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一休
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2016/10/05

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  • 完 〜Ⅲへ続く〜

    近頃の気持ちの移り変わりにより、気分転換も兼ねてまたブログを新しく変えることにしました。 内容は大きく変わらないものの、 修行に頼み、修行に縋り、身を委ねることで今を生きている者の、ただの日記として書こうかなと思ってます。 〜真実の探求3に続く〜 https://ikkyuw.hateblo.jp 一休

  • 人の数だけ真実あり

    このしばらく熱、風邪が続いたりして身体が深部から急激に弛み、それに伴って心の緊張もガクンと弛むことになり本音が出てきた。 さくらももこさんが亡くなってしまいなぜだか少し涙がでました。と同時に、この世にもうあまり未練は無いような気がしました。なんとなくです。 昔はちびまる子ちゃんも見ていたし、マンガやエッセイも読んだり、馴染みのある好きな方でした。 力みの無い感じとか、ちょっといい加減で軽い感じのところとかが好きですが、自分にはたぶん無いところです。 自分は真逆とも言える感じで昔からいつも、ムキになって、躍起になって、必死で、限界まで、しなければならない、という力みが常に自分にはあります。そうい…

  • 今日の日記

    いろいろとあり、ブログを書くような気持ちには無いのだが、自分の心境にはあまり触れずに日記として少し書こうかと思います。 また日々の生活や修行に対することなど、一度見直さなければならないところに来ており、瞑想修行も先へ進めるのはストップしています。 一旦リセットするために、できるだけ余計なことは考えないで修行からも意識を離そうとしているところで、 しなければ、という思いではやらないことにしています。 この前受け取って自分の物となった法具はある金剛杵だが、密教の奥義が入ったものである。 密教では最重要となる物品を用いて作られた、到底お金には変えられない特殊な法具となっている。仏陀と空海お大師様に縁…

  • 修行記録

    日付け変わったが今日また指導者のもとへ行ってきました。 伝法を受ける予定だったがそれは次回に延期で、新しい法具その他を受け取りました。 ここしばらくずっと心身共に苦しい状態にあったのだが、やっと少し好転してきたようです。 人によって霊的な進歩の仕方、その速度も、変化の流れも、伸びしろも皆違いますが、 自分はいつもだいたい、 苦しくなって波動も落ちて、底まで行って光も届かないところに行ってから、今度はバネの反動のように前より高く上がる、というような流れが多い。 陰極まって陽に転じるという流れを繰り返して、だんだん上がっているようです。 最近YouTubeで、NHKスペシャル神の数式というのを見て…

  • 因果因縁

    昨日の記事に書いたことでもう一つ思ったことがあります。 災害や災難といったことがあると、「神様はいない、神様がいたらこんなことにはならない」と考える人がいますが、 他にも、神や信仰をアレルギーの如く嫌う人もいますが、 そうした人には、実は神というものに理想を押しつけている人も多いのかもしれないという気がしました。 自分の望む、自分の思う理想が、 神によってもたらされるべきだ、神は人を満たすべきなんだ、 とでもいうような、そういう想いが心の底にあるのかなという気がしました。 それはまるで、親に理想を求める子供の姿、 何かあったら親に満たしてもらいたい、親に助けてもらいたいと求める未熟な子供の姿に…

  • 死に対するカルマ

    「神様もなにもあったもんじゃない。こういうのを見ると神様はやっぱりいないんだなと思う。」 西日本の災害の報道を仕事仲間と見ていて、仲間がそう言っているのを聞いて思いました。 多くの人は、人が死ぬことを良くないことと捉えている。 死は怖いことであり、悲しいことであり、忌むべきものであるという、そういうことが我々の心の奥底には刻まれている。 これ自体も我々人類が時間をかけて作り上げてきたカルマ、恐れという名の負の遺産である。 この恐れというネガティブなエネルギーを自ら膨らましてそれに取り込まれていく以前の、それ以前の古代人種は死は怖いとか悲しいとかいうものではなかったといいます。 ある段階まで霊性…

  • 災害に対して

    豪雨災害の被災地のことを気にしつつ日々を過ごしています。 ほんの僅かばかりですが大変さを分かち合うつもりで、少し自重して節制、節約を意識しながら過ごしています。 雨だけでこれだけの被害になってしまったことが意外というか、思いもよらないという感じです。 大いなる意思の働きというか、なにか霊的な意味や意図があることは間違いないと思います。 具体的なことまでは私には分かりませんが、浄化作用であることは確かと思います。 仏教では「共業(ぐうごう)」といいますが、集団や民族全体に共有された責任として働くカルマがあります。 このような自然災害も、より本質を辿れば人災であるとします。 今の人間、及び過去の人…

  • 臆病風が吹いたら

    躊躇ったら前へ出ろ、 躊躇い迷って身動きがとれなくなるくらいなら、間違っても失敗しても前へ踏み出せ 今日あることがきっかけでこの大事さを思わされました。 これは誰にでも当てはまることでは無さそうですが、 整体での体癖で言う「捻れ型」のある人には当てはまることと思います。 捻れ型は日本人にはとても多く、負けたら悔しい負けん気、という感性を持つ人は皆これです。 躊躇い迷うことの元が怯え、恐怖心だったとしたら、 そこで一歩引いてしまうと捻れ型は勢いを失う。前へ推し出るはずの力が身体の内に籠って停滞してしまう。 そうして身体が歪み勢いも逞しさも失う。 捻れ型はやっぱり前のめりで生きなければいけない。 …

  • 正邪の区別

    「正邪の区別」 正しく法を身につけて来ている行者にはやはりこのことを強く言っている方が多い。 「神変とはまた大小あり。世間外道もなお神変を起こす」 とはお大師様の言葉だそうです。 正しき神力は実益(悟り)につながる。 要するに人間的、霊的成熟に利益がある。 これが何よりも第一義。 外道の神変(一種の魔力)ではお陰が現れても実益が第一義にはならない。 釈尊もお大師様も、ここのところはものすごく重要視してシビアに説かれているようです。 だからこそ教えとしては霊的なこと、悪霊とか霊界のこととかはとやかく言っていない。 そうではなくて八正道とか、正しき神意に沿って生きるための心構えとなることを強く説か…

  • 日々の瞑想の話

    心境的にブログを書くような気持ちになれないでいるのだが、せっかく時間があるので少し書きます。 気持ち的に苦しいのと、未来や目的、自分自身のことが見えなくなっていて、 どうしたものか?どうするか? 濁った気持ちで過ごしているところです。 私は日々の祈り、マントラでの瞑想を日課としているわけなのだが、その大事にしているのにガヤトリーマントラがあります。 ガヤトリーマントラは有名なので興味のある人には知ってる人もいる思います。 ガヤトリーマントラといったらサティヤサイババというイメージなのですが、私はサティヤサイババを特に信仰などはしていません。 興味も湧いてないのでよく知りもしないのですが写真を観…

  • 修行日記

    苦しいものが出てくることで、壁も感じています。 「障道の因縁」をよく感じ、そうして、 超えなければならないものがこうもあるかと、立ちはだかる壁を感じることとなっています。 それらを超えるためにも、本物の強い加持力を得るためにも、瞑想行をもっとやるしかない、と強く思わされている。 出来ることなら山に籠ってひたすら瞑想行に没頭したいと思うほどの気持ちです。 が、状況が許さないので今はそこまでする時ではなさそうです。 限られた時間で行に当ててゆくしかありません。 我々にとっての瞑想行は、野球や剣道で言えば素振りです。 一番基本であり、同時に全ての要素が詰め込まれてます。 これの完成度が上がることが実…

  • 今日の日記

    東京は梅雨の晴れ間でいい風が吹いていました。 修行修行で浮き出る苦しさに対峙することに気持ちも傾き過ぎていたところで、 今日は瞑想行の後軽く気分転換に出ました。 梅雨時期は心身共に鬱滞しやすい時期です。 整体では、活元運動も動きが出にくくなる時期です。 でも一旦でるとすごく深いものまで出てくるとも言われる時です。 そして夏に向けて身体が準備をする期間でもあります。 大自然の流れとしては雨での祓いの時期とされます。 自分としては、深く沈んでる膿を出すための期間と思って過しています。 この時期に黒く濁ったものが浮き上がって来ているのは悪くないと思っています。この際もっと深く出したいところです。 池…

  • 苦しみの故に

    なぜ自分が密教の行法や活元瞑想をやっているのか。 その一番の理由が、苦しいからなのだ というのを近頃とにかく味わわされている。 状態のいい時は探求心とか好奇心とか、他の存在のためにもだとか、他の理由と思える時もある。 が、おそらく一番の理由は自分自身が苦しみから逃れるためにやっているのである。 苦しみから抜け出すため(解脱する)という方が言い方は正しいのかもしれないが、 実際の自分の感覚では、半分は逃れるためのようにも感じられる。 心身に抱えているカルマやトラウマの苦しみはごまかしで逃れることができない。 ごまかすことも避けることも出来ないことが実体験で分からされて、 それから、自分で自分を救…

  • 真言は救世者なり

    私に与えられている法縁の特徴は、 加持力を得る、ことが主眼に置かれていることだと感じています。 加持力とは、ざっくり私流に説明すると、 行者の祈りの力による救済力、とでも言うものです。 行者の扱う祈りの方法、この中心的なものが真言(マントラ)を使う方法です。 空海お大師様が開いた真言密教の元になっている大日経では、「真言は救世者なり」とされています。 真言には救済力があります。 今はインドの文化も流行りで入ってきているのでサンスクリット語のマントラもそれほど珍しくもないかと思います。 日本の密教で扱われている真言は中国を経由して入ってきているから訛っていますが、元はサンスクリット語です。 今の…

  • 密教加持

    私のやっている密教の一番中心的な修行は瞑想です。 その瞑想行は日本の仏教の言葉では「密教加持」になります。 日本の密教についても、仏教用語も含めて歴史や理知的な部分も学んでいっているので、復習や自分の中でのまとめの意味でぼちぼち書けたらなと思ってるところです。 加持については詳しく書くのはまだ控えますが少しだけ書きます。 行者としては神仏との繋りを深めるための行であるということが一つには言えます。 他者のため、あるいは他の生命(動植物など)のために加持を行えば、それら生命が本来持っている善なる力とでもいうべきものを呼び起こしたり活発化させる働きがあります。 人間で言えば病が治るとか、運命が良く…

  • 今日の日記

    この前伝法を受けてから、より一層瞑想行を軸にして過ごしています。エネルギーも大きく動いており、できる限り時間をかけたいと感じているのでそうしています。 瞑想行と、他の邪気抜きとみっちり行いながら淡々と日を送っているが、心は激しい激情にもかられている。 激しい怒り、恨みと憎しみ、自分の中のドス黒いものが行の力で出てくる。 瞑想行はある程度力が動けば心地いい。心身が調えば快がある。でもそれだけじゃない。 自分の中の錆びついてたのも剥がれ落ちてドス黒いのも溶け出す。 そのドス黒い激情にも向き合わされる。自分の真の姿も突きつけられる。 人の生きるの死ぬのってのは、綺麗事で済まされるものじゃない。それを…

  • 神仏の加護物品

    今後修行を進めて行くにあたり必ず必要になるであろうある物を上の師匠へ依頼しており、それが先日手元に届きました。 今自分にもっとも深く縁があり与えられている法の系譜はヒンドゥ、バラモンの流れを汲むものが中心的で、今回拝受した物もその系譜のもので確かな由緒のあるものでした。 ブログでも度々書いているシヴァ神です。 シヴァの御神体です。 シヴァの御神体(シヴァリンガム)は卵型のものとこの形のものとがありますが、 修行という点からはこの形のものには隠された深い意味がありそれが重要になります。 少しだけ書くと、一つには男性エネルギーと女性エネルギー(陰陽)の結合で得られるクンダリーニエネルギーに関わって…

  • レベルアップ前に起こる妨害

    もう一段レベルアップする時や、そのための何か新しいご縁が結ばれる時などに、思わぬ妨害が起こることがあります。 一種の業出しと言えるのでしょうか。 私は密教の指導者の元へたまに行きますが、その道中にスムーズに行けないことが度々あり、どうしたものかと思っていました。 朝目覚ましがならなかったり、車で行く時には渋滞で動けなくなったり、 明らかに何か足を引っ張られてるように感じることがあります。 日常の他の予定や仕事でそうしたことはまず無い、と感じるのだが、何故か密教の行に関する時ばかり変に足をすくわれるのを感じることがあるのです。 日常の予定や仕事で上手く流れずトラブルが起こるようなときは感覚で分か…

  • 亀の歩むが如く

    行果を上げるために師匠の行場へ定期的に行って修行をしたいという気持ちが少しずつ出て来ているところです。 修行をするのに最適な霊的環境の整ったところなので、もし行ければ進歩も早まるだろうと思うのだが、そのための状況が整わないのでどうにもまだ難しそうです。 仕事も休まなければならないし、旅費もかかるためそう簡単ではないです。 修行というものに焦り逸り、早く結果を求めることは禁物で、とにかくゆっくりじっくりやりなさいと言われます。 聖者は皆そう言うのだそうで、私の指導者はそう諭され、私は指導者からそう諭されてます。 よく理解はできるのだが、気持ちとしてはなかなかそうも行かずに逸ることや結果が出ずに嘆…

  • 善であるが故

    人の身体は、ネガティブなものを溜め込むと歪みます。そうして不調や病気も起こります。 それは元々、人が善なるものであるが故でしょう。 元々がネガティブなのであれば、それで身体が歪んでしまうこともないです。 人は、生まれながらにして善である、 神のわけ御霊であることが、そこに表れております。 自分の裡に神なるものが宿っていることの証でしょう。 自分の中に宿る神は、魂座と言われる座におわします。 が、この魂座が無くなると神はそこにいられなくなり元あるところへ帰ることになるのだそうです。 魔には魂座を喰らうものがあるといいます。 凶悪な魔の憑依がつよくなると、喰われて無くなってしまうことがあるとのこと…

  • 酸化を防ぐ

    先程はじめてルッコラを買ってお浸しにして食べました。エグみも消えて美味しかったです。 私の今住んでいる地域は東京ですが周りは農家が多く、道路っ端で野菜を売ってるところがあちこちにあります。採れたての野菜はやっぱり美味しいです。スーパーより安いのもいいです。 ルッコラの栄養価を調べてみたら抗酸化作用があると出てきました。他の栄養価も高いみたいでした。 抗酸化作用、これは修行においては結構重要なカギを握っています。 密教の行で学んでることですが、肉食をしないなども身体の細胞の酸化を防ぐ意味が大きくあります。 アンチエイジングとか、美容で求められる要素はけっこう修行者の求められるものとかぶります。 …

  • 今日の日記

    今やもう数少ない野口晴哉先生の直弟子であった整体指導者が今月70歳で亡くなりました。 私の活元瞑想の指導者の師匠でした。 死因は大腸がんだったそうで、整体指導者としては長生きされた方です。野口整体の指導者は愉気(野口整体流の手当て)を行うのでどうしても受け手の邪気を多くもらうのです。 整体指導者に限らず、人の身体に触れる仕事、特に治療家の方は早死にする方が多いのだそうです。 整体指導や治療を受けにくる人というのは何らかの不調を抱えて来ることが多いわけだから当然と言えば当然です。 元気いっぱいの人に触れるのではないからやはりもらう邪気も多くなると思います。 ベテランのマッサージ師の方など独特の強…

  • 死後の安否

    新たに受けた伝法の行と合わせて、龍神のエネルギーで浄化を進めています。 御神体があると流れるエネルギーがだいぶ大きくなります。瞑想行をする上ではあると無いとではずいぶん違います。 せっかくなのでしばらく続けるつもりです。 人は亡くなるとき、死に際のその心の状態によって行く世界が決まるといいます。 この世に未練のある霊や死んだことに気づかないでいる霊などは、成仏出来ずこの世とあの世の狭間に留まってしまう浮遊霊となっていると言います。 死んで魂が抜ければ肉体はただの物と化しますが、 心の状態の良かった人の遺体はきれいで死後硬直がすぐには起こらず体温(熱エネルギー)が保たれるのだそうで、 反対にきち…

  • 覗けば覗かれる

    今日近所のお寺に立ち寄り参詣しました。 敷地内は特に結界などはない普通の感じのところです。 久しぶりに参って良かったなと思ったのですが、帰りに変なのと出会ってしまいました。 観音様の像や、お地蔵様とかよく分からない人の像など、石像があちこちにあるのですがどれも変な者は入ってない様子です。(悪質ではない何かは入ってる様子のもある) いろんなのがあるので見学と思って見ていたら、裏のお墓に一番近いところに「水子地蔵」の石像があり、これだけは立派に造られており丁寧に祭られていました。 この水子地蔵に気持ち悪いのが入っていてすぐ近くで目を合わせてしまいました。 あちらが見てくるので、見なければいいものを…

  • 伝法の記録

    本日新たな伝法を受けてきました。 今回は私の指導者やその師匠達、修行のソウルグループと深く繋がってゆくための行ということです。 また地道に行じて行きます。 先日、指導者から変わった物をもらいました。 最近インドへ修行に行っていて、そこで入手してきたものでした。 ナーガーラージャ(ヒマラヤの龍王)と呼ばれる現地の龍神、それを祀る由緒ある寺院より入手してきたもので、 歴史あるこの寺院の最高司祭により開眼入魂された龍神の御神体ということです。 巨大な松ぼっくり、これがそれです。 その寺院のある山は松の木だらけなのだそうで、そこで拾った物に龍神のエネルギーを容れてもらったということです。 松の木の幹は…

  • 受ける影響 受けざる影響

    ある時期から(たしか3年前頃)数字のゾロ目を頻繁に見るようになりました。 今はたいして気にすることもなくなったが、日に何度も見るので以前はその数字の意味するところを気にして調べたりもしていました。 調べてみると、一つの数列に対してもどれが正しいのかとわからなくなるほどそれぞれ違った意味、違った解釈を言っているものがあり、知るほどに矛盾してきます。 気にしなくなってからのように思いますが、自分なりにどれが正しいのかが分かるようになりました。 強いて言うなら どれか一つが正しいのではなく、その時シンクロした意味のものがたいがい正しいのだと思います。 こういった相反する矛盾する主張、 正しいものは一…

  • 躁鬱と浮き沈み

    躁鬱病では、気分がハイな状態と落ち込むのが繰り返されますが、 人生で大きな浮き沈みを繰り返すような人もこれと似ておるように思います。 短期か長期かの違いでエネルギーの法則性としては同じことと思います。 成功して富も名声も得て図に乗っているような人は、後でとんでもない落ち込み方をしています。 結婚して幸せいっぱいだと浮かれて節操の無い稚拙な夫婦は、後でたいがい離婚してます。 これは一例ですが、 一時だけ調子が上がっていて得られる幸福感というのはやはり脆いものです。 あとで必ず反動が来ます。振り子と同じです。 こういう不安定な幸福状態(ハイな状態)は、独りよがりな状態であることが多く、周囲にもあま…

  • 重い祈り

    最近、神社で参拝後に境内で休みながら他の参拝者の様子を観ていて感じました。 祈っている、お願い事をしているその内容はわかりませんが、神前で神に向けて送っている念波とその時のエネルギーを感じて思うところがありました。 端から様子を観ていると、人それぞれいろいろな念を出してお祈りされてるのがよくわかります。 想いの乗っていない感じのものから、一生懸命必死になってお祈りしてる人まで、いろいろな方が来てますが、 粗っぽい雑な感じの祈りや必死になって祈ってるのなどは、その場の神気に全く溶け込まない様子が窺えました。 神に相手にされてない、と自分には感じられました。 粗っぽい念(エネルギー)や執着の強い重…

  • 何のため

    人は、幸せになるために生まれている人は、幸福を知るために生きている そう、信じています。 決して人は、カルマの清算のために生きるのではない そう思っています。 それでも、 カルマもトラウマも、人には降りかかってきます。しかし、 それに翻弄されたまま終わってしまうのは、正しくないと思っています。 人の運命(さだめ)はそうあるべきではない、と私は思っています。 少くとも、 本気で幸せを求める者は、幸せにならなければいけないと思っています。 私は、この自分の信じたい想いを押し通すために、これを真実にするために、道を進んでいます。 自分という人間に、求めるものを得させるため、そして、本気で求める人にも…

  • 霊場巡りの日記

    さて、 先日、神奈川県足柄にある大雄山最乗寺という曹洞禅のお寺に初めて行ってきました。数日前にたまたま画像を観てエネルギーの高いところのようだったので、思い立った勢いで行ってみました。 朝に瞑想行を行い家を出て、着いたのはちょうど昼頃でした。神社仏閣などはだいたい、なるべく早い時間のほうが清浄な神的エネルギーが強くあるので出来れば早く着きたいのだが、日々の瞑想行もあるので大概早くても今は昼近くになってしまいます。 久しぶりに来た神的なとても高いエネルギー場です。 人も少なくて良かったです。 初めて行く霊場なので特に、神仏や御眷属にご無礼の無きようひたすら礼を尽くして今では参詣します。 はじめの…

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一休 真実の探求Ⅱ 〜引導の神々〜
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