- 2008/01/12 16:30ヘルマン・ヘッセ著「車輪の下」
- これは、ヘッセ初期の作品である。彼はこの本が切欠で、いち早くドイツ文学界に陽光を当てた。あまり認められなかったリルケとは正反対である。しかし、ヘッセの人生をそのまま鏡に、映し出したような、この書は青春を思い浮かばせる。私も若い時分色々としてきたものだ。その中には、自殺衝動と殺人衝動が交錯する恐ろしい思春期危機があった。それをヘッセは巧みに描いている。ここに彼のすばらしさがある。主に非凡なものから... [続きを読む]
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- 2008/01/11 18:49キケロー「弁論集」
- この本は、主にカティリーナ弾劾についての資料である。どうやら、キケローがしゃべったことを誰かが速記したようである。所々に欠落した部分があるのは、残念だが、それでもキケローの雄弁さが分かる(彼が自分のことを雄弁家と述べたことはない)。それでも、彼の能力はすばらしい。犯罪に走っていた諸々の人を弾劾し、人民の心をいとも簡単に掌握してゆく。そこにはヒトラー以上の才覚が容易に見て取れる。否、ムッソリーニす... [続きを読む]
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- 2008/01/10 07:04プラトン著「国家」
- この本は、原初時代に登場した一時の閃光であった。プラトンいわく「人間たちは、鎖につながれ、外に出ることを許されない。ある男が外に出て行って、陽光を見たと、皆に伝えると、彼らは首を横に振った。所詮、人間は他人の影を見るだけで、決して外の陽光を見ることができないのである。」。 これがイデアの発端である。主に彼の著作のほとんどは、対話式で書かれていて、ソクラテスを引き合いに出す場合が多い。饗宴にしても... [続きを読む]
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- 2008/01/09 23:47ショーペン・ハウアー著「意志と表象としての世界」について
- まず、私がこの本と出会った経緯を話そう。十九歳の時、水戸の駅前の本屋でたまたま中公クラシックスの本を見ていた。ライプニッツの本を買おうかと、迷っていたが、彼のあまりにも神に寄りかかった姿勢を見て、買う気がうせた。そして、次に手に取ったのが「意志と表象としての世界」であった。私は、その真理の明瞭さを見抜き、興奮しながら、ホテルでその本を熟読した。私はその当時、哲学を始めたばかりでまったくの無知であ... [続きを読む]
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- 2008/01/08 23:09海外の治安と日本の治安の違い
- 私は、どういってもボディガードの端くれではある。そこで、実際にあった警護記録を公表したいと思う。私は、南フランス地方で要人の警護にあたっていた。そこで、気づくのが日本人の治安への認識の甘さである。不用意に財布などを公衆の目の前で出す。これは、一番危険なことだ。南フランス地方では、すりなどの犯罪が多い。しかも、彼らはそれを職業としている。そのため、ある意味彼らは人のものを盗むプロといえるであろう。... [続きを読む]
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- 2008/01/07 08:18理論物理学について
- まず、理論物理学と実験物理学に違いを示しておく必要がある。最初に実験物理学とは、理論と異をことにして、初めからやみくもに的を射当てる学問だといえる。順序から述べて、理論が先に来てーなぜなら、的の位置を推論によって考察するからであるー次に実験物理学が登場する必要がある。これで、大まかな理論物理学と実験物理学の違いが分かってもらえたと思う。さらに、違いを述べると理論物理学は大雑把である。反対に実験物... [続きを読む]
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- 2008/01/06 16:28第四章 感情について emotion
- 第四章 感情について emotion感情とは動因によって引き起こされる認識の反応である。その反応が時間、空間の制約下におかれることによって行動となる。このことから認識の反応に過ぎない感情を主観的感情と呼び、それが行動となって現象した物を客観的感情と呼ぶ。感情を意識的に主観的感情の段階でとめることを抑圧と呼び、これは認識される動因の影響が大きいと判断したために起こる現象である。この場合の判断とは本能的反... [続きを読む]
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- 2008/01/04 20:15経験の概要2
- おっとここであたりを見渡すと、誰かが立ち上がっているようですな。隣のハムレット君も落ち着かないのか、きょろきょろあたりを見回して、その男を見ている御様子。おやおや、どうやら彼はひどく脅えているのやら、驚いているのやらして、両目がねずみのように走り回っています。結局最後はその男に彼の両目は釘付けだ。さてさて、お芝居が続くこの大劇場において、この直接という言葉がまことに奇妙だとおっしゃるガリバー君が、... [続きを読む]
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- 2008/01/04 20:15経験の概要1
- 経験と感情第一章 経験の概要 私たちの経験に対する感覚は、いくら科学が日進月歩を遂げようと変化をしていない。これは科学が概念による諸法則の秩序を目的とし、他方経験という目に見えぬ神秘的な原理がそれに呼応しまいと抵抗しているようにも思える。いまだ私たちは経験という目に見えない原理に縛られ従属している。しかし科学といえどこの経験から生まれてきたことに異論はない。そもそも我々は何を持って経験の有意義な認... [続きを読む]
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- 2008/01/04 19:59警護計画書
- 警護計画書今回の5日間の警護計画の詳細を提出します。今回の警護地は淡路島です。クライアントの今回の旅行に同行する家族は子供二人と奥さんの三人です主に宿泊する場所は、海岸から2キロメートル離れた別荘です。今回の計画に同行する3名の警護員、H、O、K、の役割警護員H 隊長 社長の警備担当 車両の防犯担当警護員O 副隊長 主に子供たちの警備担当 炊事担当警護員K 隊員 夫人警備及び周辺の現状確認担当 別荘の防... [続きを読む]
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- 2008/01/03 06:52不眠
- 不眠と意識との因果関係 これは私自身の身体に起きた生理的現象、すなわち不眠の考察である。 初めに不眠と関わりがあると思われる事柄をいくつか箇条書きで述べる。しかしこのことはあくまで思われるのであって断定的見解ではない。1、 不眠と躁状態 私の遺伝的気質、及び環境的素因から構成された性質に突発的に起きる躁状態がある。この状態が起きるのは主に夜中である。深夜十二時から明け方にかけてこの状態は続く。そ... [続きを読む]
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- 2007/12/30 22:23論理学
- 論理的な思考の要素1、 論理的思考とはそもそも昔の詭弁者たちが使っていた手法であります。論理的解釈とはもっぱら概念の問題であり、そこに実際の事象が関わる必要はありません。例えば花についての話題で、花という一つの概念を決め、そこに白い花や黒い花などの細かな概念を花という大きな概念の中に吸収させていきます。そういう情報が集まれば集まるほど花の概念の整合性は高まります。しかしこれはあくまで概念について... [続きを読む]
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- 2007/10/19 23:26先入観
- 第五章 先入観について まず先入観とは記憶の客観ともいえるもので、表象から体が受けとる動因である。動因とは体が感覚によって得る客観の認識である。先入観とは記憶と感情が組み合わさって起こる。私の言う客観とは表象からの感受である。初めてこのような客観を受け取るときは、それはむしろ感情的というより、肉体的刺戟である。だからより広い意味の言葉、感覚を用いたのである。客観がなければ何も人は先入観など持つ必要... [続きを読む]
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- 2007/09/27 22:26脳楽と古武術
- 私が、この場所を訪れて、感じたことは、様々であった。歌舞伎に、昔の江戸の雰囲気等々、それらがかもしだす空気が、私に、新鮮な印象を与えた。昔から、歌舞伎や脳楽には、興味があった。ここで、脳楽について、話すことにする。もっとも、感慨深いのは、能楽とは、日本固有の文化であり、独特のものであるということだ。ゆったりとした、動きには、考えられないほどの力を消費する。私自身、古武術をしていて、分かることだが... [続きを読む]
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- 2007/09/23 02:24日本における迷信の解釈
- 私がここに提示する問題は、何も新しいものではない。それは、どこの国にでもある神話的な寓話を、分析心理学的側面から、捉えようとする試みである。 まず、餅なし正月、という言語がある。この言葉は、昔の人々にとって、神話的な意味合いを帯びたものであった。しかも、それは、今もなお、影響を与えているかもしれないのである。餅なし正月という語句の、語源には様々な憶測が飛びかっている。これを、心理学的側面から述べ... [続きを読む]
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- 2007/09/03 01:04きらびやか死
- きらびやかな死 ここはとある教会。信者たちが続々と集まる中、一人の男が天を仰ぎました。彼の顔立ちは整っており、すこし日焼けした肌が服の下からのぞいていました。そんなところに一匹のうさぎと一匹の亀がやってきました。彼らはもの憂いげに男の人に背を伸ばして、まじまじと見ました。すると、うさぎがくすくすと笑い出しました。「なんだい、この男は?夢でも見ているのかい。」 そしたら、男は前のステンドグラスを無... [続きを読む]
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- 2007/09/02 01:10本能について
- 第二章 本能について 私がこのように提唱した人間の感情が経験に及ぼす相対的な働きの利点や欠点を正確に述べる前に自然本来の経験の意義を考察すべきであると思う。なぜなら動物においてその経験はまさしく抽象的概念に仲違されることなく本来の形相を示しているのであり、その後に人間における経験の有効性を説いたほうが純然たる物であろう。経験と感情を本能にそって説明すれば、不の感情はダーウィンの「種の起源」によって... [続きを読む]
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- 2007/08/30 23:26個性と精神疾患
- 普通社会一般の常識では、個性とはきわだった存在として、扱われる。しかしそれは間違いである。個性とは思春期にのみ、出現し、その後には平凡な十年一日の暮らしをするだけである。そこである一つの仮説が成り立つ。それこそがまさに個性と精神疾患の連関である。もし思春期を過ぎて、なおも個性が残るものは少なからずとも精神病に近い病巣を持っている。これは潜在性精神病という語句でくくられる一つのカテゴリーである。 ... [続きを読む]
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- 2007/08/19 04:13パラノイア性犯罪者について
- パラノイア性犯罪者について 私はパラノイア性犯罪者を連続殺人鬼の中に多く見る。彼らは執拗に標的をつけねらい、最後には彼、彼女たちを喰い尽してしまう。またパラノイケルを有する人々は自然科学者に多く見られる。ローベルト・コッホ、ニールス・ボーアはこの範疇に入る。これはクレッチュマーが提起した「体質と性格」を読めば分かる事である。しかしこれでは区分けが矛盾してしまう。おそらくラカンは粘着性とパラノイケル... [続きを読む]
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- 2007/08/17 18:42直観と意識
- 直観と意識 大部分の神経科医、脳科学者が間違いを犯している。それは意識と直観の混同である。あくまで直観とは目でとらえたもの、また触角に触れ、喚起される現象の事を言う。そして意識とはいったん、直観から得た情報を脳内で分析する事を言う。現在の科学者たちはこの区別をはっきりとおこなっていない。彼らは意識や自我を重んじるあまりに直観の重要性を忘却してしまっている。これは由々しき事態である。哲学の勉強をせず... [続きを読む]
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- 2007/06/13 01:55感情について
- 感情について emotion感情とは動因によって引き起こされる認識の反応である。その反応が時間、空間の制約下におかれることによって行動となる。このことから認識の反応に過ぎない感情を主観的感情と呼び、それが行動となって現象した物を客観的感情と呼ぶ。感情を意識的に主観的感情の段階でとめることを抑圧と呼び、これは認識される動因の影響が大きいと判断したために起こる現象である。この場合の判断とは本能的反射の意味で... [続きを読む]
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- 2007/06/11 22:15形而上学
- 形而上学の務め 私の望む事は形而上学の務めを果たすことである。形而上学の意味とは、全ての学問の上に立ち、諸学問の限界を定める事にある。したがってショーペン・ハウアーが認識の根拠律によって物理学の限界を定めた事は賞賛に値するのである。昔から優れた自然科学者は、思想家でもあった。例を挙げれば、ハイゼンベルクはプラトンの信奉者であり、シュレーディンガーはショーペン・ハウアーの本に畏怖の念を抱いた、とその... [続きを読む]
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- 2007/06/09 04:36経営哲学2
- さて最後の締めくくりとして総論を述べたいと思う。「世のため人のためという。」言葉は矛盾をきたす。人という生物に矛盾が生じるのは、所詮認識と現象の錯覚にしか過ぎない。それが現象同士の場合矛盾をきたしてはならないのである。原因と結果の法則に従って、私たちの言う言葉もその効果を因果律に局限される。すなわち公共の利益というのは、利己心から出ない、将来的な利益を述べることである。そこに自らの家族のために仕事を... [続きを読む]
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- 2007/06/09 04:32経営哲学1
- 「賢者の集まりにおいて、愚者の飾りはただ沈黙のみ。」【坂井 尚夫】 人の本質を痛感するお言葉を提言してくださった先生の名誉を称え、ここにこの言葉を記す。ここに示したとおり、私は自らの保身に務めず真理に耳を傾けようではないか。「人の世に太陽が暖かすぎるように、激しすぎる情熱は、やがて世に混沌を巻き起こす。」「経営哲学」 経営哲学といっても、そこには哲学との根本的相違は見出せない。よってこの言葉は哲学... [続きを読む]
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- 2007/06/09 04:04大衆の不安定さ
- 人がこぞって言う謙遜などはまがい物である。なぜなら、一般の人々には判断力がかけており、そのために正確な判断を下せないのである。私が述べた判断力とは慧眼の事である。そしてその慧眼を携える者が少ないのも現状である。 したがって、ヒトラーが引き起こした戦争の罪は全ドイツ国民に科せられるべきである。だがここで誤った判断をしてはいけない。たとえ全ドイツ国民に対して、罪をかせようとも、それはゆるやかに行う必... [続きを読む]
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