京探検太 さん

京探検太さん: 姓氏のルーツ 京都探訪日記
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プロフィール

ハンドル名京探検太 さん
ブログタイトル姓氏のルーツ 京都探訪日記
サイト紹介文ルーツの史跡めぐりです。京都観光のネタにしてください。
参加カテゴリー
更新頻度情報提供61回 / 421日(平均1.0回/週) - 参加 2007/06/21 13:41

京探検太 さんのブログ記事

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  • 2008/07/02 08:58大伴氏の氏神住吉大伴神社
  • 《住吉大伴神社》所在地 京都市右京区龍安寺住吉町1祭神 天忍日命 上筒男 中筒男 底筒男龍安寺と仁和寺との間に、古代豪族大伴氏の氏神を祀る大伴神社があります。バス通りに入口がないためほとんど目立ちません。住宅密集地で駐車場もありません。とはいっても環境はとてもいいので、龍安寺から散策ついでに行くの良いでしょう。大伴氏は天孫降臨で先導した天忍日命(あめのおしひのみこと)の子孫とされ、物部氏と同じく軍事氏... [続きを読む]
  • 2008/06/25 21:16源信
  • 《源信》源信(みなもとのまこと)弘仁元年(810)〜貞観10年卒。初代源氏長者。弘仁5年(814)源朝臣姓を賜り、弟(常・定・融)とともに嵯峨源氏と呼ばれました。天長8年(831)に参議となり、天安元年(857)左大臣となりました。しかし、貞観8年(866)「応天門の変」で大納言伴善男の讒言により放火の嫌疑をかけられ、邸が包囲されました。太政大臣藤原良房の弁護により無実となりましたが、精神的ショックが大きく閉門し篭居してし... [続きを読む]
  •   関連キーワード
  • 放火
  • 2008/06/19 08:54藤原基経と堀河院
  • 《堀河院址》所在地 京都市中京区堀川通二条下ル東側現在の全日空ホテル・京都国際ホテルを含む辺りには'''藤原基経'''の邸宅堀河院がありました。名称は西側を流れる堀川にちなんでいるといいます。伝領した孫の'''藤原兼通'''(925〜977)により改修され、貞元元年(976)内裏焼亡の時には円融天皇の里内裏となりました。その後も白河天皇・堀河天皇・鳥羽天皇が里内裏... [続きを読む]
  • 2008/06/18 15:08藤原良房と東三条院
  • 《東三条院址》所在地 京都市中京区押小路通釜座上松屋町東三条院は二条通、御池通、新町通、西洞院通に囲まれた東西約130メートル、南北約280メートルに及ぶ細長い地域をいいます。 はじめは醍醐天皇の皇子重明親王の邸宅でしたが、'''藤原良房'''が譲り受け、藤原氏出身の皇妃・母后が居住する慣わしとなっていました。三条天皇(母'''藤原超子'''、一条天皇(... [続きを読む]
  • 2008/06/11 15:09藤原氏の墓所 木幡
  • 所在地 宇治市木幡藤原氏摂関家の墓地は宇治市木幡にあります。JR木幡駅から南へ行くと住宅街の中に宮内庁事務所があります。ここは宇治陵1号陵の総遙拝所で、近くには「藤原氏塋域」の碑が建てられています。陵墓は住宅地の中に点在しており、「宇治陵」として宮内庁が管理しています。ここには元慶年間(877〜884)藤原基経が藤原氏一門の埋骨所として造った所と伝えられています。明治10年(1877)藤原氏出身の皇室関係者17... [続きを読む]
  • 2008/05/21 17:38藤原良房と白河別業
  • 《白河別業》現在の京都市動物園周辺には、かつて'''藤原良房'''の別荘白河別業がありました。良房の歿後は摂関家嫡流に継承され、白河天皇の時に法勝寺が建立されました。京都市動物園内には法勝寺跡の石碑が建っています。《藤原良房》延暦23年(804)生〜貞観14年歿(872)。染殿、白河殿と称される。'''藤原冬嗣'''の二男。兄'''藤原長良'&#... [続きを読む]
  • 2008/05/20 07:58藤原長良
  • 《藤原長良》藤原長良(ながら・ながよし) 延暦21年(802)生〜斉衡3年(856)歿。'''藤原冬嗣'''の長男。同母の弟に摂政'''良房'''がいます。嵯峨天皇の寵愛を受けた弟'''良房'''に比べ昇進は遅れをとりましたが、子供に恵まれ子孫は繁栄しました。特に三男'''基経'''は良房の養子となり、この子孫から... [続きを読む]
  • 2008/05/19 07:34平安宮内裏承明門跡
  • 《平安宮内裏承明門跡 》所在地 京都市上京区下立売通千本東入田中町儀式を行う紫宸殿に対して、清涼殿は天皇の日常生活の場所として使われました。現在は民家が建っています。ここにも案内板が建てられています。... [続きを読む]
  • 2008/05/18 08:55平清盛と西八条第
  • 今や、京都市民の憩いの場となっている梅小路公園が平清盛の邸宅跡であったことはほとんどの人は知らないでしょうね。公園の片隅に説明板が立てられているだけで、邸宅跡の面影は全くありませんからね。隣接する蒸気機関車館の方に目がいきます。公園の駐車場が利用できますから、交通の便はいいですよ。《西八条第》  所在地 京都府京都市下京区大宮通木津屋橋西入る西八条第は仁安元年(1166)頃に造営された'''平... [続きを読む]
  • 2008/05/17 08:54聖徳太子ゆかりの六角堂
  • 京都市ビジネス街のど真ん中、烏丸通六角を東へ入ったビルの谷間に六角堂はあります。その名前は六角形をした本堂の形に由来します。今では華道「池坊」発祥の地として有名です。《六角堂》所在地 京都府京都市中京区六角東洞院西入堂之前248寺号 紫雲山頂法寺 西国巡礼三十三所 第十八番札所平安京遷都以前の用明天皇2年(587)に'''聖徳太子'''が創建したといわれています。寺伝では''&... [続きを読む]
  • 2008/05/16 08:40石清水八幡宮の元社離宮八幡宮
  • 京都府大山崎町に源氏の氏神石清水八幡宮の元社といわれる離宮八幡宮があります。ここは山崎は、天正10年豊臣秀吉と明智光秀が戦った「山崎の合戦」で有名な場所です。京都西山山系の南端が淀川にせまり、極端に狭くなっています。新幹線・JR線・阪急線・名神高速道路・国道171号と主要交通路線が重なり合うように通っています。その昔は、「山崎津」という港があり、まさに戦略的要地という感じです。《離宮八幡宮》所在地 京... [続きを読む]
  • 2008/05/08 10:15平安宮内裏承明門跡
  • 《平安宮内裏承明門跡》所在地 京都市上京区下立売通浄福寺西入南側'''承明門'''(じょうめいもん)は平安宮内裏内郭の南正面門です。内裏内廓は天皇のプライベート空間で、その正面玄関というわけです。昭和60年(1985)の調査で門北側の石組み雨落溝と地鎮遺構が発掘されたそうです。実際は石標よりやや南に承明門があったようです。現在は、民家や会社が建ち並び面影は全くありません。よって、駐... [続きを読む]
  • 2008/05/07 08:40蔵人所と藤原冬嗣
  • 《蔵人所と藤原冬嗣》 所在地 京都市上京区田中町 「蔵人所町屋」は蔵人の宿所で内裏の中の南西にありました。建物の北端に蔵人頭の宿所が置かれたと伝えられています。'''蔵人'''(くろうど・くらんど)は平安初期に設置された令外官で、天皇の御用をつとめ機密文書や訴訟を担当しました。蔵人は810年の「薬子の変」に際し、平城上皇側に機密をもらさないために'''嵯峨天皇''... [続きを読む]
  • 2008/04/24 07:56鳥羽伏見戦跡碑
  • 《鳥羽伏見戦跡碑》京都市伏見区中島秋ノ山町名神高速道路 京都南インタ−より南西へ300mの住宅街に「鳥羽伏見戦跡碑」があります。ここは戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見戦の勃発地といわれています。慶応4年(1868)1月3日夕方、鳥羽街道(現在の千本通)を北上していた幕府軍を、小枝橋辺りに布陣していた薩摩軍が応戦しました。近くにある鳥羽離宮跡公園には薩摩軍が大砲を発射した築山跡があります。小枝橋の近くに「鳥羽伏見... [続きを読む]
  • 2008/04/17 21:23番外編 鎌倉 源頼朝墓
  • 《源頼朝墓》神奈川県鎌倉市西御門2-6  鶴岡八幡宮から史跡巡りコースになっています。周りには学校や住宅地があり、散策ついでに参拝できる征夷大将軍の墓とは思えない気軽さがあります。源頼朝は建久9年(1198)12月の相模川で催された橋供養からの帰り、落馬が原因で体調を崩し、建久10年(1199)1月13日に死去したといわれています。享年53歳。当初、源頼朝の亡骸は勝長寿院(大御堂)に葬られ、その後、現在ある墓の石... [続きを読む]
  • 2008/04/16 15:46藤原真夏
  • 《藤原真夏》藤原真夏(まなつ) 藤原北家真夏流の祖。宝亀5年(774)生〜天長7年歿 藤原北家'''藤原内麻呂'''の長男、同母弟に'''藤原冬嗣'''がいます。平城天皇の側近でしが弘仁元年(810)の「薬子の変」に連座し左遷。後に復帰したが従三位刑部卿で止まり、天長7年死去しました。後の藤原北家の繁栄を築いたのは弟'''藤原冬嗣'''の子... [続きを読む]
  • 2008/04/13 20:16渉成園と源融
  • 《渉成園と源融》所在地 京都市下京区正面通間之町東玉水町 JR京都駅から北へ10分ほど歩いた所に渉成園はあります。200メートル四方の敷地に広大な印月池をはじめ、書院や茶室などの殿舎が点在しています。庭園内の見所を「渉成園十三景」として紹介しています。年間を通じて一般に公開され、東本願寺(真宗大谷派)の行事にも会場として使われています。拝観時間は9時〜16時、拝観協力寄付金として大人500円以上が必要です... [続きを読む]
  • 2008/03/19 19:18番外編 武家源氏の氏神 鶴岡八幡宮
  • 鎌倉へ行ってきました。厳かな感じの岩清水八幡宮とは、また違った風格を感じます。観光地鎌倉ですね。いろんな人が訪れていて名所として親しまれていますね。《鶴岡八幡宮》所在地 神奈川県鎌倉市雪ノ下2−1−31主祭神 応神天皇(誉田別尊 ほんだわけのみこと)      比〓大神(ひめおおかみ)   神功皇后(息長帯比賣命 おきながたらしひめのみこと)康平6年(1063)8月、源頼義公が「前九年の役」の戦勝を祈願した石清水八幡... [続きを読む]
  • 2007/12/03 17:27小野篁と六道珍皇寺
  • 《六道珍皇寺》所在地 京都市東山区東大路通松原西入ル小松町595 奈良大安寺の住持慶俊が延暦年間(782〜806)に創建したとされますが、その他に空海創建説や小野篁創建説をはじめ、東山阿弥陀ヶ峰山麗に住んでいた鳥部氏が建立した鳥部寺(宝皇寺) の後身説もあります。珍皇寺はもと真言宗でしたが荒廃し、貞治3年(1364)建仁寺の住持聞溪良聰により臨済宗建仁寺派の寺院として再興されました。珍皇寺が親しまれる理由の一つに小... [続きを読む]
  • 2007/11/29 00:01村上天皇陵
  • 《村上天皇陵》所在地 京都市右京区鳴滝宇多野谷陵墓名は村上陵(むらかみのみささぎ)といいます。宇多野小学校の後ろの山腹に村上天皇陵があります。福王子交差点を北へ進み、突き当たりの妙光寺の〓に陵墓へ続く参道があります。陵墓への道は整備されていますが、坂道を10分程登らなければなりません。駐車場はないので、公共交通機関を利用するしかないでしょう。村上天皇は天慶9年(946)に兄・朱雀天皇の譲位により第62代... [続きを読む]
  • 2007/11/26 00:12雨宮渡と川中島合戦
  • 《雨宮の渡し》 場所地図第四次川中島合戦で上杉謙信が千曲川を渡河した所といわれています。“雨宮の渡し”は北国街道の千曲川渡船場として古くからの交通の要衝でした。川中島合戦では戦況を左右する重要拠点であったと伝えられています。永禄4年(1561)9月9日夜、上杉謙信は武田信玄の策略「啄木鳥の戦法」を察知し、妻女山の本陣にかがり火を燃やし夜営のように偽装し、軍勢を明かりもなく“雨宮の渡し”を渡河させ川中島平(... [続きを読む]
  • 2007/11/03 18:10菅原道真〓 千代桜天満宮
  • 住宅街の細い路地の片隅に菅原道真公ゆかりの神社があります。ここは道真公の都との惜別の場所と伝えられています。向日市の史跡めぐりコースに入っていますが、それを知る人も少ないでしょう。《千代桜天満宮》所在地 京都府向日市寺戸町36祭神 菅原道真伝説によると、太宰府へ左遷となった菅原道真公が都を旅立たれ桂川を渡り寺戸辺りに来た時、1キロ先の西の岡に桜が咲いているのを見つけました。そこには見事な桜が100本... [続きを読む]
  • 2007/11/01 11:03石清水八幡 1150年の秘宝へ
  • 石清水八幡宮展を見に松花堂美術館へ行きました。重要文化財の「石清水八幡宮御縁起」2巻をはじめ、40点ほど展示されていました。私の目を引いたのは、足利尊氏御判御教書・織田信長領知朱印状・豊臣秀吉領知朱印状・徳川家康判物など当時の武家権力者の書状です。面白いのは神功皇后の「三韓退治之御矢」で、これは鎌倉時代のものだそうです。... [続きを読む]
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