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- 2007/08/27 16:55『人のセックスを笑うな』山崎ナオコーラ
- 恋をメタ的に語ることのポップさ デビュー作には作家の多くが語られている。強烈なタイトルと寒いペンネーム。寒いが、異様に耳に残る。「ナオコーラはねえよ」と思いつつも、その音を頭の中で繰り返し反芻してしまう。インパクトは抜群である。まずその「ナオコーラ」という名前であるが、本書解説にて高橋源一郎が指摘しているように、「ナオコ」は堀辰雄の『菜穂子』であり、村上春樹の「直子」(『ノルウェイの森』のヒロイン... [続きを読む]
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- 2007/06/07 21:11『生きてるだけで、愛』本谷有希子
- 敷居は低く、ハードルは高くこれは紛れもない恋愛小説で、だからきっと恋愛は喪失と同義だ。あまりに安直過ぎるような破滅型の主人公は、途中経過を完全に無視して「死のう」という結論をリズミカルに導き出し、他者に当り散らす。けれども知性で飾らないこの安直さは、主人公の人としての心の動きを完全に追随しているから怖ろしい。人の心の脈絡のなさは、しばしばレトリックで隠されてしまう。突然思考が脈絡を無くして小さな絶... [続きを読む]
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- 2007/05/30 01:06『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』本谷有希子
- 絶望をもてあそぶ余裕がお前に? 畜生、面白い。切腹しようかと思った。文章のアラや戯曲的な性質等で色々な評が飛び交っているようだが、作者が(この本の中の人物が)言おうとしていることがいちいち面白くて腹が立った。 今回もまた、「認識に伴う破滅」のお話。この作品は『劇団、本谷有希子』で上演されたものを「完全小説化」したものらしい。(そもそも「完全小説」化、なのか「完全」小説化、なのかが気になるところ... [続きを読む]
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- 2007/05/29 04:00『ムーン・パレス』ポール・オースター/柴田元幸 訳
- 霊的なるものに傾倒しながらも圧倒的に描かれた肉体 なんだか『認識に伴う絶望』シリーズのようになってきたが、これもまた知ることによって一つの破滅を迎えた青年の物語である。ムーン・パレスは青春小説と呼ばれているが、それはこの物語における主人公の年齢設定のせいだけではないだろう。この話における出会いの全てが、「偶然の産物」として進行してゆく。冷静に観ると、非常に不自然な偶然。カルト的に言うなれば、「偶然... [続きを読む]
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- 2007/05/29 02:47『オイディプス王』ソポクレス/藤沢令夫 訳
- 傲慢な知性が招いた、認知に伴う悲劇 ギリシア神話の中の、オイディプス王の逸話を戯曲化したものである。ソフォクレスの『オイディプス王』はオイディプス神話の最大のソースであり、その後に出されたオイディプス神話は殆どがこれに基づいている。しかしこの「悲劇」はあくまでも「神話」の中の一部である、という事をまず確認しておきたい。我々はしばしば悲劇と神話との関係を混同してしまう。特にギリシアにおける古典につい... [続きを読む]
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- 2007/05/24 00:01『ムーン・パレス』ポール・オースター
- 霊的なるものに傾倒しながらも圧倒的に描かれた肉体 なんだか『認識に伴う絶望』シリーズのようになってきたが、これもまた知ることによって一つの破滅を迎えた青年の物語である。ムーン・パレスは青春小説と呼ばれているが、それはこの物語の主人公の年齢設定のせいだけではないだろう。この話における出会いの全てが、「偶然の産物」として進行してゆく。冷静に観ると、非常に不自然な偶然。カルト的に言うなれば、「偶然にして [続きを読む]
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- 2007/05/23 07:46『沖で待つ』絲山秋子
- それなら何も言い足すことはありませんでした。 性によって得るものは少なく、失うものはあまりに多いと思っていた。思い続けている、今でも。性を捨てたつもりでもいまだまとわりつくもの、捨てる気になって得られたもの。小手先の技などではない、おそらく非常に女性的な思考の乱雑さと緻密さを見事に体現している。 表題作と共に収録された『勤労感謝の日』は小気味よい毒舌が散りばめられている。読み進めるうちに、何故彼女... [続きを読む]
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- 2007/05/23 03:05『ぜつぼう』本谷有希子
- 太宰的、三島的なるものの先にある現代純文学。 あ、純文学が出てきたな、というのが初めの印象。自己への過剰な執着心により沈んでゆく様はいかにも太宰のイメージを想起させる。また、現実と虚像とが交錯し、互いにすり替わる気持ちの悪さは阿部公房的でもある。しかし、この作品を導く大きな流れは確実にこの時代特有の距離感を持っているのだ。 二人称で語られる主人公の自意識は滑稽で滑稽で、けれどもその言葉は「今ここ」... [続きを読む]
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- 2007/05/22 08:00『慟哭』貫井徳郎
- 泳いだ後の様な親切な気だるさが残る読了感。 決して溺れない、あくまでも読者は泳ぐことができる、親切な作品である。親切な作品というのは読後に一筋通る作品をいうのだと私は思う。私は親切さを大いに求めている訳ではないが、「ふうん、なるほどな」という感覚で読めてしまうし、「へえ、そうなんだ」という終わりも待っている。構成自体が美しいかどうかは別の問題として、非常に親切なのである。読者に対する奢りの少な... [続きを読む]
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- 2007/05/22 07:28『斜陽』太宰治
- 自己への過剰な執着と、それを照らす柔らかな斜陽 自己への執着。太宰治の小説を読んでイメージするものはいつも一人称だ。過剰な自己への執着と、強い否定、解離感覚。肯定への渇望。『人間失格』を三度目に読んだ夏から、太宰治の過剰さはいつも私の思考の端へとはみ出してくる。 『斜陽』はその名の通り、傾いて次第に沈んでゆく様が緩やかに描かれた作品である。けれどもこの作品は一見変化の無い(あるいは緩やかな)周囲... [続きを読む]
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- 2007/05/22 06:52『パイドン―魂の不死について』プラトン/岩田靖夫 訳
- 無限ループする命題への絶望的な出口 煩悩に負けそうになったときにプラトンを読むようにしている。それでも結局私は煩悩に負けてしまうことの方が多いのだが、プラトンの作品を読んだ時ほど対話というものの喜びを感じられる瞬間はまたとない。議論を吹っかけたくなる作品、吹聴して回りたくなる作品、突き詰めて対話をしたくなる作品・・・それがプラトンだ。 あの名高い『ソクラテスの弁明』よりも『パイドン』はドラマチッ... [続きを読む]
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- 2007/05/22 04:27『こどもの一生』中島 らも
- これだからB級はやめられない。 戯曲として書かれた「B級ホラー」である。B級というジャンル名を聞くとついネガティブなイメージを抱いてしまいそうだが、この小説はB級の中の一級とでも言おうか、とても良くできた作品だった。 私は『こどもの一生』が七、八年前に演劇として公演されたものを既に観ている。先日、書店でこの本のタイトルを目にしたとき、鮮やかにその舞台の様相が脳裏をよぎり、ついつい手にとってしまった。... [続きを読む]
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