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- 2008/12/01 22:3621-7 五体の地蔵
- 「散歩」の本文に記述はないが、略地図には「五体の地蔵」が載っている。河岸街道に出て右折、200?ほど行くと右折するT字路があった。その角に赤い屋根のお堂があった。ブロック塀の角を長方形に凹ませ、お堂の脇には樹木もあるので、反対側から来ると見逃してしまう。 お堂の前には、両側に石柱があり、お堂を守っている。お堂の中には、確かに五体の地蔵が並んでいた。上にかけられた幕で顔は見えないが、赤白の縞の前掛けを... [続きを読む]
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- 2008/11/30 18:3221-6 富士見橋?と鯉
- 「少し進み、斜め右の農道を入り、田と桑畑の中にかかる富士見橋を渡り、直進する。やがて広い通りに出る。右折しよう。約300?でバス亭「上野田」がある。」 権現橋から先には細い農道があり、直ぐ先に交差点らしきものが見えた。 道を進むと、また川があり、橋には白いガードレールの欄干があった。この橋は、赤間川・新河岸川下りで来た所であった。橋には名前の表示はなく、「富士見橋」がどうかは分からなかった。 橋... [続きを読む]
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- 2008/11/29 18:2821-5 抄道開通記念碑と権現橋
- 「野田神社を後に進むと、やがて四つ角。左折する。道はなだらかな下り坂となり、左へゆっくり曲がる。晴れた日、この付近からは、遠くに秩父連山を眺望できるという。」 野田神社の先の信号を左折する。下り坂を下りると、橋のガードレールが見え、その右手前に石碑が建っている。 石碑の前に行ってみた。一番上の字がよく分からないが「抄道開通記念碑」と読むのだろうか。この石碑について、「散歩」には何の記述もない。 ... [続きを読む]
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- 2008/11/27 22:1821-4 野田神社
- 「この隣りにあるのが野田神社である。」入間川街道を北へ進むと、道は右にカーブし、正面に八幡太郎の山車蔵が見える。 山車蔵の手前に鳥居があり、正面に社殿が見える。社殿の後ろと横には大きな樹木が茂っている。 石敷の参道を進むと、社殿は少し高い所にあり、大きな屋根が目立つ。 「通称は稲荷様といわれており、拝殿は川越城内三芳野天神社の本地堂を移築したものだという。社伝によると、元弘3年(1333)新田義貞が... [続きを読む]
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- 2008/11/26 22:5421-3 六差路から本種寺
- 「500?ほど進んだところで六差路を右折、浦和地方法務局川越支局を左手に歩く。突き当たりを右折、静寂な街並に日蓮宗覚知院本種寺がある。ロジャースの隣りにあったものを七年前にここに移築した。」 日清紡の門からだと300?ほどで六差路に出る。直ぐ右側の道に入ると、真っ直ぐな道がある。「散歩」に書いてある法務局は移転し、現在はない。 道を進むと入間川街道に突き当たる。T字路から右手を見ると、駐車場の向こう側... [続きを読む]
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- 2008/11/25 22:4621-2 ガスタンク・日清紡
- 「東上線を右手にしながら、やや前進すると左側に広大な場所を占めているのが、日清紡績?川越工場である。昭和12年11月に設立されたもので、主に綿布、刺しゅうレースを製造している。昭和はじめの川越には本格的な工場がほとんどなかったので、注目された。 右斜め前方、武州ガスの巨大な二基のタンクを眺めながら、日清紡に沿って左折する。」 西武線の踏切を渡ると、道はずっと上り坂である。右手の家並みの上には、またガ... [続きを読む]
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- 2008/11/24 17:3021-1 川越駅西口から北へ
- 《21》川越市駅西口周辺 「今回は、野田町を中心に案内する。川越駅西口に降り、駅前の通りを右手に行く。そのまま進むと400?でガードをくぐるが、その手前左側西武線の小さな踏切を渡る。この付近は単線である。」 川越駅西口ロータリーの外側から駅を撮った。「散歩」の記述に従い、駅前を右手に行く。この写真では、左手の通りを進む。 信号のある五差路を過ぎると、直線路の正面に武州ガスのタンクが大きく見えてく... [続きを読む]
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- 2008/11/20 23:1831-14 二基の馬頭観音
- 「散歩」には的場の若宮八幡神社の50?ほど南に、馬頭観音が二基建っていると書いてある。八幡神社脇の道を南下したが、どこにも馬頭観音は見あたらなかった。住宅街を探している内に、八瀬大橋の方へ行く道に出てしまい、その時は諦めた。 あとになって考えると、別の道を南下すれば、見つかるような気がした。 別の場所に行った帰りに、若宮八幡へ行って見た。今度は神社前から西へ行き、南下する道を探した。最初の道は住... [続きを読む]
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- 2008/11/15 22:04コスモス農道
- 伊佐沼と市街地の間にある松郷には水田が広がっている。その中の道を南下していると、少し先の交差点を左から右に自転車が横切った。交差点を通過しながら、自転車の方を見ると、コスモスの花が咲いていた。コスモスは、細い帯となってずっと先まで続いていた。 その道は舗装された細い農道で、問屋町から市街地に向っていた。コスモスは、交差点から市街地方向だけに咲いていた。道の南側に細い用水路があり、水路と道路の間に... [続きを読む]
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- 2008/11/14 22:29所沢街道のコスモス畑
- 所沢街道を川越市街に向って走り、上松原の雑木林を抜けると、右側にコスモスが咲いていた。農産物直売所があり、その隣りから街道沿いに咲いていた。まだ後方には雑木林が見えていた。 道を横断し、直売所の入口に行ってみた。コスモスの畑が広がり、倉庫のような白い建物のほうまで続いていた。... [続きを読む]
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- 2008/11/13 21:59川越線とヒメツルソバ
- 古尾谷八幡神社から古谷八幡通りを北東へ進む。川越線のガードを潜って直ぐ左を見ると、細い水路に沿ってピンクの帯があった。水路の南側の土手にヒメツルソバが群生していた。写真を撮り始めたとき、川越線の電車が走ってくるのが見えた。 花に近づき、低い位置から群落を撮った。密生したピンクの花が、土手幅を埋めつくしていた。 さらに近づいて見ると、赤い茎が同じ方向を向いて伸びていた。日当たりは申し分なく、新河岸... [続きを読む]
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- 2008/11/12 22:37新河岸川のヒメツルソバ
- 高沢橋から見立寺の方へ曲り、新河岸川沿いの道に入った。見立寺の下辺りで川岸の柵から下を見ると、小さな花が帯状に咲いていた。よく見ると、ヒメツルソバの花だった。 少し先の階段から河原に降りて土手を見ると、ヒメツルソバが垂れ下がっていた。上の方に陽が当たり、ピンク色に染まり、その下は日陰になっていた。 ヒメルツソバは、カーテンのように垂れ下がり、下まで届きそうになっているところもあった。これほど大き... [続きを読む]
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- 2008/11/10 22:3126-14 石川源五右衛門の墓
- 墓地は南北に長く、お堂の北側は空き地だった。石川源五右衛門の墓を探して、墓の中へ入った。 どの家の墓地もきれいに整備されていた。 「散歩」には、「将棋の盤の上に墓石をのせた格好の一風変わったものだ。」とあるのを手がかりに、石川家の墓を探した。 中央の列で南によった所に一ヵ所だけ墓石が傾いたりしているところがあり、その隣りに石川家の墓地があった。枠の中に並んだ墓石を見たが、将棋盤のような石はなか... [続きを読む]
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- 2008/11/09 17:3126-13 砂久保共同墓地
- 小泉功著「川越歴史散歩」を読んでいたら、「農兵反対の一揆」のところに、石川源五右衛門は「77歳で永眠され、砂久保地域の共同墓地に埋葬されている。」と書かれていた。 後日、その墓地を探しに行ってみた。砂久保橋を渡り、最初の右折路に入った。道は左にカーブしたあと右に曲がり、畑と住宅の間を南に進んでいた。その道を進むと、一本南側の細い道に出てしまった。住宅の東側には、畑が広がり、墓地らしいものは見えなか... [続きを読む]
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- 2008/11/08 17:3726-12 砂久保橋・石橋供養塔
- 八雲神社から「三〇〇?ほど行くと「今福」の交差点だ。そこを左折するとすぐに砂久保橋がある。近くに石川源五右衛門の墓がある。将棋の盤の上に墓石をのせた格好の一風変わったものだ。」 このときは、砂久保橋が架け替え工事中で、橋の袂にある石塔がその墓かどうか分からなかった。 先日、ここを通りかかると、新しい橋が完成していた。例の石塔は、橋の袂の木の前に設置されているのが見えた。 近づいて見ると、石塔の上... [続きを読む]
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- 2008/11/06 22:2233-17 子安延命地蔵
- 33-2安楽寺の項で、「散歩」には、次の記述があった。 「なお寺の門前には子安延命地蔵があり、この村を開いたという川田氏の子孫が江戸時代に子供の成長を祈って建立したもの。毎年八月二三日、二四日が縁日で、団子を備える習慣がある。」 この地蔵がどこにあるのか分からなかったが、山竜さんが六地蔵から数m離れた所にあると教えてくれた。 改めて安楽寺正面の写真を見てみると、道路の左脇に白い車があり、その左奥にお... [続きを読む]
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- 2008/11/04 22:3433-16 氷川神社
- 「さらに、神社から南へ五〇〇?ほど行くと、田んぼの中に小室の氷川神社が見えてくる。」 JAいるま野から行く場合も南下する。石碑の後ろの道を進み、次のY字路を右に進む。T字路に出たら、直ぐ左の道に入り更に南下すると、右手に神社の樹木が見える。 神社脇の道を通り、鳥居のある方へ行った。 石の鳥居には、「氷川神社」の額が掛かっていた。鳥居の先には、正面に社殿が見えた。 「社伝では、太田道灌が川越城を築... [続きを読む]
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- 2008/11/03 19:0233-15 二つの石碑
- 「散歩」には、「さらに、神社から南へ五〇〇?ほど行くと、田んぼの中に小室の氷川神社が見えてくる。」と書いてあるが、先に、道順が分かりやすJAの石碑を見に行くことにした。 白山神社の前を東に進み、T字路を左折し、川を越えた先のT字路を右折する。道なりに進むと、先ほど渡った川が右側に現われ、道は川に沿って進む。 二つ目の橋で右側を見ると、正面にJAいるま野があった。 橋を渡ると道は、JAの右と左に分... [続きを読む]
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- 2008/11/02 18:1533-14 白山神社
- 「やや西川越駅寄りに白山神社がある。奉納される獅子舞が、昭和五十一年、一四年振りに小ヶ谷獅子舞保存会の手で復活され、毎年華麗な舞いを見せている。」 丸彫り地蔵の後ろを通り、道なりに行くと川越日高線に出る。そのまま進むと、また大田街道との交差点に戻る。交差点を右折し、直ぐ左折する。少し進むと左側に幟のポールが見える。 道路から少し奥に鳥居があり、石敷きの参道の先に社殿がある。鳥居の左側の建物は、小... [続きを読む]
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- 2008/11/01 17:4733-13 成田山本行院跡
- 「この付近の北側、もと久保町成田山の本行院跡に、本体だけで三?もあるという大きな丸彫りの地蔵がある。小ヶ谷地区は昔から地蔵信仰の盛んな地であったと見える。」 元の道に戻ってさらに北へ進むと、右側の水路に金網のフェンスが設置されていた。そのフェンスの先の黄葉したイチョウと青い壁の家が見えた。 フェンスが切れると、家に入る橋があり、その左奥に大きな地蔵が見えた。地蔵の他にも石仏のようなものが、敷地の... [続きを読む]
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- 2008/10/31 22:1533-12 筆塚
- 「近くに、小高い塚を築いた上に「筆津可」と書かれた石碑が建っている。」 最明寺の最初の門に戻り、先ほど来た道を右に見ながら、左前方の道を進む。右から来る道とのT字路の角に、樹木に囲まれた小高いところがあり、上に大きな石碑が建っていた。その左奥には、立派な門構えの家が見えた。 地図で見ると、大田街道から最明寺の看板を見て右折し、そのまま進むとここに出てくることが分かった。 石碑の前には石段が設け... [続きを読む]
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- 2008/10/30 23:1233-11 最明寺
- 「そこから条理と入間川の間の道を南進、踏切を二つ渡りJR川越線、西川越駅の南側に出る。」 小さな神社前を過ぎると、道は小ヶ谷自治会館の脇を通る道に合流する。そこを右折し、南へ延びる真っ直ぐな道に入る。東武東上線の下を潜りさらに進むと、西川越駅の直ぐ脇の踏切に出る。これで、JR川越線の北側を一周したことになる。 「駅から南へ一キロ?ほどのところに、小ヶ谷で代表的な寺院、最明寺がある。」 駅の脇を通... [続きを読む]
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- 2008/10/28 22:2333-10 小さな神社
- お墓のところに戻って右折、南に進むとY字路がある。どちらに行っても先で出会うので右の道に入る。左にカーブしながら進むとT字路になる。右に行けば、入間川の堤防に上る道に出る。T字路の正面に石の鳥居が見え、小さな神社があった。 入間川の堤防から下りてくるとき、何度もこの前を通り過ぎていた。鳥居には額がなく、神社の名前が分からなかった。 鳥居を潜ると社殿があり、右側に石碑が建っていた。 社殿の左側に... [続きを読む]
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- 2008/10/27 22:4433-9 川越橋開通記念碑
- 「散歩」ではここから南に進むが、川越橋に上がる道の手前を左折する。細い道を入間川方向に進むと、土手の手前左に公園がある。地図を見ると、小ヶ谷公園と書いてあった。この写真は今年の五月に撮ったものだが、公園の中ほどに大きな石が立っていた。 公園に入り、石碑の正面に行ってみると、「川越橋開通記念」と彫られていた。裏を見ると、この石碑は平成二年四月に建てられたことが分かった。 公園の直ぐ先に川越橋が見え... [続きを読む]
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- 2008/10/26 18:2633-8 忠海法師の墓
- 「またそのすぐ北、道路ぎわには成田山本行院を開いた忠海法師の墓がある。」小ヶ谷自治会館の前を北へ進むと、川越橋へ上る道の手前右側に小さな墓地があった。 どれが忠海法師の墓か分からなかったが、「散歩」のイラストから推測するとこれがそうだろうか。... [続きを読む]
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