satsumakko さん

satsumakkoさん: 鹿児島みてある記2
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プロフィール

ハンドル名satsumakko さん
ブログタイトル鹿児島みてある記2
サイト紹介文鹿児島の歴史遺産、隠れた魅力を紹介するブログです。
参加カテゴリー
更新頻度(2年)情報提供284回 / 366日(平均5.4回/週) - 参加 2007/10/11 08:18

satsumakko さんのブログ記事

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  • 2008/10/04 14:02SATSUMAKKOのホームページ開設のお知らせ
  • ホームページを開設しました。SATSUMAKKOのホームページ今まで当ブログで紹介した外城(麓)の風景を少し大きいサイズの画像で楽しんでいただけます。これからも各外城の風景を、まずは当ブログにアップし、上のホームページに記録として少しずつ残していきたいと考えております。これからも、当ブログ「鹿児島みてある記」および「SATSUMAKKOのホームページ」をよろしくお願い致します。管理人(satsumakko)... [続きを読む]
  • 2008/09/29 22:22南九州市川辺町−宮の武家門
  • 旧川辺町出身の郷土史家、青屋昌興氏が書いた「川辺町風土記」という本があります。タイトルに惹かれて購入し、読んでみると、旧川辺町内には、知覧に負けないくらいの立派な庭園の武家屋敷がいくつもあったと書かれていました。本の中に、川辺町の宮地区にも、武家門があると書かれていたので、本当にあるのかなと半信半疑で宮に出掛けてみました。8月のことです。結果として、ありました!▼宮にある「板倉神社」。1200年の... [続きを読む]
  • 2008/09/28 17:59宮崎県都城市−野々美谷
  • 都城は都城島津家4万石の城下町です。薩摩藩時代、その広大な私領地を支配するため、ミニ外城ともいうべき6つの外城(安永・山口・志和池・野々美谷・梶山・梅北)(郷)を私領地内に設けました。それらの外城には、当時の名残を示す麓の地名が残されています。▼野々美谷集落内にて。▼野々美谷集落の中心の交差点付近。交差点の角には簡易郵便局がある。郵便局はその歴史から、麓の中心に設けられることが多い。▼野々美谷集落... [続きを読む]
  • 2008/09/27 10:02桜島−虹の出現
  • 先日の台風13号が種子島・大隅半島南部沖を通過する頃、桜島の上空に2本の大きな虹が出現しました。南日本新聞でも紹介されたので、ご存知の人は多いと思います。▼自宅のベランダから撮影。魚眼レンズや超広角レンズなら虹全体を撮れたかも。私のカメラではこれが限界。▼反対の西の空。赤く輝いていました。(後記)台風13号のあおりを受けて、甑島への出張が取り止めになりました。麓集落である上甑島の里集落や下甑島の手... [続きを読む]
  • 2008/09/27 09:32秋の大運動会
  • 23日 子供の通う小学校で大運動会がありました。上の子は桃組。下の子は青組。結果は桃組優勝。11年振りだそうです。おめでとう。久しぶりにビデオを取り出し、子供の出場種目に合せてビデオ片手にグラウンドの回りをあちらこちら移動しました。当日は天気にも恵まれ、いい運動会でした。... [続きを読む]
  • 2008/09/21 09:55志布志市−松山麓の風景
  • 曽於市での仕事の帰り、旧松山町に立ち寄りました。旧松山町は隣の旧志布志町と合併し、現在は志布志市の一部となっています。松山といえば、KKBの「ふるさとCM大賞」に出てくる手作りの松山城がまず頭に浮かびます。平成元年より、町興しの一環として、「大隅の國やっちく松山藩」を開き、毎年、秋に「やっちく松山藩−秋の陣祭り」を開催しているそうです。やっちくとは、地元特産の野菜と畜産、それとやる気(鹿児島の方言で... [続きを読む]
  • 2008/09/21 08:16都城市・今町街道−一里塚と楠見家の門
  • 都城市から曽於市へ戻る途中、今町街道(現国道269号線)を通りました。都城・末吉・松山・志布志を結ぶこの街道の脇に一里塚と楠見家の門があります。▼国指定史跡「今町一里塚」。昭和10年頃まで美しい緑の松並木が続いていたらしい。街道の両側に土盛のように残されていた塚が国の指定を受け保存されることとなった。現在はその松並木もなくなっているが塚だけは残っており、一里塚としては、九州で唯一の国指定史跡となっ... [続きを読む]
  • 2008/09/20 07:57三股町内の歴史的景観
  • 三股町の山王原は、いわゆる麓地区ではありませんが、当時の薩摩藩郷士(士族)による明治初期の開拓の歴史を 町割りや景観にうかがい知ることができる地区です。これは思わぬ発見でもあり、勉強にもなりました。▼道の両側には川原石を積んだ低い石垣が作られています。▼低い石垣の上には生垣が配置されています。綺麗に剪定され、気持ちのいい空間となっています。▼上の各写真はいずれも、山王原地区内を東西に走る道ですが、... [続きを読む]
  • 2008/09/15 14:30宮崎県三股町−三島通庸の足跡
  • 明治2年、都城地頭として赴任した三島通庸(みしまみちつね)は、庄内の地頭仮屋を役館として、庄内の町づくりを始めとして、薩摩・大隅・日向各地から多数の郷士を移住させ、道路建設、原野開発に力を注ぎました。▼三股町山王原にある早馬神社と境内内にある三股開拓の碑。▼三島通庸は、勝岡郷と梶山郷を合併して三股郷を作り、その中心をここ山王原におきました。原野を開拓するため、70戸を移住させたとあります。▼早馬神... [続きを読む]
  • 2008/09/14 12:18都城市・勝岡付近の風景
  • 仕事で曽於市を訪れた際、隣の都城市(宮崎県)まで少し足を延ばしてみました。▼都城から三股町に向かう途中で かつての郷士集落らしい雰囲気の残る地区を見かけました。下のお宅は綺麗な生垣で囲まれています。よく見ると少し入った所に武家門が見えます。▼幹線道路を脇に入った奥に石垣と生垣が見えます。▼丸石を積んだ石垣と、その上に生垣が続いています。奥に見えるこんもりした山がどうやら都城12外城の一つ、勝岡城址... [続きを読む]
  • 2008/09/13 20:53加治木町・仮屋馬場通り
  • 加治木町の中心で外城らしい雰囲気の残る地区としては、加治木高校や裁判所のある仮屋町くらいかも知れません。▼仮屋町界隈。右は裁判所。奥の樹木がこんもりとした所は加治木島津家の屋形跡。島津義弘の終焉の地でもある。▼加治木島津家屋形の跡。敷地内に、東の丸(現在の加治木高校)、中の丸、西の丸(現在の柁城(だじょう)小学校)の各屋敷が並ぶ広い屋形であった。▼護国神社。▼加治木高校。▼柁城(だじょう)小学校。▼加... [続きを読む]
  • 2008/09/11 22:45加治木町・曽木家の茅葺門
  • 仕事で霧島市に向かう途中、加治木町に寄りました。加治木町は島津義弘の館址のある城下町ですが、市街地に空襲を受けたためか、残念ながら城下町あるいは麓としての雰囲気に乏しい。ところが、加治木町の市街地で、茅葺門を見つけました。▼曽木家の茅葺門。茅葺門としては、入来の入来院家、高山の二階堂家の例があります。加治木町にもあるとは知りませんでした。▼袖屋根付き。観音開きの潜り戸付き。古文書によると、曽木家の... [続きを読む]
  • 2008/09/08 07:37市来鶴丸城址界隈(2)
  • ▼JAの前の通りです。右のお宅は鶴丸城址前の道路にも面する広い屋敷ですが、残念なことにブロック塀。かつては石垣だったと思うのですが。▼通りを進むと、永山在兼生誕地の碑がありました。大正時代に釧路土木事務所長として北海道東部の道路建設に情熱を傾け、美幌峠や屈斜路回遊の道を開いたそうです。情熱家だったんですね。▼その先に崩れかけた武家門の残る屋敷跡がありました。奥には白壁の倉も残っています。主屋は既に... [続きを読む]
  • 2008/09/07 12:00日置市東市来町−市来鶴丸城址界隈(再訪)
  • 旧東市来町は、旧市来町とともに古くは市来院と呼ばれており、中世に市来氏が郡司となって支配していましたが、島津氏にその支配が移り、地頭が置かれるようになりました。その後、地頭仮屋は旧市来町の湊町(現在の市来支所)に移されました。現在も市来鶴丸城址の周辺には地名とともに当時の麓の面影が残ります。▼麓下。市来鶴丸城址に向かう旧道に沿って石垣が残ります。宅地分譲中になってました。▼東市来支所前。高い石垣が... [続きを読む]
  • 2008/09/04 08:32知覧特攻平和会館
  • お盆に子供を連れて知覧特攻平和会館へ出掛けました。▼これは知覧の石灯籠。特攻隊員の姿が彫られています。▼知覧特攻平和会館。館内は見学者が非常に多いでした。知覧特攻平和会館は、旧日本陸軍の知覧飛行場跡地の一部に建てられ、多くの特攻隊員の遺品や関係資料が展示されています。なかでも若い隊員の遺書や時世の句には胸打たれるものがあります。多くの隊員の遺影の中には朝鮮半島出身者のものも複数ありました。戦闘機の... [続きを読む]
  • 2008/08/31 21:56田舎に泊まろう!
  • 今日で夏休みは最後。子供達そしてお父さんは夏休みの宿題、自由研究に最後の追い込みを掛けたのではないでしょうか。我が家もそうです。▼お盆は川辺の実家にみんなで泊まりに行きました。夕闇迫る時刻です。▼子供達は近くのグラウンド(普段はグラウンドゴルフ場)で遊びました。夜は庭で花火大会。▼翌日。朝の田園風景。目の前の田圃で米を作っています。▼子供は虫取りへ。バッタや蛙はいました。▼岩屋公園(清水)の流水プ... [続きを読む]
  • 2008/08/31 09:46串良麓を訪ねて(2)
  • 岡崎郵便局の角から串良商業高校に上がる道に戻りました。▼S字に曲がる道路の左右に石垣が続きます。▼背の高い方の石垣は少し意匠が凝らされています。▼三棟目の武家門を確認しました。▼こちらは石柱の門構えです。▼こちらは高い生垣で囲まれています。▼こちらは五〜六段の石垣と生垣が続きます。▼屋敷跡のようです。石柱が残っていました。▼仮屋屋敷跡に戻りました。石塀は串良小学校の南側に建っているものです。(訪問... [続きを読む]
  • 2008/08/31 07:47串良麓を訪ねて(1)
  • 串良麓を訪ねました。旧串良町は大隅半島のほぼ中央部に位置し、国道220号線の要衝にあたります。東は東串良町、南は旧高山町、西は旧鹿屋市、東北は大崎町に接しています。その昔は串良郷と呼ばれ、大隅半島では志布志、根占と並び大郷で、薩摩藩時代は1万8千石以上を産する実り豊かな土地でした。明治22年町村制施行により串良郷が串良川を境に東西に分かれ、西串良村と東串良村に分かれ、昭和7年の町制施行とともに、串... [続きを読む]
  • 2008/08/24 08:59高岡麓を訪ねて(3)
  • 前にも書きましたが、高岡町の麓の景観を特徴付けるものとして、独特の石垣の色合いがありそうです。▼高岡石を採用した石垣。鹿児島県内の山川石や加治木石とも違うその産地独特の色あいです。▼高岡郷の武家屋敷の垣は本来は竹の生垣にして、横二段に割竹で固定したもので石垣は許可されませんでした。石垣ができたのが幕末頃と言われています。その後石垣を作る屋敷が増え、竹の生垣は石垣へとかわっていきました。(現地解説板... [続きを読む]
  • 2008/08/23 19:05高岡麓を訪ねて(2)
  • 高岡町の代表的な武家門を見てみましょう。▼河上家武家門(宮崎市登録有形文化財)。観音開門は禄高80石以上の武家に許され、両開きで左右いずれかにくぐり門が取り付けられて、夜間の出入りに使用されたそうです。河上家の武家門は、観音開門の代表的な存在で、弓術の指南家、禄高280石程度の高禄武家のものといわれているそうです。禄高80石以上というのは現在の貨幣価値ではちょっと想像がつきません。▼上の河上家武家... [続きを読む]
  • 2008/08/23 17:57宮崎市−高岡麓を訪ねて(1)
  • 宮崎のシーガイアから鹿児島に帰る途中 高岡町に立ち寄りました。高岡町は人口1万2千人余りの小さな町で、現在は隣の宮崎市の合併特例区となっています。高岡町の歴史を調べると、1600年、関ケ原の戦いから退却した島津義弘が、現在の高岡の地に山城(天ヶ城)を築城し、薩摩・大隅・日向各地から家臣や郷士を多数移住させ、高岡、綾、穆佐、倉岡の四郷の外城を創設しました。去川の関の外に位置する高岡郷は、中でも、出水麓や... [続きを読む]
  • 2008/08/17 16:30宮崎・シーガイアリゾート
  • 昨夏に続き、今年の夏休みも宮崎のシーガイアリゾートへ。昨年はラグゼ一ツ葉に宿泊し、オーシャンドームで遊びましたが、オーシャンドームは残念ながら昨年9月で閉館(あと2〜3年は営業を続けて欲しかった)。今年は、サンホテルフェニックスに宿泊し(シェラトンに泊まれる日がくるのやら)、ファミリーパスポート付きを申し込みました。このファミリーパスポートというのがちょっとくせもので、遊び付きを取るか夕食バイキン... [続きを読む]
  • 2008/08/16 14:42宮崎県都城市・山之口麓の武家屋敷通り
  • 宮崎県都城市の東北部に位置する山之口地区には薩摩藩時代の地頭仮屋が置かれ、その周囲に郷士の居住地である麓が作られました。▼国道269号線に面して建つ地頭仮屋跡。跡地には山之口麓の武家屋敷に伝わる山之口麓文弥節人形浄瑠璃を上演する人形の館(資料館)が建てられている。▼人形の館の前には比較的新しい武家門がぽつんと建つ。▼国道を一歩入った通りに武家屋敷の面影が漂う。昨夏もここを訪れました。⇒山之口麓。▼... [続きを読む]
  • 2008/08/16 10:10宮崎市高岡町去川地区−二見家住宅
  • 鹿児島から隣りの宮崎へは車で移動してもけっこう時間がかかります。首都圏だったら東京から隣りの山梨県へドライブする位の感覚でしょうか。ちなみに九州自動車道はえびので大回りするから使いにくい。今回は東九州自動車道の終点財部ICを降りて、都城市から10号線で宮崎市へ抜けました。10号線は山間部を上りが続き途中から大淀川に沿うようにしてカーブしながら下りが続きます。山間を下る途中の”去川”地区に立ち寄りまし... [続きを読む]
  • 2008/08/10 09:35夏休み・宮崎県庁見学記
  • 家族と一緒に宮崎に遊びに行きました。「まずどこに行く?」「東国原知事のいる宮崎県庁ー!」ということで、みんなで宮崎県庁を見学しました。▼車は県庁駐車場に停めることができます。私達のような観光客がぞろぞろと県庁内へ入っていきます。そういえば東京都庁ができたころ大勢の観光客が都庁に詰め掛けましたね。▼玄関で東国原知事の等身大の看板が出迎えてくれます。みんなここで一緒に記念写真を撮るようです。私達も一緒... [続きを読む]
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