|
- 2007/12/24 05:25蒲生氏郷公
- 氏郷公のお墓参りに行ってきた様子を・・・このときはまだ黄梅院の紅葉がとても綺麗でまだ特別拝観中で賑わっている時です。観光客の方がいない時を見計らうのはかなり至難の業でしたこの門も創建当時のもので、桃山時代の代表建築です。門をくぐると・・・・それはとてもとても美しい風景でした・・・逆光でスギコケに日が差し込みいいショット烈観光客の方々は口々に黄梅院は最高に素晴らしく見ごたえのある寺院だと話して... [続きを読む]
|
- 2007/12/23 14:13蒲生氏郷公シャツをひっさげて戻りました!
- 長々と留守にしていましたら、さすがにランクもがた落ち殮当然の結果なのですが、蒲生氏郷公のお墓参りをしてからというもの非常に忙しくなりまして・・・嶺墓参りしたときにお願いしたおかげ??ってな訳ないのでしょうが、氏郷公作品を作ってしまいました!!が・・・疲れがピークになってしまったのか・・・体調も崩しててんやわんやだったこの頃でした。応援メールを頂き本当に感謝しております。ちょっとデラック... [続きを読む]
|
- 2007/12/08 05:21福島正則公創建の客殿
- 日曜日に行ってきました水無瀬神宮の客殿拝観なかなかアップできずに申し訳ないです嶺日中の方がギャラリーで催事をしてまして毎晩遅くなって疲れ果てて寝てしまう日々が続いているのでございますm(__)mロングランなんで寝込まないよう栄養ドリンク飲みながらTシャツも描きつつブログも更新しつつ・・・頑張りますので呆れないで下さいまし。サイトの方は・・・更新の方今しばらくお待ち下さいm(__)m本題に・・ [続きを読む]
|
- 2007/12/02 05:47宇喜多秀家公供養塔
- めっきり寒くなりましたよね地元嵯峨や嵐山はもう今が一番美しい季節です出勤時の嵐山はすでにすごい観光客の方達であふれていますよ蓮人力車の方達はもう朝の早くからフル回転みたいです最近は女の子もいるんだと・・・かなり驚いています嶺ブログの方もなかなかアップする時間をとる余裕がなくなってきて・・・新しい情報を!っという方がメールを下さるんですが・・・本当ごめんなさいです殮描くほうの時間に... [続きを読む]
|
- 2007/11/21 01:11立花宗茂公眠る広徳寺
- 左近が東京で行きたいと熱望していたお寺がありました。そのうちの一つ、臨済宗大徳寺派の寺院「広徳寺」普段は基本的には拝観謝絶となっていますが御住職の好意でお墓参りを許可して頂けました。ただ、迷ってしまい時間がかなり遅くなってしまったためお客様が来られており御住職とはお会いすることが叶いませんでしたが宗茂公の墓前に案内していただきお線香をあげることが出来ました。広徳寺は戦国時代関東一円に勢力を扶植して... [続きを読む]
|
|
|
- 2007/11/19 22:03永徳展と徳川展
- 最終日の永徳展へ行ってきました!今回は最終日の終わりまじかに行ったのが正解だったのか、待つこともなく入れましたが・・・観たかった洛中洛外図は・・・凄い人ーー;館内放送が8時になりましたので速やかに・・・っと言われてからようやく観る事が出来ました裂なんと細かな描写・・・木々の表現や人の表情・・・口が開いたまま観ていた私^^;何度も何度も時間ある限り観てまわって心に焼き付けておりました・・・涙もう... [続きを読む]
|
- 2007/11/18 12:52戦国ART祭
- 東京の代官山で行われている天下『布』武プロジェクト戦国ART祭のレセプション行ってきました。私たち初めてこのようなレセプションに参加させて頂いたのですが、非常に皆さん熱く素晴らしい方達ばかりで感動してしまいました。関西からは、彦根のSAMURAISMartのデザイナー立澤氏が来ておられまして、お話させて頂きました。そして、持っていってたTシャツを見ていただく事が夢叶いました烈三成Tシャツを見て... [続きを読む]
|
- 2007/11/10 01:05織田信長が作庭させた真如院
- なんだか忙しさにかまけてブログを アップする時間もなく一週間が過ぎて しまいました。来週の金曜日より東京へ行く予定なんで 又、少しアップすることが出来そうにないので・・・・。 そう、来週東京の代官山において「もののふ」さんと「六龍堂」さんが 主催されている『天下『布』武』が開催されます。それに行ってこようと 思っています。それと、東京にある宇喜多秀家公のお墓にも烈 こんな私たちが行ってもよいのかと... [続きを読む]
|
- 2007/11/02 01:40次は宇喜多Tシャツです
- 寒くなりましたねぇ~ 私は今心も結構寒い状態です殮 今日は大ちょんぼしてしまい かなりブルー入ってます。 パートナーの左近には自分が間違ったんだから 自分で考えなさいと叱られ・・・・輦 静かに注文のTシャツ描きながら更に反省しておりました。 気分を入れ替えないといいのが描けないと思い 新作をお披露目することにしました。 数点出来てからと思ってましたが ジャ~ン!! って大げさな事じゃないですが・・... [続きを読む]
|
- 2007/10/28 22:39狩野永徳展
- 今日は体調が悪かったのですが、 ずっと待ち続けてた「狩野永徳展」に 行ってきました。 狩野永徳 狩野松栄の子で狩野元信の孫にあたります。 織田信長公や豊臣秀吉公という天下人に仕え安土城 聚楽第、大坂城などの障壁画を制作されました。 永徳が力を振るった作品は建物と共に滅びてしまった ものが多くて現存作品は10点に満たないとされていました。 なので、奇跡的な展覧会とまで言われています。 覚悟はしてたのですが・・ [続きを読む]
|
- 2007/10/25 21:18長曾我部盛親公Tシャツ披露です。
- ようやっと盛親公Tシャツが仕上がりました獵 mixi の長曾我部最高委員会「戦雲の夢」会長さんの 熱い思いにより、制作したシャツです。 盛親公のイメージを会長さんに聞き、それぞれの思いがあるので いろいろな案が出たのですが最終はやはり会長さんの思いを尊重 させていただきまして蛟竜が盛親公にぴったりだと決まりました。 蛟竜は、自らの力を発揮できずにいる有力者を言い表す語でもあり、 深い湖や池の底に住むと考... [続きを読む]
|
- 2007/10/23 01:54千利休ゆかりの大徳寺金毛閣
- この大徳寺楼門(金毛閣)は、改修に当たり利休自身の雪駄履きの木像を楼門の二階に 設置して秀吉公にその下を通らせたという、いわくつきの門で非常に有名です。 金毛とは、金色の獅子のことで悟りを開いた名僧のことを指します。 そのため秀吉公の勘気にふれ堺での蟄居を命じられました。 その後前田利家や古田織部などの大名である弟子達が奔走し助命を申し出るが 適わず京都の聚楽屋敷内で切腹を命じられました。 門の上に像を [続きを読む]
|
- 2007/10/14 22:09大友宗麟公のお墓参り
- 武将ゆかりの場所へ行くとやはり お墓参りはついてまわります。このブログを 見ていただいてる方々はきっと、この人達は毎週お墓参りを している人達だと思われるかもしれないですね・・・怜 けれど、敬愛する戦国武将達への礼儀は尽くさねばならないと 思っています。それに、私などはその度に、日々の 振り返りを、出来るようになりました。 自分自身の中での反省点など・・・ まぁなかなか直るものではないのですがɾ... [続きを読む]
|
- 2007/10/13 23:03織田信長公の菩提寺 総見院
- 今日は、信長公の一周忌の追善のために秀吉が建立した 大徳寺塔頭の『総見院』へ行き信長公の墓前へお参りに 行ってきました。 創建は、天正11年(1583)で創建当初は 寺勢隆盛して、広大な境内に豪壮な 堂塔が建ち並んでいたといわれています。 明治初年の廃仏毀釈により、堂塔や多くの宝物が灰燼と化し 大正年間に再興されました。 この鐘楼は、創建当時のもので鐘・鐘楼共に重文に指定されています。 信長公の家臣、堀久太郎... [続きを読む]
|
- 2007/10/08 16:44番外編 足利尊氏将軍との妙な縁
- 今日は、等持院へ伝、長谷川等伯筆の豊臣秀吉公像が一般公開されると知り等持院へ行ってきました。そこで、桃山文化とは全く関係ないのですが、妙な縁があったのでブログに載せることにしました。伝、長谷川等伯筆は撮影の許可が得られなかったので紹介はできないのですが、ほんの少しは関連ある建造物があるので最後に紹介します。等持院は、応仁の乱などの戦乱に見舞われて幾度も焼失することがあったそうです。しかし、豊太閣も... [続きを読む]
|
- 2007/10/06 01:59豊臣秀頼公と三寶寺
- 慶長20年(1615) 5月7日の大坂 夏の陣の合戦で 豊臣方は敗退。 大坂城の天守閣にも火が入って落城した。 この時、秀頼と淀殿の二人は近臣達数名と共に、山里曲輪 に避難し、千姫を介して徳川方に助命の嘆願を行っているが 助命は許されず、翌5月8日井伊直孝らの鉄砲隊の一斉射撃 のあと蔵に火を放たれて秀頼・淀殿は命をおとす。これにより、 豊臣家は滅亡してしまうことになる。 慶長20年の夏の陣から16年経った寛永8年(163 [続きを読む]
|
- 2007/09/30 21:41安国寺恵瓊と建仁寺
- 建仁寺と安国寺恵瓊の関係は、建仁寺が応仁の乱の兵火にかかり堂宇を焼失したのですが、安国寺恵瓊の助力によって慶長4年(1599)の七月に安芸の安国寺の客殿が建仁寺に移されて、念願だった方丈が再建されている。しかし、安国寺恵瓊の再建した方丈は、昭和9年の室戸台風で倒壊したのですが、重文とあってそのまま再建されたようです。台風による倒壊前は海北友松の筆による障壁画納まっていたようです。が、昭和13年に再建さ... [続きを読む]
|
- 2007/09/27 02:31斉藤道三遺言状のある妙覚寺
- この間、妙覚寺へ5月以来かな・・・ 行ってきました。この妙覚寺は、非常に戦国武将との関係が深く洛中洛外屏風図にも妙覚寺の広大な伽藍が描かれています。ちょうどこの日は壇さんのお知り合いの方と3人で拝観してきたのです。京都に来られたらぜひとも行ってほしい空間です。観光客の方はまばらですし、ましてこの時期はのんびり出していただいたお茶と菓子をいただきながら緑豊かな庭を眺め、つかの間の静の空間へと誘ってく... [続きを読む]
|
- 2007/09/24 22:55真田三代ゆかりの地 真田庵その2
- この写真は真田幸村公の碑です。昌幸公のお墓の奥に立てられています。又、昌幸公のお墓の左奥には 真田大助の供養等があり、真田三代の御霊と真田家重大の宝物である毘沙門天を合祀した「真田地主大権現」として広く知られています。その横に、真田家臣一族のお墓もあります。又、この真田庵には宝物資料館もあり、中へ入ると入館料(200円)を入れる筒状の入館料箱があり一人一枚真田幸村公の肖像画のポ... [続きを読む]
|
- 2007/09/24 03:13九度山・真田庵その1
- 今日は電車で二人和歌山の九度山まで来ました。九度山・・・・そう、真田昌幸公が蟄居生活をしていた地です。南海電車にゆられ着いたのは一時前。昔懐かしいレトロな駅・・・・そして、目的地は真田庵です。国道を通らず真田のみちと名のつく商店街をテクテク間違ったのでは?っと思いながらのんびりと歩いて行くとって、もっとこちらは涼しいと思ってましたが怜アツイィ~~ちゅうねん・・・嶺っとでっかく六文銭が?... [続きを読む]
|
- 2007/09/21 00:01秀吉公が認めた画家 海北友松
- 黒谷真如堂の画家海北友松のお墓参りに行ってきました。かなりわかりにくい場所・・・一番奥まった場所に真如堂はありました。かなり迷いました・・・嶺海北友松は、桃山時代の画壇において非常に異端な存在です。性派は、源氏友松は、字近江国出身で、海北綱親の五男(三男という説もあります)として生まれたのですが、父綱親は戦国大名・浅井長政の家臣で「浅井家第一の剛の者」と謳われた武将です。斉藤内蔵介利三や羽柴... [続きを読む]
|
- 2007/09/17 16:00豊臣家の若武者木村重成公
- 本題に入る前に、昨日の続きを・・・。 三成公の像に挨拶をし線香もあげてきました。 ただ、時間的に間に合わず龍譚寺内は拝観 することは出来ず・・・残念殮手を合せた後イベント会場へと行ったのです。開幕式の様子は三成会の会長をされてる方のブログを見ていたので出来れば一夜城の最終日は是非にと思い会場へ。想像以上にこれまた女の子達が沢山でかなり面食らってしまいました。なんだか・・・大阪城ホールのジャニー... [続きを読む]
|
- 2007/09/17 01:48佐和山城跡
- 今日は佐和山城跡へ行ってきました。一度佐和山城跡には龍潭寺より登ったことがあるのですが今回は8号線の佐和山遊園前より登ることにしました。その入り口付近にある地図が上の地図です。登る前から前と違う現象を見ることになったのです画像は載せることはできないですが、すれ違う人すれ違う人全て女性なのです聯今日は特別な日だからと軽く思っていた私達・・・。それは、ほんの序章にすぎませんでした。まず、女郎谷へ... [続きを読む]
|
- 2007/09/14 05:52小西行長展
- 小西行長展が八代市博物館において10/19~11/25まで開かれるそうですよ小西行長公と言えば、キリシタン大名として有名で、洗礼名はアウグスティヌス朝鮮出兵のときは、加藤清正公と先陣を争ったことでも有名です。行長ははじめ宇喜多直家公の家臣として仕え主に外交担当の使者だったと言われてます。直家死去後羽柴秀吉の家臣として仕え、豊臣政権においては船奉行に任命、水軍を率いていました。そして、数々の手柄により出世し天... [続きを読む]
|
- 2007/09/11 00:41豊臣秀吉公正室おね様
- サイトの遺構めぐりでのおね様の寺高台寺についてあまりにもアクセスが極端に少ないのでいろいろ考えてみました。見ていただいてる方はわかってくださってると思うのですが、兜は豊臣秀吉公並びに家臣団と安土桃山文化を探求するサイトです。もしや・・・っと思うのですが、おね様がまだ東軍の味方・・・徳川家康側だったと思っておられる方が多いのでは?っとの考えにいきついたのです。ただ、武将関係ではないから、高台寺に興味... [続きを読む]
|