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doctorさん: DOCTOR.SHIGEMORI
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プロフィール

ハンドル名doctor さん
ブログタイトルDOCTOR.SHIGEMORI
サイト紹介文ドクターシゲモリが語るサーフィンの人・物・事
参加カテゴリー
更新頻度情報提供42回 / 431日(平均0.7回/週) - 参加 2007/06/24 09:20

doctor さんのブログ記事

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  • 2008/03/13 22:55ハワイの原生爬虫類、ヤモリ
  • 人間が住みつく以前のハワイには、いくつかの種類の野鳥とフクロウ、そしてコウモリとゲッコーと呼ばれるヤモリのたぐいしか棲息していなかった。現在ハワイで、グアムのブラウン・ツリー・スネークのように猛威を奮うほど大繁殖をしている外来種の生物は、野生化したニワトリとヤギ、そして野ブタがいる。また、ハワイアン・ラッツと呼ばれる小型のねずみも大繁殖しているが、これらのねずみを退治するために輸入した天敵のマング... [続きを読む]
  • 2008/03/02 19:04南の島とヘビ
  • あるとき、ビッグアイランドやマウイ島などハワイ諸島の自然百選的な写真集を見ていた友人の一人が唐突にハワイにはヘビはいないのかと、尋ねてきた。世界第2位の熱帯雨林を有するカウアイ島のジャングルなら何らかのヘビがいてもおかしくはないが、その友人の期待を裏切るようだが、わたしは即座にいないよと返事をした。しかし、これは正確ではない。なぜならば、ハワイにはヘビとは名前ばかりの、ミミズの親戚のような小さなヘ... [続きを読む]
  • 2008/02/05 21:38波乗りの館の近況
  • 1960年代、ジェリー・ロペスと時を同じくして波乗りをはじめたポール・コーチ・ピーターソンは、1971年にフランスでロペスと再会し、波乗りの館の共同所有者となった。しかし、神経質でちょっと小うるさい”コーチ”の性格が災いしてか、いつしか波乗りの館にはサーファーたちが集まらなくなり、”ハワイアン・プロ・ティー厶”も解散してしまった。この波乗りの館に愛着を持っていた共同所有者ジェリー・ロペスもまた足が遠のいて... [続きを読む]
  • 2008/01/30 22:17ハワイの波の神様、ナルオラ
  • 3月17日、今日もノースショア一帯はよい天気だった。バックヤードやサンセット・ポイントには色とりどりのセイルが海をクルージングしている。ウインド・サーファーが目立つようになると、ノースの波乗りのシーズンは終わりになるんだと、傳次郎がポツリと言った。北東のトレード・ウインドが強く吹きはじめるからである。ロペスは波乗りの館にいた。サーフボードを片手に、サンセットの重鎮、ホフマンと話をしていた。マックスや... [続きを読む]
  • 2008/01/22 23:361983年初春、ジェリー・ロペスに起きた悲惨な事故
  • ジェリー・ロペスは、1983年のはじめに、パイプラインでスケッグを尻に突き刺すという大怪我を負った。全治3ヶ月とも6ヶ月とも伝えられるほどの重傷であった。彼はワイプアウトした瞬間、自分のサーフボードが飛んでくるのが分かったので、足で蹴飛ばしたのだが、運悪くスケッグがお尻の一番柔らかい部分を突き抜け、腸までを傷つけてしまう大怪我を負ってしまった。ジェリー・ロペスは言う。「極限に近いパイプラインは非常に飢え... [続きを読む]
  • 2008/01/15 21:141984年3月16日
  • ハワイの空は晴れ渡っていた。ワイメア・パークにあるエディ・アイカウのメモリアル碑の前では、午前10時よりエディを追悼するため、アイカウ家をはじめその関係者、そしてハワイ中のライフガードが集まってきた。6年前(1978年)の3月16日、エディ・アイカウら16名のクルーを乗せたホクレア号がタヒチに向けて出航した。しかし、その夜、大きなストームに巻き込まれ、ホクレア号は遭難してしまった。SOS信号などでホクレア号は救... [続きを読む]
  • 2008/01/07 11:27波乗りの館(やかた)、パイプライン・ハウス
  • あのパイプラインの入り口にある3階建ての家を知っているだろうか?その家は、エフカイ・ビーチに面したオーシャン・フロントにあり、パイプラインを一望にすることができる。建物の回りは高い木の塀(へい)で囲まれており、外からはなかの様子を伺いしることができない。1階はフローリングの広いリビング・ルームになっていて、庭へと続く階段状の広いウッド・デッキのベランダがついている。コンクリートで固められた前庭には、... [続きを読む]
  • 2007/12/19 00:18トリプル・クラウン・オブ・サーフィンという由緒あるサーフィン大会
  • トリプル・クラウン・オブ・サーフィン(以下トリプル・クラウン)は、その名前が示す通り、ノースショアで行われる3つの大会の総称で、3つの王冠を意味している。このサーフィン・コンテストは、1983年にフレッド・ヘミングスとランディ・ラリックによってはじめられた。フレッド・ヘミングスは、1968年プエルト・リコで行われたワールドカップ・サーフィン・コンテストの第1回世界チャンピオンで、1995年には『The Soul of Surfi... [続きを読む]
  • 2007/12/11 19:50ノースショアで行われるコンテスト数
  • 冬の間、ノースショアで行われるサーフィンのコンテスト数はいったいどのくらいあるのだろうか。あるとき、わたしは地元で発行されている隔週刊誌「ノースショア・ニュース」に、毎年秋になると掲載されるウインター・シーズンのサーフィン・コンテスト・カレンダーで調べてみた。 まずノースショアのサーフィン大会のオープニング・ゲームは、可愛らしい子どもの「メネフネ・サーフコンテスト」ではじまり、10月11日と12日の週末... [続きを読む]
  • 2007/12/07 16:43ノースショア、冬の陣
  • 日本が西高東低の気圧配置になる冬、遠く離れた太平洋上の島々、ハワイ各島の北西海岸には北寄りの西うねりが続々と押し寄せる。この西高東低の気圧配置において重要なのは、いうまでもなく東の低気圧なのだが、東低の等圧線の間隔が狭ければ狭いほど(日本の天気図上では右上)、それは強力な低気圧を意味し、またシベリア方面から張り出した西の高気圧も強く、日本は寒いということになる。では、うねりはどう関係があるのか。そ... [続きを読む]
  • 2007/11/20 23:55サーフィン世界チャンピオンの母
  • 毎年11月から12月にかけて、ノースショアでは3つの大きなサーフィン大会が開かれる。トリプル・クラウン・オブ・サーフィン(注1)と呼ばれるこれらの大会が行われるハレイワ・アリイ・ビーチ、サンセット・ビーチ、エフカイ・ビーチパークの3つのビーチには、大会直前に運営本部のキャラバンが設置される。このキャラバンのひとつにメディア担当の移動トレーラー、通称プレス・ルームが置かれている。プレス・ルームの仕事は、ア... [続きを読む]
  • 2007/11/13 00:03バレンタイン・デイ前日の大波
  • トッド・チェッサーの死は、1997年のノースショアで最も大きな事件となった。ここに住む多くの住人にとって彼の死はあまりにも身近なできごとであり、彼の死が伝えられたその日の夕方にはノースショア全体が深い悲しみに沈んでいた。また、トーイン・ロープを右の太ももにからませて肉をそいでしまったミルトン・ウイリスをはじめ、多くのサーファーやボデイボーダーたちがこの日押し寄せた大自然のパワーの前に深く傷ついていた。... [続きを読む]
  • 2007/11/05 21:07エンプティーな沖のジャイアント・ウエーブに目を向けはじめた年
  • 今から10年ほど前のできごと。将来を嘱望された一人の青年が、沖のジャイアント・ウエーブに呑まれて溺死した。名前はトッド・チェッサー。彼は3歳のとき、母親の離婚を契機に母子2人でフロリダからここノースショアへやってきた。そして、青春時代のほとんどを過ごしてきた海で事故は起きた。その日はバレンタインの前日だった。トッド・チェッサーは、28年の生涯をビッグ・ウエーブに捧げた。カリフォルニア・マーベリックの海... [続きを読む]
  • 2007/10/18 12:31テリー・アフエ
  • ライフ・ガード(注1)は、いってみれば海の掟(ルール)を守る番人なのだろう。ところが、えてして海の掟はヒトが作った掟と相いれない。矛盾だらけの人間社会の掟など大自然の前では用をなさないからだ。こうした大自然の掟のなかで生活しているライフ・ガードは、そんな社会とのルールとの狭間に悩むこともある。テリー・アフエに初めて会ったのは、まだわたしがハワイに移住する前のことだ。取材のためにノースショアを訪れて... [続きを読む]
  • 2007/10/14 20:14観光産業として売り出された、楽園ハワイ
  • 初めてワイキキ・ビーチに本格的な観光客用のホテルが建てられたのは、1901年のことだ。繊細な英国ビクトリアン調の流れをくむ華麗なシー・サイド・ロッジ、モアナ・ホテルである。その後、1927年には、南国調満点の豪奢なリゾート、ロイヤル・ハワイアン・ホテルが建てられている。トロピカル・デコ建築の傑作といわれるピンク色に塗られた歴史的建物は、 白いワイキキ・ビーチとダイヤモンド・ヘッドに一際美しく映えた。こうし... [続きを読む]
  • 2007/10/05 01:06楽園のディナー・メニュー
  • 以前、日本のPR誌の仕事で、「HAWAII RECALLS」というアート・ブックを紹介する傍ら、その本の著者、デソート・ブラウンの家を訪れたことがあった。「HAWAII RECALLS」は、古き良き時代のハワイの印刷物やレコード、アロハ・シャツなど、著者自身がこだわりを持って集めたハワイアン・グラフィックスやハワイアン・アンティークのコレクションが紹介されているコーヒーテーブル・ブックであった。ダイヤモンド・ヘッドのそばの閑静... [続きを読む]
  • 2007/09/24 13:26サメの神とハワイ伝承
  • ハワイの史実にはたくさんのサメの神や女神が登場してくる。伝承では、ペレやフラの神でペレの妹のヒイアカや他のポリネシアの神々はタヒチからハワイへと移住してくる。サメの神カモホアリイ(Kamohoali'i)は、ペレ(Pele)が最も敬愛する兄で、幸運を呼ぶ神とされている。クーハイモアナ(Kuhaimoana)もまたペレの兄弟。彼はカウラ環礁に住んでいたが、ペレの家族がハワイに移住するときに彼もハワイにやって来た。身長は54メ... [続きを読む]
  • 2007/09/18 18:58ニウヒとマノー
  • 四方を海に囲まれたハワイでは、サメは、生活のなかでさまざまな形に利用されてきた。キャプテン・クック(注14)が来島したときには、ハワイアンたちは鉄製品を異常に欲しがったという記録が残されているが、古代ハワイ社会では、ナイフのように鋭く切れるサメの歯は、鉄製品の代用品として重要な道具だった。よく土産物店などで、歯が上下に並んだサメの口の骨格が売られているが、わたしはあるとき友人の家でホホジロザメの口の... [続きを読む]
  • 2007/09/03 16:41シャーク・アタック被害者第1号は、ヌウアヌ・パアフという名前のサーファー!!
  • 記録を取りはじめてからハワイで初めてのサメによる犠牲者は、ヌウアヌ・パアフという名前のサーファーだ。日時、被害者の年齢などは不明だが、1779年のとある波のいい日、ハワイ島マリウの海岸で波乗りをしていたヌウアヌ・パアフはシャーク・アタックに遭い、臀部を噛まれ、しばらくは激痛に耐えながらサーフボードに乗って逃がれたが、ポロルー付近で死亡している。それから50年後の1828年、日時、被害者の年齢などは不明だが、... [続きを読む]
  • 2007/08/23 21:17サメの大好物は、サーファー?!
  • Pua ka wiliwili nanahu ka mano; pua ka wahine u'i nanahu ke kanawaiいつの頃からか、ロコのサーファーたちの間で満月の前後に密かに行われているのが、ミッド・ナイト・サーフィンだ。密かといっても秘密にしているわけではなく、ほとんどの人は眠りについているヨルの夜中にサーフィンに行くわけだし、何で夜中にサーフィン?と変人扱いされても困るので、そっと出かけるというわけである。真夜中といっても、晴れてさえいれ... [続きを読む]
  • 2007/08/16 22:37ハワイアンのソウル・フード
  • あるとき、世界で最も体格がいい人種はハワイアンだという研究レポートが、地元ハワイの新聞に載った。なるほど、ハワイでは曙や小錦クラスの太ったハワイアンをたくさん見かけるし、相撲ばかりではなく、アメリカン・フットボールの選手のなかにもハワイ出身の選手が重量級フォワードとして活躍している。アケボノ、コニシキ、ムサシマルと、歌のなかで日本で活躍する彼らハワイ出身の相撲取りをレゲエ調に歌い上げたハワイアン歌... [続きを読む]
  • 2007/08/03 20:53ワイアーホレのポイ・ファクトリー
  • わたしの家からカネオヘ方面に車で40〜50分走った、ワイアーホレという地区の道路脇にワイアーホレ・ポイファクトリーという看板がかかったお店がある。幅7〜8メートル、奥行きは5メートルほどの濃い緑色に塗られた小さなお店にはドアはなく、道路側に一つだけある窓からお客はポイを注文する。おいしいポイが評判のこのポイ・ファクトリーは、不便なことに木曜と金曜日しか営業をしていない。理由は簡単。毎日ポイを作るだけのタ... [続きを読む]
  • 2007/07/26 14:56タロ・パッチ
  • お米にも水田で作る水稲と畑で作る陸稲があるように、タロにも水田で作るウエット・タロとドライ・タロがある。ウエット・タロは、タロ・パッチと呼ばれる水田で作られる。タロ・パッチは、タロの水田が継ぎはぎ状に見えるところから名付けられており、正確にはハワイ語でロイ(lo''i)と呼ばれている。主食をタロに依存していた古代ハワイ社会では、水田作りはタロ・プランターの重要な仕事のひとつだった(注5)。タロ・プタンタ... [続きを読む]
  • 2007/07/17 23:18フィージー・タロ
  • ある日の午後、隣町のカフク(注1)に住んでいるサトシくんが、家にやってきた。ちょうど、裏庭で畑の手入れをしていたわたしは、バタバタという独特のエンジン音を聞きつけて、手を休めて彼を待つと、家の裏手にダットサン・トラックを回してきたサトシくんは、籘のかごを両手で大事そうに抱えて降りてきた。かごのなかには、タロ(注2)の種芋が40〜50個入っており、サトシくんは、わたしと畑を替わりばんこに見て「育ててみませ... [続きを読む]
  • 2007/07/09 15:15神々の展望台、ヘイアウ。
  • こうして、毎週一回日曜日の午前中にヘイアウの掃除に通っているうちに、わたしはヘイアウをいとおしく好きになっていた。掃除の合間、疲れた身体を休ませながら高台のヘイアウからあたりを眺める。なんといっても見晴らしがいい。ヘイアウを吹き抜ける風もここちよい。こんなところに展望台を作ったら、きっとすばらしい眺めが見れるだろうなというような眺望の開けた高台に、昔のハワイアンはヘイアウを作ったのだろう。日本の諺... [続きを読む]
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