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- 2008/11/30 03:49「善勇猛般若経」を読む(38)[知恵の完成の住まい 5]
- 七 讃嘆 ・ さとりの保証された菩薩たちーその比喩の数々世尊の仰せ 「・・・・・・(省略) 善勇猛よ、この知恵の完成がだれかの耳に届き、それを聞いて彼らが信を起こし、歓喜し、真実であるとの思いを起こすようなことがあるならば、彼らの善根もこのうえなく正しいさとりをもたらす、と私はいうのである。実に彼ら良家の男子や良家の女子が、偉大な知恵への材料となるものをすでに蓄積し、さらにそれ以外のもろもろ... [続きを読む]
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- 2008/11/25 04:07「善勇猛般若経」を読む(37)[知恵の完成の住まい 4]
- 七 讃嘆 ・ あらゆるものに基底はない 世尊の仰せ 「・・・・・・(省略) 善勇猛よ、実にあらゆる存在には、とどまるということがない。それはなぜであるか。善勇猛よ、実にあらゆる存在は、とどまる場所(執藏)をもたない。とどまる場所をもたないから、とどまらない。もし善勇猛よ、もろもろの存在にとどまるということがあるならば、それらにとどまる場所が、あるいは不動の基底があるべきである。如来も、そ... [続きを読む]
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- 2008/11/19 04:34「善勇猛般若経」を読む(36)[知恵の完成の住まい 3]
- 七 讃嘆 ・ 結合と離脱 世尊の仰せ 「・・・・・・(省略) 善勇猛よ、実にあらゆるものは転倒に起因する。そして、転倒にはどんなものとの結合もなく、離れることもない。それはなぜであるか。善勇猛よ、実に転倒には実在が認められないし、また生起も認められないからである。それはまたなぜであるか。善勇猛よ、実に転倒は真実ではなく、虚妄であり、偽りであるものであり、空虚であって、そこでは、 ”転倒はこれこれであ... [続きを読む]
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- 2008/11/11 03:57「善勇猛般若経」を読む(35)[知恵の完成の住まい 2]
- 七 讃嘆 ・ 結合と離脱 世尊の仰せ 「・・・・・・(省略) このように実践する彼は、物と結合するのでもなく、離れるのでもない。感覚、観念、意志形成、認識と結合するのでもなく、離れるのでもない。心的・物質的なものと結合するのでもなく、離れるのでもない。転倒や誤った考えと結合するのでもなく、離れるのでもない。(以下、76項目について「結合するのでもなく、離れるのでもない」と説かれていますが、省略) それ... [続きを読む]
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- 2008/10/31 04:04「善勇猛般若経」を読む(34)[知恵の完成の住まい 1]
- 七 讃嘆 ・ 菩薩の心がまえと行ない 世尊の仰せ「・・・・・・(省略) さらにまた、善勇猛よ、このうえなく正しいさとりに向かって心を起していないときでも、菩薩というものは、最初から、さとりへの材料となる多くのよい行為を完成したものであり、多くの仏たちに仕えたもの、多くの仏たちにお尋ねしたもの、諸仏世尊に対してなすべきことをなし終えたものである。また、深い意欲をそなえたものであり、施しを分かち与... [続きを読む]
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- 2008/10/27 03:43「善勇猛般若経」を読む(33)[魔に打ち勝つ 2]
- 六 実践 ・ 菩薩は何ものにも依存することがない 世尊の仰せ「・・・・・・(省略) 善勇猛よ、知恵の力をそなえ、鋭利な知恵の剣を帯びるにいたった彼らは、だれであろうと(もはや)何ものに対しても依存することなく、また(現に)依存していない。それはなぜであるか。実に善勇猛よ、もし依存することがあるならば、(心も)動くし、(心が)動くときは、思い迷いも生じるし、思い迷いがあるときは、ことばのもてあそ... [続きを読む]
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- 2008/10/19 04:01「善勇猛般若経」を読む(32)[魔に打ち勝つ 1]
- 六 実践 ・ 魔に打ち勝つ 世尊の仰せ「・・・・・・(省略) また、彼は仏の教えにおいて光明を得たものとなり、一切を知るものであることに最も近いものとなる。たとえ悪魔が彼を害そうとして近よってきても、その魔の大軍を灰燼 カイジン に帰し、魔の弁説を封じ、魔の罠をすべて断ち切り、あらゆる魔族の群れ、千万の魔によっても征服されない。(「善勇猛般若経」 戸崎宏正訳 中公文庫・大乗仏典 1 p258) 私の解釈 こ... [続きを読む]
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- 2008/10/16 03:48「善勇猛般若経」を読む(31)[知恵の完成の修行 3]
- 六 実践 ・ 無知と苦の原因としての思考 世尊の仰せ「・・・・・・(省略) しかし、善勇猛よ、思考がなく、思考しないこともないとき、そのばあい、思考を正しく断つことになる。 善勇猛よ、思考を断つといっても、そこに何かが断たれるわけではない。それはなぜであるか。善勇猛よ、実に、思考するのも思考しないのも、いずれも転倒に起因するものとして非存在であるからである。それら (思考したり、しなかったりす... [続きを読む]
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- 2008/10/06 04:10「善勇猛般若経」を読む(30)[知恵の完成の修行 2]
- 六 実践 ・ 菩薩には対象的認識がない 世尊の仰せ「・・・・・・(省略) そのばあい、善勇猛よ、菩薩は、これらのあやまちを見るから、どんなものも対象として認識しない。どんなものも対象として認識しないから、どんなものも把握しない。彼はあらゆる存在をつかまえようとしているのでもなく、とらえようとしているのでもない。彼は、対象が無であること、空虚であることさえ、(把握したり)考えたりしない。 善勇猛よ... [続きを読む]
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- 2008/10/01 04:39「善勇猛般若経」を読む(29)[知恵の完成の修行 1]
- 六 実践 ・ 修行もなく無修行もない世尊の仰せ「・・・・・・(省略) さらにまた、善勇猛よ、知恵の完成を実践する菩薩は、あらゆる存在の、因と出現と没と滅を洞察するのである。(しかし彼は)どんな存在でも、それが知恵の完成に結びつかないようには(洞察し)ない。(菩薩は)あらゆる存在の因や出現や滅や道の相を明確に知る。それらの因や出現や滅や道の相を明確に知る彼は、物に関して修行するのでもなく、修行をしないので... [続きを読む]
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- 2008/09/23 04:16「善勇猛般若経」を読む(28)[知恵の完成の実践 7]
- 六 実践 ・ 心は思考するものではない 世尊の仰せ「・・・・・・(省略) 善勇猛よ、心が生起するとは、これは転倒にほかならない。善勇猛よ、心といい、心から生じたものといい、これは実は思惟を否定しているのである。善勇猛よ、実に心の本質というものは、起ることもなく、生じることもない。善勇猛よ、心は転倒を伴なってのみ起る。そのばあい、心もあらわれるが、(心を)生起させる転倒もまたあらわれる。しか... [続きを読む]
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- 2008/09/12 04:00「善勇猛般若経」を読む(27)[智恵の完成の実践 6]
- 六 実践 ・ "何々である"という邪思の否定 世尊の仰せ「・・・・・・(省略) 善勇猛よ、これらあらゆるものは(真の実在ではなく)、考察推理されたもの、観察されたもの、実践されたり実践されなかったりするものにすぎないからである。 善勇猛よ、そこで菩薩は、これらあらゆるものが、考察推理されたもの、観察されたもの、実践されたり実践されなかったりするものであることを知って、一切の実践を打... [続きを読む]
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- 2008/09/06 03:48「善勇猛般若経」を読む(26)[智恵の完成の実践 5]
- 六 実践 ・ "何々である"という邪思の否定 世尊の仰せ「・・・・・・(省略) 善勇猛よ、このように実践する菩薩は、物はこれこれであると見るのではないし、物はこれこれによってあると見るのでもないし、物はこれこれに属すると見るのでもないし、物はこれこれから生じると見るのでもない。彼は、このように物を見ないから、物をもち上げるのでもなく下に置くのでもなく、物を生起させるのでもなく滅させるの... [続きを読む]
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- 2008/08/30 03:46「善勇猛般若経」を読む(25)[智恵の完成の実践 4]
- 六 実践 ・ 実践は、何んらかの対象を浄化することでもない 世尊の仰せ「・・・・・・(省略) 善勇猛よ、このように実践する菩薩は、物という対象を浄化することを実践するのではない。同様に、感覚、観念、意志形成、認識という対象を浄化することを実践するのでもない。それはなぜであるか。実に彼は、物という対象が本来清浄(本性清浄)であることを完全に知っているからである。同様に、感覚、観念、意志形成、認識... [続きを読む]
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- 2008/08/23 04:01「善勇猛般若経」を読む(24)[智恵の完成の実践 3]
- 六 実践 ・ 実践は何かを対象とするのではない 世尊の仰せ「・・・・・・(省略) 実に善勇猛よ、菩薩は、物を対象として実践することによって、それを知恵の完成の実践とするようなことはない。同様に、感覚や観念や意志形成や認識を対象として実践することによって、それを知恵の完成の実践とするようなことはない。それはなぜであるか。実に彼は、あらゆる対象が存在を超越していることを知っているからである。すなわ... [続きを読む]
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- 2008/08/12 03:39「善勇猛般若経」を読む(23) [知恵の完成の実践 2]
- 六 実践 ・ 無実践の実践 世尊の仰せ「・・・・・・(省略) 実に善勇猛よ、あらゆる実践は実践から生じる。そして、実践を妄執することによって転倒がある。しかし、菩薩は実践を妄執しない。それゆえに、彼には転倒が伴なわない、といわれる。そして、無転倒なものとなった彼は、もはや何に対しても実践するということがない。それゆえ、菩薩の実践には実践がない、といわれる。善勇猛よ、実践がないというのは、何かについ... [続きを読む]
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- 2008/08/04 03:51「善勇猛般若経」を読む(22) [知恵の完成の実践 1]
- 六 実践 ・ 実践・修行について 菩薩の仰せ「さて実に善勇猛よ、偉大な菩薩が知恵の完成を実践するとき、彼はなんらかの存在(法)を実践するのではない。それはなぜであるか。実に善勇猛よ、あらゆる存在は転倒に起因し、真実ではなく、無であり、偽りであり、虚妄なものであるからである。すなわち、善勇猛よ、ある存在を実践するとき、彼は転倒を実践しているのであり、転倒を実践するとき、彼は真実を実践しているのでは... [続きを読む]
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- 2008/07/25 01:54「善勇猛般若経」を読む(21) [智恵とは 20]
- 四 比喩 ・ 本来清浄ということ 世尊の仰せ 「シャーラドヴァティー・プトラよ、物が清浄であるから、知恵の完成も清浄である。同様に、シャーラドヴァティー・プトラよ、感覚、観念、意志形成、認識が清浄であるから、知恵の完成も清浄である。 また、迷いが清浄であるから、知恵の完成も清浄である。また、生成のはたらきが清浄であるから、識知が清浄であるから、個体的存在が清浄であるから、六つの知覚の場が... [続きを読む]
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- 2008/07/15 04:07「善勇猛般若経」を読む(20) [知恵とは19]
- 四 比喩 ・ 無完成についての三つの比喩 世尊の仰せ「また、シャーラドヴァティー・プトラよ、たとえば虚空は、色も形もなく、見られず、実体がなく、完成したものでもない。知恵の完成もそれと同様に、色も形もなく、見られず、実体がなく、完成したものでもない。 また、シャーラドヴァティー・プトラよ、たとえば虹は、種々の色彩からなって美しく見られる けれども、しかし、これに色彩が(実体として)完成する... [続きを読む]
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- 2008/07/07 03:50「善勇猛般若経」を読む(19) [智恵とは 18]
- 四 比喩 ・ 空についての十二の比喩 また、世尊は偉大な菩薩、善勇猛にいわれた。 「たとえば、善勇猛よ、夢のなかで人は、夢のなかのものを語る。しかし、だからといって、夢のなかのものに実体があるというようなことはありえない。それはなぜであるか。まさに夢のなかのものは実在しないのに、どうして夢のなかのものに実体があるなどということができようか。それと同様に、善勇猛よ、知恵の完成も、そ... [続きを読む]
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- 2008/06/30 03:19「善勇猛般若経」を読む(18) [知恵とは 17]
- 三 真如 ・ 真如としての知恵の完成 善勇猛よ、実に知恵の完成はいかなる存在にも属さないし、また属さないのでもない。そして属し、また属さないもろもろの存在の真如、すなわち虚妄でないこと、変わることのない真如、あるがままの真如、これこそが知恵の完成なのである。 善勇猛よ、真如という、このことばは何をあらわしているのか。善勇猛よ、実にこれらの存在は、愚かな凡夫が見て(執着して)いるように、そのとおりに... [続きを読む]
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- 2008/06/16 03:17「善勇猛般若経」を読む(17) [知恵とは 16]
- 三 真如 ・ 種々相を説くことの真如 世尊の仰せ 「およそ善勇猛よ、五つの群れ(五蘊)がどのような生じ方にあると考えられるかを説くこと、それがただちに知恵の完成なのではない。そうではなくて、五つの群れがどのような生じ方にあると考えられるかを説くことの真如、すなわち虚妄でないこと、変わることのない真如、あるがままの真如、これこそが知恵の完成なのである。 (以下、本文では「知恵の完成の種々相を説... [続きを読む]
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- 2008/06/10 03:53「善勇猛般若経」を読む (16) [知恵とは 15]
- 三 真如 ・ 知慧の完成の種々相世尊の仰せ 「善勇猛よ、実に物は物としての固有の実体(自性)を離れたものである。感覚や観念や意志形成も同様である。認識も実に認識としての固有の実体を離れたものである。そしてそれらが固有の実体を離れている という、このことが知慧の完成である。 (引用者注 : 以下、本文では「智恵の完成の種々相」として,他に59項目を挙げて、上記の下線部分以外は殆ど同じ文章... [続きを読む]
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- 2008/06/01 03:52「善勇猛般若経」を読む(15) [知恵とは 14]
- 三 真如 ・ あらゆる存在の真如が知慧の完成である世尊の仰せ 「・・・・・・(省略) そして、物の真如、すなわち虚妄でないこと、変わることのない真如、あるがままの真如、これが知慧の完成である。 (投稿者注 : 以下、感覚、観念、意志形成、認識についても下線の部分が同文のため省略した) 善勇猛よ、物というが、これは物を離れている。それはなぜであるか。実に物には物は存在しないから。そしてその不存... [続きを読む]
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- 2008/05/22 03:56「善勇猛般若経」を読む (14) [知恵とは 13]
- 三 真如 ・ 知恵の完成はあらゆる存在と不即不離である 世尊は偉大な菩薩、善勇猛に向かっていわれた。 「知恵の完成、知恵の完成、といわれるが、善勇猛よ、何が菩薩の知恵の完成であるか。 (知恵の完成ばかりでなく)すべてのものの完成(すなわち、彼岸の究極に到達した状態)は、ことばでいいあらわせないものである。しかし、お前たちの理解するところに従って、私は説くであろう − 知恵の完成を... [続きを読む]
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