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- 2009/07/01 12:12東京〜ミッドタウン界隈
- 東洋英和のある旧麻布鳥居坂町から、六本木の交差点を渡り、三河台方面へ歩きました。▼この一帯は旧麻布三河台町です。マンション名を見ると三河台という旧地名が残っています。右の建物はフランシスコ会聖ヨゼフ修道院とその教会。日曜日は近隣の外国人の家族が多数集まっていました。毎年恒例のバザーがあります。子供用の玩具を目当てに家族で朝早くから並びました。掘り出し物があるらしく、骨董商らしきオジサンもよく来てい [続きを読む]
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- 2009/06/30 07:03東京〜麻布界隈を行く(2)
- 鳥居坂を上りきると、国際文化会館、川崎ハウス、東洋英和などが並ぶ高台にでます。一帯は大名屋敷が並ぶ武家地で明治以降も大邸宅地として残り、街の変化の激しい六本木にあって変化のすくない地区です。▼鳥居坂を上りきったところ。旧町名は麻布鳥居坂町。▼旧岩崎邸。現国際文化会館。▼旧岩崎邸の隣の旧川崎邸。敷地内に外人向け住宅がゆったりと並ぶ川崎ハウスがあった。道沿いに古い塀が続く。▼旧川崎ハウス。▼レンガ塀が [続きを読む]
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- 2009/06/28 15:24東京〜麻布十番界隈を行く
- 先週、東京へ出張でした。懐かしさもあってちょっと麻布十番へ行ってみました。麻布十番までは東京モノレール浜松町駅近くの大江戸線大門駅から二駅とすぐです。以下は街角スナップです。▼麻布十番商店街。中央やや下にたいやきと小さく看板が見えますが、「およげたいやきくん」のモデルとなった、浪花屋総本店です。▼この通りを真っ直ぐいくと六本木ヒルズへ向かいます。▼子供用におもちゃをよく買っていたコバヤシ玩具店▼元 [続きを読む]
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- 2009/06/27 07:09知覧武家屋敷〜本馬場通り(2)
- 本馬場通りは突き当たりを折れ曲がり、亀甲城へ向かって続きます。この時期は生垣がとても綺麗です。▼手前にある茅葺民家。近くから移築されたもの。知覧型二ツ家と呼ばれる。▼武家門が2〜3棟続いて見える風景が好きです。右は佐多民子邸。▼本馬場通りはもう一度見通しを悪くし右に折れ曲がります。右は佐多直忠邸。▼佐多直忠邸の門前からの眺め。▼ゆるく右にカーブしここでも見通しを悪くしています。▼石垣は切石を綺麗に [続きを読む]
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- 2009/06/24 21:54知覧武家屋敷〜本馬場通り
- 知覧武家屋敷のメインストリートは、御仮屋跡の脇から入り、亀甲城跡まで延々と700メートル以上にわたり続く本馬場通りです。▼紺屋小路から本馬場通りに入りました。通りの両脇に石垣と高い生垣がそびえています。正面には母ヶ岳をのぞみます。本馬場通りは他の馬場よりも道幅が広く作られています。▼武家屋敷の入口は切石の石垣に武家門構え。左右に玉石垣が続き、その上に2段構えの生垣が配され、生垣は最高3メートル以上 [続きを読む]
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- 2009/06/23 21:30閑話休題
- 「鹿児島みてある記」が2007年10月にスタートして、1年9月たちます。平均80〜90の訪問者数が最近では平均120前後に増え、ランキングにも限りなく低位ですが表示されるようになりました。大変有難いことですし、励みにもなります。昨年の大河ドラマなどを契機として薩摩藩やその独特の麓集落に関心をもたれる方が増えてきているのではと分析しています。今後も魅力ある風景をアップしていきたいと思いますので、温か [続きを読む]
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- 2009/06/22 07:06知覧武家屋敷の麓風景(2)
- 知覧の伝統的建造物群保存地区は、下の地図から分るように本馬場通り沿いだけでなく亀甲城跡、本町馬場通り沿いまで含む広い範囲で指定されています。ということは、前回紹介した本町馬場通りもそのうち整備されることになるかも知れません。本町馬場通りから本馬場通りへ向けて紺屋小路と呼ばれる横道を歩きました。紺屋がかつてあったのかも知れませんね。▼右の武家門はブロック塀などが見えますが、ここもそのうち整備されるか [続きを読む]
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- 2009/06/20 09:29知覧武家屋敷〜麓のもう一つの風景
- 「薩摩の小京都」として知られる知覧の代表的な景観といえば、700メートル以上にわたって武家屋敷が整然と並ぶ本馬場通り沿いの町並みです。本馬場通りの両脇には各屋敷を外敵から遮るようにして石垣と高い生垣が続き、多数残された優雅な庭園と相まって通りの全体が一つの庭園の趣きがあります。ほとんどの観光客は本馬場通りを目指します。しかしながら本馬場通りを一歩脇に入ると観光向けとは異なるかつての知覧麓の姿を知る [続きを読む]
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- 2009/06/19 18:32伊作郷を行く(3)
- 伊作郷御仮屋の跡です。現在中央公園になっています。▼御仮屋跡への登り口に高い門柱が見えます。向こうは伊作の中心。▼御仮屋跡の上に古い石垣と生垣が残っていました。▼上の石垣を進むと絵になる武家門構えの屋敷が現れました。▼石垣、生垣、庭木、母屋、背後の山、絵になります。6月の麓は生垣がみずみずしい。特に雨上がりのみずみずしさは格別です。 [続きを読む]
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- 2009/06/18 20:43伊作郷を行く(2)
- 伊作郷の郷士集住地区は麓地区の他、地頭仮屋があった現中央公園の後背台地上の宮内地区に形成されていました(*)。▼宮内地区。大汝牟遅神社横馬場参道。毎年11月に流鏑馬が2名の射手によって行われます。▼宮内地区に残る千本楠。この一帯は古来大汝牟遅(おおむれち)神社の神域で、20数株の大楠が連なっている。▼石垣に生垣が続く。正面が大汝牟遅神社。▼地区内には古い石垣が残ります。▼宮内地区の先にある正円池。 [続きを読む]
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- 2009/06/17 21:25伊作郷を行く
- 6月の初旬、仕事で日置市にある吹上町を訪れました。鹿児島市の谷山から伊作峠を越えて向かいます。伊作峠を越えて吹上町の市街地の手前に伊作郷の麓地区があります。▼麓地区に残る武家門。屋敷は既に取り壊されています。幹線道路を進むと伊作峠に向かいます。▼向かい側に残る武家門。左右の石柱に主屋根が架けられる。▼伊作郷の麓地区は、亀丸城跡南面山麓部から前面平地・丘陵部にかけて東西に長く形成されました。▼丘陵部 [続きを読む]
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- 2009/06/13 05:38薩摩川内市−市街地に残る武家門
- 薩摩川内市大小路(おおしょうじ)町に残る武家門。国道3号線沿いのコンビニに立ち寄ったら偶然上の武家門に出会いました。付近には古い石垣も残ります。大小路町には、秀吉と島津義久が和睦の会見を行った泰平寺があります。... [続きを読む]
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- 2009/06/11 08:25鹿屋市−高隈麓の風景(再訪)
- 鹿屋市の北部、高隈山のふもとに高隈麓があります。先月仕事のついでに立ち寄ってみました。▼高隈麓の表示のあるバス停付近の風景。▼道路沿いに建つ武家門。ブロック塀が目立つのは道路拡張のためでしょうか。表門の内側に笠木石を載せた石垣が見えます。▼道路の反対側に建つ武家門。綺麗な門です。▼この付近は玉石垣が残ります。いかにも古そうです。▼この付近の玉石垣は新しく見えます。参考:高隈麓の風景(2007.12訪問). [続きを読む]
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- 2009/06/06 16:54高江麓の風景(2)
- 高江麓は石垣等に当時の面影をよく伝えており、落ち着いた佇まいをみせています。▼内場馬場の風景。手前から奥にかけて連続する三軒の門構えが見えます。▼門構えはどれも同じような造作です。同時代に作られたからでしょうか。それがまとまって今に残っているのがいいですね。▼内場馬場を引き返し、武家屋敷跡の表示板を先に進みました。写真は高江法隆寺の石垣。▼岩永三五郎作の江之口橋。当時この一帯は洪水で多大な被害を受 [続きを読む]
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- 2009/06/06 07:06薩摩川内市−高江麓の風景
- 水引麓の対岸を川内川河口へ向けて少し下ったところに高江という麓集落があります。県道から集落内にある峰山小へ向けて歩きました。▼高江麓の表示のあるバス停付近の風景。▼麓内の風景。玉石垣が無造作に積み上げられその上に竹等で垣根をつくっています。▼案内によると、1845、6年の川内川氾濫、白浜堤防決壊により白浜堤防沿いの48戸の武家屋敷は大方が今の内場・峰下方面へ転居し、今に残る内場・峰下の武家屋敷が形 [続きを読む]
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- 2009/06/04 13:12垂水市−新城麓(再訪)の風景
- 仕事で鹿屋市方面に出かけるときは垂水フェリーから錦江湾沿いの国道220号線を通りますが、途中に新城麓という規模の小さな麓集落があります。新城麓の旧道らしき道を通ってみました。▼新城麓の風景▼旧道は新城麓の中心をとおり、そのまま真っ直ぐ山間を進むと花岡麓へと繋がります。麓中心の公民館近くに武家門を見つけました。地頭仮屋の跡と武家門の存在がかつてそこに武家集落があったことを認識させます。参考:新城麓の [続きを読む]
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- 2009/05/30 16:26肥薩線:SL人吉の旅〜後半
- SL人吉は人吉駅から熊本駅を目指しますが、我々は新八代駅で下車します。人吉駅から新八代駅まで約2時間もかかります。▼一勝地駅に到着。木造の駅舎です。▼人吉・吉松方面という表示がいいですね。急勾配が続く山越えでようやく吉松まで到着するとほっとしたのでしょうね。▼一勝地駅に停車中のSL人吉。▼そろそろ次の停車駅へ向けて出発です。▼白石駅に到着。明治期の古い駅舎です。▼白石駅に停車中のSL人吉。1号車と3号車 [続きを読む]
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- 2009/05/30 10:49JR肥薩線:SL人吉の感動の旅
- 「100年レイル肥薩線の旅」のクライマックスはSL人吉への乗車です。SL人吉のあゆみを概略記すると、58654号機として大正11年に日立製作所にて製造され、長崎への配置を皮切りにその後、福岡、鹿児島、大分、佐賀、熊本と配転され、昭和50年一旦廃車されました。昭和63年に「SLあそBOY」牽引機として復活し、その後機関車不調のため引退したものの、平成21年に「SL人吉」牽引機として見事に復活を遂げました. [続きを読む]
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- 2009/05/22 20:50平島御仮屋跡の風景(2)
- 平島地区は113外城の一つではありませんが、武家門が点在し、いかにも薩摩藩の武家地区らしい風景が残ります。▼地区内に残る武家門。▼この武家門は周囲の緑によく溶け込んでいて凛とした佇まいが美しい。堂々としたその存在感を写真で伝えるのは難しい。実際に目にすると存在感がとてもあります。▼上の武家門の前の小道を進むと、1千坪もあろうかという非常に広大な屋敷跡があります。石垣だけがその名残をとどめています。 [続きを読む]
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- 2009/05/19 22:10薩摩川内市−平島御仮屋跡の風景
- 水引麓から川内川に沿って下流に県道44号線を走ると途中に平島という地区があります。平島には同じ薩摩川内市の西方と同じく薩摩藩主一行が宿泊した御仮屋が置かれました。▼平島御仮屋跡の碑。碑にはここから坂を100m上ったところに御仮屋があったと書かれています。上の写真の坂道を上ってみました。▼坂を上ったところには、草に埋もれるように武家門が建っていました。坂下の碑に従うと、この武家門の建つ敷地が御仮屋跡 [続きを読む]
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- 2009/05/15 21:30薩摩川内市・水引麓の風景
- 仕事で北薩地方に出掛けた際、薩摩川内市の麓地区を訪れました。国道3号線から県道44号線に左折し、五代町の郵便局を左折するとかつて街道であったであろう雰囲気の旧道に入ります。しばらく進んでいくとかつての水引麓の中心に入ります。▼水引麓の風景。現在の宮内町。写真のように麓の中心を東西に真っ直ぐ走る馬場が残ります。遠くに中越パルプ川内工場の煙突が見えます。▼かつての地頭館址。奥に見える公民館の看板には宮 [続きを読む]
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- 2009/05/15 06:15肥薩線の旅(3):矢岳駅〜人吉駅
- 列車は矢岳駅を出発し、大畑駅へ向かいます。▼沿線風景▼矢岳駅から下る途中、大畑(おこば)駅のスイッチバックが見えるポイントがあります。車内アナウンスとともに列車は速度を落としてくれます。▼線路は大畑駅まで大きくループします。大畑駅はループ線の中にスイッチバックがある日本唯一の駅だそうです。大きくループする線路が見えると思いきや樹木が邪魔をして願いは叶いませんでした。▼ループ線を行く「いさぶろう・し [続きを読む]
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- 2009/05/12 21:31肥薩線の旅(2):吉松駅〜矢岳駅
- JR肥薩線の吉松駅から11時42分発人吉行き「いさぶろう・しんぺい」号に乗車しました。吉松〜人吉間は難所の連続で、前代未聞の山岳鉄道工事には当時の鉄道建設技術の全てが注ぎ込まれたそうです。なお、吉松駅からは都城駅まで吉都線が延びています。▼吉松駅に停車中の「いさぶろう・しんぺい」号。▼旧国鉄からJRに変わり、乗務員が活き活きとしています。笑顔の接客サービスが実に素晴らしい。▼真幸(まさき)駅に到着 [続きを読む]
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- 2009/05/10 08:38100年レイル肥薩線の旅〜特急はやとの風
- 所属する倶楽部で「100年レイル肥薩線の旅」の企画があり、参加してきました。まずは念願の特急「はやとの風」初乗車です。明治34年、鹿児島〜国分(現隼人)間で開業した鹿児島線は36年に吉松まで開通。熊本側からも39年に八代〜坂本間を開業しました。明治42年、最後の難所であった人吉〜吉松間の完成で門司と鹿児島を結ぶ壮大な鉄路が開通。肥薩線は現在も生きた鉄道博物館として親しまれています。(JR九州パンフよ... [続きを読む]
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- 2009/05/09 14:21鵜戸神宮〜宮崎フラワーフェスタ
- 4日、かんぽの宿「日南」を後にし、日南海岸を北上しました。鵜戸神宮は鵜戸崎と呼ばれる岬にあり、海岸の断崖の海蝕洞の中に本殿が建つという非常に珍しい神社です。山幸彦・海幸彦の伝説の舞台として知られています。岬の南側の狭い道路を進んでいくと、神社の手前に意外にも広い駐車場があります。▼鵜戸神宮の楼門。前回訪れたのは随分昔。楼門の手前には吾平山陵へと続く小道があります。こちらの陵墓は参考地。楼門をくぐり... [続きを読む]
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