・・「箱根の天険を利して、敵を迎え撃つがよろしい」 一歩もゆずらぬ。 箱根の山々は、小田原城を囲んで屏風のように、 そびえ立 ... [続きを読む]
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- 2007/11/18 14:49小田原城 〜走り続けた跡に〜
- 北条早雲八十一歳。彼が走り続けた跡に残ったものは何か。小田原城を得た後はひたすら領国経営に努めた。・・・たとえば、晩年、馬泥棒を警吏がつかまえた。 法を確立するために、早雲一代においては そういう者までかれ自身が裁いた。 馬泥棒はみずからの非をみとめたが、しかし、 「わしが盗んだるはたかが馬じゃ。 国をお盗み遊ばした方があれにおわす」 と、早雲を指さしたとき、か [続きを読む]
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- 2007/11/13 23:48 小田原城 〜箱根越え〜
- 下克上の先駆者。国盗りの大悪党。様々な代名詞を欲しいがままにした伊勢新九郎こと後の北条早雲。しかし、京から出て、己の才覚だけで駿河、伊豆と勢力を伸ばし、小田原を手中に治められた背景には、領民に寛大で、家中の者を大事にしたという事実も認められる。・・・・(小田原を討とう)と、決心した。 敵は、甲斐の武田ではなく、相模小田原の 大森氏であるという肚が、富士の稜線よりも ... [続きを読む]
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- 2007/11/10 23:36 二条城 〜終止符〜
- 最後の将軍、徳川慶喜は二条城の大広間に幕府役人を集めて言った。 ・・・・「いま天下の諸侯はもはや戦国のころように割拠している。 幕府の威令おこなわれず、召せども来ぬ。 このままでゆけば日本は三百の大小国に分裂するしかない。 徳川家が政権を返上しさえすればそれが一つにまとまる。 すべては天下安寧のためである。 神祖は ... [続きを読む]
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- 2007/11/03 22:36 二条城 〜ほとがら〜
- 幕末の京都。泣く子もだまる新選組。その局長、近藤勇のある一面を紹介している下りがあった。 ・・・歳三は、近藤の部屋の障子をあけた。 「おっ」 棒立ちになった。 近藤が、真白ですわっている。 「どうしたんだ」 「これか」 近藤はにこりともせずに自分の顔を指し、 「ほとがらよ」・・・・<司馬遼太郎/燃えよ剣(上)/新潮 ... [続きを読む]
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- 2007/10/23 23:03 二条城 〜世紀の対面〜
- 秀頼が大坂ににいる限り、上方の民は豊臣びいきである。将軍職を秀忠に譲り、徳川幕府を磐石にしたいと考える家康にとってまさに目の上のたんこぶは秀頼、豊臣家のこと。そこで、徳川の京都の拠点である二条城に、秀頼上洛の命を発した。上方においては、すでに豊臣から徳川の時代に変わっていることを家康存命中に知らしめねばならない。果たして、秀頼上洛。街道を埋め尽くす故太閤を偲ぶ民衆。皆が、 ... [続きを読む]
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- 2007/10/20 20:00 萩城 〜伝統の秘密儀式〜
- 大毛利家120万石が関ヶ原の敗戦で、防長2カ国38万石に封じ込められた。時の君主、毛利輝元は「もう破産したい」というようなことを漏らしたとか。理由は、解雇されたにも関わらず、「無禄でも構わないからそばに置いて下され」と言ってやまない旧家来が多かったそうだ。そんな混乱の中、始まった徳川政権。毛利家としても幕府から無用な疑いを掛けられないよう努力を強いられる。萩に本城を移したのもそれと ... [続きを読む]
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- 2007/10/16 22:44 萩城 〜脅威迫る〜
- 「萩にゃ行きたし 小倉も未練 ここが思案の下関」幕末の英雄、高杉晋作が長州でのクーデター後、次の戦略に悩んだ時期の唄である。今の萩は、古い武家屋敷や土塀などが残り、人気観光地であるが、幕末には、砲火にさらされる危機があった。決して幕府軍の脅威ではなく、同じ長州人の高杉晋作の戦略であった。 ・・・軍艦がお城の海の近くまで押し入ってきて、 それ ... [続きを読む]
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- 2007/09/27 21:00 高知城 〜風雲〜
- 高知城は戦国時代の終わりに誕生した城である。その後、維新前後に戦場となった城は多いが、この高知城は、維新史で別な角度で登場した。土佐藩参政、吉田東洋の暗殺現場である。坂本竜馬を題材にした小説や時代ドラマでは必ず出てくる。雨の夜、草履取り一人とともに下城してくるシーンだ。この事件を取り扱った短編小説に司馬遼太郎の「土佐の夜雨」がある。「幕末」/ ... [続きを読む]
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- 2007/09/24 15:04 高知城 〜名城誕生〜
- 司馬遼太郎の「巧妙が辻」四巻/(文春文庫)に高知城を築く際の話が出ていて興味深い。関ヶ原の合戦後、土佐24万石に入国した山内一豊は早速、上方風の城郭を築こうと考えた。場所は大高坂山と呼ばれていた。長曾我部元親もここに城を築こうと思ったが排水の悪い土地だったため、あきらめた経緯がある。河内という名のその土地を、 「河内という名では水難がありそうで縁起 ... [続きを読む]
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- 2007/08/14 13:49 上田城 〜軍事芸術家のひとり舞台〜
- 上田城 その2どうしたらここまで巧く出来るのか?再び真田軍が徳川軍を翻弄した。関ヶ原での大会戦が行われる直前に、上田城で真田昌幸、幸村父子がまたしても徳川軍に戦いを挑み、関ヶ原に向かうはずの徳川秀忠軍を足止めした。この有名な下りは様々な小説に出てくるが、ここでは「真田太平記/池波正太郎/新潮文庫」から引用したい。家康本隊と別行動を取っていた秀 ... [続きを読む]
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- 2007/07/15 21:38 上田城 〜名声を広めた渾身一滴の防戦〜
- 現在の上田城を見ても、古地図を見てもなぜ、この城郭の造りで徳川軍を二度も撃退出来たのか不思議に思う。小説を読むと、小気味の良い変幻自在の戦術で徳川軍を翻弄し、攻め悩ましたシーンがありありと思い浮かぶ。そんなことで、上田城を訪れてみたが、容易に小説のシーンと符合しない。それはともかく、第一次上田合戦とも神川合戦とも呼ばれる徳川軍との攻防戦は戦国時代 ... [続きを読む]
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- 2007/05/13 21:16 姫路城 〜英雄を育てた地〜
- 黒田官兵衛についてもうひとつ。司馬遼太郎の「播磨灘物語/講談社文庫」には、黒田家は近江黒田村の出だが、後に備前福岡に移り住んだと書かれている。そして、官兵衛の祖父重隆の時に姫路に移り住み家伝の目薬で一躍、身代を大きくした。さらに、この元手で近在の人々に無担保、低金利で貸し出した。当時としては破格のふるまいだった。その代わり、この人々を一時 ... [続きを読む]
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- 2007/05/04 23:37 姫路城 〜英雄、幻の外伝〜
- 姫路城が出てくる頃の歴史小説には、もう一人忘れてはならない人物がいる。いや、忘れるわけはなく、別な意味でのスポットを当てなくてはいけない。黒田官兵衛である。あまりにも有名すぎて、いまさらくどくどと紹介してもしょうがないので省略するが、彼は歴史上のイベントで必ず名言を残した。その名言が様々な人達によって色々と変化したであろう。そんな中、自分 ... [続きを読む]
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- 2007/04/22 17:14 姫路城 〜世代交代の運命の地〜
- 織田信長の小説を読み、「姫路城」とうい名が出てくると、「あぁ、とうとう運命の時が近づいてきたか...」と思う。秀吉の小説を読み、「姫路城」という名が出てくると、「あぁ、いよいよ運命の転換期がきた!」と思う。いづれにしても、この先はじっくり、時間軸とイベントの関係、地理的なイメージを正確に掴みつつ緊張しながら、それぞれの小説を読み進めたいと思う場面だ。現在 ... [続きを読む]
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- 2007/04/08 19:03 大坂にのぼる 〜南国の蛮王を演出〜
- もう一つの「大坂入城」続編。土佐の英雄、長曾我部元親が抵抗むなしく天下を取った秀吉に拝謁する場面。元親が独力でほぼ四国全土を切り取る寸前に織田信長のあとを継いだ秀吉によって、土佐一国に戻されてしまった。「大坂の城下に入ったのは、朝の九時すぎである。沿道はびっしりと見物の群れが続いている。(何と物見高い町よ)と、元親は迷惑するおもいだった。 ... [続きを読む]
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- 2007/04/01 17:02 大坂城 〜武将たちの演出舞台〜
- 当時の大坂城は、太閤秀吉の権力の象徴として、また、秀吉亡きあとの大坂再興の拠り所として名だたる武将達を演出してきた。そんな中、「大坂入城」のシーンで何度も読み返した小説の下りを二つばかり紹介する。一つ目は真田幸村の大坂入城シーン。関ヶ原の役で西軍に与して敗軍となった真田昌幸、幸村父子。紀州九度山に蟄居となり数年が経った。徳川の世を盤石にしようと大 ... [続きを読む]
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- 2007/03/25 22:03 大阪城 〜アジア最大の要塞〜
- 「コンスタンチノープル以東における最大の要塞である。」当時の宣教師に言わしめたアジア最大の要塞。(関ヶ原/司馬遼太郎/新潮文庫より)そんな響きが、当時の大坂城を象徴するお気に入りの下りである。 全く想像できない...今の大阪城からは。それでもやっと念願の大阪城へ行ってきた。百名城のひとつ。この土地 ... [続きを読む]
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