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- 2008/01/20 14:05・母が転倒
- 来熊直後、その母が私達夫婦と暮らし始めて最初の転倒をします。春の選抜高校野球のTV中継を見ながら居眠りを始めた私を居間続きの和室から目撃した母は私に毛布をどうにかして掛けようとベッドから降り、片手で部屋の柱を掴みながら右手で自分の毛布を引き剥がしては居間に転がる私の方へフラフラと踏み出そうとしたのです。そして、和室から居間への段差につまづいての転倒でした。もう、もの凄い音でした。母親としての本能が... [続きを読む]
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- 2008/01/20 14:04・鍼・灸・マッサージ
- このままでは母も私達夫婦の暮らしも駄目になると、本当にそう思いました。思い悩んだ私は、「母には姉や兄と同居した時と同じ日常を与えていては駄目だ」、と考えました。姉や兄よりも私の方が勝っているものを探しました。それが母を変えるかも知れないと思ったのです。「そうだ、母に指圧やマッサージを試みてみよう」、と思いました。周囲が嫌がる仕事や根を上げそうな仕事をコツコツと根気よく続ける事は割と私の性分にあって... [続きを読む]
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- 2008/01/20 14:03☆私の迷い
- 母の来熊直後の転倒、そしてその後に始めた必死のリハビリ。こうしたリハビリは母にも私にとっても大変な忍耐と努力を伴いました。連日、母に施した全身へのマッサージに鍼やお灸。関節が固くなってもいけません。私は横になった母の両足を私の胸や腹に当て、「足突っ張りさ、自転車を漕ぐようにして俺の胸や腹を蹴ってみてくれ」、と言っては母に蹴らせました。この運動が私の腹筋も鍛えてくれるのです。また、母の手の指の間に私... [続きを読む]
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- 2008/01/20 14:03・自分を知ってこその介護
- そんなある日、2階の私の部屋の隅に人目を忍ぶように置かれたままの古びた白いビニールバッグが私の目に入ったのです。高校、大学時代と持ち続けた[私の走り書き帳]が入ったバッグでした。本当に偶然の事でしたが、フッと思い出す事があったのです。その走り書き帳の膨大な数の誌の中の一つに次のような詩があったのです。「辛いと思う時、悲しさを憶える時、憎しみを感じる時、そして、空腹を覚える時・・、私はそんな時にはい... [続きを読む]
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- 2008/01/20 13:59・母の身体に好転の兆しが
- それからの私はためらっていた鍼を中心にしたリハビリに集中するようになりました。鍼は医療行為ですから素人は禁止されています。しかし、自分自身に対して打つ事は許されます。「もう、打つしかない」、私は母への鍼を決断したのです。朝夕に限らず、深夜にも打つ場所を変えて打ちました。後頭部、首筋から背中、腰にかけては背骨に沿って、特に母の背骨には古い骨折箇所があり、身体が右側に大きく傾いていて骨折箇所の周囲は筋... [続きを読む]
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- 2008/01/20 13:59・散歩で母の歩き癖を知った
- そこでケアマネさんに相談して車椅子を借りるようにし、母を自宅近くの立田山自然公園や八景水谷公園などに連れて行く事を試みる事にしました。散歩に連れ出しては自然の草花に関心を持たせ、関心を持ったら自分で摘むようにし向け、摘む為には屈む必要があり、屈む為には一度は車椅子から自分で立上がらないといけない・・。いつの間にか屈伸運動をしていると・、私はそんな事を母の身体に伝えたかったのです。散歩に連れ出した日... [続きを読む]
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- 2008/01/20 13:58・認知が気になり始める
- 母にとっては変化も日常化してしまえば退屈さに戻る様でした。痛みが減り始め、運動量が増え、行動範囲が広がった母は次々と新たな変化を求めるようになるのです。転倒の事も忘れ、約2ヶ月以上に渡る鍼やマッサージさえ忘れた母は、「ほら、私はこんなに元気なのに・・」、と今の自分の姿しか理解できていないのです。これは認知の典型的な症状です。身体の痛みが減ると日常的に考える内容が変わってくるのでしょうか、再び、母は... [続きを読む]
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- 2008/01/20 13:57・週1回のデイに
- 私達は退屈がる母を2003年9月26日から週に1回だけはと同じ団地内にあるデイ施設の【Yの家】に通わせるようにしました。元来、母は他人に気を遣う事もあるデイには向かないのではないかと思ったのですが驚くほど簡単にデイ通いを承知したのです。毎日が寂しかったのでしょうか。老いてくると食事の好みや性格も変化するようです。大好きだったはずの納豆や豆腐を嫌がったり、焼き魚にしても身の部分を避けて苦い内臓を好ん... [続きを読む]
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- 2008/01/20 13:55・デイ通いを止める
- 2004年2月26日、母は突然にデイ通いを止めてしまいました。丁度、母の91歳の誕生日でした。デイでの昼食中に真向かいに座るおじいちゃんが母の皿の上のかぼちゃの煮込み料理を手掴みで奪った事が原因でしたが、このおじいさんは普段から周囲に向かって空咳きをしたり、痰を吐いたりする人だったようです。母の怒りは尋常ではありませんでした。元来、母は穏やかな人というのが私達子供達の認識なのですが、認知が進んで... [続きを読む]
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- 2008/01/20 13:55・2004年3月、母との同居が1年を迎える
- 団地内にある【Yの家】へのデイ通いを止めた母は毎日の退屈さから再び我が儘になっていきます。家でゴロゴロと・・行動範囲が狭くなった母は再び歩行能力が低下し、入浴時にも介助が必要な日が増えてきます。このままでは元の暮らしに戻ってしまうと思った私は再び自宅から車で5〜6分の場所にある立田山自然公園での歩行訓練を思いつきます。「膝が腰が痛いのは生きている証拠。筋肉を鍛えれば多少の関節の痛みは消えるさ。独り... [続きを読む]
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- 2008/01/20 13:54・脳軟化って・・、/ 3作目:♪【立田山自然公園にて】を書く
- 自然認知は老化による脳の軟化が引き起すものです。軟化が進んだ脳の部位が運動機能と関係する場合には立つ、座る、歩くなどのリハビリにも限度があるといいます。言語を支配する部位の軟化が進むと言葉の呂律が回らない、言葉自体の意味や日本語自体を忘れる事もあるとか・・。だから、私には収入減による生活苦なんかどうでも良かったのです。目の前の母の老いを何とか食い止めたいとの一心でした。そして、母の回復力は凄いモノ... [続きを読む]
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- 2008/01/20 13:53・リハビリに集中、作品作りをやめよう
- 母は2004年の2月26日にデイ通いを止めたままでしたが、その代わりにひたすらに立田山自然公園での私との歩行訓練に励んで劇的な機能回復を見せました。車椅子を使わずに杖をつき、左手は私の腰のベルトを握りさえすれば1.2Km程度を歩いた事もあります。山道に忘れてきたタオルを取りに戻り、2.0Km以上を歩いた事さえありました。こうして、この立田山自然公園は母が大好きな場所になっていきます。「これはいい・... [続きを読む]
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